2013年06月20日

春の色 (抽象画は無限の色の変化だ)

 

春の色


(抽象画は無限の色の変化だ)

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抽象画は形にこだわらないから無限にできることがわかった。
ただ機械的な変化をソフトでするだけなのだ。
つまり色の化学変化だった。

だからソフトが変われば抽象画もまたふえてゆくのだ。

これも四つくらいのソフトを組み合わせて作った
ほとんど機械的作用である

でも春の感じをイメ-ジできないとわからない

これが春の色だというのはその人の感性になるからだ




古代都市(抽象画)



古代都市(抽象画)


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これはj-trimdで主に加工した、その原画がなにかはじぶんでもわからなくなった。
抽象画が変化の過程で偶然に生まれものでありソフトに左右されるのである。
そのソフトでしかない変化が加工があるのだ。
だからソフトによって無限の変化があるともなる。

写真でもエッセンシャル4で変化させると別なものよ見えてくるのだ。
これは別に絵の才能は必要なくものを見る目の方が大事になる

この抽象画が秋深しとなっていても見える人は見えるのであって見えない人は見えないとなるからだ

この古代都市は比較的わかりやすいだろう。

企業は人なり 事業は人なり 経営は人なり (東電の社長の責任は重かった)

 

企業は人なり 事業は人なり 経営は人なり

(東電の社長の責任は重かった)


「事業は人なり」という言葉を聞いて、たいていの人は「人」=「社員」とおもうのでしょう。しかし、ここでいう「人」というのは社員ではなく「社長」を指してます。ほとんどトップの実力で事業は決まってしまいます。したがって、この言葉は今でも時代遅れではありません
http://okwave.jp/qa/q743323.html


お客様に対しての心遣いや、優しさや思いやりの精神を養い、
自分に厳しく出来る人間性を養い、
高い目標を常に持ちつづける信念を社員一人一人が合わせ持てる会社こそ
一流の会社なんだと言っていました
http://ameblo.jp/sapsyoshisato/entry-11138077523.html


●藩札について(江戸時代の信用)


これは信義の問題だ。藩札を発行する時に、これをもっ て来ればかならず正貨に換えると約束したのだ。その約束を破り続けたから結局、藩札の信用がなくなってしまった のだ。正貨はなんとしてでも私が集めるから、お前たちは とにかく旧藩札を全部引き上げろ。  

山田様はこのお国にとって大切な方だ。いま山田様にも しもの事があったら、困るのはわれわれだ。どうだろう。 交換していただいた正貨を山田様に差し出して、お城のお 役に立てていただこうではないか。
 

これは何を意味しているのか、藩札は貨幣はその紙に信用があるのではなく人に対する信用と信頼だった。特定の個人の山田様を信用して信頼した結果、藩札、貨幣が信頼されるようになった。江戸時代というのは狭い社会だから人を信頼することで社会改革ができたのである。今日のような巨大社会になると何を信用していいかわからない、小泉首相を信用しろとなるが小泉首相を信用するだろうか、民主主義では力あるのは議員ではない、議員は民衆に多数に選ばれた人であるが別にこのようにその人を深く信頼して選んだわけでもないのだ。様々な組織、団体がかかわり権力構造の中で選ばれたのである。今日では人を信頼するということは成り立たない、人が見えない社会なのだ。制度とか団体とか組織とかマスコミとかに動かされる社会なのである。山田様とか特定の人を信頼して貨幣の信頼が取り戻せるような社会ではないのだ。外国とも関係しているから個人の力を超えた目に見えない巨大なものによって動かされているからユダヤ人陰謀説とかいろいろ背後のものがとりざたされるのである。

紙幣の信用が一個人の信用に基づいていたなどありえない。江戸時代にはあったということである。江戸時代はすべて顔と顔見合わすなかで信用があり社会が動いていたのだ。だからこそ勝つ改修と西郷隆盛の談判で江戸は戦場にならずにすんだ。そこに個人と個人の信頼関係で決まったのである。

相馬藩の街道を伊達氏が通るとき殿様の許可をえなければならなかった。それは伊達政宗との信頼関係があってできた。ただ敵対するだけでなく信頼するときは信頼し合ったのが戦国時代でも江戸時代でもそうだったのだ。人間同士のやりとりであり巨大な無機的な会社のやりとりとはあらゆる面で違っていたからわかりやすい社会だったのである。
明治まではそうした個人を信頼して物事を決めるということがあった。だんだん国家が巨大化すると社会が巨大な機械化した組織体のようになりそこに人間個人などはとるにたらぬものとして埋没した。だから近未来の映画ではコンピュ-タ-が人間を支配するまでになっているのだ。
ともかく例えば日銀の総裁の人を信用してまかせている人はいない、そもそもそんな力がいくら日銀の総裁でも現代のような複雑な社会ではありえないと思っているからだ。


●経営とは何なのか?


