2013年06月18日

過度な富の呪い (文明も過度な富を求めた結果呪いがあった-原発事故もそうだった)

 

過度な富の呪い

(文明も過度な富を求めた結果呪いがあった-原発事故もそうだった)


豊富な資源が経済発展に結びつかない原因として、イギリスの経済学者リチャード・アウティは以下のような事例があるとした。

資源に依存し、他の産業が育たない
資源確保の為過度な開発が進み、土地が荒廃する
資源確保をめぐる内戦や政治腐敗の進行
資源の富が宗主国に吸収される

石油はその国の富を国家に集中させ、物を作って売るのではなく、政治家や官僚を丸め込んで金儲けをするという文化をつくりだす
http://jijieigo.at.webry.info/200804/article_14.html

石油を産出している国が富むことができない、かえって呪いとなっている事実がある。石油という富はあまりにも巨大な世界をゆるがすほどの富だったのである。それ故に石油をめぐって絶えず世界戦争が起こるなど現実にそういう危機があった。日本の戦争も石油がアメリカによって断たれた経済封鎖がありそれか真珠湾攻撃につながった。石油がたたれたら船も動かないし飛行機も動かない、戦車も動かないとしたら戦争もできなくなる。石油は今も生命線になっている。石油の富はこのように巨大なるが故に世界の災いともなった。
現実にその石油を産するところが豊になっていないというから石油の恩恵を受けていない、石油を産出してもその国の富になっていないのだ。災いの面も大きいのである。黄金が必ずしも富とはならない、これにも呪いが隠されていた。スペインはインカ帝国などから黄金を集めて一時期富んだが没落した。黄金だけを集めても国は豊にならない、産業革命を起こしてプロテスタントの勤勉をエ-トスとしたドイツやイギリスが豊かな国となった。そこには資源はなかったのである。アメリカが豊になるのはわかる、それだけの広大な土地と資源があったからだ。でも資源のない国でも豊になることができた。


日本は資源がない、国土狭いけど効率よく利用することで生産性をあげ米の品質を世界一にした。
狭い国土でもそれなりにうまく利用すれば豊にもなれるということである。
今回のたまたま自分が書いた童話で言いたかったことは過剰な富、過度な富は危険でもある。
それが滅びに向かっていた。狭い範囲で蟻が餌を求めていればそれなりに生きることができた。
ところが過剰な富、甘いものがふんだんにある所に吸いよせられるように集った結果、その蟻の巣は消滅した。蟻の不思議は餌がなにもないようなところでも生きている。そこにも神は餌を与えているのだろう。そういう狭い範囲でも生きるための糧を蟻に与えている。それが神の摂理なのだろう。
そこに過剰な富が与えられるとその富が呪いとなる。危険なものとなっていた。
それは人間社会にも言える。石油が欲しいとはるか中東に行くにしても危険がともなっていた。実際にテロで死んだり戦争にもまきこまれもした。石油は甘い蜜であり過剰な富だったのである。
過剰な富は一個人でも呪いとなる場合がある。遺産相続で兄弟の殺し合いまでになるのは何も特別なことではない。それは突然過剰な富として与えられるからそうなる。


そして文明そのものが現代は過剰な富を追求して得た。甘いものがふんだんにありありすぎる。それにむらがり度をこしている。原発もその甘い蜜だった。過剰すぎる富をもたらすからそこにむらがったのである。それが事故につながりとりかえしがつかないものになった。もし江戸時代のような鎖国でもしていたら限られた資源で工夫して生きていたらそれなりに自然は破壊されず平和に生きられたろう。鎖国時代の評価は別れる。でも世界史では特異なものとして評価されるだろう。それは島国ということで成し得たことだった。島国が一つの宇宙となり自給自足の世界を作った。自給自足というときでもそうだったが地域地域が自給自足だったのである。そういう世界は他者を頼りにしないから地域で自給自足なのだから遠い地球の裏側の情勢などに左右されないのである。

グロ-バル化の問題は巨大な富が過剰な富がもたらされるにしろ石油のように地元で活かされない、富にならなかったとか、世界で貧富の差が拡大して新しい奴隷制が生まれたとかいろいろあった。
世界から商品が入るにしてもそれが新しい安価な奴隷制によってもたらされたものでありその商品にはその奴隷となった人たちの汗がしみこんでいるとなる。でもそれを意識すてることはできない。

労働というのは例えば野菜一つ作るにしても苦労して作った人はわかるが消費する人はただ金で買えるものとしか思わないのだ。グロ-バル化した世界では地球の裏側でどうして生産しているかなとわかりえようがないのだ。しかし世界は市場化してすべていやおうなく組み込まれているのも現実である。テレビ一台のために少女が売られるというのもグロ-バル化経済の結果である。グロ-バル化経済にはそうした暴虐的に貧しい国を経済的に侵略する仕組みがある。金の価値でも十倍も違うからそうなる。カンボジアでは5ドルで少女が買えるとか世界中の中高年が集まっている。これもグロ-バル化経済がもたらした異常な光景である。こんなことから世界を支配しているのは巨大企業でありロスチャイルドやロックフェラ-が影の支配者だといわれる。信じられない巨額な富が一部に集中するのが
グロ-バル化経済なのである。マネ-ゲ-ムでもそうである。マネ-を右から左に流すだけで巨額の収入を得る、一方で奴隷化されて食うや食わずの人が世界にはまだ多い。グロ-バル化経済の暗黒面も直視する必要があるのだ。


文明はあまりにも過剰な富を追い求めすぎたのである。それが文明の崩壊、滅亡に通じている。グロ-バル化経済とはあくなく人間の欲望を世界的にすべての国が求めることになった。それで自然は破壊されるし資源がある国でも豊になれなかった。世界的に欲望の抑制ができなくなった。これまでは距離を克服できないとかありその国々であるものでまかなうということが多かった。技術が発達して距離が克服されたとき問題が起きた。大航海時代は一面、新しい時代を作ったがヨ-ロッパによるアジアなどの富の掠奪でもあった。それはすでに日本の戦国時代でもそうだった。日本人が奴隷としてヨ-ロッパに連れ去られたとか最近メキシコで奴隷にされていた日本人の記録があったなどその頃からグロ-バル化経済は奴隷を作り出していたのである。


ともかく原発も過剰な富、過度な富であったが故に災いとなった。そこに群がったものはみんな災いとなった。そうした過度な富には呪いが隠されていたのである。もちろんあまりにも貧しい過去にもどれというのかとなるがそれとは別に過度な富を求めることが災いを生んだなのである。結局原発事故の被害地域はまた金でもめていることでもわかる。過剰な補償金が災いとなっているのだ。
富の無制限の過度な追求は災いを生むのである。鎖国時代にもどることはできないにしろ鎖国時代に現代文明は学ぶものがあり見直すものがある。過度な富を追い求めていけば危険になるしまた災いが生まれるのである。

posted by 老鶯 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年06月19日

日立木の「まちばばし」の情緒 (梅雨の日の情緒)


日立木の「まちばばし」の情緒

(梅雨の日の情緒)



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しばしの間薔薇の二輪のつぼみかな
雨にぬれ薔薇や電車を待つ時間
雨にぬる薔薇やしっとり赤みおぶ
草原の夕べ雨ぬれ夏燕


