2013年05月21日

夏菊(デジカメで肉眼で見えないものが見える)


夏菊(デジカメで肉眼で見えないものが見える)

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この丘ゆかなた波しぶく夏の海

新緑の森のかなたや鹿狼山
森深く遠くにひびく夏の鳥
穏やかに日影に日がな藤の花
千輪の夏菊白し汚点なく
夏菊の大空仰ぎ伸び咲きぬ
三色のつつじや人の交わりぬ
涼しさや我が庭のありそよぐ風


夏菊の千輪白く風にゆれ一輪一輪喜び咲けり

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今日は川子の高台から海を見て森をぬけてイオンを回った。やはり今頃の季節が春から5月が一番気持ちいい。川子の高台はビュ-ポイントである。あそこはなかなか土地の人でないとわからないだろう。そういうビュ-ポイントは各地にあるが地元の人でないとわかりにくいのがあるのだ。あそこは松原がなくなり海が直接見えるようになったことが違っている。意外と海が直接見える場が少なかったのである。松原の影響で見えないことがあった。朝には白い波がしぶくのが見えた。

森の彼方には鹿狼山が見えた、写真ではぼやけていた。あそこから鹿狼山を見たのも始めてだった。意外と近くのことを良く見ていないのだ。低い山だけど鹿狼山はこの辺では目印になく山である。

イオンに行く川の土手に白い夏菊が一面に咲いていた。あれは見物である。デジカメで撮ったら
夏菊が大空に伸びるように咲いていたことである。これは肉眼で感じなかった。それからこの夏菊がみんな風でゆれていたのも見物だった。やはりデジカメは見えないもの見えさせることがある。
それもたまたま適当な角度から何枚もとると見えてくるのだ。別に計画して見えたわけではないのだ。
イオンでは三色のツツジがあざやかに咲いていた。


最近体の調子が良くなったしもっと遠くに出かけたいがなかなか介護でできない、それにしても近くでも見えないものがまだあることの不思議である。たいがい全部見たような気がするからだ。


藤の花の時期だけど日影に穏やかに咲いているのがにあっている。この6年間あまりにも穏やかでない生活がつづきすぎたのである。だから災いのなく穏やかにあって欲しいということがこの辺では切なる願いになってしまったのである。ただ一人でも病人とか介護している実際は穏やかではなくなる。

 


 

弱者を相手にする職業は権力を持つものは人格がゆがむ (医者、看護師、介護士、福祉関係の仕事)


弱者を相手にする職業は権力を持つものは人格がゆがむ

(医者、看護師、介護士、福祉関係の仕事)
 
家族が看護師から虐待、虐めを受けています。
詳しくは書けないのですが、当分の間、他へ移る事は難しく、
看護師の虐めを公的機関(役所、保健所、法ム省)に相談しても
何の対応もしてくれません。
弁護士に相談しても証拠がないから他へ移るようにと言われ、
困っています。すぐには移れないので。


このままだと家族が看護師から何をされるのか?と思うと恐怖で
なりません。家族にまで電話をしてきて意味不明な暴言を吐き
まくり、家族に対しては健康や医療行為を妨げる行為を
平気でしている看護師に対して厳しい処罰を施したいのですが、
何か良い方法ないでしょうか?
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1293579580/l50


医者と看護師を比べたとき医者の権力は看護師よりだんとつに大きい。それでも看護師が力がないかというと医者に対してそれなりに力をもっている。看護師に医者も協力してもらわないと仕事ができないからだ。病院では看護師の数が多いし看護師も結構力をもっているのだ。看護師の評判が悪い医者は仕事がスム-ズにできなくなる。


ではなぜこれほど医者とか看護師の悪口が多いのか?ここに明かに何らかの根本的な問題がある。
それは弱者を相手にすいる職業はどうしても人格がゆがんでくるということでてある。
医者とか看護師とか福祉関係は常に病人であり身体障害者であり精神的障害であれ弱者なのである。その弱者を相手にすることが人格を自ずとゆがめさせるのである。
医者と患者の関係は看護師でも普通の関係ではない、絶対的強者と弱者の関係になり強者に絶対服従の奴隷的関係になるのだ。そこに医者や看護師や福祉関係でもまた権力をもっているものは警察でも人格がゆがんだ人が多いのは相手を奴隷のように服従させることができるからなのだ。


普通の社会の人間関係は別に強者と弱者に明確に別れていないのである。ただ一般的に商売しているような人は常に客には低姿勢になっている。コンビニであれ小さな商店であれビジネスにたずさわる人でも客との関係で低姿勢になっている。ところが医者とか看護師や福祉関係は相手は病人だったり老人だったり身体障害者だったりと常に弱者を相手にしているから高姿勢になり謙虚さがなくなるのだ。ほかの職業は社会ではどうしても低姿勢にならざるをえないから謙虚さが自ずと身につくというより威張ることもできないのである。だから弱者を相手にするものは何らか人格に必然的にゆがみが生まれる。


