2013年06月15日

時間的思考から空間的思考(ググロ-バル化)の時代 (津浪で判明した時間的思考の無視が事故につながった)

 

 時間的思考から空間的思考(ググロ-バル化)の時代

 (津浪で判明した時間的思考の無視が事故につながった)


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●遊牧民は空間思考、農耕民は時間的思考
 
 人間には必ず二つの思考方法がある。一つは時間的思考方法であり縦軸型の定着的思考方法である。時間をたどる思考方法である。それは自分の親からその親へと先祖をたどる思考方法であり家族の歴史が誓書のように最初の歴史である。家族によって代々伝えられた歴史が基本的時間の思考方法である。これは固定観念を作りやすい、それは大地とか石とか樹とか山とか動かないものに視点を吸えるからである。日本は海に囲まれて固定観念を作りやすいのだ。狭い土地の中で移動しないから自然とそうなってしまう。他の国は陸続きでありどうしても外国の異民族との衝突をがさけられない、そこで外国の文化が入りやすい、日本は回りを海で囲まれているから閉ざすことができて鎖国ができたのである。それはあくまでも地理がそうしたのであり地理が歴史を作るということはどこでも同じである。地理には神の配剤がありこれにはさからえないのである。
日本は海に囲まれていたということでそれが大航海時代のような海に出るより海によって閉ざされてしまったのである。海が障壁となってしまったのである。

ともかく世界史を作ったのが遊牧民だというとき壮大なユ-ラシア大陸を生活の場とする羊を飼って馬と共に移動する民族がいたから空間的に拡大して世界国家を作った。最初の国家が都市国家でも遊牧民が作ったというとき、 国家というのは空間的要素も強い。広く拡大しないと広域国家は形成されない、国家の形成にはどうしても空間的拡大が必要であり空間的思考-グロ-バル思考になる。
遊牧民が航海民になったというのは納得がいく、大航海時代はユ-ラシア大陸を生活の舞台とした遊牧民の延長としてあった。そして国家の基は遊牧民が作った。中国の最初の国家は始皇帝の国家も遊牧民の国家だった。その場所をみればわかる。歴史を見るときその場所が大事なのである。そこは遊牧民と農耕民との境を接する場所にあった。今の西安が長安が首都だった。兵馬俑の大騎馬軍団が中国という広大な領域を移動できたからこそ最初の国家が生まれたのである。国家は広域的に形成されるからどうしても移動することが必要になる。その移動の手段がないと広域国家は形成しにくい。
それか馬であり地理的には黄河や揚子江だった。四大文明が大河の辺りに生まれたというのはそのためである。交通の要所に生まれたのである。たいがい栄える場所は交通の要所にあった。日本でも大阪などがそうであるしその前は博多などがそうであった。


●空間的思考から時間的思考も見直される時代


世界のグロ-バル化は遊牧民によって行われた。世界的ネットワ-クの世界である。最初のグロ-バル化は遊牧民によって行われ次のグロ-バル化は航海民によって行われた。現代のグロ-バル化はもう日常化した庶民レベルでのグロ-バル化であり世界的ネットワ-ク社会となった。グロ-バル化社会が当たり前となりその思考も常に空間的思考に常時なっている。IT時代ともなり通信技術の飛躍的進歩も加速した。江戸時代の情報世界とは比較できない、一万倍という情報に接しねばならない、頭を使う知識社会になったのである。いたるところで膨大な知識を必要とする社会になった。一見庶民に関係ないと思っているが仕事の面でも農業だけをしている社会ではない、花屋を開くにしても相当な花の知識が必要になる。日本だけの花ではない、世界的な花の知識が必要になっているのだ。グロ-バル化したグロ-バルな知識が必要になる。遊牧民が最初の商人に羊を飼って移動していた故になった。
グロ-バル化すると商業化して商業民族化する。中国も農耕民のようでも商業民族であり商売がうまいのである。イスラム商人も有名である。空間的拡大は世界を商業化する。現代はもうすでに世界が商業で結ばれているからギリシャが破綻したら大騒ぎになりキプロスの金融危機で一喜一憂と株をするものは気が休まらないのである。


こうしてまるでグロ-バル化が頂点に達したような感がする。その極端なグロ-バルで弊害も生まれてきた。金万能社会の疑問である。グロ-バル化すれば金の力が極端に増大して世界中がマネ-ゲ-ムとなる。今やエジプトの果てまでロバにのった少年がワンド-ラくれという時代である。それはアフリカの果てまでそうなっているだろう。ドルが世界通貨になっているのだ。そこに格差や様々な問題も生まれたのである。かえってグロ-バル化の弊害が顕著になった来たのだ。グロ-バル化はどうしても地域に時間で培われた文化を破壊するのである。料理でもなにもみんな牛肉を食べる必要はない、コカコ-ラも飲む必要がない。それぞれの国には文化があるからである。その土地を耕す文化がある。
それを無視することは破壊することは非情に危険なものとなる。歴史は確かに時間軸で培われたものと空間的グロ-バル化が交わり形成される。空間的拡大というのはモンゴルの帝国を見ればわかるように意外と楽にできたという面もある。でも一過性であり簡単に消えたというのも歴史の事実である。それは一時的なものとして終焉した。一方でロ-マ帝国が持続したのはなぜなのこだろうか?
一過性ではなかった。それはモンゴルとは違いロ-マ帝国を形成したのはロ-マを中心として文化がありその文化の優位性で異民族を従えたということがあった。建築でも何でも異民族との差が大きかったからである。モンゴルにはもともとそうした文化の優位性はなかった。インドには仏教文化があったがモンゴルにはただ移動に優位な馬を駆使する文化があっただけなのである。だから一過性に消滅したのである。