雨しとと町場橋に降りあわれかな梅雨の日バスに立谷をすぎぬ


今日は相馬市の歯医者に行った、型をとったので結構時間がかかった。電車でまにあわないのでバスで帰った。バスは表示が電子化してわかりやすかった。あれなら次に停まる停留場をまちがいない,それにしても3人しかのっていなかった。バスの致命的なのは便数が一日何回とか限られているから利用できないのである。電車の倍の料金もそうである。人間の感覚は乗りものによっても相当影響されている。電車、車、バス、自転車、徒歩・・とみんな乗り物によって感覚が違ったものになる。


電車だとまず駅がありそこで田舎だと必ず待ち時間がある。その待ち時間が人間的な時間にしている。どうしても電車は駅で少なくとも十分とか余裕をもって行かねばならない、だから待つ時間がありそこに自然を見る時間が生まれる。東京のような都会だとそれが全くない、二三分待つのもいらいらしているから田舎とは大違いである。のんびりタイプの人は都会には向かいない、特に老人になると都会は嫌になるだろう。これも好き好きだが都会では何か感性を磨くということはできない。
ビジネスにはいいとしても芸術的感性は磨けないと思う。


そもそも現代に旅がなくなったというとき日立木のまちばばしとあるのを気づいている人はほとんどないだろう。でもあそこが街道だったから外から来た人でも歩いていたらその橋を歩いてわたるしその名前に気づくことがありうる。それでも外部の人だとそうしたこまかいことに注意を払うことはむずかしい面がある。ただ歩くことと車で行くことはありまにも違いすぎる。ある人が道路によって見える景色が違うというのは本当である。六号線から見た景色と浜街道から見た景色は全然違ったものに見える不思議がある。道路によって景色が左右されている不思議がある。今は遠くからでも六号線からきていたし今度は高速道路からくるとなると見え方は全然違ってくる。高速道路からだと街全体が見晴らせてそこが新しいもの近代的なものに見えて古いものは感じられなくなるのだ。

名取の空港に行く路線からみた景色は仙台の延長としての都市の風景でありそこには名取としての古いものはすべて消されてしまっていたのである。

現代で旅がなくなったとき六号線のような道を歩いても情緒がない、ただ荷物を運ぶベルトコンベア-のようにも感じてしまう。ところが相馬市から日立木までの街道は昔を感じる道である。だから何度来ても何か季節ごとに違った情緒を感じるのである。そういう情緒を感じる場所はある。

白河街道の福良はそうである。あそこは何度行っても昔の情緒を感じる場所になる。一方で電車の通っている会津への幹線となっている所は情緒を昔を感じにくいのである。
旅の情緒が喪失したというときどうしても乗り物と道路の影響があまりにも大きすぎたのである。
だから現代で旅をするというとき相当に演出しなければできない、車では昔を感じることはできない、自転車だって歩くのとはかなり違っている。だから歩く旅なら白河街道は向いている。

本当に旅するとなると現代はむしろ昔より苦労するようになるという皮肉もあるのだ。交通が便利になりすぎて旅が喪失したからである。旅は遊びじゃないかというけど自分が経験したのではそうではなかった。旅はもともと


13世紀の古フランス語、travailが語源らしいです。
それが英語にも取り入れられ、travelに変化しました。
もともとは、「苦労」とか「苦難」


旅は苦労の連続だったのである。今でも自転車などで旅すればそれなりに苦労することになる。つまりその苦労が旅なのである。お前は旅して遊んでいたばかりじゃないかと言われるが実際ふりかえるとそうではない。旅はあらゆる感覚を総動員しないとできない、自然をみるだけで相当な注意力が必要であり他のことができなくなる。歴史的遺跡も見たりそのほかいろいろあるから時間がたちまちすぎてしまうのである。だから団体旅行では人間との付き合いに注意が向くと自然を感じられなくなるのだ。するとどこの場所に何があったかなどもあとでわからなくなる。ただおしゃべりしただけが記憶に残ったりしてそこで見た自然の景色は忘れるのである。旅での出会いは現代のような忙しい時代にはできない、旅の時間も実は貴重だったとなる。人間はなんでもそうだがとにかく忘れやすいものなのである。あらゆることをどんどん忘れてゆくのである。旅でのことは特に忘れやすいのである。

【在郷町】より

…日本近世では法的に都市・町と農村の区別が存在したが,農村地域にありながら実質は町として活動しているものをいう。郷町,町分,町場,在町,町村などの名称をもつ場所をさす。ただし法的に町として認められている場所でも,農商混住の在方の町では在郷町とよぶことがある。…


まちばばし-町場橋は立谷という家が今でも集まって街のようになっているがあそこが町場だった。その前に薬師堂があることでもわかる。あの薬師堂には古い碑があり昔は薬師堂も村の中心だった。病院と同じだったのである。昔の街道は何か白黒の映像のイメ-ジになる。古いものはそうなりやすい。現代の旅はどうしても新しいものだけが目に入り安く古いものを感じないのである。
観光地でも会津でも城が新しくなるとそれが古いものを基にしても新しいものに感じてしまうのである。だからかえって歴史を感じにくくしているともなる。


雨にぬれた薔薇も日本的情緒になった。薔薇は乾燥地にもともと咲いていたから雨にぬれた薔薇の情緒は普通はないのだ。薔薇も日本に咲いて日本化したとなる。それが風土の影響なのである。文化の基本は風土だからそうなる。この辺が田んぼなく草ぼうぼうにな〜た草原化してそこが雨にぬれ夏燕が飛んでいるのもまさに今まではありえない情緒だった。だからいかに人間が風土に影響されるか風土が文化を作るかわかるのである。

2013年06月20日

企業は人なり 事業は人なり 経営は人なり (東電の社長の責任は重かった)

 

企業は人なり 事業は人なり 経営は人なり

(東電の社長の責任は重かった)


「事業は人なり」という言葉を聞いて、たいていの人は「人」=「社員」とおもうのでしょう。しかし、ここでいう「人」というのは社員ではなく「社長」を指してます。ほとんどトップの実力で事業は決まってしまいます。したがって、この言葉は今でも時代遅れではありません
http://okwave.jp/qa/q743323.html


お客様に対しての心遣いや、優しさや思いやりの精神を養い、
自分に厳しく出来る人間性を養い、
高い目標を常に持ちつづける信念を社員一人一人が合わせ持てる会社こそ
一流の会社なんだと言っていました
http://ameblo.jp/sapsyoshisato/entry-11138077523.html


●藩札について(江戸時代の信用)


これは信義の問題だ。藩札を発行する時に、これをもっ て来ればかならず正貨に換えると約束したのだ。その約束を破り続けたから結局、藩札の信用がなくなってしまった のだ。正貨はなんとしてでも私が集めるから、お前たちは とにかく旧藩札を全部引き上げろ。  

山田様はこのお国にとって大切な方だ。いま山田様にも しもの事があったら、困るのはわれわれだ。どうだろう。 交換していただいた正貨を山田様に差し出して、お城のお 役に立てていただこうではないか。
 

これは何を意味しているのか、藩札は貨幣はその紙に信用があるのではなく人に対する信用と信頼だった。特定の個人の山田様を信用して信頼した結果、藩札、貨幣が信頼されるようになった。江戸時代というのは狭い社会だから人を信頼することで社会改革ができたのである。今日のような巨大社会になると何を信用していいかわからない、小泉首相を信用しろとなるが小泉首相を信用するだろうか、民主主義では力あるのは議員ではない、議員は民衆に多数に選ばれた人であるが別にこのようにその人を深く信頼して選んだわけでもないのだ。様々な組織、団体がかかわり権力構造の中で選ばれたのである。今日では人を信頼するということは成り立たない、人が見えない社会なのだ。制度とか団体とか組織とかマスコミとかに動かされる社会なのである。山田様とか特定の人を信頼して貨幣の信頼が取り戻せるような社会ではないのだ。外国とも関係しているから個人の力を超えた目に見えない巨大なものによって動かされているからユダヤ人陰謀説とかいろいろ背後のものがとりざたされるのである。

