2013年05月01日

常識のない人が増えている (若者にも大人にも老人にも共通している)


常識のない人が増えている

(若者にも大人にも老人にも共通している)


昨今では勉学を学ぶことよりも、「常識」を学ぶことの大切さの方が強調されている感じすらあります。一般社会においてはどれほど頭脳が優秀でも「常識」のない人間は問題視され、評価もされません(あくまで一般社会ではね)。
http://www.kuro14.net/2013/04/blog-post_11.html


「気づきがない、無頓着、理解力がない」
「基本を知らない、マナーを知らない、常識がない」
「気配りがない、気遣いがない、対応が悪い」
「機転が利かない、臨機応変に対応してくれない」などなど。


企業は困っている、悩んでいる
http://www.manavinet.com/special/0801/no16.html


周りの人が右を向いているときに、左を向いてしまう
周りの人が当たり前にできる事が、全く出来ない
その結果、周りからは、
「あの人は変わり者」と思われてしまいます!

相手のことを意識できないので、仕事にならない

仕事というのは、相手が気持ちよくならないと
商品を買ってくれたり、契約を結んでくれたりしません。
お世辞や愛想笑いなどが出来ないと、仕事にならないわけです。


ただ、大人のアスペルガー症候群の人は、
他人のことを意識することが出来ません。


どういった言葉を言えば、相手の気分が良くなり、
どういった言葉を言ってしまうと、相手が不機嫌になるのか
全く理解できないのです。


そのため、物を売ったり、契約をまとめるような仕事は、
ほとんどできないわけです。


相手からは過激な性格だと思われてしまう

上記のような状況でも、
本人は悪気があって言っているつもりはありません。
自分の考えていることや思ったことを、
素直に表現しているだけで、
他に深い意味はないのです。
http://アスペルガー大人特徴.net/asupe1/page5.html


子供は、言って聞かせれば解りますが年寄りは絶対に自分の非を認めません。
その場で言い争いになれば尚、悔しい思いをしたと思います。



常識とは何かというとき定義するのがむずかしい。非常識が何かも定義するのがむずかしい。だからいちがいにすべて常識-非常識では計れない、ただみんな今の社会では常識そのものが若い者だけではないいい大人でも老人でも増えている。そう感じている人が多い社会ではないか?
若い者ならしかたない面があるだろう。でもいい大人が老人が常識を身につけていないというのはどういうことなのだろうと疑問に思う人がいる。これはなんなんなのだという非常識な人間に出くわすことが増えているのではないか?

病院であった人はそうだった。職人として家で働いてくれたことがあった人なのでそのおくさんに声をかけた。その人は重症にその時見えたのだ。そのあともどうしたのかと気づかった。同じ病気ということで情報交換もしたかった。この前話ししたら
「あんた困っているの今はディサ-ビスに通っているよ、自分のことは自分でやっているよ、あんたなにかしてもらいたいの」
これまでは確かに自分は困っていた。今も困っていることはある。でも手術してからは余裕できてほとんど困っていないのだ。その時声をかけたのは自分のことを思ってしたのではない、自分が何かしてもらいたくて声かけたのではない、でもその女性は何かしてもらいたくて魂胆があって声かけたととりうざいから声かけるなと言ったと同じである。こんな人のことを気にもかけない気遣いも常識もない人間は何なのだろうと思った。その人は60くらいになっているかもしれないし老人である。

今や老人でも常識のない切れる老人とか暴走老人とか増えている。ただこれも人によりけりでありすべてではない。これは別に人を思いやる心がないとか宗教でいう愛がないとかそうした高等なものではない、人間として最低の常識がないということなのだろう。この女性をどう理解していいかわからない。四人の人と自分は家のごたごたでかかわった。一人は犯罪者であった。一人は会社経営者だけど嘘ついて成功を装って借金をかかえていた。もう一人は夫が公務員だったけど異常な行動をした。犯罪者と異常な行動した女性はもはや常識では語れない、異常者ということになる。他は別に普通に社会生活している人たちである。


常識がない人間がふえたというときこれは若者だけではない、社会人全般に常識がない人間が増えたのである。現代は常識が養成されにくい社会なのかもしれない、常識を養成されるのは今では家族でも地域でもない会社になる。だから会社で社員教育するわてけである。会社組織に入らない人は常識が欠けやすいかもしれない、例えば職人でも職人気質と昔言って悪いものとして言われなかった。しかし現代のような社会が複雑になると人との接触もふえると対人的には非常識な人が増えるかもしれない、職人はただその技術をみがけばいいとかになはならななる。そういう職人の家族はまた非常識になっているかもしれない、でも一人親方のような職人は契約をとるために社会性があることに驚いた。技術力もあり優秀であり人との対応も知り尽くしていたのである。その人と接して自分が常識がないとなった。それは仕事上そういうふうに社会性を身につけたのである。

そもそも他人と接触することの前提として宗教と関係なく他人を思いやることが前提にある。そうでないと仕事もうまくはかどらないだろう。モノを売るにしてもその人が心をこめて売るのとでは同じモノでも違っているのだ。東北人は自分もそうだけど人との対応がへたである。関西人はつまり京都のように文化の蓄積があるところは人との洗練した対応が生まれる。それは本心でなくてもやんわりと断るとかの文化が京言葉に現れる。それが他から来た人にはわかりにくいのである。京言葉自体東北の言葉とはあまりにも違いすぎるのだ。人に対応するやんわりとした言葉なのである。


一般的に常識があるというとき人と接する職業はどうしても常識が必要とされるから常識が社会性が身につく。職人だけをやっている人や農業の力仕事やっているだけの人や工事関係でも現場で肉体労働だけしている人とかは人と対応しない仕事であり社会的常識が身につきにくいかもしれない、結局人間はその人の職業が習慣性を作る。職業はそれだけ人間を作るものなのである。だからニ-トとかはまず社会性がないから常識が身につかないから人と対応できないから職につけないともなる。

