2013年06月25日

死者とかかわるめんどくさとむずかしさの自覚 (墓の跡継ぎがないとか死者の扱いのむずかしさ)


死者とかかわるめんどくさとむずかしさの自覚

(墓の跡継ぎがないとか死者の扱いのむずかしさ)



松山市御幸の浄土宗「弘願(ぐがん)寺」境内に、宗教・宗派を問わない永代供養の共同墓地が造られた。創建800年の古刹(こさつ)だが、少子化や非正規雇用の増加などを背景に、「墓が維持できない」との相談が相次いでいるといい、同寺は「現代社会で、求められる寺のあり方を考えた末の形」としている。(原典子)

 同寺によると、境内の墓地には墓が約250基あるが、親族・親類から「墓を処分したい」という相談が増加。リーマンショック後の2008年秋以降は、「子どもが就職できず、将来の墓の維持に不安がある」「リストラに遭い、墓のことにまで手が回らない」といった電話が月に最低1件入るようになった。「骨を処分して」と電話で依頼したまま連絡がつかなくなるケースもあるという。
 
墓の処分後に遺骨の引き取りを拒まれ、墓地内に無縁塚を造った1999年以降、75人分の遺骨を移した。村中信章・同寺住職は「骨を骨つぼから出す『ガラガラ』という音を聞く度、やりきれない思いになる」といい、安価で生前申し込みもできる共同墓地を造ることを計画。また、「宗教・宗派にこだわっていては、行き場がない無縁のお骨が増えるばかり」と垣根を取り払うことにしたという。
http://b3.spline.tv/inochi1/?thread=1878&command=REPLY&id=1878



兄のことを書いたけど交交通事故で42才の若さで死んだ。すでに20年とかたち忘れられつつあった。しかしまた今になって問題になっているのか?それは別に遺産はないのだけど母の残した金がありその金を半分はもらえると常々言っていた。すると本人は死んだからそんなことにこだわる必要などないのだがどうしても自分はそのことについてこだわる。死んだ人にも兄とは他の人とは違った事情がありその娘がいて孫もいるのでそっちが困っているので金をだけが全部もらうとうしろめたいというか何か死者が見ているようで恐いのである。「なんだ、お前より苦労したのにまた俺の半分の金を使うのか」と死者に言われる気分になる。死者はそういうことでも死んでいないのかもしれない、生者を見ているのかもしれない恐さがあった。かえって死者になっているから恐い、死者には偽ることができない恐さを感じてしまった。ここまで義理堅くするのはあまりないだろう。たいだいもう忘れて金のことなど考えないだろう。その方が良かったかもしれない、そういう昔の因縁をぶりかえすと何かめんどうになるのだ。特にその娘はまともな人でないから余計にそうなる。常識もないし普通ではない、ええ、またこんな人とかかわるのかとなると嫌になった。ただ孫がいるので中学生になったが娘とは違っている。


なぜこんなことがぶりかえしたのか?それはそもそも交通事故で死んだときそこの運送会社から兄が事情あって雇われた経緯があった。だから凄く恩に着せて死んだとき代理人になってやるからと保険金のことでそう言ったのだろう。でも静岡とか遠くて何が起きたかわからなかった。本当にこれも何がなんだかわからなくなっていた。その時夫婦は離婚したり一騒動があったからだ。そんなところに巻き込まれたら大変だった。子供をどうするとかなんとかもめにもめたのである。その時娘は中学生だったからだ。それでともかく娘は大変な苦労をした。ただもともと遠いから向こうの親戚でやってくれるばかりだと思ってかかわっていなかった。兄もそういうつもりだった。ところが離婚したりして兄が一人になり運送会社に勤めた。そこで交通事故になったのだ。その後始末が思った以上大変だったのだ。墓を運送会社で作ってやると骨を母親によこさず延々と責めてきた。代理人になりたくて責めてきたのだ。そんなとき弁護士に頼んだが弁護士は裁判になるわけではないから実際はたいして役にたっていない、ただ百万とか払った。保険会社の人がなんとか運送会社と交渉して書類を書いてもらった。書類を書かないとかこちらでも弁護士をたてるとか大騒ぎしていたからだ。それがどうしてなのかのみこめなかった。そのときもやはり保険金が欲しくて騒いでいたのである。でも運送会社には金はおりない、だからそうそうに骨をひきとってくださいで簡単に終わるはずだったのである。