紙幣の信用が一個人の信用に基づいていたなどありえない。江戸時代にはあったということである。江戸時代はすべて顔と顔見合わすなかで信用があり社会が動いていたのだ。だからこそ勝つ改修と西郷隆盛の談判で江戸は戦場にならずにすんだ。そこに個人と個人の信頼関係で決まったのである。

相馬藩の街道を伊達氏が通るとき殿様の許可をえなければならなかった。それは伊達政宗との信頼関係があってできた。ただ敵対するだけでなく信頼するときは信頼し合ったのが戦国時代でも江戸時代でもそうだったのだ。人間同士のやりとりであり巨大な無機的な会社のやりとりとはあらゆる面で違っていたからわかりやすい社会だったのである。
明治まではそうした個人を信頼して物事を決めるということがあった。だんだん国家が巨大化すると社会が巨大な機械化した組織体のようになりそこに人間個人などはとるにたらぬものとして埋没した。だから近未来の映画ではコンピュ-タ-が人間を支配するまでになっているのだ。
ともかく例えば日銀の総裁の人を信用してまかせている人はいない、そもそもそんな力がいくら日銀の総裁でも現代のような複雑な社会ではありえないと思っているからだ。


●経営とは何なのか?


経営の実践のないものはなかなか語れない、経営とは人なりというとき何なのか?それは東電の事故で東北電力と東京電力のトップの差が大きかったことが判明した。東北電力の副社長の平井弥之助氏は岩沼に住んでいてそこまで津浪が来た伝説を聞いていたので女川の原発を低く想定していたのだが高くさせて作った。そしてぎりぎりで助かったのである。本当にぎりぎりだった。決してその高さでも安全とは言えなかったのである。一方東電は全く津浪のことを警告されても聞く耳をもたなかった。清水社長はコストカッタ-として社長にのし上がったということでコストを重視して安全対策を怠っていた。それより再三警告されても聞くことがなかったし嘘もついていたのである。そういう傲慢になったのはあまりの一方的な巨大な権力構造ができあがっていいたためである。政府も言いなり官僚も言いなりマスコミも金で言いなりだったのである。


事業は人なり、経営は人なりというときまさにこんなに複雑巨大化した会社でもいえたことだった。社長が文系で理系でないから失敗したんだというものでもない、まずコストカットありきであり安全は二の次三の次になっていた。騒ぐものがあれば金でおさえればいいという経営姿勢ができあがっていたのである。だからこそコスト追求をどこまでもできたのである。経営というときやはり実際は単純なものかもしれない、嘘をつかないとか何か子供でもわかることを実行することである。でも実際は嘘をつかないということができない、それは巨大会社の社長でも政治家でもそうである。嘘をつかないで議員になれる人はいないということでもわかる。そうした簡単なモラルが実行できないことにのちのちの災厄が起こる基になる。

除染でも下の土をとって低くしたという大成建設の社員が問題になった。これも一見たいしたことがないようでもごまかしているのだしそれを上からの命令でしているとしたらやはり嘘ついていると同じなのである。だからあれだけ大きな会社でも信用できないとなる。


●技術があり頭がよくても他人に思いやりもない人が経営できるのか?


経営は人なりというときそんなこと今はなくなっている。第一今は人を見るとき何を見るのか?人間性など見ているだろうか?最初にこの人は何ができるのかで評価される。次に会社がどこかとかどこに勤めるかで評価されてゆく、人間性とかモラルとかこの人は嘘をつかない人だとか誠実な人だとか何かそうした人間性で判断されるだろうか?この人は英語できる、この人は歯医者であり先端の歯の治療ができる、この人は心臓の専門医であり心臓をみるのは第一人者だ、医者でもいろいろな分野に別れていて専門性があり心臓の専門医ですとなるとこの人は心臓には詳しいと評価するしそれ以外に何か人間性を評価するだろうか?だから医者は人格的におかしな人が多いというときそんなことより手術がうまい、神の手をもった医者だとかが宣伝される。この人は人格的にいい医者だなどで評価されないだろう。かえってそういう医者はだめなんだよな、人がいいだけで医者としては優秀じゃないんだよとかなる。このことはすべてにあてはまる。


お客様に対しての心遣いや、優しさや思いやりの精神を養い、
自分に厳しく出来る人間性を養い、


こういうことが常に言う人がいるんだけどまず人はまずその人が何ができるか、どんな会社や団体に属しているか、その人の個人の人柄など見ている人はいない、経営者でも社長でも同じ傾向がある。社長の人柄がいいなどと評価しているだろうか?東電の清水社長がコストカッタ-としてのしあがったというときその人柄や人間性など関係ないのである。かえって押しの強い傲慢な性格の人が上に立ち謙虚の遠慮がちの人は上には立てないとかあるだろう。性格的には悪くても成果が上がれば評価される。清水社長もコストカッタ-として成果をあげていたから社長になった。


そして一般的に人間は優秀な人は何か性格的に冷たい人が多い。自分は優秀なんだとして他者をさげすみ優しさや思いやりのない人の方が多いのである。そういう人を身内で見てきたからそう思った。でもそういう人はしっかりしているしやはり何でこんなにできるんだろうと自分のような優秀でない人間は常に思っていたのである。優しさとか人柄がいいという人は社会では何か上には立てない、そんな人は宗教家になれとかなるだろう。この厳しい競争社会を勝つにはそんな優しいということでは成功しないということがある。だから優しさを重んじるということが現実にあるのかとかなる。
福祉関係の仕事だったら優しさは仕事にとって重んじることを言うのは当然である。他は優しさより仕事ができることであり才能であり専門性であり人格的なことはあまり関係ないように思う。


●現代社会はモラルより人間性をみるより技術や専門性で決める


どうしてある会社の社長とか重役が決められるのか?そういうことがわかりにくいから推測になるが
モラルでもないし人間性がいいとかで決めてはいないだろう。あの人は正直だから嘘をつかないから社長に適任だなどと決める会社はいないだろう。でも技術職ではない社長とかなると経営者になると意外とモラルが大事になる。技術的な専門的なことだけではなく人との交渉とか社会的責任とかが課せられてくる。それて一時公害問題があったし原発事故もそうだった。会社の独断で会社の利益だけを追求すればいいというものではなかった。モラルは技術のようにむずかしいものではない、単純な面があるのだ。嘘をつかないとか正直であるとかである。でもまたこれが意外とトップに立つと大事な面があった。例えば大成建設が除染作業して下の土をとって放射線を計るモニタリングボスとを設置して放射線量を低くしていたのだ。これもたいしたことがないようで社員がなぜこんな偽りの作業しているのかと思う。そうなるとやはり社員でも嘘をついて仕事をしていることになることがわかる。それはさせているのは上の人である。つまりトップが嘘ついて命令していることになる。それは何も技術的にむずかしいことではない、土をとれば放射線量が低くなることくらい専門家でなくても誰でもわかる。