自分もそうだったから社会性がないから職業についていないからそうだった。ただ変な話だけど創価にいたとき毎日社会的に人と接していたから人と対応する言葉使いができたともなる。人間はまず集団に帰属して社会性と常識を身につけるのである。人間は何であれあらゆることを経験できないカルト宗教団体でもそれは一つの経験であり間違っていてもそれなりに得るものがある。一人の人間の経験することは極めて限られているのだ。だからこそ常識自体を身につけることがそもそもむずかしいのである。教員が常識がないとか医者が横柄で常識がないというときそれはその職業がそうさせているのだ。学者バカというのもそうである。マニアックな理系馬鹿、研究一筋の人も社会性が身につかないとかなるか。現実はとても理論通りにはいかない、複雑怪奇なのである。上からの目線ばかりで人をみる立場にあれば常識もなくなる。そして夫婦が一体だというときその夫の職業の影響を妻も必ず受けるのである。


つまり医者であれ教師であれその仕事ばかりしていれは世界を社会をその職業から見てしまうのである。この世には様々な仕事がありそれは体験できない、だから他の職業に従事するもののことをなかなか理解できないのである。こういうことはこれだけ多様な社会になると特にそうである。
原発に従事している東電の人が何をしているのかなど地元の人がしりえようもないのと同じだったのである。そうなると東電では相手が何もしらないし反論もできないとなるからやり放題になった。
絶えず不具合、故障があっても隠せる。だからそれが習慣化していたのである。どうせ誰にも追求などできない、みんな金で抑えている。こうしてしそれが大事故につながったのである。

無数の職種ごとに常識も違っているとなれば常識自体何を基準にしていいかわからないとさえなるのだ。常識がない・・というときカルト宗教
団体でもその権力を背景に誰も責められないとなり警察も味方だとなれば非常識なことでも社会に通るとなる。検察官僚組織でも非常識なことが権力で隠される。警察関係もどうしても権力をバックに横柄になり常識が欠けてくる職業だとなる。
常識非常識というときそれは個人の問題でもあるがその所属している会社や組織や団体の問題でもある。


今回自分が経験したの非常識な女性は個人的要素が大きいだろう。ディサ-ビスに通っていて自分のことは自分でやっています・・それだけ言えばいいことだった。そうですかと言ってこちらも終わりであり傷つくことはなかったのである。お前はオレに何かしてもらいたいのかという言いぐさがあまりにも人との対応で非常識だったのである。田舎の人間はあけすけにモノを言うにしてもちょっとひどいと思った。そこには嫌であってもやんわりと京言葉のように言えば傷つかなかったともいえる。
こういう人は全く他人は無視であり気づかっていないのだろう。自分がきらいだからということでないみたいだ。
人間は人をみないで接すると大変なことになる。ただ非常識な人であれ犯罪人であれ人間はこの世にいる限り否応なく接触する。
それがさけられないのだ。ただ人間がいかに人を見ることが大事か思い知らされた。
ちょっと声かけるにしても素直でない人も嫌う人もいる。こっちが善意でも相手は悪意にとる。そいうことは常に起きてくる。
結婚も結局人を見分けられないから離婚が三分の一とかふえる。家と家の結構、どういう家で育ったか見て結婚した方がうまくいっていたともなる。女性などはどういう家で育ったかでかなり影響されているかもしれない、余りにも顔とか外形だけ判断すると失敗する。
あとになって顔などさほど問題でなく人間は気持ちだとかなる。顔見ただけでも人間はわからないのである。

抽象画(京都(夏)-秋の紋様-躍動する地球 (ソフト-painter4 エッセンシャル)


抽象画(京都(夏)-秋の紋様-躍動する地球

(ソフト-painter4 エッセンシャル)


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京都-夏

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眩しい夏の光


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京の紋様
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秋の紋様
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躍動する地球

抽象画はソフトによって変化できる。今回はpainter4 エッセンシャルを買ったのでそれを基にしてまた増やせる。抽象画は定型化してしいるかもしれない、決まった手順がある。
万華鏡は必ず使っている。それからしあの変化も良く使う。それからテクスチャ-も良く使う。
今のところ三つ使った。それぞれにない機能がありそれらを組み合わせる必要がある。
エッセンシャルは機能が多いからかなり役立つだろう。これも早く買っておいてなれていれば良かった。

抽象画はまず色を楽しむことなのである。色の変化を楽しむことが基本にある。色の美しさだけでも楽しめる。色は花でもそうだけど美の基本にある。もちろん形もあるがそれは絵の才能がないと描けない、色はパソコンのソフトでいろいろできるのだ。
エッセンシャルでは写真の加工でもいろいろできるから役立つだろう。
結局抽象画自分の才能より技術として習得するとできるものだった。

化学反応の実験ににているのだ。ソフトがいいものがあるとそれでまた無限の変化を楽しめるということがある。

もちろんこれはどうしても第3芸術とかになるがそれでも素人として色を楽しめる、創作できるということはパソコンとソフトの技術でできたことなのである。

プログに記録された右田浜の松原の写真 (もはやもどらない松原の風景)


プログに記録された右田浜の松原の写真

(もはやもどらない松原の風景)


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この写真のように松の記録は津浪で海中に消えたようになった


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台風で決壊した八沢浦の防波堤の工事

プログを読み返した。そこでまた右田浜の松などが写っているのを発見した。
自分で書いても忘れている。プログが備忘録というように忘れることに備えるために書いているとなる。
ともかく人間は忘れやすいのである。えか、こんなこと書いていたの、こんなこと写真にとっていたのとか全く忘れているのだ。2005年からはじめたから2年間くらい見たものだった。


まず右田の松原はもはや見ることもできないし再現もできないものとなった。
これは平和な時に松原があったときの写真である。


八沢浦は津浪の前に台風の嵐で前の家の何軒かに潮水にひたった。その時防波堤が壊れてしまったからだ。その防波堤を直していた。今回は津浪で全部喪失した。直しようもなくなったのである。
松二本だけが残された。


