2013年06月30日

無縁社会化する現代の非情社会 (病気が致命傷になって死んだ)


無縁社会化する現代の非情社会

(病気が致命傷になって死んだ)


人に迷惑をかけたくない――
生活保護申請中に「無縁死」した40代男性
http://diamond.jp/articles/-/32947


●身寄りがないものは病気が致命傷になる

 


父親は再婚後、病気で倒れ、所在不明になった。やがて、母親や姉とも音信不通になり、住居を失った。


検死の警官から、「遺体は警察がいったん引き取って、地方自治体に引き継ぐ。死因はおそらく心筋梗塞だろう」などと聞かされ、Aさんの財布(所持金千円ほど)と携帯電話を持って引き揚げて行きました。


やっと昼過ぎに、Aさんの母親と電話がつながりました。母親は「(子どもの早い死が)残念です。こちらに伺いたいですが、移動できません」とのことでした。


思うように体が動かないのを「ぶざまで」と言い、手を貸すのを申し訳なさそうにしていたAさん。

 


この人は肉親との関係もたたれ病気になったことが死につながった。病院でもよくみてもらえなかったのだ。それは金がないこともあった。それが致命傷になったのか?それよりも頼るべき身寄りがなくなったためにそうなった。病気になっても相談して心配する人がいなかった。そしてそうした自分が世話になることが他人に負担をかけることを気にしていた。


なんだかこの気持ちがわかるんだよな、同じ様な経験したからわかる。身寄りがないということは金があってもこうなりやすい、自分も前は看護婦していた人がいたから体も気づかってくれた人もいた。それがその本人が認知症とかわけのわからない病気になり自分が看護する方になった。だから自分の病気であれ心配する人はいなくなった。むしろ絶えず相手を心配して看護する方になった。こうなるとまず自分のことは一切かまってくれる人はいない、早めに心配してくれる人がいて病院に行ければ手術までする必要がなかったかもしれない、病気を悪化させてしまったのである。


結局自分のことを心配してくれる人は一人もいなくなった。この人も余りにも若くてそうなった。
身寄りがなく金もなく心配してくれる人が一人いなかったのである。福祉関係の役所の人に世話になるのも気がひけていた。なぜか?40才ではそういう保護の対象になっていないのだ。65才以上になると介護保険も適用されるし一応役所では目をかけてくれる年になる。ところが40才はみんな若いからあまり病気だということを見ないのである。相手が病気だということを若いから察することができなかったのだ。これはやむをえない面がある。一般的には40才だったら病気だと人は見ないのである。それを見るのは家族しかないのだ。何か体が悪いようだから医者にみてもらいとか家族だったら心配するのだ。それもいないということが致命的になった。金があっても自分の体のことをみることはむずかしい面がある。この人は別に家族の世話や看護をする必要はなかったが金がなかった。
金がかかるから医者にかかれなかった。金がないと確かに今の時代は医者にもかかれないのか?
ともかく悪条件が重なって死にいたった。


この人が無縁化されて死んだというときなんか自分も同じ様な経験をしたので身をつまされたものがあった。ただ金には余裕があるから違っていた。でも金だけでもどうにもなちらなくなることがあることを身をもって経験した。金が無縁化にするのは金の社会だからでもある。例えば金があればどこかの小さな店でも毎日通い金を使えば親しくなるから無縁化しないかもしれない、飲み屋でもいいかもしれない、そうした金がないと縁も結べないということにもなる。ただこの人の最大の問題は病気になったことなのである。病気にならなければ無縁化してもなんとかのりきれるということがある。この若さで病気になったことが致命的だったのである。自分も病気にならなければこんなことにならなかった。突然腎不全になり点滴になり一か月病院の牢獄に入れられたと同じだったのである。
その間に家を自由にされて大金を失った。身寄りがないということは金だけの社会ではすべてが金だけを求めてくるからこうなっていたのだ。


●死ぬか生きるかでも仕事が大事と放置される


自分もこの六年間は悪条件が重なった。一人は認知症になり一人は90越えていたしまもなく動けなくなった。その時心配する人は最初は確かに一人はいたがまもなく一人が死んで自分だけになりなくなった。あとは自分を心配するのではなく金を要求されるだけだったのである。
わかったことはそういう人は困ったとき絶対に来ない、そのいいわけが仕事が忙しいということがさも命にかかわるように言ってくるのである。何もこちらで金があったのだから働くくらいそれ以上金をやることができた。でも家に来てはくれない、自分が苦しいのを見ていても来ないのである。
そして百万とか借りたとときそれはくれるからと言ったのにその人はパチンコ屋とかで忙しいから来れないと言う。必ずそれがいいわけでありそういう人がどういう人がわかった。