経営の実践のないものはなかなか語れない、経営とは人なりというとき何なのか?それは東電の事故で東北電力と東京電力のトップの差が大きかったことが判明した。東北電力の副社長の平井弥之助氏は岩沼に住んでいてそこまで津浪が来た伝説を聞いていたので女川の原発を低く想定していたのだが高くさせて作った。そしてぎりぎりで助かったのである。本当にぎりぎりだった。決してその高さでも安全とは言えなかったのである。一方東電は全く津浪のことを警告されても聞く耳をもたなかった。清水社長はコストカッタ-として社長にのし上がったということでコストを重視して安全対策を怠っていた。それより再三警告されても聞くことがなかったし嘘もついていたのである。そういう傲慢になったのはあまりの一方的な巨大な権力構造ができあがっていいたためである。政府も言いなり官僚も言いなりマスコミも金で言いなりだったのである。


事業は人なり、経営は人なりというときまさにこんなに複雑巨大化した会社でもいえたことだった。社長が文系で理系でないから失敗したんだというものでもない、まずコストカットありきであり安全は二の次三の次になっていた。騒ぐものがあれば金でおさえればいいという経営姿勢ができあがっていたのである。だからこそコスト追求をどこまでもできたのである。経営というときやはり実際は単純なものかもしれない、嘘をつかないとか何か子供でもわかることを実行することである。でも実際は嘘をつかないということができない、それは巨大会社の社長でも政治家でもそうである。嘘をつかないで議員になれる人はいないということでもわかる。そうした簡単なモラルが実行できないことにのちのちの災厄が起こる基になる。

除染でも下の土をとって低くしたという大成建設の社員が問題になった。これも一見たいしたことがないようでもごまかしているのだしそれを上からの命令でしているとしたらやはり嘘ついていると同じなのである。だからあれだけ大きな会社でも信用できないとなる。


●技術があり頭がよくても他人に思いやりもない人が経営できるのか?


経営は人なりというときそんなこと今はなくなっている。第一今は人を見るとき何を見るのか?人間性など見ているだろうか?最初にこの人は何ができるのかで評価される。次に会社がどこかとかどこに勤めるかで評価されてゆく、人間性とかモラルとかこの人は嘘をつかない人だとか誠実な人だとか何かそうした人間性で判断されるだろうか?この人は英語できる、この人は歯医者であり先端の歯の治療ができる、この人は心臓の専門医であり心臓をみるのは第一人者だ、医者でもいろいろな分野に別れていて専門性があり心臓の専門医ですとなるとこの人は心臓には詳しいと評価するしそれ以外に何か人間性を評価するだろうか?だから医者は人格的におかしな人が多いというときそんなことより手術がうまい、神の手をもった医者だとかが宣伝される。この人は人格的にいい医者だなどで評価されないだろう。かえってそういう医者はだめなんだよな、人がいいだけで医者としては優秀じゃないんだよとかなる。このことはすべてにあてはまる。


お客様に対しての心遣いや、優しさや思いやりの精神を養い、
自分に厳しく出来る人間性を養い、


こういうことが常に言う人がいるんだけどまず人はまずその人が何ができるか、どんな会社や団体に属しているか、その人の個人の人柄など見ている人はいない、経営者でも社長でも同じ傾向がある。社長の人柄がいいなどと評価しているだろうか?東電の清水社長がコストカッタ-としてのしあがったというときその人柄や人間性など関係ないのである。かえって押しの強い傲慢な性格の人が上に立ち謙虚の遠慮がちの人は上には立てないとかあるだろう。性格的には悪くても成果が上がれば評価される。清水社長もコストカッタ-として成果をあげていたから社長になった。


そして一般的に人間は優秀な人は何か性格的に冷たい人が多い。自分は優秀なんだとして他者をさげすみ優しさや思いやりのない人の方が多いのである。そういう人を身内で見てきたからそう思った。でもそういう人はしっかりしているしやはり何でこんなにできるんだろうと自分のような優秀でない人間は常に思っていたのである。優しさとか人柄がいいという人は社会では何か上には立てない、そんな人は宗教家になれとかなるだろう。この厳しい競争社会を勝つにはそんな優しいということでは成功しないということがある。だから優しさを重んじるということが現実にあるのかとかなる。
福祉関係の仕事だったら優しさは仕事にとって重んじることを言うのは当然である。他は優しさより仕事ができることであり才能であり専門性であり人格的なことはあまり関係ないように思う。


