2013年06月18日

過度な富の呪い (文明も過度な富を求めた結果呪いがあった-原発事故もそうだった)

 

過度な富の呪い

(文明も過度な富を求めた結果呪いがあった-原発事故もそうだった)


豊富な資源が経済発展に結びつかない原因として、イギリスの経済学者リチャード・アウティは以下のような事例があるとした。

資源に依存し、他の産業が育たない
資源確保の為過度な開発が進み、土地が荒廃する
資源確保をめぐる内戦や政治腐敗の進行
資源の富が宗主国に吸収される

石油はその国の富を国家に集中させ、物を作って売るのではなく、政治家や官僚を丸め込んで金儲けをするという文化をつくりだす
http://jijieigo.at.webry.info/200804/article_14.html

石油を産出している国が富むことができない、かえって呪いとなっている事実がある。石油という富はあまりにも巨大な世界をゆるがすほどの富だったのである。それ故に石油をめぐって絶えず世界戦争が起こるなど現実にそういう危機があった。日本の戦争も石油がアメリカによって断たれた経済封鎖がありそれか真珠湾攻撃につながった。石油がたたれたら船も動かないし飛行機も動かない、戦車も動かないとしたら戦争もできなくなる。石油は今も生命線になっている。石油の富はこのように巨大なるが故に世界の災いともなった。
現実にその石油を産するところが豊になっていないというから石油の恩恵を受けていない、石油を産出してもその国の富になっていないのだ。災いの面も大きいのである。黄金が必ずしも富とはならない、これにも呪いが隠されていた。スペインはインカ帝国などから黄金を集めて一時期富んだが没落した。黄金だけを集めても国は豊にならない、産業革命を起こしてプロテスタントの勤勉をエ-トスとしたドイツやイギリスが豊かな国となった。そこには資源はなかったのである。アメリカが豊になるのはわかる、それだけの広大な土地と資源があったからだ。でも資源のない国でも豊になることができた。


日本は資源がない、国土狭いけど効率よく利用することで生産性をあげ米の品質を世界一にした。
狭い国土でもそれなりにうまく利用すれば豊にもなれるということである。
今回のたまたま自分が書いた童話で言いたかったことは過剰な富、過度な富は危険でもある。
それが滅びに向かっていた。狭い範囲で蟻が餌を求めていればそれなりに生きることができた。
ところが過剰な富、甘いものがふんだんにある所に吸いよせられるように集った結果、その蟻の巣は消滅した。蟻の不思議は餌がなにもないようなところでも生きている。そこにも神は餌を与えているのだろう。そういう狭い範囲でも生きるための糧を蟻に与えている。それが神の摂理なのだろう。
そこに過剰な富が与えられるとその富が呪いとなる。危険なものとなっていた。
それは人間社会にも言える。石油が欲しいとはるか中東に行くにしても危険がともなっていた。実際にテロで死んだり戦争にもまきこまれもした。石油は甘い蜜であり過剰な富だったのである。
過剰な富は一個人でも呪いとなる場合がある。遺産相続で兄弟の殺し合いまでになるのは何も特別なことではない。それは突然過剰な富として与えられるからそうなる。


そして文明そのものが現代は過剰な富を追求して得た。甘いものがふんだんにありありすぎる。それにむらがり度をこしている。原発もその甘い蜜だった。過剰すぎる富をもたらすからそこにむらがったのである。それが事故につながりとりかえしがつかないものになった。もし江戸時代のような鎖国でもしていたら限られた資源で工夫して生きていたらそれなりに自然は破壊されず平和に生きられたろう。鎖国時代の評価は別れる。でも世界史では特異なものとして評価されるだろう。それは島国ということで成し得たことだった。島国が一つの宇宙となり自給自足の世界を作った。自給自足というときでもそうだったが地域地域が自給自足だったのである。そういう世界は他者を頼りにしないから地域で自給自足なのだから遠い地球の裏側の情勢などに左右されないのである。

グロ-バル化の問題は巨大な富が過剰な富がもたらされるにしろ石油のように地元で活かされない、富にならなかったとか、世界で貧富の差が拡大して新しい奴隷制が生まれたとかいろいろあった。
世界から商品が入るにしてもそれが新しい安価な奴隷制によってもたらされたものでありその商品にはその奴隷となった人たちの汗がしみこんでいるとなる。でもそれを意識すてることはできない。

労働というのは例えば野菜一つ作るにしても苦労して作った人はわかるが消費する人はただ金で買えるものとしか思わないのだ。グロ-バル化した世界では地球の裏側でどうして生産しているかなとわかりえようがないのだ。しかし世界は市場化してすべていやおうなく組み込まれているのも現実である。テレビ一台のために少女が売られるというのもグロ-バル化経済の結果である。グロ-バル化経済にはそうした暴虐的に貧しい国を経済的に侵略する仕組みがある。金の価値でも十倍も違うからそうなる。カンボジアでは5ドルで少女が買えるとか世界中の中高年が集まっている。これもグロ-バル化経済がもたらした異常な光景である。こんなことから世界を支配しているのは巨大企業でありロスチャイルドやロックフェラ-が影の支配者だといわれる。信じられない巨額な富が一部に集中するのが
グロ-バル化経済なのである。マネ-ゲ-ムでもそうである。マネ-を右から左に流すだけで巨額の収入を得る、一方で奴隷化されて食うや食わずの人が世界にはまだ多い。グロ-バル化経済の暗黒面も直視する必要があるのだ。


