2013年06月11日

因果はめぐる (カルマを断てないのはなぜ?-親と同じ人生を歩む不思議)


因果はめぐる

(カルマを断てないのはなぜ?-親と同じ人生を歩む不思議)


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因果がめぐるというとき必ず親の代からつづいているのだ。親の因果が子にめぐってくる。
これは迷信でも何でもない、数学のように確実なものである。避けようにも避けられない宿命としてみんな負わされている。


なぜ親が夫で苦労したものはその結婚した娘もその夫で苦労している
夫に苦労する運命にある不思議である。


因果がめぐるとしてもその本人はなぜそうなったとか気づいていない、因果は冷静になって客観的にみると見えてくる。ある程度偶然のいたずらでなく合理的に判断できることである。

ただ本人はなぜこうなっているのか?なぜ自分だけが不幸を負わされているのか?それで神仏に頼ったりする。でも神仏に頼っても解決しない、なぜか?
それはギャンブルで借金して困って神仏にいのるのとにている。
そんな勝手なことを誰も神仏だって聞いてくれないのである。
でも人間は勝手だから自分の不幸の原因を合理的に考えない
仏教には何かわかりにくいのだけど合理的に人生を考えるものがある。
一種の積み重ねられた人生の謎を問題を長い時間の中で何代もの時間の中で考えたのである。
それがインドに起こったということはそれだけインドではすでに数千年とか長い時間を人間が生きていたからその長い時間で人間はなぜこうなるのかということを思索して生み出されたのが
インドの哲学であり宗教だった。


つまりカルマという考え方もそうである。カルマ返しというのがあるのもまたそうであった。
必ず人はカルマを積んでゆく、カルマは因果はめぐるでくりかえされてゆく・・・
そういう例を身近で親族の中で見られる
カルマは決して一代で終わらない、その子に孫にとひきつがれてゆく、ただすべてが悪いものとして引き継がれるのでもない、一般的には悪いものとして引き継がれるのが多いのだ。

だからどこかでカルマをたちカルマ返しをしなければ延々とそのカルマは子孫に受け継がれることになる。

ある人は自分が母親に捨てられたと思い母親をうらんでいた、でも自分も施設に自分の子供をあづけるはめになった・・

親と同じような結果になった。そういうことが身近で常に起こっている。カルマが延々と人間の生があるかぎりつづいてゆくのだ。どこかで断とうとしても断てないのが人間のカルマなのだ。
だからカルマとは業でありキリスト教なら罪であり原罪だともなる。


親を批判して恨んだりしている子供も親になり同じ親になってるのだ!


そういうことは人間はあくことなく延々とつづけてきたのだ。だからインドのような長い時間を積み重ねたところではカルマの思想が生まれたのである。人に害を与えたらカルマをもつ、そのカルマをどこかで返さねばならない、そういうカルマをもったことになるのだ。一方で良いことをしたら善のカルマをもちその人に返ってくる。でもそれが自覚できない、だから恩を受けた人にもその恩をカルマを返さないからまだカルマを積むことになりカルマから脱せられないのである。

恩を仇で返すということもありそうなると二十三重にカルマを積み逃れなくなるのだ。
そして自分はそのことに気づいていない、自分はやることはやっている、非はないと思っているからこそ神仏に頼り祈るわけである。そういう身勝手が人間には常にある。

つまりカルマを指摘しても人は聞かないのだ、聞く耳をもたない、自分はやることはやっているとみんな思っている。もちろん恩も返していると思っているし第一恩すら感じない人もいる。
だからそれを言ってもなんにもしないしかえって必ず怒ったりするのである。

人は自分の非を認めないし罪を犯しても自分は悪いと思う人は少ない、反省したり悔い改める人は少ないのである。ただただ親でも他者の非を責める人が多すぎるのである。
カルト宗教団体ではたいがいそういう人が集まっている。
身勝手な人がいて神仏に祈り自分の勝手な願いを神仏に要求している。
そういうことを許すのは指導する人もただそういう身勝手な人たちを利用して自分たちの欲望を達成することしか眼中にないからどうでもいいわけである。


カルマの法則というときそれは数式のように確実になっている。だからインドの宗教は合理的宗教であり極めて哲学的なのである。ただやたらむずかしくしたのは僧侶階級が形成されて宗教の独占からそうなった。それで逆にあまりにも簡単な題目だけを唱えれば救われるとか日蓮宗や真宗が普及した。それは文字も読めない時代の人を対象だった。今は庶民でも文字は読める、だから合理的哲学的に探求する仏教や宗教が必要ともなる。いろいろわからないにしてもカルマということについては具体的にあまりにも回りにその具体的例がみられるから理解しやすいのである。
題目をやたら唱えてもカルマは消滅しない、カルマを理解してカルマを断つ具体的なも行動が必要になっているのだ。


カルマの法則は現実にある
http://musubu.sblo.jp/article/64859154.html