もう松原を回想する方法がない、松原がありその前に田植えをして実りがあった風景がおそらくこの辺で何百年とつづいていたのだ。それがみんな喪失したから信じられないとなる。
右田浜のキャンプ場の松もなくなった。あそこは歩くようにできていた。
でもあのコンクリ-トの歩く場所もみんな流されたのである。
確かに名残の松は残っている 。でも当時を偲ぶことはできない、今は荒れ果てたものとなってしまった。


右田の松原はただここに残した写真でわずかに思い出すほかないのか?
松は津浪と共に消えてしまった。幻想のように消えてしまったのである。


 松に寄りてここに変わらぬ秋薊

松というのは常盤木であり変わらないものの象徴だったのである。それがみな消えたということが
信じられない。変わらないものとしてありそこに秋の薊(あざみ)がよりそうように咲いていたのである。そのよりそう松はみんな消えてしまったのである。
この自然の変化はあまりにも大きすぎたから想像すらできないものであった。
もはやよりそう松はないのである。
 
 

posted by 老鶯 at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

消えた六号線と常磐線の活気 (プログに記録された原発事故前の写真二枚)

 

消えた六号線と常磐線の活気

(プログに記録された原発事故前の写真二枚)

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常磐線でもス-パ-ヒタチが走っていたときは常磐線が活きていた。今は二両の電車であり原町と相馬市間を走っているだけであるから淋しい。まだ走っているだけでいいともなる。
常磐線が開通するのは相当に先である。その見通しがたたない。
津浪の被害にあったわけではないから線路はつうじていても原発をかかえてんるから
警戒区域になっているところが広いからなかなか復旧できないだろう。
住民がもどってこないと駅も開けないだろう。それがいつになるのか見通しがたたないのである。

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六号線でもこのサイクリングの一団が走っているような時は活気があったなと思う、東京と通じていたときは六号線も活きていたのだ。自分は長距離トラックの音などが嫌だった。
今は全く通らないのだから聞こえない、東京からの車は六号線では来ない。
でもこの写真を見たとき不思議に思う。今でも一人のサイクリングの人がきている。
でもこのうよに何人かで組んで走る姿はない、だからこの写真見たときつくづく六号線も活気あったなと思う

東京から歩いて来た人もいたし鹿児島から歩いて来た人には驚いた。
六号線では遠くから来る人良くみかけたのである。今は東京と通じしていないのだからみかけない

でもサイクリングで一人津浪の見聞にきている人が結構いる。
でもこのうよな感じにはならないのだ。
だからこの写真を見ると六号線は活きていたなとつくづく思う

常磐高速道は二年後とかに開通しても六号線の方が自分には身近だった。高速道路ではこんなふうに走っているサイクリングの人を見ることはできないからである。

まだここは人間的なものがあったとなる。高速道路になると何か人間的なものがなくなる。
まずこんなふうに風景はない、全く隔離されたところで車だけが走っているから
車に名乗らない限り関係できないものとなる。


でも常磐線の代わりになるから東京と直接通じることで電車の代わりの役目を果たすことは確かである。するとまた活気がでてくるだろう。
すでに常磐線は原町-いわき間は乗る人が少なかった。仙台が多くていわき間は少ない、いわきにゆく人はこの辺では少なかった。それでも六号線を通じて交通があり人と物の往来があった。

常磐線もス-パ-ヒタチが通っていたときが活気があった。ス-パ-ヒタチには何度も乗ったからである。それが乗れないということ走らないのである。原ノ町駅にス-パ-ヒタチは時が停止したように停まったままなのである。

posted by 老鶯 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年05月02日

桜-牡丹-葉桜-春時雨 (俳句十句) (原町へ行く)


桜-牡丹-葉桜-春時雨 (俳句十句)

(原町へ行く)

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これはクリック拡大!-大画面でないと映えない

ソニ-のデジカメはカシオよりきれいに写っている

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故郷に夕べ桜を見いだしぬ
風そよぎみ空に映えし桜かな
牡丹の一心に朝の光浴ぶ
牡丹四輪朝の光の注ぎけり
牡丹には光のみあり目覚めかな
牡丹四輪揃い咲きにし栄かな
朝の日に闇を払いぬ牡丹かな
邪念なき一心に光牡丹咲く
原町やはや葉桜や風そよぐ
原町や街中通り春時雨
前畑に耕しの人石一つ

耕し二両の電車行き来する

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ここに石一つあるのがきづいていなかった


牡丹の四輪我に向かい咲く朝の光の注ぎ射すかな
空に映え桜美し飛ぶ鳥も高きに見えて風そよぐかな
みちのくに花なお散らじ惜しむかな今日しとと雨のふるかな


今日は原町まで行った。原町の桜は散ったけど山桜はまだ咲いている。あそこに咲いていた桜は今まで気づかなかったのである。あそこは塩崎に近くいつも通ってゆく道である。そこに桜が咲いていたのが気づいたのは今年だったのである。今まで気づいていなかった。あんな近くにきれいな桜が咲いていたなと気づいたのがこんなに長く住んで始めてだったというのも不思議である。
人間は最も身近なものを美でも見いだしていないのだ。故郷の桜だけでまず全部など見ることができない、一部しか見れないのである。それが全国になれば桜の咲く時期は短いのだから見れないのである。


そもそも人間はいくら回りに美しいものがあっても目が曇ってしまったら見えないのである。美しいものは心で見るからである。様々な欲望があっても見えなくなくなる。そして感性というか感じる感覚も天才でない限り一つの訓練として積み重ねで見れるようになるのだ。感受性も長い年月の間で作られてゆくのである。だから若いときは様々の欲望もありまた積み重ねて感受性が訓練されていないから見えないのである。日本の俳句にしても季語が膨大なものになっている。これは時間の中で様々な人が日本の美を発見していった集積なのである。だから季語は現代風になりまた増えてくるのだ。季語は日本人が積み重ねた文化の集積なのである。全体でもそうだが個人的にも感受性は長い間に作られてゆくのだ。


牡丹には今や光しかない、一心に光のみが注いでいる。あとは何も見えない、それが至福の時だったかもしれない、この世の汚れは何も見えない、ただ光のみがそそぎ何も見えないのである。
自然は浄化であり光は最も浄化の作用がある。ゲ-テが死ぬとき言ったという、「もっと光を・・」まさにそうなのだ。光は浄福の光なのである。それが春に一番現れるのである。


