2013年05月24日

家事の機械化の意味するもの (人を雇うのはめんどうすぎるから機械化になった)


家事の機械化の意味するもの

(人を雇うのはめんどうすぎるから機械化になった)



私なんて専業主婦なのに家事が嫌いです(爆)
もう19年にもなるのに・・・
嫌いだし正しいやり方かどうかも自信がなくて、
娘4人もいるのに家事を教えることができません。
こうして家事ができない女が増殖していくのです。

あまりのダメっぷりに、夫はいろいろ機械を導入してくれました。
機械のほうが信用できるそうです(私の信用ゼロ!?)


高齢者です。
やらなければいけないから仕方なくやってきました。

特に料理、なんで人間は一日に3回も食事をするのか
それも365日延々と続く。
せめて3日でもいいから家事から解放されたら、などとも
思いましたが夢のユメでした。


私たちの子どもの世代では、子どもを持たない割合が38%、孫を持たない割合は50%になるだろうと言われている。家族で支え合うことが難しくなるということです。

 その結果、世帯構成が変わり、例えば一人世帯が増える。ならば、どうするか。生活の中での効率化という視点が意味を持ってくる。人がするべきことは人がするべきですが、人がものとかかわるような場面で、人でしなくてもよいことは機械がやればいい。そうすることで、さまざまな負担が軽減できるようになるわけです。
http://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=001539


●女中は戦前は家事手伝いとしてあったから抵抗感がなかった
 
PDF1

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女中というのは戦前までは女性が経験するものとしてあった。それは嫁入りの修行とか単に賃金をもらうだけではないメリットもあった。家の中で働くことが若い女性の働き口であった。そういう社会では女中であることはめずらしくないし女中を雇うことも抵抗がない、一つの歴史として文化として女中という仕事があった。それはどうしても家事が機械化されていないから骨の折れる労働になっていたからだ。洗濯自体が洗濯機がないとき洗濯板でごしごし洗っていたのだからその労力は大きなものだった。家事自体が女性の仕事の大半をしめていたのだ。だから若い人は結婚前の女性は嫁入り前の仕事として女中を選ぶことは社会慣習としてあったのだから雇う人も雇われる人も抵抗感がなかったのである。


戦後は社会が急速に変化した。家族は核家族化して大家族が消えていった。高度成長時代になり人手不足の時代になった。そこで若い女性は工場労働者となったり働き口が増えたのである。それで家事に手が回らなくなり家事は機械化され外注されるようになった。
オカズも惣菜屋とかでまにあわせて家事は洗濯でも掃除でも機械化した。女性はその分外で働き稼いだ金で電化製品を買うようになったのである。
機械化というとき別に家事だけではない、あらゆるものが機械化がどんどん進んだのが戦後でありそれは今なお継続中である。もう理想はロボットで家事をやってもらうことなのだ。介護でもロボットにしてもらいたいという願望があり開発されている。結局こうしたあらゆるものの機械化は何を意味しているのか?


雇う側からすれば個人の家だろうが会社だろうが人を雇うことほどめんどうなことはないからである。特に家の中で働いてもらうことが一番めんどうなのことなのである。そのことが後進国の人がフィリンピンであれ手伝いとして雇用されるがそこで問題が起きる。
日本でもアジアなどの後進国でどうしても人を家事のために雇わねばならないから問題が起きる。この世で人間ほどめんどうなものはない、人間は使う方から見るとどれほどめんどうなものか?
機械化する原因はやはり雇う方にすると人間があまりにも要求が多くて仕事させるのがむずかしいからである。

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https://www.gcoe-intimacy.jp/images/
library/File/working_paper/New%20WP/
WP_NextGenerationResearch_11_YAMAMOTO_s.pdf


家の中で働いてもらうには機械のようにはいかない、いろいろと気を使うし信用もできないからさらに疲れる。戦前のように嫁入り修行だとかモチベ-ションがあればいいが今は賃金しかないから余計に気を使う。そして人間と人間の信用関係は長い時間がかかる。すると何かしてもらうには機械の方が便利だとなる。それが人間が機械化する大きな要因でもあったのだ。


