2013年05月29日

相馬藩山中郷(飯館村-葛尾(かつろう)村)などの天明飢饉の影響


相馬藩山中郷(飯館村-葛尾(かつろう)村)などの天明飢饉の影響

天明三年、嘉永元年中村藩検地石高表収納戸口等調


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これは相馬藩の山中郷の検地の石高表である。山中郷は葛尾(かつろう)村も入っていたし津島も入っていた。玉野村も入っていた。面積にすれば相当に広い。

1744延亭−1781天明−1847嘉永-37年間と66年間に生じた飢饉の結果の数字である。戸数がどれだけ減ったかが数字で明確に現れている。この数字から読み込めるものが相当ある。

ただ数字だけだから具体的内容はわからない。それにしてもやはり減り方が尋常ではない。

飯館村とか葛尾(かつろう)村などが歴史がないようでも意外と古いのである。だから落合村に明暦と元禄の碑があったことでもわかる。外からも何か原発事故で注目されても歴史ある古い村だという認識がない。地元の人でも意外とそう思っている節がある。飯館村でも葛尾(かつろう)村でも古いのである。だからやはり村かなくなればそれなりに古い歴史の積み重ねも消失してしまうことになる。


時間的には延亭から嘉永までで約百年の間に飢饉の影響があった。百年というと相当に長い。一気に人口が減ったわけではないのだろう。その間に徐々に減っていった。原発事故のように町民全部が避難するようなことはなかった。一軒一軒とか時間をかけて減っていったのだろう。なぜなら百年とすれば相当長いからでてある。なんとか飢饉をしのいだ家もあったがどうしても成り立たなくなり他に移ったか消えてしまった。


ただ地域によってその人口の変化は違っていた。表で見ると玉野村や落合村や野川村はさほど減っていない。それはなぜなのか?おそらく葛尾(かつろう)村の田畑の面積を見るとずいぶん少ないと思った。あそこは山が多く平地が少ないせいだったのだろう。飯館村は結構平地が多く田んぼも畑も広くあった。葛尾(かつろう)村は耕作する平地が少ない、落合とか野川とかは川沿いであり急な坂になっていた。もともと平地が少ない所だった。自分の父親が出た小出谷(こでや)は小出屋であり出小屋として住んだ所である。それも後ろは山であり前は小出谷川であり平地がほとんどないのである。
そういうところでどうして暮らしていたのか不思議である。

でも飢饉の影響が少なかったのはなぜなのか?それは山には山の幸が山菜とかあってそれでしのいだのかもしれない、飢饉になると山に逃れたということも聞く、山には最低限でもしのげる野草などがあったのかもしれない、それと山林が多いから燃料には事かかないことはあった。山はもともと自給自足の時代は薪は豊富だしそれなりに豊かな面もあった。だから落合に明暦と元禄の碑がありあそこは古くから開けていた。玉野村とかもそうである。玉野村も木材資源が豊だからそういう方面で良かったのかわからない。それほど人口がへっていないのである。

川俣町が耕地面積がこれだけ少ない、それで絹織物で養蚕業を産業にして栄えた。
そうでなければこれだけ少ない耕地面積であれだけの人口は養えなかったのである。

ただ津島がなぜ極端に減ったのか? これは何かありその辺はわかりにくい。

平均してやはり三分の一は減っているだろう。十軒あったとして三軒へっているとなるとやはり影響が大きいだろう。ただこの天明の飢饉は延亭から嘉永まで百年の間に徐々に進行したのであり一気に人口が減ったのとは違っていた。百年といえば長いのである。原発事故でも放射能汚染は30年で半減するとするとそうした長い時間で考えれば飯館村の復興もありうる。ただその時は農業林業中心の社会だからなんとか土着して生きようとする。でも現代になるとそもそもそうした一次産業は苦しい中でやってきたから違っている。

今この飢饉のことが注目されるようになったのは津浪や原発事故で苦難を強いられたからふりかえるようになった。この時相馬藩の人口は三分の一に減り越中からなどの移民で建て直したのである。

それ以来の最大の危機に直面している。ではこの飢饉のときと津浪原発事故と比べるとどっちが苦しいかとなると比較もむずかしいがやはり飢饉のときの方が苦しかった。なにしろ食うものがないということほど苦しいことはないだろう。原発事故でも住む所はあるしかえって食べることは贅沢しているのだからその点は比較にならない、ただ故郷自体を失うということは想像もできないことであり
それはかえって精神的には苦しいことかもしれない、ただもし百年とかの時間を考えれば放射能汚染からも立ち直れる。今ではそんな時間の余裕がないとなるからまた違っている。

つまり農業とか漁業とか林業で暮らす時代でないからそうなっている。
みんな会社員なのだから土地に執着する必要がないからこそかえって町や村は捨てられるとなる。

そして捨てられた村や町は元の自然にはもどらない、その土地は国が買い上げれば放射能処理場にされるしまた他のよからぬものも入ってくる。そのことは飯館村や双葉町とかだけの問題ではないのだ。自然は相馬藩内ならつながっている。飯館村から水が流れてくるのだから放射能汚染された土や水も流れてくる。核の廃棄物処理場になってもやはり同じなのである。地理的に近いのだからどうしても自然の影響はまねがれないのだ。そもそも放射能汚染は広域的だったのである。

一地域の問題としてすまされないものだった。だから中通りまで放射能汚染されたのである。
飯館村の土地をかってに個人の土地だから売った方がいいというのも問題である。なぜなら核の廃棄場になったらやはり中通りでも影響するのである。勝手に自分の土地だから高く誰にでも売ればいいですまされるのか?そしたらまた原発事故のように勝手に金になりさえすればいい、もう飯館村は関係ないでいいのか?そうして放置された村は核の廃棄場に一番適したものとして売られることになる。それは回りにも広範囲に影響するのである。




 
posted by 老鶯 at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)