原町に行ったら病院の桜は全部散って葉桜になっていた。今日は春時雨だった。これはまちがいない、ぱらぱらと時雨れたのである。前にも一回だけ春時雨を経験した。それは松島の浦戸諸島を船で巡ったときだった。春時雨はめったにあわないだろう。春時雨に原町にふさわしかったのか、原町と相馬市ではかなり感覚が違ったものとなるのだ。こも不思議なのだがみんな市町村でそれぞれの色があり違っているのだ。相馬市は城跡の城下町としての雰囲気が残っているし原町はいち早く近代化した街でありそれが雰囲気をつくっているのである。ただ今は六号線が東京に通じていないから違ったものになっている。


前畑を耕す人がいた。こうしてまだ暮らしがあると活きてくるものがある。二両の電車も何かその風景にあっているのだ。これからは春から夏となる変わり目である。

春時雨(そのイメ-ジは・・)

 

春時雨(そのイメ-ジは・・)

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淡き恋消えにけるかな春時雨
街に来て濡れて甘しや春時雨


春時雨というのもやはり独特のものだった。これはめったにあわないから感覚的にわかりにくかった。これは時雨といっても冬の時雨とはあまりにも違っていた。
これは創作だけどそういう感じだろう。淡い恋の味というのはいいかもしれない、
これが濃厚になるとどろどろした欲望としてしつこいものとなる。
これはただの想像である。誰にでも恋はあるがそれは小学生の頃から芽生える。
でもだんだんと何かどろどろとした肉的なものになってゆく。
淡く消えてなどゆかない、延々とどろどろとした欲望がつづいている。
それが老人になってもそうなのである。


人間は男女でなくてもどろどろとした濃厚な交わりより淡い交わりがいいのかもしれない、
それができないからいろいろ問題になる。淡いものなら別れるのも容易なのである。
あるゆる出会いは別れを前提としている。最後は人間は会うのではない、もうみんな別れてゆくだけなのである。それがどんなに濃厚に交わってもそうなのである。
結局は別れてゆくだけなのだ。


60以上になると次々と同世代といかなくても知られた人が死んでゆく、今日もテレビに出ていた人が死んだなとか毎日のことである。そうするといちいちそれらをもう考えることすらできなくなる。
もうどうでもいいとかなってしまう。


ともかく春時雨はこれは何か甘い、スイ-トだというのも不思議である。
I am getting wet in the  rain with sweetなのだろうか?
甘い水玉のような感覚になる。自然には多様に感じるものがある。

おそらく春時雨など感じているのは日本だけだろう。外国でこんな感覚にはならないだろう。
時雨という言葉すらないだろう。
日本でしか感じられないものが風土にある。それが俳句の季語に凝縮されていたのである。

2013年05月03日

新聞からテレビからインタ-ネット時代に (マスメデアを通じないで主張する民主主義-個人が記録する写真の時代)


新聞からテレビからインタ-ネット時代に

(マスメデアを通じないで主張する民主主義-個人が記録する写真の時代)

現代の変化は何かというとやはり交通手段の発達とメデアの発達であった。江戸時代は遠距離は船の交通が多かった。明治になって鉄道網が全国にしかれた。その交通の発達が江戸時代の閉鎖的封建時代の環境を変えてしまったともいえる。封建時代は移動の自由がなかったからだ。
街作りにても駅前通りが中心になったことである。原町だともともと昔の街道沿いに商店街などがあった。宿場町から発展した。そういう街が日本には多い。鉄道網がしかれて駅中心の街作りになった。ただ相馬市は城下町であり駅中心の街作りにはならなかった。古い城下町の形が残ったままだった。だからかえって原町が新興地域として無線塔などができていち早く近代化した街になったのである。原ノ町機関区になっこたとも鉄道を利用する拠点の街となった。相馬市は近代化に遅れをとった。会津でも明治以降発展したのは会津の北の喜多方だった。ここは商人の街として発展して多くの蔵が建った。会津の城下町は新しいものを受け入れることがむずかしかった。それは相馬市が城下町であったことともにている。


交通の変化とともにメデアの変化も大きかった。グ-テンベルグの活版印刷が社会を変えたようにルタ-の宗教革命を起こしたようにメデアも社会を変えた。明治以降は新聞の力が大きかった。それは
大政翼賛会となり政府の大本営発表の機関化してしまった。だから新聞では戦争に勝っているという報道しかしなかった。新聞の影響は戦争後も長くつづいた。正力松太郎が読売新聞社を経営して原発を自分の野望のため利用できたのは新聞社をもっていたからである。一人の権力者によって新聞社が操作されていたのである。新聞社からテレビに変化して50年くらいたつかもしれない、東京オリッピック辺りからテレビの影響が大きくなった。テレビ局が新聞社経営になっているのもまだ新聞社の影響が大きかったのである。


今またメデアの大きな変革期に突入した。新聞社はすたれテレビ全盛時代も翳りが見えてきてその主役がインタ-ネット時代に移りつつある。若い人はもうテレビすら見ない、インタ-ネットから情報を摂取しているのだ。新聞は団塊の世代で終わりになるという。インタ-ネットはパソコンから生まれたのでありこのメデアの変化も大きいものだった。これはまだ発展途上のものであるがすでに社会化ししてのが違っている。パソコンの情報の流通が個人レベルで可能にしたことである。この変化は大きい。メデアを個人がもつなどありえようがなかった。個人で写真でも動画でも自由に出せるしデジタルカメラで簡単になったことである。現代は写真とか動画の時代なのである。写真のインパクトが活字よりに大きい。アメリカのイラクの戦争で石油まみれの鵜が写されたけどあれはやらせだった。でもその一枚の写真が衝撃を世界に与えたのである。写真も動画も操作できるからだ。