別に今家族の中で働く人手がたりないということではない、働ける60代の人が相当にいる。でもその人たちはゲ-トボ-ルとかパ-クゴルフとかして働かない、原発事故地帯では働ける人も補償金もらっているから働かない、そういう働けるのに働かない人も今の時代は膨大になっているのだ。いくらそういう人がいてもその人たちは金があれば無理して働かないのである。それでますます機械に頼る生活になっている。電化製品はそれで実際はますます必要になってくる。料理するにはガスよりIHヒ-タ-が便利である。安全装置があり今度は自分も安いのを買うことにした。ガスだとガスを消すのが忘れやすいのだ特に自分の家は台所と食事するところが離れている古い家だから特にそうなのである。だからなんとか家事をやりやすくするために機械に頼らざるをえないのである。いろいろ験してみたがおかゆメ-カ-は使えなかった。機械も使いこなすのがパソコンのように馴れるまで結構手間がかかるのである。


●時間給とか人生の時間を切り売りしたくない


ともかく人間は一つの機械のように部品のうよに使えないめんどうなものである。人を使うということはその全人間が問題になってしまう。それを無視して派遣だとかアルバイトだとかパ-トだとか一時的に便宜的に人間の時間をさいて働いてもらうのはそれは雇用主側の要求でそうなっているのだろう。人間はそんな時間を切り売りするような働き方をしたくないというのが普通である。人間は時間ほど貴重なものはない、その時間を部分化され賃金のためにパ-ト化されるのは人間を無視していることなのだ。ただ雇う側からするとどうしてもそんな全人間を相手にするようなことをしていられない、便宜的に効率的に安く雇いたいとなる。それで今のような人間の時間を人生を切り売りするような労働形態が生まれたのである。だからこそ雇用する側からすると人間より機械の方がいい、いっそうロボットの方がいいとなる。現実的にパ-トとか派遣とかアルバイトとかの雇用は人間のロボット化なのである。現代の雇用形態自体が無数に部分化した労働になっているのだ。そこから人間疎外が言われるようになったのである。ス-パ-でも労働力不足になると自分で機械を操作して計算してカ-ドで金を払うとか自動化する。それは雇い主のためというより客のためにもなる。そうして労働力を省けば品物のコストが安くなるということもある。


労働は雇う側と雇われる側ではそこに大きな溝があり埋められないのである。実際は雇う側も雇われる側も一体化する、区別がないような労働形態が理想でありそういう会社を小規模ながら目指している所が紹介された。そもそも一時間いくらとか時給制という働き方自体が人間を無視したものである。人間を雇い主の都合によりロボット化機械化したものなのである。それより戦前のように雇う人も使用人も一つの家族のようになっているのがかえって全人間的な働き方だったかもしれない、現実に一つの墓に使用人の名前が記されている所が一緒に墓に埋められているのがある。それは墓まで一緒だったとなりそれなりに家族のようになっていたとなる。ただこれもいろいろな見方がある。そんなものは一方的に奴隷のように地主にでも働かされたのだろうとかともなる。

ロ-マ帝国のような奴隷制でも結局人間を奴隷として扱うことはできないからこそ主人と奴隷でも人間的なものが生まれたし奴隷制は廃止されたのである。現代もやはりロ-マ帝国のように露骨ではないにしろ社会組織の中で奴隷制が生まれているとも言える。それで働くこと自体に抵抗を感じるから働かない人もニ-トなどもでてくる理由にもなる。もし働くことが自らの価値観で自ら求めてその働くことに満足するならいいがほとんどの人は満足していない、自分は奴隷だよとなっているから問題があるのだ。ただこうしたことは何千年前から継続された人間の問題であり簡単に解決しない、その解決方法として機械化がロボットに労働を代行してもらうということになったのである。


 それにしてもあまりにも機械化された結果、農家でも昔は村のもの総出で田植えとか稲刈りをしていたときそのとき協働することで連帯が生まれていた。今でも家族総出で田植えしているときそういうものを感じる。大家族で労働しているとき協働しているとき家族の連帯も生まれたのである。
つまり労働を通して家族のつながりや地域のつながりが作られていたのである。
労働は単に便利になればいいというものでもなかったのである。だからいくら人間の労働を機械化してもロボットにしてようとしてもそこに必ず欠けたものが生まれ矛盾が生まれる。
何でも便利に使用として機械化しても何にしても人間はうまくかないものなのである。
どんなことしてもすべてを機械に代行することなどできないのである。


 

posted by 老鶯 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題