●現代社会はモラルより人間性をみるより技術や専門性で決める


どうしてある会社の社長とか重役が決められるのか?そういうことがわかりにくいから推測になるが
モラルでもないし人間性がいいとかで決めてはいないだろう。あの人は正直だから嘘をつかないから社長に適任だなどと決める会社はいないだろう。でも技術職ではない社長とかなると経営者になると意外とモラルが大事になる。技術的な専門的なことだけではなく人との交渉とか社会的責任とかが課せられてくる。それて一時公害問題があったし原発事故もそうだった。会社の独断で会社の利益だけを追求すればいいというものではなかった。モラルは技術のようにむずかしいものではない、単純な面があるのだ。嘘をつかないとか正直であるとかである。でもまたこれが意外とトップに立つと大事な面があった。例えば大成建設が除染作業して下の土をとって放射線を計るモニタリングボスとを設置して放射線量を低くしていたのだ。これもたいしたことがないようで社員がなぜこんな偽りの作業しているのかと思う。そうなるとやはり社員でも嘘をついて仕事をしていることになることがわかる。それはさせているのは上の人である。つまりトップが嘘ついて命令していることになる。それは何も技術的にむずかしいことではない、土をとれば放射線量が低くなることくらい専門家でなくても誰でもわかる。


そういうことが社長がトップにされるときそれに従う社員も嘘つくことになる。すると何かやましいことをしているということで指揮が落ちてくる。人間はモラルがなくなると例え利益を得ても何かを失うし一番の問題は社員の指揮が落ちることなのだ。こんなことして働いて利益を得ていいのかと自問すると働く気力がそがれるのである。それは社会の全般に影響している。戦争のときでも人を殺すのだからその戦場で実際に人を殺すとなるといくら上の命令でも国の命令でも簡単にはできない。だからどんな戦争でも大義名文が必要になる。我々の国はこうこうで戦争しているという理由が必要になるのだ。ただ相手の国を領土が欲しいからとかでは他の国も容認しないからだ。人間はモラルがないと指揮が落ちる。例え誤ったモラルでもそうである。カルト宗教団体がそうである。宗教にカムフラ-ジュした大義名分があって運動している。実際は権力を掌握することであり権力を我が物にしたいだけでも大義名文を言うのである。それ嘘でもそうしないと容認されないからである。その大義名文も嘘だとわかったとき組織は崩壊する。そのトップもそんなモラルなど全然なかったとわかるからである。そこにはただ私欲であり権力への欲望だけだったとわほかるからである。つまり黒なのを白といいふくめて嘘ついているのがカルト宗教団体である。中味が真っ黒なのに白だと公言して活動している。その矛盾がやがて暴露され組織は崩壊してしまう。


そして結局このモラルのなさが勝敗を最終的には決していたのだ。日本の戦争が負けたのも日本が指揮が高いというのではなく指揮はアメリカが高かったのである。真珠湾攻撃の怒りが義憤があり日本は負けた。またアメリカでもベトナム戦争で負けたのは何が大義名文なのかわからなくなったからである。モラルが低下して指揮が落ちて兵士も戦争をやる気しなくなるのだ。だから一番上に立って指導する人はモラルが大事になる。技術的なことがわからなくてもモラルをもって指導する人でないとできない。技術とか専門性は枝葉のことになる。肝心なモラルが喪失したら指揮もなくなり敗北するのである。


なぜ原発事故で東電が失敗したのか?それは原発はもともと危険で無理な面があったにしても技術的な面だけではない、モラル的な面で失敗した。嘘をつかないということなど単純なモラルのなさで失敗した。何度も警告しても嘘をついて報告して安全だ安全だと言い張り権力で隠すことができた。
そういう嘘をついていることが命取りになった。だから宗教と経営は関係ないようで関係していた。宗教とはモラルを最高のものとしているからである。技術よりモラルが大事だとしているからだ。
でも技術の方が実際は現代では大事であり技術しかみていない、ここの人間でも全体でもそうである。身近に接した人でも嘘はつくし借金はしていても技術がももっていて頭がいいとか専門性があるとか知識もあるとかで評価されて仕事がまかされている。優しさとか思いやりもその人にはない、身近な人にそうであるなら全体に対してもそうである。でもその人間性など関係ないのである。それはまたなかなか見ようがないということもある。でもそういうことから経営も破綻することがある。

ワタミ社長のことなど問題になっているが人間性に問題になるのは特に福祉関係だからである。
福祉関係は一番優しさなどが必要なる分野だからである。


和民でバイトしてたことあるけど店長の目が死んでた


モラルがなくなると社員全体に影響しているのだ。

東電の失敗はモラルの欠如にあり戦争の失敗もモラルの欠如にあった。モラルが欠如した結果、指揮が落ちてたたかかなくなったのである。アメリカがあれほど経済力も武力も格段に上なのにベトナム戦争で勝てなかったのは兵士がもはや何のために戦っているのかわからなくなった。ただ人殺ししているだけではないかという地獄の黙示録になってしまったのである。モラルもなにもなく俺たちはただ人を殺す機械だとなったらまさに地獄になってしまう。


 

posted by 老鶯 at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連