2013年05月18日

災いの家(災いが災いを呼ぶ-原発事故被害市町村も同じになっている)


災いの家

(災いが災いを呼ぶ-原発事故被害市町村も同じになっている)


●寝たきりになりボ-タブルトイレから災いが・・・


災いの家ということで前にも書いた。自分の家は身内の一人が認知症になってから災いがはじまった。それからまた身内は高齢化して病気になり介護になり災いはつづいた。今回の災いも技術的なものであってもやはり介護状態になってベッドに寝てポ-タブルトイレになったから起こったことである。ポ-タブルトイレのたまった糞尿や紙を流そうとして水洗トイレがつまってしまった。結構紙がたまるからそれを一度に投げることができなくなっていた。こういうトラブルももともと寝たきりになりポ-タブルトイレになったこら起こったことである。それで昨夜はトイレにたまりつづけるのでパケツで出していた。水道の元栓を閉じれば良かったのだがきづかなっかた。意外とこうした緊急事態では簡単なことにも気づかないのである。その時一種のパニック状態になるから簡単なことに気づかない、冷静になればいいが水がどんどんでてくるので困った困ったとなりそのことに気をとられて気づかないのである。一回も水道の元栓をしめたりしない人は余計にそうである。一回だけ元栓をしめた経験があったので気づいたのである。ポ-タブルトイレに紙が多くなっていたのは小便でも利用していたからである。介護とかは思わぬことが必ず起きてくる。病気でもそうである。必ず災いが災いを呼ぶのだ。災いは一つでは来ない、いくつかの災いが必ず重なるようになっているのだ。

悪いことは重なる。良いこともそうである。病気になれば一つの病気だけではない別な病気を併発しやすい、死ぬと気になれば体中病気にな
ってしまうのである。

災いの家というとき別に自分の家だけではない、どんな宗教団体に入ろうが災いを逃れることはできない、そもそも人間は病気にならない人、老いない人はいない、とするとどんな家でも病人をもつ。すると必ずそのことで災いの家となるのだ。高齢化社会では必ず介護する家が多くなる。するとその家は災いの家になりやすい。老人になること自体いろんな機能が衰えるし弱体化するから災いになりやすいのだ。認知症になったりしたら最大の災いだけどこれも高齢化で増えつづけているのだ。
高齢化社会とは災いが増大する社会でもある。介護している人の数が膨大でありそれらは家庭だけではない、社会の災いとなっているのだ。かといって病人にならずに死ねる人はいないし老化も防ぐことができないのである。みんなぽっくりとは死ねないのである。


●災害と事故に弱い便利な文明社会


この世にこんなに災いが多いということを震災と津浪で感じたことはないだろう。津浪の結果さらなる災いが生まれた。原発事故でありこれは収拾がつかないものとなった。この災いはあまりにも大きすぎたのである。この災いはどこからきたのか?災いは技わいであり人間の技がわざわいを生んだのである。水洗便所でもトイレでも便利なものだけど一旦事故になるとめんどうになる。災いになる。便利なものも圧りに追求すると必ず大きな災いが待っている。電気に頼り水道にたより車に頼りと便利なものに頼る現代生活は災害や事故になると弱いし莫大な被害にもなる。だから今になると大都会は本当は神戸地震のように非常に危険なものに見える。高層ビルが本当に崩壊しないかのか?それだって保証はない、地下を津浪で水浸しになるとか予想もつかない被害がでてくる。電気も水道も停まったりしたら交通も途絶える、車があっても石油がないと走らなかった。長蛇の列がガソリンスタンドにつづいた。水道も壊れ裏山の清水で急場をしのいだ人もいた。文明化した便利な生活は災害と事故に極端に弱いのである。裏山の清水や井戸水を利用していれば水道がなくても水は用意できる。
電気や石油を利用していなければ薪を燃やして煮炊きするほかない、それが電気に頼りガスにたよっていたらできないのである。ガスでも外から入ってこなかったら利用できないのだ。でも近くにあるもので水でも薪でも利用していたら自給自足の生活ならそうした災害事故にもしのぎやすいのである。