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写真の時代というとき自分が前にとっていた六号線を走るサイクリストの一団の写真は迫力があった。むんむんとした熱気があふれだして六号線を走っていたのである。これを言葉で表現してもその迫力を伝えられない、一枚の写真が過去を蘇らせたのだ。これは津浪にも言える。これほど映像で津浪が記録して伝えられることが今までなかった。動画では全くなかった。その印象派あまりにも鮮烈なものとなったのである。自分も津浪の記録を写真でだしたら全国の人が相当見たのである。
津浪に対するリアルな情報はこの辺ではなかった。400年前に700人溺死と記録はされていたがそれ意外の記憶は何もない、せめて図とか何か拙い絵でもいいから残されていたらまたかなり違ったものとなっていた。400年前の津浪をリアルなものとして認識して記録されないから危機感もなかったのである。今回ほど津浪の恐ろしさを映像で記録された時はなかったのである。



美しい八沢浦がよみがえったとしてプログに写真と共にだしたとき、地元の人がお前はここで無惨に死んだ人のことをどう思うのだ、子供まで死んだだそと批判された。それは確かにそうだった。ただ比較的そこは人家が少なく被害が少なかった。海になったところにはほとんど家もなかった。被害はあったにひろ村とか街が壊滅するのとは違っていた。
まずマスコミだったかこういう表現もしない、ただ無惨だ無惨だと悲惨な津浪の光景しか写さないのだ。でも明かに八沢浦が奇跡のように浦としてよみがえったことは事実なのである。それは美しいものであることも事実だった。こういう報道ができたのもインタ-ネットで個人で写真でも方とをすることができるようになったからなのである。マスコミと地元の人と個人の見方はちがってくる。そこに多様な情報の真実が追求できるのである。

情報はすべてインタ-ネット化してゆく方向にあるのかもしれない、選挙にも活用されることでもわかる。インタ-ネットは仮想空間でなく現実空間となりつつある。インタ-ネットで写真と実名で主張している人も増えた。そのことは今までのメデアを通して新聞や雑誌やテレビで主張するのとは違う。これまではマスコミというメデアを通して主張してきたがそれはマスコミによって操作されたものとして情報は出されていたのである。マスコミに出る人は限られている。そしてマスコミは宣伝費が経営を支えているのだから金を出す大会社の方を大事にする。また巨大な権力集団の圧力に抗すことはできない。そこから金が入ってくるからだ。だから今回の東電の原発事故にしてもマスコミはすべて安全神話を戦争のときのような大本営発表になっていたのである。なぜなら政府と東電が一体化して莫大な金がマスコミに流れていたからである。情報は常にこれまでも権力によって操作されたものしかででこないのである。出版の本ですらそうだった。確かに原発を批判する本をほんの一部出ていたにしてもそれは何か空想的SFの小説のようなものとして見ていたというよりそういうふうに情報によって操作されていたのである。原発は絶対に安全だとまで操作されていたのである。


インタ-ネットではマスコミのメデアを通じないで直接訴える人がでてきた。


テレビも新聞も取材に来るけど、表面しか捉えていない。NHKにも抗議したんです。
 「表面の話はもういいから。裏で苦しんでいる人がたくさんいるんですよ」って。そしたら、「貴重なご意見、ありがとうございました」で終わり。
 裏を取材して下さい。住民の心の中を。「飯舘村はきれいで、だけどそこに住めなくなって、涙を流していました・・・」。こういう話はもういいの。


帰りたい、帰れない 飯館村の苦悩
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-66.html


この人は飯館村の住人として本根で語っていた。村長が国の管理化に入って放射線量が高いのに避難させなかったとか除染は無駄だから金をくれ、金が大事だとか主張している。現実問題としてはもう住めないのだからそれが当然の主張だとも言っている。こういうことの是非はともかくなかなかマスコミではストレ-トには言えないだろう。補償金で避難民はパチンコで遊んでいるとかもマスコミを通じては言えない、きれいごとに終始しているから実体が外からわからないのである。


ともかくこの辺では原発問題で民主主義に目覚めたということもある。実際に深刻な被害を受けたのだから東北特有の無口なお上に従うという慣習だけではだめだとなる。そういうことを強いられた場にもなったからである。自分たちが主張しなければまた国や東電やマスコミや大きな団体のいいなりになり苦しめられるだけだと現実的になっているからだ。

写真の影響というとき自分のプログの奥松島を旅して写真にだしていたのがここのところずっとかなりの数が読まれている。毎日20人近くのアクセスがある。これもどうしてだかわからないがそれは

津浪以前に訪れた写真の影響だと思う。自分が写真に撮ったところは津浪で被害を受けて喪失したのだろう。そこで写真が貴重になったのである。それは六号線のサイクリストの一団の写真と同じだったのである。写真の影響、迫力は言葉より大きいのである。それが一番力を発揮したのはまさに今回の津浪原発事故でその風景が失われたときだったのである。


奥松島⇒野蒜海岸⇒鳴瀬町⇒石巻(自転車の旅-夏)
http://musubu2.sblo.jp/article/29414836.html


ここに行っていないのだけどこの風景が津浪で喪失した。被害状況はみていないにしろここに当時の風景が残っているからアクセスが絶えずある。他でも写真は残っていると思うけどどうしてかアクセスがつづいているのだ。これも明かに文章より写真の影響なのである。失われたものを回想するには写真の方がインパクトが大きいのである。


 

2013年05月06日

新地から丸森へ夏の旅(新地編)


新地から丸森へ夏の旅(新地編)

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利休梅

松影の街道行くや夏の朝
相馬より新地に来れば燕飛ぶ
臥牛城夏草埋もれ何語る
リキュウバイ手入れの人や開園す


新地なる高台に水張りぬ海を望みつ夏の朝かな

文禄の碑こそ古りぬれ新地なる社訪ねて燕飛ぶかも
新緑に風のそよぎて望む海牡鹿半島連なり見ゆも
新地より金華山見えにしや船も行くなり夏の朝かな
山路来てなお残れる花あれや風に吹きちりあわれ深まる


