2013年05月23日

株も運なのか? (財産は努力しても得られない、fortune(財産)は運である)


株も運なのか?

(財産は努力しても得られない、fortune(財産)は運である)


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●財産は運(fortune)


fortune
身代, 運, 幸, 資産, 資財, 福徳, 富, 富み, 吉凶, 昌運, 運勢, 幸い, 財産, 盛運, 幸運, 好運, 好事, 身上, 運気, 財, フォーチュン, 産


Fortune
運命の女神.


印欧語根
bher- 運ぶこと、実行すること、または、子供を産むことを表す印欧語根。語幹fer(offer, transferなど)の由来として、運ぶこと。他の重要な派生語は、bear, birth, peripheralなど。



みんな誰しも金が欲しくないという人はいない、毎日頭から金のことが離れない、では財産どうしてできるのか?こつこつ貯めてできるのか?それも無視できないにしろそれで財産を築けただろうか?
そういう人の確率はどれくらいあるのだろうか?というとき何か疑問なのである。
金はためようとしてもたまらない、もうけようとしてももうけられない、金はたまるのだと宗教者が言っていた。富とか財産とかが古来からfortune(運)と一体として考えられてきたのはそのためである。努力の結果として財産が築けるとは限らないから古来からfortune(運)の意味になっていたのである。もちろんこつこつとためれば金もたまる。高齢化でそういう例がある。年金一か月二万五千円もらっていた人が60から90まで使わずに30年間ためると30000×12×30=10800000になった。
高齢化社会だともう90まで生きている人がめずらしくないからこういう人も現実にいるということである。このことは逆に年金を長い間、払い続けなければならないから高齢化は若い人にとっては相当な負担になりつつづけるのである。これもやはり高齢化で生まれた金勘定だったのである。


ではこの人が財産家になっているかというとなっていない、生来がやはり貧乏性だったからその金もつまらない犯罪で失ったのである。振り込め詐欺のようなことで失ったりする。財産はもともとそんなふうにしてたまらないと思う。財産家を見てみたらそんなふうにしてこつこつ貯めて財産家になっている人は少ないと思う。身近でも財産家をどういう人がなるのか見ていたらこつこつと貯めて財産家になったような人は確率的には相当少ない、財産が入るのはやはり運(fortune)が多いのではないか?なんげあの人が金が入ってくるのか、さほど努力もしないのになぜなのか?そういう事例を近くに見ていないか?

 
それはこの辺で住宅の宅地区画整理でそもそも金がなくて家も建てられないような人が立派な家を建てることができた。それも広い土地が与えられたのである。それだけで何千万もかかっていたが自分では金は全然払っていなかったのである。そういう公共事業であり国から金が支払われたからである。これは全く運があってまさfortune(財産)が生まれたのである。道路などできるとそこに土地をもっていた人は思わぬ金が入ることがある。運は何かそうした外部からの影響があってなることが多い、語源が運ぶことにあるのもどこからか外部から運ばれるのが運でありfortune(財産)になるのである。商人が財産家になりやすいのは運ぶことによっている。運ぶことによって巨利を得ることがある。国と国の貿易が巨額の利益を得ることになるのもそのためである。


●こつこつためても金はたまらない


自分の一身上のことでも一時自分の家が商店を開いたときは繁盛した。そこで一財産築いた。今の家が建ったのもそのためである。ただその時はみんな小商店でも高度成長の波にのって商店街は繁盛したのである。それは小さな工場とか小資本の商売もみんな繁盛したのである。だからその時は自分だけの力ではない、富は日本全体に及んでいたからみんな財産を得たのである。所得倍増に本当になったのである。つまり富は決して自分だけでは築けない、その時日本全体の経済がどうなっているのか、昇り調子なのか下降気味なのか、世界全体ではどうかなどが関係してくる。富はそもそもどんな財産家でもその人一人で築けるものではない、だから富は公平に分配されるべきだというのも一理あるわけになる。富はどんなに能力があっても努力しても一人では築けないものになっているからだ。
現実には必ず栄枯盛衰がありある個人に家に富はとどまることがない、必ず個人でも家でも国単位でも富は移動しているのだ。そういうふふうに見るとき日本の富は限界に達して他の国移るのが順序だというこきともいえる。だからもう日本の経済はこれ以上伸びない限界説がでてくる。株ももちろん金融であげても上がらないとなる。


