2013年06月13日

相馬藩の飢饉を救った移民と原発事故の危機の相違 (人口の三分の一減ったが移民が働き回復した)

 

相馬藩の飢饉を救った移民と原発事故の危機の相違

(人口の三分の一減ったが移民が働き回復した)

●移民は資産がなくても「労働力」に価値があった


津浪も原発事故も相馬藩の歴史をふりかえると大きな危機、相馬藩存亡の危機となる。時代があまりにも変わりすぎても同じ傾向はある。だから歴史をふりかえることは意味がある。相馬藩の危機は三分の一の人口が減ったのだからもう相馬藩を維持できないほどになっていた。その危機をどうして脱出したのか?それは移民政策だったのである。三分の一がへった人口の穴埋めが必要になったのだ。そのためで藩全体で人を呼び込む宣伝をした。その時の民謡を利用したので相馬民謡が全国に広がった。相馬へ、相馬へ草木もなびく・・とかなった。移民は九州の方からも来ていたし全国から来たのである。それで九州の福岡の地名とかが残ったのだろう。ただ江戸時代は移動自体が藩を出ることは禁止されているから危険なものとなっていた。それで越中の真宗の移民のそのときの苦労話が語られている。それではなぜそんな危険を犯してまでまたわざわざ困窮している場所にあえて移動したのだろうか?双方にそれなりの動機はあった。

江戸時代は戦前までは農業中心だからどうしても土地中心の経済になる。土地不足になると土地を求めて移住も辞さないとなる。そのことは戦前は満州に土地を求めてそれが戦争の原因になったり戦後もブラジルとかに移民があったことでもわかる。農業中心の経済は土地が求めるからである。

そして越中の真宗系の移民が今の原発事故の避難民と根本的に違っていたのは彼らには何ももっていなかったのではない、移民した人たちは老人でもないし働くために移民したのである。移民した人は相馬藩の欠落した村の建て直しの労働力となったのだ。彼らは確かに何ももっていなかった。でも労働する力をもっていたのである。相馬藩の土地は人口が減り荒廃したがその土地を回復させたのは移民の労働力だった。人間の価値は資産があるからだけではない、土地をもっていても土地を耕す労働がなかったらなんのかちせ出てこないのだ。それで地主制は戦後廃止されたのである。土地をもっていても労働しないものはただ働かせているだけのものは土地をもつ権利がないとされたのである。

「労働」にこそ人間の価値があった。だから「働かざるもの食うべからず」というマルクスの理論が根強く生き残る。武士も働かないから否定された思想も生まれていた。この思想は実際はやはり相当に人間の根本の問題として強烈にある。そういう思想は現実に根ざして具体的だから常に訴えるものをもっていた。土を耕す百姓から生まれた思想は学者が机上で考えていたのとは違う。血と汗がにじんだものとなるから訴えるものが出てくる。それは芸術にしても詩にしても言える。自分もそういうところに欠けているから批判される。


●農民の詩の力強さ


絶えず蹂躙されながらも
太く黒く生気に満ちて伸び上がる麦畑に
とても新鮮な空気を力強く呼吸して
自ずからわきわがる正義感に
がんじょうなこの体をうねらせて
おれは大樹のごとくじぃっと立って動かない
新しき生産者
百姓渋谷定輔
 (農民哀史より)

この詩ではそういう大地に根付いて生きるものの力強さを理屈なしで感じる。これは山尾三省などより力強い詩である。山尾三省の場合はどうしてももともとの農民ではないし都会民だったから何かこうした土着的な根っからの百姓とは違っていたのである。
この人は絶えず地主きことを批判していたのもわかる。それだけ労働が過酷だったのである。正直逆に労働が過酷だともう芸術もありえなくなるだろう。ただ労苦だけが延々とつづくのである。家事だけでも自分一人で全部やると相当な労働であり考えることすらできなくなるし絵を描いたりする余裕もなくなるのだ。

