2013年06月24日

黄菖蒲(今日も晴れて相馬市に行く)


黄菖蒲(今日も晴れて相馬市に行く)

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黄菖蒲をのぞけば朝に雨蛙

黄菖蒲や朝の街道松の影
夏菊の畑に映えて遠き山
三本の木立の影や社かな
金色の錦鯉光りつつじ映ゆ
路地を入り喫茶店涼し城下町

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養蚕の碑


今日も昨日のつづきで相馬市に行った。やはり晴れると家にはいたくない、松並木の街道の黄色の菖蒲をのぞいたら尼蛙が隠れていた。何か毎日同じ所でも発見がある。相馬市は青田がつづき今までなんら変わりない、夏菊が畑に映えて夏らしい。

八幡神社の池には錦鯉が何匹か泳いでいた。金色に光を受けて光っていた。赤いツツジが映えている。そこから相馬市の方に行って路地の方を入ったらしゃれた喫茶店があった。相馬市には喫茶店が結構多い。ただあそこは高いことは確かである。駅からもそう遠くなかった。相馬市は城下町で静かだから落ち着く。


駅前の花屋によりまた花を買った。あそこは場所がいいのだか花の種類が少なすぎる。ぎりぎりでているいうとき閉めるか閉めないかとか迫られているのかもしれない、そういう追いつめられている状態である。一方で鹿島の六号線の新しい花屋は大きい。種類も豊富である。一万くらい花を買った。自分が今やりたいのは庭作りであり花を楽しむことである。ただ庭が狭すぎてできないし忙しいからまたできない。

今日も東京の唯一の親戚が来るというので電話して疲れた。

忙しく働いているとか言うがこちらも忙しいのである。そしてこの六年間自分を気づかってくれた人は一人もいなかった。病気でもそうだった。東京で働いて忙しいというとき誰のために働いているのだろうと思う。こちらも苦しんでいるのに何ら気づかうこともないのだ。そういう親しみのなかった親戚だからどうしようもないがそれにしてもなぜ自分はこうして全く誰もきづかうこともない、そしてただ金が欲しいというだけでありそれはすべて同じだった。だから本当はかかわりたくないのだ。ただ事情があるのでがまんしている。自分がどうなろうが何のきづかいもしないし放置されるだけの付き合いが親戚なのかとなる。ただこれはやむをえてい事情があるからしばらくは仕方がないがそんな関係がつづくのかと思う。東京になれば離れているから余計にそうである。


日立木の脇の稲荷神社には養蚕の碑があった。これは大正時代で新しい、養蚕の碑は意外と新しい。大正から戦後も十年くらいは養蚕が盛んだった。家の裏の畑も桑畑だった。
兜作りの家があったがカメラの電池がきれてとれなかった。兜作りで検索するといろいろな昔の家がでてきて興味深い。昔の家は何か大地に密着して存在感がありどっしりしている。そこはたた住む場だけではない、生産の場だったことが存在感をもっていた。
今の家は農家でも生産の場というより何かただ住む場所でありみんなサラリ-マンの家になってしまった。車で農地に出勤しているのかとさえ思うし現実にそうしている人もいる。何かみんなサラリ-マン化したのが戦後だったのである。商業でも自営業が多かったのが高度成長時代でありその後自営業の商売はめっきりへって通りはシャッタ-通りになった。これ街に存在感をなくした大きな要因である。チェ-ン店やス-パ-に勤めればみんなサラリ-マンになってしまったのである。