2013年06月23日

相馬市の道の駅で老人が椅子に座り話していた


相馬市の道の駅で老人が椅子に座り話していた

黄菖蒲や街道を行く松の影
夏柳風にそよぎて田町かな
脇道を帰り来れる白菖蒲
一本の木陰の深く社かな
青田風村人も休む道の駅
様々に人交じりあう夏燕
夏菊に夕日のさして六号線


大阪から仮設にボランティアの女性が来ていた。若い女性で大阪から来ていた。まだボランティアが来ている。今何かボランティアがやることあるのか?海岸で津浪で砂に埋まったガレキを取り除いていた。何かまだあるのだろう。もうボランティアは終わり建築土木関係の仕事が中心になっているだろう。鹿島区に復興住宅も建設中である。仮設には原町だけど高倉の人が入っているとか原町の山側の人が仮設に入っていた。原発避難者に指定されると仮設に入れて補償金ももらえる。石神でも隣でもらえて自分の家はもらえないという人がいた。山側だとそういうことがある。鹿島区では原発避難者に指定された所はないだろう。それで不満で東電と交渉するから署名してくれというのが配られていた。隣がもらえて自分はもらえないと不満が大きくなる。


帰りは松並木の街道ではなくて正一位ときう稲荷神社があるところを帰ってきた。一本の木があり木陰がおおっていた。カメラを忘れたのでとれなかった。日立木から相馬市に出る街道には兜作りの養蚕の家が二軒残っている。テレビで山中の養蚕の家を放送していたがみんな兜作りの家だった。
あそこの兜作りの家は貴重である。なぜなら街中に残っているのをみたのはあそこだけでありほとんど消えているからだ。ただあそこに気づくなかった。兜作りという名も知らなかった。
近くに古いものが残っていてもわからないことがあるのだ。あとで写真にとっておこう。


道の駅ではあの辺の老人が椅子に座り集まり話していた。あそこに暇な老人が集まっているらしい。老人が多く暇なのが多いからそうなる。相馬市の道の駅は田んぼのなかにあるが曲屋風で落ち着く、あそこの椅子に座り話しするょには向いていた。仮設の人はもう暇をもてあまし遊ぶのもあきたとか聞いたと言っていた。それそうだろうな、二年もすぎたしぶらぶらしているのも飽きてしまうだろう。それで畑仕事もしなくて太って病気になったという話しも本当だろう。人間は働かないということは体にも頭にも悪いのである。老人だと認知症になるから笑ってもいられないのである。無理やりでも奴隷のように働かせられた人は認知症にならず働かした方が認知症になってしまった。普通なら奴隷のように働かせられた方が不幸に見えるが実際違っていた。働かない方が病気になったのである。

今日はひさしぶりで晴れたからでかけることができた。梅雨になるとやはりでかけられないから困る。それより自分はでかけることもできなくなった。特に電車が仙台に通じなくなって遠くに行きにくくなった。すると狭い範囲に閉じ込められた感覚になる。もしこれから10年でも生きればやはり長いのかもしれない、老後はみんな長くなりすぎたということもある。だから暇をもてあます老人がふえてくる。人生は60年だったら短い、80年だったら十分だろう。でもそれでも終わってみれば人生はあっというまなのである。ただ作品をしあげるとなると時間が必要である。老人になって誰でも思うことは人生が二度生きられないことなのである。もっとこう生きればいいとかできないのである。
青春であっというまに終わりなんであんな馬鹿なことをしたのもっとこうすればといいとか思ってももどることはできないしやりなおしができないのである。これが人生の最大の問題であった。

人間の社会とかわからないのに未熟なのに社会を人生を生きねばならないしそこで必ず過ちも犯す、そして取り返しのつかない結果となって終わっているのだ。わからないにしろ無知であれ未熟であれ闇雲に生きていかねばならないのが人生なのである。

まあ、あそこで昔話をして暇つぶししているのだろう。海苔を買ったがあれは松川浦のものではない、もともと松川浦でとれた海苔はたいしたものではなかった。三陸の海苔でありそれを相馬市の会社で加工して売っていた。加工できるからそれなりに売ってももうけることができる。それがクズノリとあったけどそれほど食べられないものでもないみたいだ。この辺はまだまだいろんな問題が継続している。