新地から丸森まで電動自転車で行った。新地で火力発電所の近くで田に水張る人がいた。この辺は津浪の被害があったはずたと聞いてみたらここは高いし塩分は気にしないという、新地火力発電所は地形の関係で原町火力発電所より被害が少なかった。あういう大きな建物があると津浪を弱めるのにはいいだろう。ただ見晴らしよくなくなるから問題なのだ。一見田はみんな同じ高さに見えるが違っている。鹿島区では烏崎や小島田の方が低いから塩崎まで六号線を越えておしよせたのである。あの辺は万葉集にも歌われた地だからやはり低くかったのかなと思う。真野の入江が津浪で再現したのである。


新地にくるとここは伊達領と相馬藩の領地にもなった境で争いがあった。臥牛城ともう一つの新地城もそうである。新地はもともと谷地小屋が中心で谷地小屋要害とかいものが残っていた。新地城から臥牛城へ相馬藩をおさえるために城を造った。でも臥牛城はあまりにもその跡も小さいのでこんなところに城があったのか、ちょっとした砦のようなものだったのか?それでも城下があったとか新地についても良くわからない、新地にくると確かに宮城県に半場入ったような気分になるのだ。
相馬市までは相馬藩だけど新地はまた違っている。今でも伊達藩の武士の子孫で相馬市との合併を拒んでいたという人が駅の近くに家があった。それが津浪で流された。


実際に鹿狼山から太平洋を眺めると牡鹿半島が見えた。写真でははっきりしないが金華山も確認できる。高い山の上だからあれだけ見える。しかし新地の海岸からも牡鹿半島は見えたのである。あれくらい見えれば航海があの山を目印にするのだから意外とここは方向は間違うことがない海である。
船乗りが山を目印にするというとき牡鹿半島は一番わかりやすい目印になる。あれだけ見えれば方向は間違うことがない、だからここの海は鎌倉時代辺りから船で行き来があったとしている。

古代でも石巻の真野の萱原が港だという説もやはりこの海も見ればわかるのだ。波は荒いにしても方向を間違うことのない海なのである。

新地の街道から少しそれた上の町というところに社があり文禄の碑があった。これは今まで見た碑では一番古い。なぜここに?というときここが伊達領だったから古い碑があるのだ。松島にはすでに鎌倉時代の碑があった。伊達領には相馬藩より古いものがある。相馬氏は伊達氏よりは新興の勢力だった。だから伊達領よりは新しいから古い碑も少ない、文禄となると豊臣秀吉による朝鮮出兵=文禄の役があった朝鮮出兵である。そして文禄の後にすぐ慶長の津浪に襲われたのである。
戦争もあり津浪もありと動乱の時代だったのである。


新地の地形の特徴は貝塚が写真の海が見える辺りの高台にあったように海が近く海と山の間が狭いのが特徴なのである。これだけ海が見える場所は浜通りでもない、手の長い神がかい貝をとって食べていたというのはこの高台に貝塚があったからである。まさに地形の特徴がありここは山の幸海の幸に恵まれた所であり縄文人が住むには最適の場所だったのである。


菜の花が植えているのはここも放射能汚染でそうしているのか?別に相馬市から普通に田畑も作っている。あの茅葺きの家は特別残しているのか?まるで写真とるためにある。ただいくら茅葺きの家でも今は昔の生活がないのだから何か生活感ない、結局昔はどんなことしたって再現できないということである。なにかこれみたら写真をとらせるために人工的に作った、映画のセットのような感じすらするからだ。そういう場所は中山道の妻籠宿、馬籠宿にも感じた。まるで映画のセットになっていて生活感覚がなくなる。だから昔を再現すふることは容易ではない、観光化するとどこもかえって昔が偲ばれなくなることすらある。観光客ににぎわっているからここがいつもそんなににぎわっていたと錯覚するのである。だから最近名所観光はつまらないと言う人が多くなっている。歴史はかえって何か忘れられてしまった道の辺の古い碑のようなものに感じるのだ。仰々しく観光客用に再現してもそれが作られすぎてかえって歴史をそこなうということもある


鹿狼山に作った花木山の花園ではリキュウバイの手入れをしていた。利休梅だというのもめずらしい。堺辺りでは外国のものがいろいろ入ってきたのである。
壺でも茶碗でも外国製の高価なものが入ってきた。利休はそうした外国製の高価なものを嫌いわび、さびの茶道を確立した。みちのくあたりだったらそんなことはない、そもそも堺のように高価な陶磁器などすら入ってこない、平泉にあったにしろ普通は見ることもできないものだった。
利休梅は明治以入ってきたのだから利休が生きたときにはその名はないしこの花自体見ていない、
この名は相当新しい名でありそれだけなじみのない花だった。花の名前は万葉時代からあり古いのが多いからだ。

新地から峠を越えて丸森に向かった。丸森では森に迷い出れなくなる恐怖を味わった。だからそのために体が今も痛い。新地は福島県だけと宮城県の部に入れた。丸森まで旅がつづいたからだ。
 
 
 

丸森の秘境へ (夏の旅-新地からのつづき)


丸森の秘境へ

(夏の旅-新地からのつづき)


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山吹や峠を越えて丸森へ

丸森へ峠越えるや朝桜
戦死塚訪ねてみればスミレかな
丸森や山路の深く落椿
丸森に海を望むや桜散る
イノシシの左右に駆けぬ夏の闇
丸森ゆ相馬へ飛ぶや夏の蝶
丸森の奥に家あり夏の星


峠越え蔵王の見えて丸森やなほ雪厚く新緑映えぬ

昼暗き旗巻峠相馬へと下りゆくかな椿散りにき
丸森の森の深きに黒揚羽舞い出て消ゆる山路ひそけし
大内の部落やあわれ天明の碑のあり夏に我が来る
分け入りて二筋の滝岩伝い流れし奥や新緑に映ゆ
二輪草木洩れ日さしてあまた咲く人に知られずここに映えにき
丸森の森の深きに鳥の声かすかにひびく夏の夕暮