ただ富をえるために古来から諺(ことわざ)にあることは真理である。
「あわてる乞食はもらいが少ない」「せいては事をしそんじる」とかは今でも通用している。
結局株があがったからあわてて買ったということで多くの素人が損するかもしれない、そういうふうに仕組まれていたのかもしれない、株は素人はもうけられないという人もいるからだ。
株でなくても「あわてる乞食はもらいが少ない」「せいては事をしそんじる」とか普遍的真理である。金がない人はまたあわてる、余裕がないからあわてる、今金を得よう得ようとあせりかえって金を失ったりする。余裕がない人は失敗しやすい、仕事もできないのである。
バチンコやっている人と借金ある人とは経営者は組まない、採用しないというときそういう人は信用できない、余裕がないから仕事もできないのである。

まず相手のことを余裕をもって配慮することすらできない、絶えず借金に追われ頭にそれしかなくなる。相手のことを慮(おもんぱかる)余裕がないのだ。つまり相手がどうなろうとかまわない、自分のことしか考えられてくなるのだ。そういうふうに相手のことを慮(おもんぱかる)ことができないならビジネス自体成り立たないだろう。借金していると何か追いつめられているから犯罪者に近くなっているのが多くないか?


●自分が調子良くなったから株を買った


ただ今回株が上がったのも一時的であり金融政策の結果であり日本の経済が高度成長のように好調になったからとはならない。それでまた株が下がったともなる。高度成長のような好景気はもう日本には来ないのかもしれない、日本の富は限界であり他国に移ってゆくということもある。
それでも自分も今回また投資信託で株を買ったのはなぜか?

それはちょうど自分が5年前に投資信託を買った時期と同じだった。その時も株は1万5000円で上がり調子だったのである。それから下落一方になったのである。それは同じ傾向にも今もなっているのか?自分の運不運からみると本当にその苦しみをプログに書いてきたように苦難の連続だった。それは2006年からはじまっていた。株が下がり始めた時と一致していたのである。

その自分の不運や苦難は自分だけにはとまらなかった。回りが津浪の被害や原発事故などでこの辺は自分の苦難だけではない回りも最悪の状態になっていたのである。その時自分も病気になり一か月入院したり最近は手術して二週間入院したりと苦難の連続だった。その間二年間は身体障害者でありこれもふりかえると実際苦しいことだった。ただそうした自分の苦しいことで同情した人は一人しかいない、かえって火事場泥棒だとかいろいろ苦しいとき責められつづけたのである。何より健康でないことが苦しさを増したのである。


そしてその苦しみも継続中でも自分の健康が回復したことで楽になった。自分の状態が楽になった、余裕ができたということでまた株が上がっているということで投資信託で株を買った。5年間塩漬けであり放置したが株はまた上がるものだと思ったからだ。ただまた株が下り5年前と同じ下降線をだとるのか?それは自分の運命曲線からすると上がり調子だから株をまた買った。ただ投資信託は長期戦用だった。だから5年間で一回売っていないし放置していたのである。

自分がここで何を言いたいかというと自分の調子が上がり調子になった。だから余裕ができたから株を買ったのである。そもそも大学の経済学の先生が株だけはやるなと忠告していた。それだけ専門家でも株ではもうけられないのが多いのだ。専門家でも株はギャンブルなのである。
だから5年前と同じ様に下降一方になるのか?それは今回が自分が調子が上がり調子になったのでそうはみない。自分の運、不運があり運が上向きになった、つきがでてきたからギャンブルのようにして株を買ったのである。額はさほど大きくないからどうでもいいということもある。


 

posted by 老鶯 at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題