2013年06月21日

認知症の誤解 (認知症は人様々であり誤解が多い)


認知症の誤解

(認知症は人様々であり誤解が多い)


さて、私の祖母も認知症です。
現在84歳。81歳のころに本格的に認知症になりました。逆に祖父は90歳で亡くなるまで、認知症にはならず、すごい記憶力をたもったまま周りをおどろかせました。

この二人を比べておもったこと、そして「認知症になりやすい人」の条件について考えてみると祖母はやっぱり「認知症になりやすい人」にあてはまっていました。

具体的には、


・毎日同じことの繰り返し 

 特に趣味もなく家にとじこもってばかり。毎日朝おきて⇒昼食の用意⇒買い物⇒夕飯用意⇒寝る の繰り返しばかりだったそうです。

・近所づきあい、友達がいなかった
祖母は自宅にいることがおおかったので、両隣ふくめ、近所に親しいお友達や茶のみ友達がいませんでした。(道ですれちがうと挨拶する程度)


・趣味がない

若いころは通信講座をならったりしたこともあったそうですが、認知症になる20〜10年くらいのあいだは、趣味らしい趣味もなかったようです。
http://sai15.net/ninchi-syou.html



自分の母親は98にもなっていて認知症に確かになっている。でも症状は別に人にやっかいをかけるものでもない、物が盗られたか騒ぎもしない、もともと大人しい静かな人とつきあわない性格だった。それは自分と良くにている。自分も人とつきあえない、友達ももてない、静かにじっとしているのが好きであり自然観賞しているのが向いている。もともと世間から離れているような性格だった。
だから大正生まれで働くことしか知らない、趣味は何にもない、働くことしかない、特に尋常小学校でも一回も休まずに賞をもらったことを自慢していた。


そして80才まで店屋をやっていたりその後も家事を93才ころまでやっていて今も寝ているのだけどときたま起きて洗い物などしているから驚く、耳はほとんど聞こえないから話ができない、金のこともわからないからボケているけど金がなくなったなど騒がないのも不思議である。だから極端な認知症の症状がでていないのだ。もともと性格的に大人しく激情的な性格でなかった。だいたいこの年になれば90パ-セントは認知症になっているしならなくても何か通じなくなりボケているのだ。
だから認知症というのは人様々であり性格もみんな違っているし育った環境も違っているし家庭環境もあるしそうした様々なものが影響している。もちろん遺伝的なものもある。だからこういうふうに一つの型に決めつけることは危険である。


もう一人は複雑なのだけど年はさほど変わらないが典型的な認知症になった。家事もやらなかった。家事をすることは相当に自分でやってみても頭を使うのである。特に今では機械を使うことが多いから昔の人はできない、認知症になるとテレビのリモコン一つも押すことができなくなった。機械が最も苦手になる。今は台所でも機械を使うものがあるからこれは使えなくなる。洗濯機が使えないので昔のように手で洗っていた。魚などは前から料理していたからできた掃除も簡単なことはできた。でも家事は片づけたり意外と工夫も必要でありそういうことはできない。でもそういうことをしていたら症状が改善した。自分の姉はこの正反対だった。人つきあいはいいし、外向的な陽気な性格であり頭も良くてしっかりしていて何でもできる人だった。事情があり複雑だけど母とはあまり年は違っていなかった。だから認知症は老人特有の病気であり姉は典型的なアルツハイマ-だった。激情的であり物盗られ妄想から幻覚から暴力からアルツハイマ-の症状が露骨に現れたのである。それは性格が多分に影響していた。怒りっぽくなったのももともと気性が荒く激情的だっかからである。

だから認知症はその人のもっている性格とかが顕著に現れる病気である。パタ-ン化することはできないのだ。

だから趣味がないとか人づきあいがないとか友達がいないとか社交的でないとかもそれが認知症になる要素でもない、なぜなら人間は社交的な人もいるし社交嫌いな人も母や自分のようなものもいるからだ。社交嫌いでも芸術や内面の追求には向いている。自分は自然の中にひたり自然観賞することは向いている。それはかなり創造的な精神の性向でもある。だ2から人づきあいがないから社交的でないから認知症になるとは限らないのだ。それは人それぞれの性格がありそれに応じて人は生活するのが向いているのだ。母は全く無味乾燥な働く機械と同じであっても認知症にはならなかった。もちろん遺伝的なものがあるのかもしれない、ただ認知症になったときはその性格によってかなり症状が違うしまた家庭環境などによっても出方が違ってくる。そういう総合作用として認知症の症状がひどくなったり軽くおさまったりする。


でもテレビで見たけど夫婦で認知症になりやすいというのは不思議である。そこにいかなる因果関係があるのか?これはやはり夫婦して遺伝作用とはないから何かそこにあるのかもしれない、夫婦関係はわかりにくいが何か夫婦とか家族は一体であり一方が良くて一方が悪いとかない、夫婦は同じ様に妻が変だなと思うとき夫も変なことがある。だから認知症でもどっちもなってしまうのかもしれない、相互作用があって認知症になるのかもしれない、何かそこに因果関係がある。何か双方向にマイナスに働くものがあるかもしれない、プラスに働けばプラスになる。それか夫婦なのだろう。


結局人間の脳を問題にするとき人間と死ぬまで創造性を追求するものとして神が作ったことがわかった。最近自分自身絵の才能がまるでないのにパソコンのソフトで抽象画を相当作ったことでもわかる。これは才能というのではなくパソコンのソフトを通じて偶然に開発されたものだったのである。
これによって脳も活性化したという不思議がある。脳は生涯で二割くらいしか使われないというとき開発されないからそうなる。脳は自ら引きだす-educateしないと退化してしまうのである。
人間の感覚はすべてそうである。感覚を磨かなければそれも退化してしまう。自然への感受性も日々の訓練だったのである。毎日の季節の変化を知り敏感になり積み重ねてゆくことによって感受性が作られてゆくのだ。だから俳句でも退職して簡単にできるものではないのだ。日頃の積み重ねが何でも作り出すからである。


人間の脳は一生かかって作り出してゆくものであることがわかった。天才は別にして普通の人はそうである。だから自分は60すぎてから詩も膨大に書いた。ただまだ発表していない、すらすらと書ける不思議があった。例えはその土地に長く住んでいるとそこから自然の霊感を受ける。でもそれには相当な時間が必要だったのである。認知症は本当は何が原因かわからない、でもなにかそうした日頃の生活の積み重ねが影響しているかもしれない、だから脳を使うこと家事でも継続的にすること、脳の開発を怠らないこと、継続的にすることが大事である。今も一日中寝ても習慣となって機械のようにときたま忘れず洗い物をしているのは習慣化していたからだ。怠けることが習慣になると認知症になる恐怖があるのだ。一人は退職後なまけて何もせず認知症になった。これも不思議なことである。
二年間は洗い物も手でしたり魚をさばいたり簡単な掃除をして自分は役に立っていると何か生きる意欲もでてきた。それも不思議なことである。だから嫁に「おばあちゃんは何もしなくていいですよ、テレビ見ていて下さい」といわれると認知症になりやすいというのは本当なのである。


ともかく認知症は多様でありパタ-ン化することは危険である。認知症はそれだけ複雑な病気でありその介護も人それぞれによって違うし家庭環境も相当影響するから外部からなかなかいいアドバイスを得られない病気なのである。型にはまってみれないからそうなるのだ。それほどやっかいな病気だったのである。