丸森に蛙の鳴く声ひびきあう山間深く数軒の家

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二筋滝

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樅の原生林

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忘れられた石

鹿狼山から丸森へ峠を越えてゆく、山吹が咲き桜がまだ咲いていた。ここの坂は帰りの方が辛い。ただ今回は電動自転車だから楽である。庭に三色桜というのが咲いていた。蔵王はまだ雪が厚い。
丸森の景観は変化に富んでいる。阿武隈川があり山が深い。蔵王も見える。金山城など歴史もある。戊辰戦争の戦死塚もある。大内部落に子安観音があり天明の碑があるのも相馬藩の飢饉の影響があるかもしれない、天明山というのも飢饉のとき名づけられたのかもしれない、ただ当時は飢饉だからといって伊達藩で援助することがなかったのである。


今回は手倉山の方に入って行った。そこに流れがありでこぼこの悪路がつづいた。電動自転車だからなんとか上れた。マウテンバイクのオフロ-ドのみちだった。そこは誰も入ってゆかない、車が一台通ったので道が通じていると思ってどこまでも進んだ。あそこは本当に秘境なのだろう。二筋の滝が岩を伝い流れていた。「二筋滝」という命名がいいみたいだ。誰も知らない奥深い谷間に二輪草が一杯咲いていた。あの二輪草を見る人もまれである。何か神秘的であり秘境に入る感じがした。

実際に樅の原生林というのがありそこに十数本の樅の林が確かにあった。樅は一本か二本しか森でも見られないからここは樅の原生林だったのだろう。原生林など今はない、丸森も名の通り森の町であり森が思った以上に深い、ただ杉の森である。もともとここは森林資源で米沢と伊達と相馬が争った境界の地帯でもあった。江戸時代から森林資源が豊富だった。その森に迷ってここの森がどれだけ深いか豊であるか知った。わずかに道のようなものをたどって下って行ったら道が尽きていた。
その時電動自転車をおして前の道にもどるのに大変な労力がかかった。そして森から出れなくなる恐怖を感じた。樹海にまぎれこんだみたくなってしまった。5時過ぎてくらくなりつつあったから余計に恐怖だった。こんな近くでこんな恐怖を味わうとは思ってもいなかった。必死で自転車をおして元の道にもどった。そしたら運良く下る道がありそこを一路下った。この道を下れば前の道に出れると思い安心した。誰も見ないようなコブシの花がひっそりと夕べの闇がつつむなかに咲いていた。


6時ころになりすでに暗くなっていたときまた相馬へゆく道をまちがいた。別れ道があり大きな道の方を行ったらそこは坂になっていてどんどん進んで相馬へ出れるのかと思ったらあの道は相馬に出れない、車の人に聞いてわかった。丸森の奥は深い、あんなところに家があった。それから引き返してやっとこの道をゆけば相馬だと聞いて一路帰った。星が光り蛙の声だけが山間に高くひびいていた。丸森はまだまだわかりにくい場所である。地形に変化があり魅力ある場所だと思った。

相馬に出たの8時過ぎで帰ったの9時ころだった。これだけの運動をしたからぐったり疲れた。
でも自分は身体障害者でなくなったからこれだけの無理ができるし結構無理ができると思った。
登山もできる。今まではこういうことは絶対できない、身体障害者であり小便でなくなったら死にいたるからだ。そういうことはないから安心した。やはり今は手術して正常に戻ったことで体に自身がついた。ヒマラヤ登山すら苦しいけどでるかもしれない、3000メ-トルまで上れば9000メ-トル級の山を見れるのだ。もう一度見てみたいと思った。


こうして家に帰ったら母が足を悪くして動けなくなっていた。トイレにも行けなくなっていた。
食事もほとんどとらないからもう寿命なのかもしれない、90以上になると突然弱るとパタパタと死ぬ人が多いらしい。だから死ぬ時期がきたのかもしれない、明日は入院とかの相談でありちょっと忙しくなるからプログの方は休みになるかもしれない、ただ自分は体が正常にもとったのでその点これら一人でものりきれるなと安心した。やはり介護は第一に健康であり健康がなくてはとても介護はできない、自分も介護されるような状態では介護はできないのだ。

こんなわけでこれからしばらくまた母のことで追われるかもしれない、人間はともかく死ぬまで手間がかかるものでありそれが大変なのである。
 
 
 
 

丸森の深い森から出れなくなった恐怖 (人間は文明化して自然への恐怖(津浪など)、畏れを失っていた)


丸森の深い森から出れなくなった恐怖

(人間は文明化して自然への恐怖(津浪など)、畏れを失っていた)

イノシシの左右に駆けて夏の闇


丸森で闇の中でイノシシに出会った。二三匹いた。かなり大きなもので迫力があった。警戒して盛んに左右にプットワ-クがよく機敏に動く、このイノシシにぶつかられたら大けがすると思った。
イノシシは別に夜行性ではないらしい、警戒して里近くでは夜に行動している。
野生のイノシシにあったのはじめてである。イノシシは良くみかけるといっても山の方に行っても猿はいてもイノシシはみかけなかった。野生で見るものは何でも迫力がある。
飼っているイノシシとは違うからだ。ただ本当の野生は喪失している。
野生が何かわからなくなっている。

丸森の森は大きく深い、落葉杉の葉で道がうまり道なき道を奥に行き過ぎた。どこかに道があると思い行き過ぎた。人間は普通に生活していれば今ではどこにでも道があるから迷うことなどないと思っている。それが文明社会である。人間は今やあまりにも文明社会に馴らされているのだ。
だから野生が何かわからなくなっている。秘境などどこにあるのだとなる。

丸森になぜ米沢藩と伊達藩と相馬藩で争いが起こったか?これは歴史資料としても有名であり論文もでている。森林資源を巡って争ったのである。それだけここが木材資源が豊富だったのである。
飯館村よりも豊富である。飯館村はそれなりに平地があるがここは山が重なり森が多いのである。
だから樅の木の原生林などが残されていた。樅の木はもともと原生林を形成していた。今は一本か二本しかないのが普通である。人間は森がどういうものか実感できなくなっている。
今回の経験は富士山の麓の樹海のように森から出れなくなるという恐怖だった。それだけ森が深く丸森では覆っていたのである。