そういうことが社長がトップにされるときそれに従う社員も嘘つくことになる。すると何かやましいことをしているということで指揮が落ちてくる。人間はモラルがなくなると例え利益を得ても何かを失うし一番の問題は社員の指揮が落ちることなのだ。こんなことして働いて利益を得ていいのかと自問すると働く気力がそがれるのである。それは社会の全般に影響している。戦争のときでも人を殺すのだからその戦場で実際に人を殺すとなるといくら上の命令でも国の命令でも簡単にはできない。だからどんな戦争でも大義名文が必要になる。我々の国はこうこうで戦争しているという理由が必要になるのだ。ただ相手の国を領土が欲しいからとかでは他の国も容認しないからだ。人間はモラルがないと指揮が落ちる。例え誤ったモラルでもそうである。カルト宗教団体がそうである。宗教にカムフラ-ジュした大義名分があって運動している。実際は権力を掌握することであり権力を我が物にしたいだけでも大義名文を言うのである。それ嘘でもそうしないと容認されないからである。その大義名文も嘘だとわかったとき組織は崩壊する。そのトップもそんなモラルなど全然なかったとわかるからである。そこにはただ私欲であり権力への欲望だけだったとわほかるからである。つまり黒なのを白といいふくめて嘘ついているのがカルト宗教団体である。中味が真っ黒なのに白だと公言して活動している。その矛盾がやがて暴露され組織は崩壊してしまう。


そして結局このモラルのなさが勝敗を最終的には決していたのだ。日本の戦争が負けたのも日本が指揮が高いというのではなく指揮はアメリカが高かったのである。真珠湾攻撃の怒りが義憤があり日本は負けた。またアメリカでもベトナム戦争で負けたのは何が大義名文なのかわからなくなったからである。モラルが低下して指揮が落ちて兵士も戦争をやる気しなくなるのだ。だから一番上に立って指導する人はモラルが大事になる。技術的なことがわからなくてもモラルをもって指導する人でないとできない。技術とか専門性は枝葉のことになる。肝心なモラルが喪失したら指揮もなくなり敗北するのである。


なぜ原発事故で東電が失敗したのか?それは原発はもともと危険で無理な面があったにしても技術的な面だけではない、モラル的な面で失敗した。嘘をつかないということなど単純なモラルのなさで失敗した。何度も警告しても嘘をついて報告して安全だ安全だと言い張り権力で隠すことができた。
そういう嘘をついていることが命取りになった。だから宗教と経営は関係ないようで関係していた。宗教とはモラルを最高のものとしているからである。技術よりモラルが大事だとしているからだ。
でも技術の方が実際は現代では大事であり技術しかみていない、ここの人間でも全体でもそうである。身近に接した人でも嘘はつくし借金はしていても技術がももっていて頭がいいとか専門性があるとか知識もあるとかで評価されて仕事がまかされている。優しさとか思いやりもその人にはない、身近な人にそうであるなら全体に対してもそうである。でもその人間性など関係ないのである。それはまたなかなか見ようがないということもある。でもそういうことから経営も破綻することがある。

ワタミ社長のことなど問題になっているが人間性に問題になるのは特に福祉関係だからである。
福祉関係は一番優しさなどが必要なる分野だからである。


和民でバイトしてたことあるけど店長の目が死んでた


モラルがなくなると社員全体に影響しているのだ。

東電の失敗はモラルの欠如にあり戦争の失敗もモラルの欠如にあった。モラルが欠如した結果、指揮が落ちてたたかかなくなったのである。アメリカがあれほど経済力も武力も格段に上なのにベトナム戦争で勝てなかったのは兵士がもはや何のために戦っているのかわからなくなった。ただ人殺ししているだけではないかという地獄の黙示録になってしまったのである。モラルもなにもなく俺たちはただ人を殺す機械だとなったらまさに地獄になってしまう。


 

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古代都市(抽象画)



古代都市(抽象画)


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これはj-trimdで主に加工した、その原画がなにかはじぶんでもわからなくなった。
抽象画が変化の過程で偶然に生まれものでありソフトに左右されるのである。
そのソフトでしかない変化が加工があるのだ。
だからソフトによって無限の変化があるともなる。

写真でもエッセンシャル4で変化させると別なものよ見えてくるのだ。
これは別に絵の才能は必要なくものを見る目の方が大事になる

この抽象画が秋深しとなっていても見える人は見えるのであって見えない人は見えないとなるからだ

この古代都市は比較的わかりやすいだろう。

春の色 (抽象画は無限の色の変化だ)

 

春の色


(抽象画は無限の色の変化だ)

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ここまでクリック拡大

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抽象画は形にこだわらないから無限にできることがわかった。
ただ機械的な変化をソフトでするだけなのだ。
つまり色の化学変化だった。

だからソフトが変われば抽象画もまたふえてゆくのだ。

これも四つくらいのソフトを組み合わせて作った
ほとんど機械的作用である

でも春の感じをイメ-ジできないとわからない

これが春の色だというのはその人の感性になるからだ




2013年06月21日

認知症の誤解 (認知症は人様々であり誤解が多い)


認知症の誤解

(認知症は人様々であり誤解が多い)


さて、私の祖母も認知症です。
現在84歳。81歳のころに本格的に認知症になりました。逆に祖父は90歳で亡くなるまで、認知症にはならず、すごい記憶力をたもったまま周りをおどろかせました。

この二人を比べておもったこと、そして「認知症になりやすい人」の条件について考えてみると祖母はやっぱり「認知症になりやすい人」にあてはまっていました。

具体的には、


・毎日同じことの繰り返し 

 特に趣味もなく家にとじこもってばかり。毎日朝おきて⇒昼食の用意⇒買い物⇒夕飯用意⇒寝る の繰り返しばかりだったそうです。

・近所づきあい、友達がいなかった
祖母は自宅にいることがおおかったので、両隣ふくめ、近所に親しいお友達や茶のみ友達がいませんでした。(道ですれちがうと挨拶する程度)


・趣味がない

若いころは通信講座をならったりしたこともあったそうですが、認知症になる20〜10年くらいのあいだは、趣味らしい趣味もなかったようです。
http://sai15.net/ninchi-syou.html



自分の母親は98にもなっていて認知症に確かになっている。でも症状は別に人にやっかいをかけるものでもない、物が盗られたか騒ぎもしない、もともと大人しい静かな人とつきあわない性格だった。それは自分と良くにている。自分も人とつきあえない、友達ももてない、静かにじっとしているのが好きであり自然観賞しているのが向いている。もともと世間から離れているような性格だった。
だから大正生まれで働くことしか知らない、趣味は何にもない、働くことしかない、特に尋常小学校でも一回も休まずに賞をもらったことを自慢していた。


そして80才まで店屋をやっていたりその後も家事を93才ころまでやっていて今も寝ているのだけどときたま起きて洗い物などしているから驚く、耳はほとんど聞こえないから話ができない、金のこともわからないからボケているけど金がなくなったなど騒がないのも不思議である。だから極端な認知症の症状がでていないのだ。もともと性格的に大人しく激情的な性格でなかった。だいたいこの年になれば90パ-セントは認知症になっているしならなくても何か通じなくなりボケているのだ。
だから認知症というのは人様々であり性格もみんな違っているし育った環境も違っているし家庭環境もあるしそうした様々なものが影響している。もちろん遺伝的なものもある。だからこういうふうに一つの型に決めつけることは危険である。


