2013年07月03日

津浪や原発事故で起きた草原化の考察 (草原や原は人為的に作られたものだった-原町はその象徴だった)

 

津浪や原発事故で起きた草原化の考察

(草原や原は人為的に作られたものだった-原町はその象徴だった)

浪江が警戒区域になり家はネズミに荒らされて原野化して草茫々になっていた。そこで研究に入ってきた学者が原野化するとそこは湿地帯に生える柳などが増え森になってゆくという。
草原は日本ではほとんどみかけないように日本では森になってゆく、木が繁殖して森になってゆく。草原という風景はもともと日本では原生環境の自然ではない、人為的に作られた自然だったのである。そもそも日本の原生環境は森でおおわれていたということである。木が繁殖しやすい風土だった。そして錯覚していたのは草原とか原とつく名がそこは原野であり原生の自然環境だと思っていたが違っていたのだ。日本の原は原野は森になりやてすい、放っておくと森になるのだ。


このことを地名から考察すると木の地名が相馬藩内でも結構ある。その木の地名でもなぜ木の地名がついつたかというとそれはただそこに木があったからというのではない、人間が木と深くかかわるとき木の地名がついたのである。地名はただそこの原始状態からは名づけられたのではない、人間の生活に深くかかわったとき地名がついた。だから地名は人為的なものであり人間的なものである。

人間は全く自然そのものが何なのか知り得ないし自然に接するにもすでに人為的に人間生活で深くかかわった自然なのである。だから何かそこで誤解が生じているのだ。原とあればそれが原始状態の原だと思っていた。原とつく地名は多い。そこは人間の手の入らない原だと思っていた。ところが草原は日本では人間が手の入れた人工的なものでありそうしないと維持されなかった。原は日本では森になってゆくからである。森は鎮守の森というように日本ではいたるところが森であり大都会に鎮守の森があるのはそこももともと森だったからである。

だから津浪や原発で草原化したとき原始の状態にもどったのかと思った。でも実際は草原が原始の状態ではなく草原から森になってゆく。

この辺でも橲原(じさばら)とあるときこのジサは


「山萵苣(やまぢさ)の白露しげみうらぶれし 心に深くわが恋止(や)まず」。
万葉集にでてくるこの「やまぢさ」はエゴノキのことだという。


 木材は緻密で粘り気が強く、各種の木工細工 に適しているため、「ろくろ木」とも呼ばれてい ます。 薪炭にも使用される。
http://www.wood.co.jp/wood/m053.htm


そもそも人間はなぜこうしたここの木に注目したのか?何か目的があった。ジサの木は木工細工に適しているからそのことで注目された。他にも真弓-檀(まゆみ)という地名が新地にある。


陸奥の安達太良真弓弦はけて引かばか人の我を言なさむ

陸奥の安達太良真弓はじき置きて反らしめきなば弦はかめかも


マユミ(檀、真弓、檀弓)というのは弓にするのに適した木として注目されてそこが地名化された。

柏原というのも地名としては全国に多い。これも柏(かしわ)の木は


印南野の 赤ら柏は 時はあれど 君を我(あ)が思(も)ふ 時はさねなし(巻20−4301)

(意味)

印南野の赤ら柏の照りはえる時節は、決まっていますが、私の天皇を思う心は、変わることなどは決してありません。

*さね・・・決して、ちっとも
この歌の「君」は孝謙天皇を指します。


柏の葉は大きく、葉肉が厚いので古くは食物を盛るのに使われ、祭式用としても用いられていました。
ことに播磨から献上される柏は有名で、宮中において祭りなどに用いられるのが慣わしになっていました。

http://azaleapines.blog.ocn.ne.jp/hirokazu/2010/06/post_99f7.html

これも実用的なものとして慣習化して柏といえば何の目的で使用されるかみんな指摘するまでもなく日常的に知っていたのである。柏餅の柏は江戸時代になって使われた。柏原の地名はすでに古く万葉時代からのものである。葛尾(かつろう)村に柏原というところがある。戸籍をたどったらここが自分の父の父のまた父の住んでいた場所らしい。江戸時代の人の名前が記されてあった。戸籍は江戸時代までたどれるのだ。ここも柏の木が繁っていたところとして地名が生まれた。ただいつこの地名ができたか?江戸時代以前なのか?そこは森をぬけて平らになっている地帯だから人が住み着いたことは確かである。だからそれなりに古い地域なのだろう。真弓という万葉集時代からとすると新地の方が古くなるのだろう。ただ柏原という地名の方が全国的に普通に見られるのである。


ともかく錯覚していたのは原とつく地名は原始の状態のことではない、原は人為的に残さないと残らないのである。そこは森になってゆくからだ。その原の効用として草が繁るからその草は馬や牛の餌になる。森だとなりにくい、餌場として原が人為的に必要だったのである。だから原は野焼きしたりいろいろと人が手が食えわて残されていたのだ。日本から草原が消失したのはそうして人間の手が加わらなくなったからだというのも意外だった。原はまた馬が中国や朝鮮から入ってきたとき馬を放牧する地として人為的に維持されたのである。東北にはその牧草地として牧が多い。馬の産地だからそうなった。秣をとるためにも原が必要だったのである。それは葛尾(かつろう)村にも多かった。葛尾(かつろう)村は秣(まぐさ)の供給地だった。


そして最も原が象徴していたのは原町だったのである。原町は広大な原でありそこはただの原っぱではなく野馬追いのために馬を放牧するためにも人為的に作れていた原だったのである。今の街があるところはほとんど野馬追いのための放牧地だったのである。原とつくと何もない原野だと思っていたがそうではない、原は人間によって手を加え維持された土地だったのである。日本の自然は放っておけば森になるからだ。


いづれにしろ今回の津浪原発事故は様々なテ-マを生んだ。縄文時代にもどったというのもそうだった。草茫々になって森になってゆく、そのことも実際にそれを見たとき驚きだったのである。
ただこのことでわかったように人間が接しいてるのは全くの原始の状態の自然ではなかった。
縄文時代でもすでに人為化した文明化した自然だったのである。人間が住み始めたときから自然は長い間に人為化されていたのである。だから人間は全くの原始の状態の自然を知らないのである。
全く人間の手の入らない自然は地球上でほとんどなくなっている。何らか人間の手が入っていて草原とか原となるともうすでに人間の手が入らないと維持できないものになっていたのだ。

 
 
 
posted by 老鶯 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連