2013年05月28日

相馬市の菖蒲 (苦難で自覚された-城跡は相馬藩の収斂する場)


相馬市の菖蒲

(苦難で自覚された-城跡は相馬藩の収斂する場)


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城跡に菖蒲の花の色深む誰か訪ねむ相馬の街を

代々の相馬の殿のここにあれ災い重さなり思い深しも

飢饉ありその碑の一つ重きかなあまたの苦しみここにこもれり

相馬の城跡はやはり相馬藩の歴史の思いが収斂する場所である。今回の津浪原発事故では特にそうなった。相馬藩崩壊の危機にさらされたのである。そういう危機は過去にもあった。天明の飢饉とかでは相馬藩の三分の一の人口が消失した。その傷は深いものだった。今になれば一つの飢饉の碑になって忘れられているがその碑の一つにそうした苦難の人々の怨念がこもっている。
それを自覚したのは今回の津浪原発事故で特にそうなったのである。街自体がなくなるということなど想像すらできなかったからである。三分の一の人口が減ってもなお相馬に住む人はいた。
人口が減ったから越中を中心に移民をつのりその人たちが支えて相馬藩が維持できた。
そういう危機を一番感じたのは相馬藩の殿だったとなるのだろう。

その時と比べればこれだけの事故でも南相馬市とか相馬市範囲だと人口は三分の一までは減っていない。ただ浪江とか双葉、大熊などが町自体が消失したということは飢饉より痛手だった。
もはやそこは住む人がいないのだから立ち直りようもなくなった。
三分の一が減っても三分の二が残っていれば復興はありえたのである。

ただ相馬市は津浪の被害だけにまねがれたことが救いだった。そして現代では別に飢えることはない、飢えることは原発事故より厳しいものだったろう。人の肉まで食うとかなると想像を絶する。
原発事故では避難した人もかえって金が入って贅沢さえしているからうらやまれている。
飢饉は現代からしたらもう想像を絶するものでありその苦しみをしりえようがないのである。


相馬市は田植えもしているし普通と変わりないなと感じる。南相馬市から田んぼがないからやはり何か荒廃していると感じる。でも食糧に困ることはないのである。バチンコやギャンブルで遊んでいる。東京まで行って競馬もしているというからあまりにも飢饉の時とは違いすぎるのだ。
東北でも貧乏であり米が不作のときは娘を売ったとかあった。そんな苦しいこともないのである。
部屋が狭いということあるくらいである。そこに津浪の被害の人との差が大きいからもめる。
同じ仮設でも相当な差なのである。


結局回りが田んぼでも全体の経済からすれば一割にも満たない、むしろ火力発電所とか南相馬市にも相馬市にもあるからそこで雇用される経済効果の方が農業や漁業より大きいかもしれない、原発はそれ以上に大きかったのである。農業とか漁業は跡継ぎがなくてつづかない、誰もやらないとかなって大原では三軒廃屋になっていた。そこに放射能汚染が大原では大きいからもう誰も農業はやらない、跡継ぎもいないから放置されて補償金をもらった方がいいとなっている。


自分は何か農民の生活とかには興味をもつ、原町の高平の写真にだした農家は蔵があり庭が広い。
すると何か見ているだけでゆったりしていいなとなる。別にそういう家に住まなくてもそういう家があることが田舎であり豊かさであった。都会の隙間もなく密集している所には住みたくないのだ。
あういう所に住む人の気持ちがわからない、それがいいと思っていたのは大学四年間だけだった。
あとはあんなところに住みたいとは思わなくなった。田舎の方がずっと豊かな生活だったのである。ただその田舎も実際は農業とか漁業とか林業で生活が成り立っていなかった。
会社中心であり双葉町などは東電に依存した東電村だったことが事故でわかった。
そこに田舎の矛盾がありそれが事故で露呈したのである。

菖蒲というとき菖蒲は紫の菖蒲のことである。黄色のは黄菖蒲としなければならない。菖蒲は文目からきているとすると水辺に咲くアヤメのことではなかった。乾燥した所に咲くのが文目でありその模様から名づけられた。でも今は菖蒲は水辺に咲く菖蒲なのである。だから単に菖蒲としたときは紫の菖蒲なのである。白い菖蒲もあるがそれも白菖蒲とせねばならない。
相馬市は何か菖蒲とかにあっている。しんみりとしているから花が映えるということがある。あまりにも大きな都会になったら騒々しくて花が映えないのである。どういうわけか原町は明るい色の花があっている。ひまわりとかタンボホとかチュ-リップとかがあっている。その感覚は外から来てはわからないものである。のことは何度も書いてきた。


神山や太田の沢の3かきつばた深き頼みぞ色にみゆらむ 藤原俊成


「頼みは」期待ではなくて神への帰依、信仰心の意、
賀茂の神への深い信仰心があるからあのように濁りのない、清らかな紫の色にさくことができるのですね
(京都のうたごよみ-松本章)


花をこういうふうに見るというのは一つの信仰心だったという。そこに花を見る深い心があった。
それは万葉集時代からあった。平安時代にも宮廷に受け継がれていた。まつりごととして花もあったのである。自然に対する畏敬がまだ残っていた。だんだんそれが失って美的なものとしてのみるようになったのである。

相馬市の神社には藤の花が咲き白いツツジが咲きそういう雰囲気がある。神苑という感覚がある。
花は神苑に咲くべきものである。だから穢れをつつしまねばならないのだが実際はすべては観光の地となり遊興の場となりけがされたのが現代の大衆化時代だったのである。大衆がどやどやどこにでも踏み入り聖なる地はけがされたのである。大衆は今や同情する対象でもなくなった。あまりにも権利意識ばかり表にでる、対等を主張するものとして傲慢になってしまったのである。

大衆の欲望のままに社会は操作される。原発事故もそうだったのである。
いかにこの辺でも欲望が強いから原発を積極的に誘致したということもある。
浜通りの人間は欲望が強いというのは本当なのかもしれない、一般的にそうなっているにしろそういうものがあったから双葉町などは特に批判されている。
その点飯館村では東電から補助金などもらっていたとは思えない、それはデマだったのだろう。
インタ-ネットはデマにまどわされるのが問題なのである。
所得も福島県では一番低い方だったからである。
双葉町とは対象的な村だったのである。