もう一人は複雑なのだけど年はさほど変わらないが典型的な認知症になった。家事もやらなかった。家事をすることは相当に自分でやってみても頭を使うのである。特に今では機械を使うことが多いから昔の人はできない、認知症になるとテレビのリモコン一つも押すことができなくなった。機械が最も苦手になる。今は台所でも機械を使うものがあるからこれは使えなくなる。洗濯機が使えないので昔のように手で洗っていた。魚などは前から料理していたからできた掃除も簡単なことはできた。でも家事は片づけたり意外と工夫も必要でありそういうことはできない。でもそういうことをしていたら症状が改善した。自分の姉はこの正反対だった。人つきあいはいいし、外向的な陽気な性格であり頭も良くてしっかりしていて何でもできる人だった。事情があり複雑だけど母とはあまり年は違っていなかった。だから認知症は老人特有の病気であり姉は典型的なアルツハイマ-だった。激情的であり物盗られ妄想から幻覚から暴力からアルツハイマ-の症状が露骨に現れたのである。それは性格が多分に影響していた。怒りっぽくなったのももともと気性が荒く激情的だっかからである。

だから認知症はその人のもっている性格とかが顕著に現れる病気である。パタ-ン化することはできないのだ。

だから趣味がないとか人づきあいがないとか友達がいないとか社交的でないとかもそれが認知症になる要素でもない、なぜなら人間は社交的な人もいるし社交嫌いな人も母や自分のようなものもいるからだ。社交嫌いでも芸術や内面の追求には向いている。自分は自然の中にひたり自然観賞することは向いている。それはかなり創造的な精神の性向でもある。だ2から人づきあいがないから社交的でないから認知症になるとは限らないのだ。それは人それぞれの性格がありそれに応じて人は生活するのが向いているのだ。母は全く無味乾燥な働く機械と同じであっても認知症にはならなかった。もちろん遺伝的なものがあるのかもしれない、ただ認知症になったときはその性格によってかなり症状が違うしまた家庭環境などによっても出方が違ってくる。そういう総合作用として認知症の症状がひどくなったり軽くおさまったりする。


でもテレビで見たけど夫婦で認知症になりやすいというのは不思議である。そこにいかなる因果関係があるのか?これはやはり夫婦して遺伝作用とはないから何かそこにあるのかもしれない、夫婦関係はわかりにくいが何か夫婦とか家族は一体であり一方が良くて一方が悪いとかない、夫婦は同じ様に妻が変だなと思うとき夫も変なことがある。だから認知症でもどっちもなってしまうのかもしれない、相互作用があって認知症になるのかもしれない、何かそこに因果関係がある。何か双方向にマイナスに働くものがあるかもしれない、プラスに働けばプラスになる。それか夫婦なのだろう。


結局人間の脳を問題にするとき人間と死ぬまで創造性を追求するものとして神が作ったことがわかった。最近自分自身絵の才能がまるでないのにパソコンのソフトで抽象画を相当作ったことでもわかる。これは才能というのではなくパソコンのソフトを通じて偶然に開発されたものだったのである。
これによって脳も活性化したという不思議がある。脳は生涯で二割くらいしか使われないというとき開発されないからそうなる。脳は自ら引きだす-educateしないと退化してしまうのである。
人間の感覚はすべてそうである。感覚を磨かなければそれも退化してしまう。自然への感受性も日々の訓練だったのである。毎日の季節の変化を知り敏感になり積み重ねてゆくことによって感受性が作られてゆくのだ。だから俳句でも退職して簡単にできるものではないのだ。日頃の積み重ねが何でも作り出すからである。


人間の脳は一生かかって作り出してゆくものであることがわかった。天才は別にして普通の人はそうである。だから自分は60すぎてから詩も膨大に書いた。ただまだ発表していない、すらすらと書ける不思議があった。例えはその土地に長く住んでいるとそこから自然の霊感を受ける。でもそれには相当な時間が必要だったのである。認知症は本当は何が原因かわからない、でもなにかそうした日頃の生活の積み重ねが影響しているかもしれない、だから脳を使うこと家事でも継続的にすること、脳の開発を怠らないこと、継続的にすることが大事である。今も一日中寝ても習慣となって機械のようにときたま忘れず洗い物をしているのは習慣化していたからだ。怠けることが習慣になると認知症になる恐怖があるのだ。一人は退職後なまけて何もせず認知症になった。これも不思議なことである。
二年間は洗い物も手でしたり魚をさばいたり簡単な掃除をして自分は役に立っていると何か生きる意欲もでてきた。それも不思議なことである。だから嫁に「おばあちゃんは何もしなくていいですよ、テレビ見ていて下さい」といわれると認知症になりやすいというのは本当なのである。


ともかく認知症は多様でありパタ-ン化することは危険である。認知症はそれだけ複雑な病気でありその介護も人それぞれによって違うし家庭環境も相当影響するから外部からなかなかいいアドバイスを得られない病気なのである。型にはまってみれないからそうなるのだ。それほどやっかいな病気だったのである。

2013年06月23日

相馬市の道の駅で老人が椅子に座り話していた


相馬市の道の駅で老人が椅子に座り話していた

黄菖蒲や街道を行く松の影
夏柳風にそよぎて田町かな
脇道を帰り来れる白菖蒲
一本の木陰の深く社かな
青田風村人も休む道の駅
様々に人交じりあう夏燕
夏菊に夕日のさして六号線


大阪から仮設にボランティアの女性が来ていた。若い女性で大阪から来ていた。まだボランティアが来ている。今何かボランティアがやることあるのか?海岸で津浪で砂に埋まったガレキを取り除いていた。何かまだあるのだろう。もうボランティアは終わり建築土木関係の仕事が中心になっているだろう。鹿島区に復興住宅も建設中である。仮設には原町だけど高倉の人が入っているとか原町の山側の人が仮設に入っていた。原発避難者に指定されると仮設に入れて補償金ももらえる。石神でも隣でもらえて自分の家はもらえないという人がいた。山側だとそういうことがある。鹿島区では原発避難者に指定された所はないだろう。それで不満で東電と交渉するから署名してくれというのが配られていた。隣がもらえて自分はもらえないと不満が大きくなる。


帰りは松並木の街道ではなくて正一位ときう稲荷神社があるところを帰ってきた。一本の木があり木陰がおおっていた。カメラを忘れたのでとれなかった。日立木から相馬市に出る街道には兜作りの養蚕の家が二軒残っている。テレビで山中の養蚕の家を放送していたがみんな兜作りの家だった。
あそこの兜作りの家は貴重である。なぜなら街中に残っているのをみたのはあそこだけでありほとんど消えているからだ。ただあそこに気づくなかった。兜作りという名も知らなかった。
近くに古いものが残っていてもわからないことがあるのだ。あとで写真にとっておこう。


道の駅ではあの辺の老人が椅子に座り集まり話していた。あそこに暇な老人が集まっているらしい。老人が多く暇なのが多いからそうなる。相馬市の道の駅は田んぼのなかにあるが曲屋風で落ち着く、あそこの椅子に座り話しするょには向いていた。仮設の人はもう暇をもてあまし遊ぶのもあきたとか聞いたと言っていた。それそうだろうな、二年もすぎたしぶらぶらしているのも飽きてしまうだろう。それで畑仕事もしなくて太って病気になったという話しも本当だろう。人間は働かないということは体にも頭にも悪いのである。老人だと認知症になるから笑ってもいられないのである。無理やりでも奴隷のように働かせられた人は認知症にならず働かした方が認知症になってしまった。普通なら奴隷のように働かせられた方が不幸に見えるが実際違っていた。働かない方が病気になったのである。

