2013年07月14日

数字で確認する南相馬市の現状 (若い人の流出-福祉介護医療の労働力不足が深刻)

 

数字で確認する南相馬市の現状

(若い人の流出-福祉介護医療の労働力不足が深刻)


原子力発電所事故における南相馬市の状況について
平成25年6月22日
南相馬市
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/
shiryo/__icsFiles/afieldfile/2013/06/24/1336650_1_1.pdf



○人口について

@○避難等の状況について(H25.5末現在南相馬市避難者情報及びH25.4南相馬市教育委員会調べ)
○避難者の帰還意向について(H24.8旧警戒区域及び旧計画的避難区域の市民を対象とした意向調査

◆市外避難者:16,138人(約22%)
◆市内避難者(津波被災者含む):11,254人(約15%)
◆転出者:6,411人(約9%)
◆市内居住者:46,512人(約65%)
◆子育て世代(20〜39歳)の約44%が市外へ避難
◆小中学校の児童生徒数は約54%に減少
◆保育園・幼稚園の児童数は約40%に減少

◆雇用保険加入者:約44,000人(H23.1)⇒約32,000人(H25.4)(▲1万2千人)
◆有効求人倍率:0.54倍(H23.2)⇒1.92倍(H25.4)

事業所の休止や閉鎖により働く場が失われた一方で、
復興需要の高まりによる労働力不足が発生


○人口について
○避難等の状況について(H25.5末現在南相馬市避難者情報及びH25.4南相馬市教育委員会調べ)
○避難者の帰還意向について(H24.8旧警戒区域及び旧計

◆ 「戻りたい」 43%
◆ 「戻りたくない・戻らない」 21%
◆ 「現在は未定(悩んでいるなど)」 34%
震災前の71,561人から64,368人に減少

○鹿島区、原町区(旧警戒区域外)の雇用と事業所等の状況について
◆震災前の事業所数約3,000、従業者数約24,000人
◆震災後の事業所数約2,500、従業者数約20,000人
○小高区(旧警戒区域内)の雇用と事業所等の状況について
◆震災前の事業所数約550、従業者数約4,000人
◆震災後の事業所数131、従業者数約900人
※事業再開の状況(対象事業所数476、H25.4小高区役所


○介護施設(入居系)と介護認定者の状況について(H25.5南相馬市長寿福祉課調べ )
◆介護施設数:事故前15施設⇒12施設(▲3)
◆床数:事故前680床⇒491床(▲189)
◆職員数:事故前529人⇒390人(▲139)
◆要支援・要介護認定者数:事故前2,761人⇒3,380人(619)


◆原町区(旧緊急時避難準備区域)(H23.9)

55.5%「営農を継続したい」
20.4%「農業をやめたい」
19.0%「迷っている」
5.1%「無回答」


◆小高区(旧警戒区域)(H24.8)

25.0%「営農を継続したい」
46.3%「農業をやめたい」


◆子育て世代(20〜39歳)の約44%が市外へ避難
◆小中学校の児童生徒数は約54%に減少
◆保育園・幼稚園の児童数は約40%に減少


この数字は思った以上深刻である。数字的に44パ-セントもかとなる。約半数になる。小中学校の生徒数が半分も減っているのか?この数字はかなり深刻である。なぜか?南相馬市の未来をになう人背負う人が個々の家庭でも地元全体でも半分いなくなる?それはどういうことになるのか?
ここの家でもすでに跡継ぎがいないとか言われてきた。
それに拍車をかける。跡継ぎがいなくて消失する家が増えてくる。この影響は相当に大きい。南相馬市の将来をになうものが半減する。
少子化もここでは極端な数字として現れているのだ。

事業所の休止や閉鎖により働く場が失われた一方で、
復興需要の高まりによる労働力不足が発生

これは失業保険とか補償金で働かなくても金がかなり入るので労働力を必要としていてもその働き手がいないのである。


南相馬でも、連日のようにパチンコ屋に通う仮設住宅の住民は少なくない。
ここ半年で2店舗も新規にオープンしているほど繁盛している。
中には子供をボランティアに預け、パチンコ屋に向かう母親もいると聞く。
地元市民は怠け、外部からボランティアを募集する。

自粛や団結を忘れた市民には、復興は遠いかもしれない。
http://blade1024.blog.fc2.com/blog-category-1.html

パチンコ屋で遊ぶ人がいてパチンコ屋で働く人がいる。そこで人手たりないんだよなとか言っているのも変なのである。人手たりないところは他にいくらでもある。福祉関係で働くのもいい、ただ資格とか今はめんどうである。家の中に入ってくるので本当はこの仕事は信用が一番大事だった。その信用をどうして得られるのか?それが一番むずかしいことだった。
南相馬市では福祉とか介護とか医療はかなり深刻である。人材を確保できない


◆要支援・要介護認定者数:事故前2,761人⇒3,380人(619)


これだけ介護する人が増えても人材は確保できない、するとどうなるのか在宅でしてくださいとかなりなんらか地域の助けが必要でもそれも今はできない、すると放置されて死ぬ人もでてくるかもしれない、ショ-トスティは事情あってやめた。その分福祉関係では他に人材をまわせるだろう。ショ-トスティでも相当に手間であり人材が労働力が必要なのである。でも一方で仮設に入って暇な人が今はいくらでもいる。その人たちは補償金もらえるから働かないのである。
「自粛や団結を忘れた市民には、復興は遠いかもしれない。」団結など絆など内部ではないのである。外部でボランティアなどが騒いでいるだけなのだ。