文明はあまりにも過剰な富を追い求めすぎたのである。それが文明の崩壊、滅亡に通じている。グロ-バル化経済とはあくなく人間の欲望を世界的にすべての国が求めることになった。それで自然は破壊されるし資源がある国でも豊になれなかった。世界的に欲望の抑制ができなくなった。これまでは距離を克服できないとかありその国々であるものでまかなうということが多かった。技術が発達して距離が克服されたとき問題が起きた。大航海時代は一面、新しい時代を作ったがヨ-ロッパによるアジアなどの富の掠奪でもあった。それはすでに日本の戦国時代でもそうだった。日本人が奴隷としてヨ-ロッパに連れ去られたとか最近メキシコで奴隷にされていた日本人の記録があったなどその頃からグロ-バル化経済は奴隷を作り出していたのである。


ともかく原発も過剰な富、過度な富であったが故に災いとなった。そこに群がったものはみんな災いとなった。そうした過度な富には呪いが隠されていたのである。もちろんあまりにも貧しい過去にもどれというのかとなるがそれとは別に過度な富を求めることが災いを生んだなのである。結局原発事故の被害地域はまた金でもめていることでもわかる。過剰な補償金が災いとなっているのだ。
富の無制限の過度な追求は災いを生むのである。鎖国時代にもどることはできないにしろ鎖国時代に現代文明は学ぶものがあり見直すものがある。過度な富を追い求めていけば危険になるしまた災いが生まれるのである。

posted by 老鶯 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

蟻が甘いもののためにいなくなったわけ(童話)


蟻が甘いもののためにいなくなったわけ

夏になりムンムンとして湿気も出てきた。この家の主人は今90才になる母親を介護している。それで家事も全部一人でやっているから毎日が仕事に追われ忙しい。料理もしなければならないし掃除もしなければならない、食器も洗うのも手間である。リンゴの皮をむいたり、飲み物がこぼれたり、お菓子を食べたものが散らかったりとそこらじゅう甘いものがあった。
そこに蟻がいつも湧くようにどこからか集まってくる。
「ああ、きょうも蟻がたかっている、この蟻はどこからくるんだ、殺しても殺してもやってくる、
しつこいやつらだ」
そこで虫殺しスプレ-でいつものようにシュッシュッと吹きかけて殺すのが仕事となっている。
そもそも小さな狭い庭でありそんなに蟻がいるとは思えない家だった。
その蟻たちは蟻の巣で仲間と話していた。
「甘いもの向こうにいくらでもあるんだよ、いくらなめてもなめきれないよ、この狭い庭じゃ何もないよ、本当に限られたものしかないよ、延々と探してもたまに虫の死骸が見つかるとかな・・
わずかなもしか見つからないんだよ、遠くはなるがあそこに行けば甘いものがふんだんにあるんだよいくらでも甘いものにありつけるんだよ」
「そんなに甘いものがあるのか」
「あるというもんじゃないよ、もうそこら中あまいものだらけだよ」
」へえ、そんなにあるのか、俺も行ってみよう」
「俺もだ」
こうして蟻は甘いものにあるところに毎日のように出かけた。蟻にとってリンゴの皮一枚でもあめきれないほどの蜜の宝庫だった。他にもこぼれた飲み物の甘いものがいくらでもあった。菓子の屑などもあり甘いものはあまりにも過剰にあった。
そこの家の主人は今日もその蟻に困っていた。
「今日も蟻の大群がきたな、どうしてこんなに湧いてくるんだ、殺しても殺してもきりがないやつらだ」
こう言って虫殺しスプレ-で日課のように殺していた。
しかしそんなことをつづけているうちに蟻の巣で仲間たちが話ししていた。
「なんだか変なんだよな、仲間が巣に帰ってこないんだよ、毎日甘いものが一杯あるところに行くとみんなぞろそぞろ行くんだけと帰ってこないんだよな、このままじゃ巣がからっぼになってしまうよ」
「本当だよな、こののままじゃ巣はなくなってしまうよ」
「なんとか甘いものが一杯あるところに行くなととめるべきだよ」
「とはいっても甘いものにはひかれるからな、とめられないんだよな」
「そんなこといったってとめなきゃ巣はなくなってしまうよ」
こんなことを小さな狭い庭の中の巣で話ししていた。
「おい、今日は甘いものが一杯あるところには行くな、帰ってこれなくなるぞ」
「何を怖がっているんだよ、甘いものが欲しいんだよ、俺も行ってみるぜ」
「帰ってこれなくなるぞ、殺されているかもしれんぞ」
こう言っても無駄だった。甘いものの誘惑はおさえることができなかった。
こうしてそこの狭い庭の蟻の巣には蟻がいなくなり巣はからになり消滅したのである。
今も蟻は玄関の前の所に長い蟻の道を作っていて行進していた。
ただそこは甘いものがあるところから台所からかなり遠いのでそこまでは行かない、今は蟻がいたるところに活動している時期である。
ここの主人がその玄関に花を買って飾った。蟻はその前に蟻の道を今日も行進している。


この童話の自分の説明した評論です


過度な富の呪い
(文明も過度な富を求めた結果呪いがあった-原発事故もそうだった)
http://musubu.sblo.jp/article/69616306.html
posted by 老鶯 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 童話