ただ人間の価値を作り出したのは労働である。家事でも自分で労働したときその価値がわかる。農業でも自分で土地を耕して野菜を一つでも作ってみればその価値がわかる。こんな苦労してできるものかとなり自分で食べてもありがたいとかなる。でもそれを他人に与えたとき他人は労働していないからその価値がわからないともなる。今やこれだけの多様な社会になるとモノが別に金を払えばいくらでもあるではないかとなりそれを作り出したり運んだりする人の労働を知り得ないのである。
地球の裏側からも果物などが入ってくるけどそれを作り出している人の労働の苦労は知り得ないのである。


ただ労働というとき現代は多様になっている。肉体労働は機械に代わり知的労働が重んじられる時代である。知的労働がコンピュ-タ-を作ったような人が新たな価値を生み出している。原子力でもこれは知的労働の成果だったのけど崩れさってしまった。労働というとき古い観念にとらわれている。
肉体労働の比重は極端に低下していても何か労働というと体を使う労働をイメ-ジする。
だから知的なものはまだ評価されないことがある。情報産業の時代、インタ-ネットの時代でもいくら情報を発信しても評価されないことがある。金にならないものはまた価値もないとされる。
知的労働もやはり労働であり生産者なのである。

ともかく相馬藩の飢饉を脱出したのは真宗の移民の労働のおかげだったということである。何故なら移民は土地でもいい土地は与えられていないから苦労した。草分けという農家に世話になりいろいろ苦労した。でもそれに耐えて相馬の土地に根付いたのである。そういうことが三陸の町で同じ様なことが起こっていた。外から来た人がボランティアだったのだがそこで根付いて暮らしていくといっていたが土地の人から本当にここで働き続けるのかと何度も訪ねていた。なぜならそんな回りも住まなくなってしまうよな土地に誰も住みたくないからだ。別にあえてそんな悪い条件の場所に住む必要もないのである。現代は移動が楽だからかえって地元の人もこんなところに住みたくない補償金もらえば外で住むとなっているのだ。江戸時代の意味はまた別なものがあったにしろやはりその苦労はなみたいていのものではなかった


●原発避難民は労働力もない金だけもっていても価値にはならない


つまり相馬藩の飢饉のときと今の原発避難民を比べるとあまりにも違いすぎるのである。補償金があるから原発貴族で毎日ギャンブルしている、それも東京まで行っているとか一体これは何なのだろうとなる。江戸時代の移民が見たらとても理解できないだろう。働かずに働かせる、避難民貴族になってるからだ。もちろん高齢化社会とかいろいろ時代の事情があるにしろあまりにも違いすぎる。
もはやこうした危機を乗り越える力も方策も地元にはない、そして国から東電から補償金だけをぶんどる、生活保護地域特区とかなってしまう。相馬藩の飢饉のときは移民は労働力で奉仕して相馬藩を建て直した。でも原発避難民は寄食者であり労働力ともならないから例え補償金をもらってもそれが相馬藩と福島県全体に貢献するプラスになるとは限らない、価値を生み出すものは必ずしも金ではない、労働が価値を生み出すからである。


今回の株の値上げや値下がりも実体の経済が反映していないからそうなる。ただ紙幣をすって金をふやしただけでは経済は良くならないのだ。ただ金を右に左に流してもうけるファンドなどはやましいものがあるというのはそのためである。銀行とかそうした株でもうけるものは虚業だというのもわかる。自分も株を買ったが金余りというのも株を買う原因になっている。でも金はその人の価値観に基づいて使うとき生きてくる。投資信託は他人任せだから何に投資しているかもわからないから金がどういうふに流れいきくるのかわからないのだ。投資する人もある会社を見込んでその会社を成長するために投資するというふうに変わっているというのもわかる。投資とは株で一攫千金のような宝くじとも違っていたのである。だから金をどう使うかの方がむずかしいというのもわかる。大金を使うことには相当な経験とかその人なり価値観をもっていなとできない、自分なら花とか好きであり庭作りに興味をもつからそういう投資はしてみたいとなる。そこには多少知識もあるからである。投資するにしてもその分野にまるで知識がないならできない、でもめんどうだから全面的に頼むだけになる。また実際に分野に知識をもつことは容易ではない、一朝一夕にはできないのである。


 

posted by 老鶯 at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連