そういう人は例えこちらがどんなに困っても死ぬような状態になっても自分の仕事がパチンコ屋でもコンビニでも何でも絶対に来ないということである。そういう緊急事態でも仕事が忙しいから来ないというのがいいわけになるのだ。それはその人だけではない、東京に住んでいた人ももともと縁は薄い、交流の人だから責められないけど、仕事が忙しくて一日しか行けないとか仕事が大事なんだよとさも仕事が命をかけるように大事だと言ってくるのである。こちらが死ぬような状態でもそうである。もちろんまた3年くらい音信不通なのだからその人はそんな関係でしかないのだからやむをえないがそういう人はまずこちらがどんな状態になろうと死ぬような状態になっても来ないことは明かである。離れているといくら関係が良くてもそうなる。それはこれまでの経験でわかった。だからもうこちらでも遺産を分けたらつきあわないことにした。そんな人とつきあえるわけがないからだ。


親戚でもそうである。一方でその人も親戚がゼロの人だから親戚関係を切らないでくれとか言ってきた。これも勝手すぎるのだ。そして金だけは援助してくれとなる。自分に求めたのは金だけだったのである。現実に手伝いに大金をもっていかれたし他の親戚でも病気のときも借金しているから金を要求され脅迫された。弱さにつけこみ脅してきたのである。別に金をやらないわけではなかった。すでに2百万以上くれていたのである。それでも弱さにつけこんで脅迫してきた。そういう人が事業をしていたけど失敗するのは当然である。人のことを全然思いやることがない人だったのである。今も事業をまかせられているけどそういう人がいくら頭が良くて技術的に優れていても事業がまかせられるのか、上にたって仕事がやれるのか、そういう人は確かにワタミの社長のように従業員を働かせるだけ働かせて介護事業でも思いやりをもたない、介護事業だから責められているのだ。


●上から下からまるで思いやりのない社会になった


おそらくこのような人が会社の社長のような人が今では多いのではないか?おそらく東電の会長とか社長とか幹部はそんな人たちばかりだったのではないか?何か他人を思いやることなどないだろう。
だから住民が被曝して危険になっていたとき心配すらしない、原子炉の心配ばかりしていたのである。人間の命より原子炉が大事だったのである。もちろん最初からそこに住む住民のことなど頭にもなかったのだろう。あいつらは金が欲しいだけだ、金を与えれば不満はおさまる、危険なことなど知らせる必要もない、まずはコストカットだとして安全を怠ったのである。一番危険に身をさらしていた住民のことなど眼中になかったのである。住民も住民で金もらえばいいとなっていたから住民にも責任があったわけである。自分たちがどれほどの危険にさらされているか自覚しなかったのである。

いづれにしろ無縁化社会というのは現代を象徴しているのだ。何らかのきっかけで無縁化しやすい社会なのである。家族のつながりが切れたとか病気になったとか失業したとかそういうとき誰にも頼るものがいない、役所の福祉にも頼りにくいとなると余計にそうなるのだ。この人は40才だから頼りにくかったのである。65才以上になると介護保険の適用年齢になり見回りの人も回ってきたからである。40才で病気になることを誰も外から普通は見ないからである。だから病気になることは身寄りがないとか金がないということは致命傷になるのが現代なのである。


現代と昔の義理人情社会は奴隷のように働かせられたにすぎないというけど本当にそうなのだろうか?もし家族のように働いていたら病気になったりしたらめんどうみたかもわからない、もちろん医者にはかかれないにしろ食べものくらい運んでくれたかもしれない、そういう人情があったかもしれない、もちろん回りでも隣近所でもあったかもしれない、おにぎり食べたいと死んだ人もいた。昔だったら隣近所でおにぎりくらいくれただろう。そういう関係ももてない時代になっていたのだ。だからこそ使用人でも同じ家族の墓に葬られている。墓を一緒にするということはなかなかできないだろう。現代社会はまずそうした情の一片もない社会になってしまった。すべてが金に換算されてしまう。そういう人が上にたち経営者になっている人が多いとしたら従業員などは奴隷のようにこき使えばいいとかなってしまう。商売するのにも少ない労力で多くのものを得ることしか考えない、一文たりとも金にならなければ損するならやらないとなる。現実にそういう人だったから事業に失敗するのも当然だと思った。果たしてそんな人と一緒に働く気になれるだろうか?従業員にしろ仲間にしろついていけないのではないか?ワタミもそれで問題になったし身近に接した人もそうだったのである。そういう人が頭がよくても技術が優れていてもそういう人に経営となるとついていけるのか?技術者としてただ専門家として経営者に従うならいいがそういう人が経営者になっていることが問題なのである。経営と技術はまた違った問題だったのである。それは明かに東電にも言えたのである。

posted by 老鶯 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層