今日はひさしぶりで晴れたからでかけることができた。梅雨になるとやはりでかけられないから困る。それより自分はでかけることもできなくなった。特に電車が仙台に通じなくなって遠くに行きにくくなった。すると狭い範囲に閉じ込められた感覚になる。もしこれから10年でも生きればやはり長いのかもしれない、老後はみんな長くなりすぎたということもある。だから暇をもてあます老人がふえてくる。人生は60年だったら短い、80年だったら十分だろう。でもそれでも終わってみれば人生はあっというまなのである。ただ作品をしあげるとなると時間が必要である。老人になって誰でも思うことは人生が二度生きられないことなのである。もっとこう生きればいいとかできないのである。
青春であっというまに終わりなんであんな馬鹿なことをしたのもっとこうすればといいとか思ってももどることはできないしやりなおしができないのである。これが人生の最大の問題であった。

人間の社会とかわからないのに未熟なのに社会を人生を生きねばならないしそこで必ず過ちも犯す、そして取り返しのつかない結果となって終わっているのだ。わからないにしろ無知であれ未熟であれ闇雲に生きていかねばならないのが人生なのである。

まあ、あそこで昔話をして暇つぶししているのだろう。海苔を買ったがあれは松川浦のものではない、もともと松川浦でとれた海苔はたいしたものではなかった。三陸の海苔でありそれを相馬市の会社で加工して売っていた。加工できるからそれなりに売ってももうけることができる。それがクズノリとあったけどそれほど食べられないものでもないみたいだ。この辺はまだまだいろんな問題が継続している。
 

2013年06月24日

黄菖蒲(今日も晴れて相馬市に行く)


黄菖蒲(今日も晴れて相馬市に行く)

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黄菖蒲をのぞけば朝に雨蛙

黄菖蒲や朝の街道松の影
夏菊の畑に映えて遠き山
三本の木立の影や社かな
金色の錦鯉光りつつじ映ゆ
路地を入り喫茶店涼し城下町

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養蚕の碑


今日も昨日のつづきで相馬市に行った。やはり晴れると家にはいたくない、松並木の街道の黄色の菖蒲をのぞいたら尼蛙が隠れていた。何か毎日同じ所でも発見がある。相馬市は青田がつづき今までなんら変わりない、夏菊が畑に映えて夏らしい。

八幡神社の池には錦鯉が何匹か泳いでいた。金色に光を受けて光っていた。赤いツツジが映えている。そこから相馬市の方に行って路地の方を入ったらしゃれた喫茶店があった。相馬市には喫茶店が結構多い。ただあそこは高いことは確かである。駅からもそう遠くなかった。相馬市は城下町で静かだから落ち着く。


駅前の花屋によりまた花を買った。あそこは場所がいいのだか花の種類が少なすぎる。ぎりぎりでているいうとき閉めるか閉めないかとか迫られているのかもしれない、そういう追いつめられている状態である。一方で鹿島の六号線の新しい花屋は大きい。種類も豊富である。一万くらい花を買った。自分が今やりたいのは庭作りであり花を楽しむことである。ただ庭が狭すぎてできないし忙しいからまたできない。

今日も東京の唯一の親戚が来るというので電話して疲れた。

忙しく働いているとか言うがこちらも忙しいのである。そしてこの六年間自分を気づかってくれた人は一人もいなかった。病気でもそうだった。東京で働いて忙しいというとき誰のために働いているのだろうと思う。こちらも苦しんでいるのに何ら気づかうこともないのだ。そういう親しみのなかった親戚だからどうしようもないがそれにしてもなぜ自分はこうして全く誰もきづかうこともない、そしてただ金が欲しいというだけでありそれはすべて同じだった。だから本当はかかわりたくないのだ。ただ事情があるのでがまんしている。自分がどうなろうが何のきづかいもしないし放置されるだけの付き合いが親戚なのかとなる。ただこれはやむをえてい事情があるからしばらくは仕方がないがそんな関係がつづくのかと思う。東京になれば離れているから余計にそうである。


日立木の脇の稲荷神社には養蚕の碑があった。これは大正時代で新しい、養蚕の碑は意外と新しい。大正から戦後も十年くらいは養蚕が盛んだった。家の裏の畑も桑畑だった。
兜作りの家があったがカメラの電池がきれてとれなかった。兜作りで検索するといろいろな昔の家がでてきて興味深い。昔の家は何か大地に密着して存在感がありどっしりしている。そこはたた住む場だけではない、生産の場だったことが存在感をもっていた。
今の家は農家でも生産の場というより何かただ住む場所でありみんなサラリ-マンの家になってしまった。車で農地に出勤しているのかとさえ思うし現実にそうしている人もいる。何かみんなサラリ-マン化したのが戦後だったのである。商業でも自営業が多かったのが高度成長時代でありその後自営業の商売はめっきりへって通りはシャッタ-通りになった。これ街に存在感をなくした大きな要因である。チェ-ン店やス-パ-に勤めればみんなサラリ-マンになってしまったのである。

 
 

2013年06月25日

死者とかかわるめんどくさとむずかしさの自覚 (墓の跡継ぎがないとか死者の扱いのむずかしさ)


死者とかかわるめんどくさとむずかしさの自覚

(墓の跡継ぎがないとか死者の扱いのむずかしさ)



松山市御幸の浄土宗「弘願(ぐがん)寺」境内に、宗教・宗派を問わない永代供養の共同墓地が造られた。創建800年の古刹(こさつ)だが、少子化や非正規雇用の増加などを背景に、「墓が維持できない」との相談が相次いでいるといい、同寺は「現代社会で、求められる寺のあり方を考えた末の形」としている。(原典子)

 同寺によると、境内の墓地には墓が約250基あるが、親族・親類から「墓を処分したい」という相談が増加。リーマンショック後の2008年秋以降は、「子どもが就職できず、将来の墓の維持に不安がある」「リストラに遭い、墓のことにまで手が回らない」といった電話が月に最低1件入るようになった。「骨を処分して」と電話で依頼したまま連絡がつかなくなるケースもあるという。
 
墓の処分後に遺骨の引き取りを拒まれ、墓地内に無縁塚を造った1999年以降、75人分の遺骨を移した。村中信章・同寺住職は「骨を骨つぼから出す『ガラガラ』という音を聞く度、やりきれない思いになる」といい、安価で生前申し込みもできる共同墓地を造ることを計画。また、「宗教・宗派にこだわっていては、行き場がない無縁のお骨が増えるばかり」と垣根を取り払うことにしたという。
http://b3.spline.tv/inochi1/?thread=1878&command=REPLY&id=1878



兄のことを書いたけど交交通事故で42才の若さで死んだ。すでに20年とかたち忘れられつつあった。しかしまた今になって問題になっているのか?それは別に遺産はないのだけど母の残した金がありその金を半分はもらえると常々言っていた。すると本人は死んだからそんなことにこだわる必要などないのだがどうしても自分はそのことについてこだわる。死んだ人にも兄とは他の人とは違った事情がありその娘がいて孫もいるのでそっちが困っているので金をだけが全部もらうとうしろめたいというか何か死者が見ているようで恐いのである。「なんだ、お前より苦労したのにまた俺の半分の金を使うのか」と死者に言われる気分になる。死者はそういうことでも死んでいないのかもしれない、生者を見ているのかもしれない恐さがあった。かえって死者になっているから恐い、死者には偽ることができない恐さを感じてしまった。ここまで義理堅くするのはあまりないだろう。たいだいもう忘れて金のことなど考えないだろう。その方が良かったかもしれない、そういう昔の因縁をぶりかえすと何かめんどうになるのだ。特にその娘はまともな人でないから余計にそうなる。常識もないし普通ではない、ええ、またこんな人とかかわるのかとなると嫌になった。ただ孫がいるので中学生になったが娘とは違っている。