そうしてやっと実家の墓にうめた。実家といっても今度はその家もないのだから困った。一応まだ実家の系統の人が残っていたので許可を得て実家の墓にうめた。でも今になると骨とか死者とかかわることも大変だなと今になって気づいた。
実家の墓に埋まっているのは兄だけではない、実家の一族が埋まっている。その長男が「墓を守ってくれ」という遺言を残して姪にあたる人に3百万残して死んだ。その実家の長男だったのでそういう家を残したいという思いがあったからだろう。それで自分は地元にいたので墓を直して作った。
でも姪は福島市にいたので墓作りにはかかわらなかった。今になると簡単に墓のことを考えすぎていたのだ。そのあとの維持が墓はあまりにもめんをとだったのである。でも何でもあれ個人の遺志が尊いと思って墓を直したのである。墓参りをしたり墓が問題になる。墓が簡単に捨てられない壊されないというときなぜなのか?そこには死者が一つの墓という物になって定着して動かないものとなっているからだ。死者といっても普通は骨になり灰になったらもうどこに行ったかもわからない、それならかえって楽だろう。一つの墓という石の物体に納まったときこれを簡単に動かしたり取り除いたりできないから困るのだ。それは跡継ぎのない墓が今相当に増えてくるのも問題なのである。
墓の跡継ぎがないことは無縁化するのだがそれにしてもそれを簡単に取り除くことができないから管理する市町村でも困るのだ。自分には身内が死んで自分だけが後始末をさせられるようになった。

兄のこともそうである。近くにその娘でも住んでいれば別だが東京に住んでいてこっちのことは何ら関心がない人である。もちろん自分のことなどばしちゃんでも赤の他人と同じなのである。一緒に育っていないから親しみもないのだ。だけど兄の墓はあり自分が墓参りしなければならないしその後始末をまかせられる結果になった。それは自分の家のことでも墓でもそうである。跡継ぎがいなかったら無縁化するとか心配する人が増えた。いろいろな所で跡継ぎ問題があった。


自分はやはり兄だから骨をもってきて墓に治めるのは別に大変なこととも思っていなかった。それは当然のように思っていた。しかし墓というのは実際は相当にやっかいなものである。墓という石化した物体は死者が宿るのだから簡単にとりのぞくことはできないし墓参りを欠かすこともできない、それは別にいいとしても実際は跡継ぎがいなければその重い石化した物体が死者と共にその霊と共にありつづけるとしたら他人ですら簡単に無縁化して捨てるわけにはいかない、無縁化してもその無縁仏を祀っていることでもわかる。人間は焼かれれば灰になるあとに何も残らない、しかし墓になれば物体として死者は残りつづけるのである。墓のない死者も多いがそれらの人は架空のものとなり具体的なものとしてはない、有名人をのぞいては何もなくなる。墓がある限り死者は物体化した墓と共にこの世にありづづけることになる。これも一面結局やっかいなことだなと思った。そんなに後の人が供養し続けることが少子化ではむずかしくなるしめんどうになる。一代くらいだったらできるけど次の代はもうつづかないのである。


死者の問題は別に個々人だけではない、例えばいつも問題になる靖国問題に象徴されているのだ。3百万人以上の人が戦死した。その死者についてどうすればいいのか、そんなものなかったとかもう忘れようとかならない、それだけ死者の問題が重いものとしてのしかかっているのだ。なんらか供養しなければならないから天皇中心にして国民が供養しつづける行事を行っている。それをやめるわけにもいかないのである。他国から犯罪人を神と祀ってどうするのだと批判されても日本国民からしたらそんなことにはならない、やはり日本のために死んだ人たちとなるからだ。個々人でもそうだが死者とは一見簡単に死ねば忘却され消えたように思うけど実際は違っていた。死者は簡単に消えない、今度は逆に死者が生者を凝視しつづけるという恐さがある。

死者はもう愚かな時の生者とは違う、何か恐ろしいものに感じる。死者の祟りだとか畏れのはわかる。怨霊となっているとか恐れのもわかる。確かに死者はそうしてみんな簡単に灰になって消えた訳ではない、死者は現実のこの世になおかかわりつづけているのだ。それを象徴的にしたのが墓だった。墓は簡単にとりのぞくことができない、また供養を欠かすことができないのだ。墓としてある限りそうなるのだ。そこに墓の重みがあったのだ。だからそもそもみんな簡単に墓を作りすぎるということもある。墓を作るとしたらあとあとの問題が重い責任としてのしかかっているのだ。なんか立派な墓があるけどそんな墓を作ったら後々の供養も維持も手間がかかるものとなる。だから墓は本当はそうした記念碑のようなものであり特別なものでり誰でも建てていいものだったか疑問になる。その維持と継承が大変なものになってることがわかったのである。

残される記憶、記憶される物(詩)

http://musubu.sblo.jp/article/25679315.html

確かに墓はこれとにている。簡単に捨てられなくなる。ただ今になるとみんなそれほどの生の重みをもっていたのかともなる。
みんながそんな生の重みをもったとしてらこの世の中墓で身動きできなくなる。
墓はだからそんなにみだりに作るものでもなかった。後の始末がやっかいなのである。