過去にも大きな災害が日本には度々あった。特に火事が多く、江戸だけではない火事はどこにでもあり町全体が被害にあった。でも江戸だったら長屋住まいだから火事になったら家財道具もなにもないから身一つ逃げればいいとなっていた。あとは延焼をとめるために家を壊すことしかなかった。そしてかえって多数の家が燃えて新しく家を建てるので景気よくなったとか言われる。災害に対しては何ももたないのがかえって有利だという逆説があるのだ。今の時代はいろいろなものをもちすぎるからかえって津浪から早く逃げろと言っても逃げない人が多くいて死んだ。江戸の長屋住まいのように身一つで逃げる習慣があったらとっさに逃げていたかもしれない、現代人はあまりにも多くのものをもちすぎるのである。復興するにも今度は水道だなんだかんだとインフラを整備するために大変な時間がかかるから進まないのである。海岸地帯でもそもそもなぜまた津浪がくる処に住んでいたかというとそこが便利だからである。また生活の糧が海にあるからどうしても海の近くに住むようになった。でも掘っ建て小屋のようになものを建てるなら簡単である。トイレにしても水洗となれば下水道が必要とかとても簡単にはできないのである。それが今回の津浪や原発事故でこの辺は復興できないほどの痛手をこうむったのである。市町村自体が災いの場になった。


●原発被害市町村には災いが外からももちこまれている


水洗トイレのトラブルはたいしたことがないようでもそれなりにパニックになった。文明化した生活はトラブルに弱い。一旦事故になると交通事故やその他被害が大き々なる。便利なものは何もなければ意識しない、パソコンでも壊れなければ意識しない、でも突然壊れるとパニック状態になりすべての記録も消失するのである。紙ならそういことはなかったのである。そういう経験を何度かしているからパソコンも一旦急に壊れると恐いしその被害が甚大になるのだ。水洗トイレと同じとは言えないにしても文明社会は一旦事故が起きたりとりかえしつかなくなる。それが原発事故だった。水洗トイレの水あふれてとめれなくなったように汚染水の処理ができなくなり海に流れだすとか止めようがなくなる。一時自分もパニックになったようにパニックになり解決できなくなり災いは災いを呼びとめられなくなる。それが原発事故だった。原発は事故さえ起きなければ悪いとはいえない。一旦事故が起きたら収支がつかなくなり抑えることもできなくなる恐怖であった。水も土も森も放射能汚染されて30年は使えないとかなってしまった。でも災害必ず来るしそれも予想できない、事故は必ず起きるようになっている。万全を尽くしても事故は起きるのである。実際災害や事故は予想されるからその予想をぬきにしては原発なども建設できない、人間の力ではどうにもならないものが自然から起きてくるからだ。一旦これだけの大事故になるともう修復できなくなる。災いが災いを呼び原発の被害地域は町も村も復興するにもすでに崩壊状態にある。


飯館村などでは個人の土地を買ってそこを放射能汚染したガレキの処理場にしようとか宗教団体も入りこんでいるという。つまりこのうよに弱体化した家でも市町村でもいいものだけが入ってきるとは限らない。悪いものが入りやすくもしているのだ。自分の家でも身内が認知症になってその後も介護になったりしてさんざんだった。その弱みにつけこまれ火事場泥棒があり今度借金を要求される。
自分が病気になっても同情などまるっきりない、弱者化したときこれ幸いと入院の保証人欄に名前を書くだけで借金が要求されるのである。それが世の中だということをつくづく知った。人が困ったら助ける人は今はほとんどいない、人が困ったらその困ったことで責めて借金してやろうとかなるのが普通である。だから連帯保証人が何百万にいるとなるとそれだけそうした恩とか義理ができるから断れないとなり自殺している人がそこで一番多いというのもわかる。災い家だけではない、災いの市町村とこの辺はなっていてそれで土地までそうした悪いものに奪われ遂にもう村は復興できなくなる。村の土地は虫食い状態になり村として維持できなくなる。まさに家が災いで維持できなくなるのと村が維持できなくなることもにているのだ。村が連帯するにしてもそれぞれの思惑は入り乱れもう村に帰れないから土地を売って他で生活するという人もかなりいるからすでに村はばらばらになり心もばらばらになっている。そういう状態では外からの圧力に負けてしまう。村を守るという気力も団結もなくなっているのだ。家でもそうだが外から食い荒らされるとまでなる。


政経東北5月号にこの個人の土地が買われることは書いてあったので参照を

 
posted by 老鶯 at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連