なぜこんなことがぶりかえしたのか?それはそもそも交通事故で死んだときそこの運送会社から兄が事情あって雇われた経緯があった。だから凄く恩に着せて死んだとき代理人になってやるからと保険金のことでそう言ったのだろう。でも静岡とか遠くて何が起きたかわからなかった。本当にこれも何がなんだかわからなくなっていた。その時夫婦は離婚したり一騒動があったからだ。そんなところに巻き込まれたら大変だった。子供をどうするとかなんとかもめにもめたのである。その時娘は中学生だったからだ。それでともかく娘は大変な苦労をした。ただもともと遠いから向こうの親戚でやってくれるばかりだと思ってかかわっていなかった。兄もそういうつもりだった。ところが離婚したりして兄が一人になり運送会社に勤めた。そこで交通事故になったのだ。その後始末が思った以上大変だったのだ。墓を運送会社で作ってやると骨を母親によこさず延々と責めてきた。代理人になりたくて責めてきたのだ。そんなとき弁護士に頼んだが弁護士は裁判になるわけではないから実際はたいして役にたっていない、ただ百万とか払った。保険会社の人がなんとか運送会社と交渉して書類を書いてもらった。書類を書かないとかこちらでも弁護士をたてるとか大騒ぎしていたからだ。それがどうしてなのかのみこめなかった。そのときもやはり保険金が欲しくて騒いでいたのである。でも運送会社には金はおりない、だからそうそうに骨をひきとってくださいで簡単に終わるはずだったのである。


そうしてやっと実家の墓にうめた。実家といっても今度はその家もないのだから困った。一応まだ実家の系統の人が残っていたので許可を得て実家の墓にうめた。でも今になると骨とか死者とかかわることも大変だなと今になって気づいた。
実家の墓に埋まっているのは兄だけではない、実家の一族が埋まっている。その長男が「墓を守ってくれ」という遺言を残して姪にあたる人に3百万残して死んだ。その実家の長男だったのでそういう家を残したいという思いがあったからだろう。それで自分は地元にいたので墓を直して作った。
でも姪は福島市にいたので墓作りにはかかわらなかった。今になると簡単に墓のことを考えすぎていたのだ。そのあとの維持が墓はあまりにもめんをとだったのである。でも何でもあれ個人の遺志が尊いと思って墓を直したのである。墓参りをしたり墓が問題になる。墓が簡単に捨てられない壊されないというときなぜなのか?そこには死者が一つの墓という物になって定着して動かないものとなっているからだ。死者といっても普通は骨になり灰になったらもうどこに行ったかもわからない、それならかえって楽だろう。一つの墓という石の物体に納まったときこれを簡単に動かしたり取り除いたりできないから困るのだ。それは跡継ぎのない墓が今相当に増えてくるのも問題なのである。
墓の跡継ぎがないことは無縁化するのだがそれにしてもそれを簡単に取り除くことができないから管理する市町村でも困るのだ。自分には身内が死んで自分だけが後始末をさせられるようになった。

兄のこともそうである。近くにその娘でも住んでいれば別だが東京に住んでいてこっちのことは何ら関心がない人である。もちろん自分のことなどばしちゃんでも赤の他人と同じなのである。一緒に育っていないから親しみもないのだ。だけど兄の墓はあり自分が墓参りしなければならないしその後始末をまかせられる結果になった。それは自分の家のことでも墓でもそうである。跡継ぎがいなかったら無縁化するとか心配する人が増えた。いろいろな所で跡継ぎ問題があった。


自分はやはり兄だから骨をもってきて墓に治めるのは別に大変なこととも思っていなかった。それは当然のように思っていた。しかし墓というのは実際は相当にやっかいなものである。墓という石化した物体は死者が宿るのだから簡単にとりのぞくことはできないし墓参りを欠かすこともできない、それは別にいいとしても実際は跡継ぎがいなければその重い石化した物体が死者と共にその霊と共にありつづけるとしたら他人ですら簡単に無縁化して捨てるわけにはいかない、無縁化してもその無縁仏を祀っていることでもわかる。人間は焼かれれば灰になるあとに何も残らない、しかし墓になれば物体として死者は残りつづけるのである。墓のない死者も多いがそれらの人は架空のものとなり具体的なものとしてはない、有名人をのぞいては何もなくなる。墓がある限り死者は物体化した墓と共にこの世にありづづけることになる。これも一面結局やっかいなことだなと思った。そんなに後の人が供養し続けることが少子化ではむずかしくなるしめんどうになる。一代くらいだったらできるけど次の代はもうつづかないのである。


死者の問題は別に個々人だけではない、例えばいつも問題になる靖国問題に象徴されているのだ。3百万人以上の人が戦死した。その死者についてどうすればいいのか、そんなものなかったとかもう忘れようとかならない、それだけ死者の問題が重いものとしてのしかかっているのだ。なんらか供養しなければならないから天皇中心にして国民が供養しつづける行事を行っている。それをやめるわけにもいかないのである。他国から犯罪人を神と祀ってどうするのだと批判されても日本国民からしたらそんなことにはならない、やはり日本のために死んだ人たちとなるからだ。個々人でもそうだが死者とは一見簡単に死ねば忘却され消えたように思うけど実際は違っていた。死者は簡単に消えない、今度は逆に死者が生者を凝視しつづけるという恐さがある。

死者はもう愚かな時の生者とは違う、何か恐ろしいものに感じる。死者の祟りだとか畏れのはわかる。怨霊となっているとか恐れのもわかる。確かに死者はそうしてみんな簡単に灰になって消えた訳ではない、死者は現実のこの世になおかかわりつづけているのだ。それを象徴的にしたのが墓だった。墓は簡単にとりのぞくことができない、また供養を欠かすことができないのだ。墓としてある限りそうなるのだ。そこに墓の重みがあったのだ。だからそもそもみんな簡単に墓を作りすぎるということもある。墓を作るとしたらあとあとの問題が重い責任としてのしかかっているのだ。なんか立派な墓があるけどそんな墓を作ったら後々の供養も維持も手間がかかるものとなる。だから墓は本当はそうした記念碑のようなものであり特別なものでり誰でも建てていいものだったか疑問になる。その維持と継承が大変なものになってることがわかったのである。

残される記憶、記憶される物(詩)

http://musubu.sblo.jp/article/25679315.html

確かに墓はこれとにている。簡単に捨てられなくなる。ただ今になるとみんなそれほどの生の重みをもっていたのかともなる。
みんながそんな生の重みをもったとしてらこの世の中墓で身動きできなくなる。
墓はだからそんなにみだりに作るものでもなかった。後の始末がやっかいなのである。

2013年06月26日

金は思った以上に公平に分配されるものなのかも (金の総決算も還暦をすぎるとやってくる) 金は思った以上に公平に分配されるものなのかも (金の総決算も還暦をすぎるとやってくる)

 

金は思った以上に公平に分配されるものなのかも

(金の総決算も還暦をすぎるとやってくる)