●神社は時間的思考の上に建てられていた


今回の津浪ほど衝撃的なことはなかった。一体これはなになのか?未だにその解答はないし日本の歴史を変えるほどの力をもっていた。津浪で見直されたのは時間的思考だったのである。なぜなら400年前に三陸ではない、宮城県の平野部や福島県にもあったのである。相馬藩政記には700人溺死とか一行しか記されていなかった。その慶長津浪のとき津神社がこの辺で12建てられた。しかしその由来も忘れられていた。津神社が津-波に由来している言葉だと気づいていなかったのである。そして多くの神社が津浪からまねがれた位置に立っていたのは津浪をさけるように建っていたのは何かしら津浪の記録があり伝えられて高いところに建てたというのも何か信憑性を感じる。烏崎の八龍神社は高いし津浪からぎりぎりで残ったのである。それを見たら本当に奇跡的だと思った。一方で八沢浦の妙見を祀った社は海岸近くにあり流された。これは明治以降に武士が開拓したところだから新しいのである。古い神社は比較的残り新しい神社は残らなかったとかもなるかもしれない、神社の由来自体が不明なものが多いのである。もともとの由来とは違ったものとして祭りが行われていたりもする。


烏崎の津神社は鯨の祭りをしていたのである。あれが津浪を記念した神社だと思っていた人は地元ですらなかった。それは時間的思考の欠如からきていたのである。現代はグロ-バル化していても時間的思考は欠如した時代になっていた。時間的思考、歴史的思考は空間的思考のように移動すればできるというものではない、時間的思考は長く定着していないとできない、時間がかかるのである。だから歴史を理解することはその時間で培われたものがわかりにくいから簡単に理解できない、例えば狭い地域でも相馬藩のような所でも理解しにくいのである。相馬藩は国替えがなかったから歴史が継続したから相馬藩政記を外からでも参考する人が結構多い、それでも地元の人でも歴代の殿様の名前であれどういう働きをしたかなど知っている人は特別の人である。殿様の名前すら知らないから庶民のことなどもほとんど忘れられる。つまり時間的思考がむずかしいのはすでに家族でも死ぬとたちまち遠い存在となり忘れられ抽象的なものにすらなる。庶民なら名前すら残ればいいとなる。


●地名も古代からあり時間的思考の上に名づけられていた


原発事故でもこの時間的思考、歴史認識の欠如があって事故になったとも言える。東北電力の副社長が岩沼に住んでいて津浪がそこまできたと伝説を聞いて女川原発を高くして作った。それは時間的思考を地元だからしていたから助かったのである。東京電力は東京でありそうした時間的思考をしていない、例えは最近の科学的発見で貞観津浪のことが地層からわかって指摘していたが無視された。
伝説ではなく科学的に津浪がかなり奥まで達していたことがわかったのである。そういう警告も全く無視された。つまり時間的思考の欠如が事故の要因ともなっていたのだ。例えは地名に着目した人もいた。地名は古代から縄文時代からあったという人もいて古いのである。すると標葉(しねは)郷という浪江の古代地名が何を意味していたのか?それは万葉集にもある禁断の地だったのである。するとここは縁起が悪いから建てない方がいいと土地の人が言ったら笑われるだろう。でもそれは時間的思考であり一笑にふされることでもないことがわかったのである。古代からあるのだから何かの意味があると時間的思考が欠如していたのである。グロ-バル化はそうして時間的に土地土地に培われたものを無視しやすいのである。特にアメリカはそうである。時間的思考そのものが歴史が浅いからしない、ただ広大な土地を征服する、空間的思考の国なのである。


科学技術の進歩は空間をグロ-バル化に結びつけたのだけど時間的思考は欠如して文化を破壊するからそこに様々な問題が生まれているのだ。原発事故でも企業はコスト-安全性-地域性というのが問題になる。地域性というときその土地を掘り下げた時間的思考であれその土地の歴史なのである。自然史もあるし人間史もある。その時間的思考は東京電力には欠けていた。グロ-バル化というとき空間的に無防備に拡大化する。ところが石油でもアルジェリアで日本の企業の社員がテロにあい殺害されたようにその地域にも昔から人が住んでいる歴史がある。そこはなにもない無人の荒野ではないのだ。石油さえとればいいという空間的グロ-バル的思考しかない、その地域に住む時間的思考が欠如するのだ。アフリカだってそこに資源があるから資源さえもらえばいいとはならないのである。グロ-バル化すると国内でもそうした地域の歴史とか時間的に形成されたものが無視されるのである。神社が津浪がまねがれたのが多いというとき神社はそれだけ古いからその土地の歴史があった。慶長津浪の記憶がありそれだ高台に建てられたということせありうる。だから空間的思考はその土地の長い時間で培われたものを無視しやすいのである。空間的に拡大することは飛行機でも今は一気にできるからだ。そこに大きな落とし穴があり事故につながったともなる。