◆小高区(旧警戒区域)(H24.8)

25.0%「営農を継続したい」
46.3%「農業をやめたい」


小高区ではやはり農業をやめたいという人がこれだけ多かった。相当に荒れてしまったからだろう。そもそも小高の人は帰りたくないという人が多い、特に老人に多い。そういう人は復興住宅を作ってもらって入りたいという希望がある。小高に帰りたくないと言っているからもちろん農業していた人も農業をもうやらないとなる。

結局津浪や原発事故の被害地域では何が起きているのか?小子高齢化の影響が極端化して現れている。未来をになう子供が半減する、子育て世代、40代前の労働の担い手が流出している。そして働かない老人や介護者などが増大してゆく、するとこの辺はいづれどうなるのか?老人はうば捨て山化する。もう福祉の担い手が少なくカバ-できなくなる。老人は金をもっていても働く人がいないのである。金は銀行でも福島県庁でも使えないくらい増えているのだ。金があっても労働力の人手は確保できないのである。若い労働者が流出して会社が経営できなくなって他に移った会社もいる。するとますます老人だけが取り残される。その老人は金をもっていてもその金が有効に働かないのである。

つまり自分も経験しているが金だけではどうにもならないことがある。金があるからといってすべてが解決はしないのである。現実自分の家では働く人手を確保できなかった。病気だったからひどかったが家のことで手伝ってもらうこともできなかった。今は病気も直ったのでなんとか一人でできるから助かった。でもここではさらに介護者などばかりふえてくる。その重圧にもう耐えられなくなる。それはまさに小子高齢化の影響がここでは極端化して現れているのだ。
もう老人なんかめんどうみる余裕がない、捨ててしまいとさえ本気でなってしまうかもしれない、それは日本の将来の厳しい現実なのかもしれない、金があるからといって労働力は確保できないのだ。
だからここで福祉は限界にくるから外に出ることを考える必要があるかもしれない、もうそれだけの人材の余裕がここにはないのである。一方で田舎では家や土地をもっているしなかなか老人は移動できないこともある。そういうことで老人はかなり苦しい立場に立たされる。金だけでは解決しないのである。

 


 

posted by 老鶯 at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

草原化した世界(それは遊牧民の世界である)


草原化した世界(それは遊牧民の世界である)


草なびき草原わたる風すずし

草原に境のなしや風涼し
草原に区切りのなしや夏燕
雨しとと老鶯鳴くや草深し


草原の感覚というのも不思議である。これは何度も書いてきたけど日常的に草原の風景に接していると心まで変わってゆくだろう。ここは別にモンゴルのような草原ではない、ただ確かに草原とにた感覚を経験する。草原の感覚と田んぼの感覚はあまりにも違うものだったのである。
田んぼだったら一反二反とかその土地を区切りその狭い土地の所有感の上に世界観すさ成り立つ、つまり日本人はそうして狭い土地にこだわるのはそういう生活が歴史的に水田によって培われてきたからである。大地を狭く区切りそこが俺のものだという狭い了見が当然うまれるし隣をそうして狭く区切ったことで意識する。どっちにしろ狭い了見しか生まれない民族だったのである。

その田んぼにしても五反田百姓であり狭い土地でなんとか生きるほかなかった。そういうふうに土地に制約させれて土地にしばられて生きざるを得なかったのである。だから満州のような広い土地に憧れたのもわかる。満州にもモンゴルのような草原があり遊牧民が住んでいる。

草原の感覚はまず信じられない広々として感覚である。区切るものがない世界である。だからこそまたあういう大陸では区切るものが人工的に作られた国境が必要になった。壁が必要となり万里の長城が生まれた。しかし万里の長城は山の尾根に作られていたから草原とか砂漠の平坦な地域とも違っている。ともかく日本人の特質はこの狭い土地から作られたことは確かである。異常に隣を気にするのも隣と狭い土地を区切って生活する他なかったからである。その土地風土によって宿命的に作られた民族性がある。日本人のいじめとか陰湿さはそうした狭い土地から離れられないかことから起きてくる。


まずモンゴルのような草原に行ったら全く世界観も変わるだろう。どこまでも草原がつづく世界である。そこには区切るものがないのだ。だからどこまでも国境を感じられないから常に移動しているからそのまま移動していたらモンゴルの世界帝国が生まれとまでなる。そういう広い世界で養われる世界観は日本などとはまるで違ったものとなっていたのである。大局的に広い視野で見れる感覚が自然と培われていた。狭い土地にこだわる必要はないから雄大な発想が生まれた。つまり田んぼと草原の相違はあまりにも大きいのである。そのことを毎日草原化した景色を見て思うようになった。

こういう世界にいたら思想そのものも変わる。こだわる狭い土地がない、ただ草がなびき風がふきわたる。そこには区切られたという感覚がなくなる。


広々と草原を吹きわたる風
馬の脚に心地よく吹くその風
馬は本能的にその草原を
どこまでもし疾走したくなる
その果てしない草原に馬が与えられた
風を切り馬はどこまでも疾走してゆく
遠くから吹き渡ってくる風が心地よい
境のない草原を疾走してゆく
そして花々が一面に咲き
草原は一つの大きな絨毯となる


こんな詩にもなるだろう。野馬追いも近いけど馬というのは草原に一番あっているのだ。日本にはこうした広い草原がないのだから遊牧民的感覚がわからない、遊牧民はあれだけ広い所を生活の場としていたのだから自ずから大帝国を成したのである。日本にはそうした大帝国を作り得る土台がなかったのである。