●金の貸借表も偽ることができない


死んだ人はもう死んでいて何の力もないと思われる。でもそうでもなかった。前にも書いたけど兄が死んだのは20年も前になるしいろいろ事情があっても今頃金についてまた兄のこと思い出した。
「母の金の半分は自分がもらえる」と言っていた。それは確かにそうだった。ただ20年もたって忘れていた。でも最近母の金を自分で手にしたときまたそのことを思い出した。そしたら意外とその言葉も重いものだったとことに気づいた。別に死んだのだから自分のものにしてもいいしそれをとがめる人も今はいない、でも何か兄がそう言ったので自分だけ使うのに心がとがめたのである。おそらくもう別に自分が全部もらっても誰もそれをとがめる人はいない、いろいろ事情があってもそれを知る人もいないしとがめる人もいないからだ。ただ娘がここ何年かつきあいができてそのことを考えた。
音信不通だから関係ないと思っていたが6年前から家にも来たので考えるようになった。
その娘には孫もいるし高校に入るので金がかかると言っていたのでそのことで兄からの金だといえば兄もうれしいし娘も孫も喜ぶかと思った。しかしまたそこにはいろいろ問題がある。


ともかく金でもめるのが人生であり金にはじまり金に終わるというのが今では人生となっているような時代である。あと何年生きるのか金次第だとかなるか医療費もかかるから病気になったら金がないと治療費がないと生きられないと早く死んだ人もいた。これも金で助かる命も助からなかったとなる。老後でも長生きになれば金が必要になる。それで年金でもめることになる。最低で10万もなければ生きていけない、それだって今の時世ではむずかしい。何か還暦をすぎると金でも貸借表が明確にされ決算が迫られる。金の面でも決算が迫られる。借金を隠して事業の成功者を装っていた人も嘘つけなくなってくる。不摂生した人は病気になりやすいとか健康の面で現れてくる。それでそんな不健康な生活をして60代くらいで病気になるのはその人が悪いしそんな人に保険料を払わされるのはごめんだという政治家もいた。


事業で借金した人も見栄を張り無理をしすぎためである。別に質素にやっていればそうはならなかった。病気になったから借金したとかではない、成功を装い見栄を張り借金をしていたのである。そういうツケが最後に逃れようなく払わされる。最後はそうした借金でも人生のツケが支払わされる。それは誰にでも起きてくる。自分も全くそのツケを支払わされた。
ここ6年の苦しみはそうだった。別に悪いことを特別したからでもなかった。成り行き上そうなってもやはりツケを支払わされた。苦が楽の元というとき苦しい人生はあとで楽な人生になる。

だから今苦しいなと思ってもがまんしていれば後で楽になる。今楽をしているとあとで苦しくなる。だから苦しいから嫌だと苦しいことをさけていると後で苦しみをさけられなくなる。いろいろ事情があるにしてもニ-トなんか今はいいにしてもあとで苦しくなるのだ。ただ人生は目先のことに追われ
長い目で見れないのである。今ここで我慢して何がいいことがあるんだとはならないのである。今がすべてになるからである。

ともかく楽ばかりの人生はほとんどない、一見恵まれているようでもその恵まれたことが楽なことが仇となり最後に苦しむことにもなる。人生の貸借票が還暦をすぎるときっちり具体的に現れる。金もそうである。借金しか残っていないというときはやはりその人生の総決算が現れたともなる。最後に人生の総決算となりいいことも悪いことも現れる。


●金の分配も公平な面がある、その管理は神がしているのかも


金は運だと前に書いた。fortune(運、財産)だったと書いた。しかし意外と金は公平に分配されているかもしれない、金なんか不公平だよ、濡れ手で粟でもうけるものもいるじゃないか、株などでもそうだよ、公務員はもらいすぎだよ,手厚い社会保障あるじゃないかと不公平ばかり言われる。
でも何か金というのはごまかせない正直なものでもある。濡れ手で粟と言うのは別にして一億円とか以下の金については公平化もしれん、大金持ちはこれは普通の人には計れない金でありイメ-ジすらできないのだ。なぜそんなに金があるのだとその生活すらどういうものなのか知り得ないのである。だからそのことについてはいろいろあっても書けないのである。例えば一千万くらいの金だと何か公平に分配されているように見える。母の残した金はそもそもどういう金かと言うと国民年金保険だった。これは2万5千円だけど一銭もかけていないのだから無料でもらっていた金だったのである。
35年前頃もらったのは一銭もかけなくてもらっていたのである。それで35年も積んでいたら一千万とかなったのである。だからそれは国民の税金をためた金だともなる。だからこの一千万は誰のものかとなるとその財産をもらう親族のものとは限らない、国民のものだったともなるからだ。
その金が全部親族にわたるというものも不公平にもなる。法律では遺産が親族にわたるのは公平でなくても法律上の規則として平均的に過ちがないものとして決めたのである。だからそこにも不公平がある。

自分が経験したことでは何か奇妙なんだけと公平だったのかもしれないと今は感じている。一部は不正であり刑務所行きの犯罪者が盗ったとしてもそれまた変な話だけどうにもならなかったのかとさえ思う。ただこれは犯罪だから責められずにはいられない。他にも金は消えたがそれは公正なものではなかった。だからどこかのプログで書いてあったがそういう不正に金をもらっものや得たものは必ず返還を要求される。その本人が知らなくてもそのツケは払わされる。他者の取り立てが過酷なものになり請求されるとか書いてあった。金は意外と人間が管理しているようで神が管理しているような所もあるから公平な面も明かにあるのだ。不正な金で本当に金持ちになるのは無理だろうし良心の呵責を感じるだろう。何らか分配すべき金だから分配しないと何か悪いことが起きてくるともなる。
金は欲しくてもみだりにそんなに大金をもてるようには思えないのだ。確かに遺産などがあるがそれももめるし災いの元となり独り占めにはならないのだ。


●民主主義の平等原理がかえって不公平にした


金は遺産でも親族に法律で割り当てられるのは不公平である。まず兄弟で平等にしたのはかえって平等でなくしたのである。なぜなら実家をになう人はそれなりに家を維持するために財産も必要であり農家では田を分割したらやっていけなくなる。実家はまた墓の管理などもするし兄弟でも違った役割が昔からあった。だからそれを否定したことはかえっていろいろな問題を引き起こす元となったのである。つまり長い歴史で受け継がれたものを否定すると必ず何か問題が起きてくる。長子が重んじられたのはこれはどこの国でも同じであり何か意味があったのである。民主主義がそういうものを古いものとして否定したとき一見平等に見えても不平等にしたのである。戦後の民主主義は何かそうした古いものあらゆる面で否定してしすぎたのである。


例えば介護でも実際に介護している人が多くもらえないというのは変なのである。兄弟で何もしない人が平等にもらえると言うのはかえって不公平なのである。介護してくれる世話してくれる人がいれば他人でもその人の財産を得る権利がでてくるのだ。それを自覚しない人が多すぎるのだ。自分の経験では全く何もしないのに遠く離れたところから金だけを要求してくる。近くの人でもそういう人が多い。そこで親戚関係でももめる。遠く離れて介護でもなにもしない兄弟はそんなにもらう権利がないのである。介護は結構大変だし何もしない人が財産を得るのは不公平なのだ。例え打算でも介護している人はもらって当然なのだ。まず水一杯も運ばない人が財産の権利を主張すること自体おかしなことなのである。自分が経験したことは何もしない人がただ金の要求、権利だけを主張してくる。

戦後民主主義の弊害も大きかった。権利だけを主張してやることをやらない人が増えすぎたのである。それはあらゆる面でそうだった。だから犠牲的精神とかはなくなった。相手を犠牲にしても自分は絶対に得をするということしかないのである。金にならないこと絶対にやらない、人だけ助けもしない、自分の場合、得することであり金になることでもやってくれなかった。そんな人がどうして商売でも成功するのだろうか?人からしぼりとることしか考えて考えていないとしたら成功するはずがない。やはり戦後の民主主義がこうした人間を作ったのである。それはまちがった民主主義教育だったのである。