自分が身内が病気になったりして自分も病気になり二回も入院してそのことを嫌というほど体験した。弱者になったとたんに人の態度はまるで変わってしまうのである。普通に差別があるしその弱みにつけこまれて火事場泥棒にあったり精神的にも虐待されつづけたのである。弱者に対して人間は同情するということもあるが逆に優越感にひたり虐待することもあるのだ。田舎でわかったことは「他人の不幸は蜜の味」ということがあからさまに現れるのである。都会では無関心だが田舎では狭い人間関係の中で露骨に人間の悪い性格が現れやすいのである。田舎では他人の不幸が楽しみになりやすいのである。


自分の親戚というものでもなかったが最初はわからなかったがだんだん虐待になってきたのである。二年間は身体障害者になっていたし相手がどんなことを言ってきても逆らうことができなかった。
自分が弱者になって相手が強者になったのである。それは医者や看護師と患者の関係とにていたのである。「お前は俺たちの言うことを聞かないならめんどうみない・・」とかなんとか入院しているときも恐喝してきた。もちろん相手も借金などで困っていたからそうなっていた。でも自分は病気であり身体障害者になっていたのだから相手のことを気づかう余裕がなかったのである。でも相手はそんなことをかまわないのである。一旦弱者になると人間の悪い性根が露骨に出やすいのである。
強者だったら低姿勢になっているが一旦弱者になると責めてくるそれが人間社会には常にあった。
まさに弱肉強食が人間の世の中でもあった。


いつも低姿勢の中で生きているのが大多数かもしれない、ただ医者とか看護師とか福祉関係や警察などは違う゛公務員などもそうかもしれない、常に上にたち権力をもつものとして威張れる。そこで性格がゆがんでくる。「俺は偉いんだ・・俺の言うことは聞け・・」とか一方的な強圧的な性格になりやすい、謙虚さがなくなる。一方いつも低姿勢で生きざるえない人も実は一旦権力をもつと高姿勢に変わる。いつも虐げられていた弱者として扱われていたから今度は逆に強者になったとき相手を虐待することがありうる。いつもいじめられていた人はまた強者になったとき弱者をいじめやすいのである。親戚の人はそういう人だった。いじめられていたから強者になったときいじめるということがあった。


そもそもそれは誰彼というのではなく人間性の悪質性がありそうなっていることがわかった。人間とはそういう悪質なものなのである。それが相手が弱者になったとき隠された本性が一番現れやすいのである。医者や看護師や福祉関係や警察官などは日常的にそうなっているから人格がゆがんでくるのだ。相手を奴隷のように扱いやすいのである。それが当たり前の世界になっているから当然その職業によって悪しき人格が形成されるのである。だから職業が人格を作るというときまさにその職業につけばそうなりやすいということである。


結局人間の歴史自体弱肉強食の世界だった。国と国同士も食うか食われるかの世界だった。今でこそヨ-ロッパが優位にたっていたけどヨ-ロッパ人の女性がイスラム社会に5ドルで買われていたという時代があった。まさにイスラム社会が優位にヨ-ロッパは辺境人だったという社会があったのである。それが逆転したのである。歴史でもそうだが強者がいつまでも強者ではない弱者に転落する。

アメリカがいつまでも強者ではない、必ず弱者にいつか転落する。個人でもいつまでも強者でありえない、そういうことをまじかでまざまざと見たら驚きだった。体も健康優良児で頭もいい人が認知症になってしまった。完全な弱者となってしまった驚きである。それはもう年とればみんな弱者に転落する。いくら大金持ちでも地位があろうが権力があっても体も頭もだめになって弱者に転落するのである。どんな人も弱者になるということである。例え金があっても高額な施設に入っても優遇はされない、福祉では施設では金持ちだからといって威張ることはできない、家族とは違うのだから金持ちも施設では虐待されたりするのである。悲しい末路だとか週刊誌にも書いてあった。金持ちはどうしても家族でめんどうみる人は少ない、金で高額の老人ホ-ムに預けられ弱者に転落するのである。


具体的に病院に入院した経験では南相馬市立病院と相馬総合病院しかないが相馬総合病院では一人の看護師に虐待された。泌尿器系統はどうしても汚すことがある。それをものすごい剣幕でしかられたのである。この点では南相馬市立病院の方が看護師は優しかったのかと思う。ただそこは医者が一人若いのしかいず患者を診る体制がなかったのである。相馬総合病院は三人もいたし回診も二回だから全然違っていたのである。ともかく一人でもそうした印象悪くする医者でも看護師でもいるとそのことが全体に影響する。だから南相馬市立病院の看護師はそういうことを一か月入院して経験していないから意外と親切だったなとふりかえるのである。それはあくまでも二つの病院しか知らないからそうなっている。一人でも印象が悪いと私的なものだが印象が悪くなるのも事実である。だからといって南相馬市立病院の看護師がすべていいとはならない,隣では特養の身寄りのない老人をオモチャのように扱っていたからである。ただ病院の評価は個々人で違ってくる。
一般的にはどうしても強者と弱者の関係でありそこからゆがみが生まれてくるのである。
その関係は正常な関係ではない、健康なものの同士のつきあいでもないから異常な関係になっているのだ。