人間は自然の中で本当の自然が何かわからなくなっている。自然というと動物園のようなものが自然だと錯覚している。動物も動物園でしか接していないからだ。野生の動物に接していないからそうなる。それでカバに中国人の子供が近づいて殺されたとかのニュ-スもあった。子供でも動物園の動物しか知らないしペットの動物しか知らない。おもちゃの動物のような錯覚もしている。

人間はこれだけ文明化されているとき本当の自然を肌で知らない。観念的にしか自然を知らないのである。丸森で森林資源を巡って争いが起きたことはこの原自然の状態があって必然的に起きたことである。それだけここの森林資源は豊だったのである。それだけ森が深いことをの証明だった。
そんなことをわかっているじゃないかというけど実際にこの深い森で道に迷って出れなくなるという恐怖からこの森がいかに深いか知った。

人間は今は自然を甘くみている。それも文明化された便利なものの延長として自然がある。だから森でもどこかに道があるだろうと思ったのが失敗だった。
道が途切れ道がなくなっていたのである。そこに樹々が暗い森がどこまでもおおっていた。

こういう自然の恐怖、例えば砂漠でも迷ったりしたらそれこそ命にかかわる恐怖である。
まず水がないから死につながりやすいのだ。森にはまだ水は流れているから命がつなぐことができる。しかし砂漠ではできない、水がないことが致命的となり死にいたるのである。だから水のある場所を探すことが最優先されるしその方向が間違ったら即集団でも死にいたるのである。
そういう自然の恐さを今は知らない、どんな場所に行っても自動販売機があるんじゃないかと思ってしまう。道はみんな舗装されていると思ってしまうのである。
だから近くの低山でも遭難することがあるということはやはり自然も奥深いものがあるからだ。
道がなくなると低山でも近くでも危険なのである。


自然を甘く見たというとき津浪もそうだった。津浪も一つの自然現象だった。しかし400年前に起きたことであり忘れていた。津浪によっても自然は恐いものだと改めて自覚させられた。あまりにも
文明化した世界に住んでいるとそうした自然の本当の力とか恐怖と恐れを感じなくなったのである。今は科学を敬っているというとき宗教のようになっているとうときまさに自然は科学で知り得るものだという信仰になっているのだ。ところが津浪で原発事故でもそういう自然の人間の力を越えたものに直面して狼狽した。つまりまさに自然の驚異、野生の驚異が地球にはまだある。とても文明だけでは計りしれないものが自然なのである。人間は計られている存在であり自然計ることができないのである。そのことをまざまざと示したのが津浪だったのである。
人間はどんなに文明化したとしても自然の驚異から逃れることはできない、自然の力は常に人間よりまさるものなのだ。人間はその前になす術もなくなる。それを示したのが津浪だったのである。

「心の青雲」で地震とは予知できないという、つまり学者がただ部分的に専門分野でみているだけで全体をみていない、地震は天体とも月などとも関係しているという、プレ-トがどうのうこうのという学説至上主義も疑っている。それもまた一理あるなと思う。要するに学説至上主義も一種の科学の信仰に近いものとなるがそれも信用できないのである。科学によって地球のすべてが解明されることなどないのだ。ただそういうふうに思い込まされているにすぎない。だから科学も詐欺的なところがあった。原子力関係者がすべての日本の支配階級が組んだペテンの面があったのだ。つまり核のことは実際は解明されていなかったのである。そういうものに手を出した結果としてこれだけ痛い目にあったのである。科学の力は偉大だし肯定されるべきである。でもすべてを人間が解明できないし科学者には限界がある。それが錯覚して原発事故のようなものがこれからも起きてくる。神は必ず人間の奢りを打ち砕くのである。これはどんなことしても神が造ったものは神しかわからないということである。そこに神に対する畏れをもつべきなのである。

posted by 老鶯 at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2013年05月07日

会津美里の夫婦殺害:被告、殺意の一部を否認 (高橋被告(旧姓-横倉)はやはり死刑が妥当なのか?)

 

会津美里の夫婦殺害:被告、殺意の一部を否認

(高橋被告(旧姓-横倉)はやはり死刑が妥当なのか?)


罪状認否で高橋被告(旧姓-横倉)はおおむね起訴内容を認めたが「初めから家人を殺そうした部分は否認する」と述べた。

●高橋被告は未必の殺意だったのか?

  故意
犯罪を行う意思 

 確定的殺意
殺そうと思ってした@,・・・ 

 未必の殺意
必ず殺ろしてやろうと思ったわけではないが死んでしまうなら仕方がないと思いした・・・ 

 認識ある過失
死んでもかまわないと思ったけど危険を知りながらしたdD蓴c・・・


故意・確定的故意(殺意)・未必の故意(殺意)・認識ある過失
http://www.nichibenren.or.jp/ja/citizen_judge/program/data/houteiyougo8.pdf
 

故意がないと犯罪にならない。高橋被告(横倉)はどれになたるのか?故意があるかどうかというとき
全く殺意も故意がなくても殺人は起こりうる。犯罪は起こりうる。盗む意志が故意がなくてもその人に全くその意志がなかったということがあった。その人はいろいろな問題に悩んでいて苦しめられていてその時混乱していた。たまたま二つのパンを無意識にポケットに入れていたのである。それは週刊誌を読んでポケットに入れたことを忘れていたのである。そういう個人的に何かに追いつめられたような精神状態の時、そういうことも起こりうる。故意もなにも全くないのに外から見れば犯罪になった。これは殺人まであてはまるのだ。全く故意がなくて殺人も起こりうるのだ。それで精神障害者の殺人は犯罪にならない、結果が殺人でもならないのである。まず善悪の判断もできないし故意もなにもないのである。ただ人間の心理状態は普通の人でもむしゃくしゃするときがありそんなとき思わず相手を殴ったり犯罪にもなる。それは精神障害者とにないるのだ。明確な故意がない、意志がないのに犯罪を犯してしまうのである。


高橋被告も妻は所有していた着物などを高橋被告に無断で質入れされたことなどでトラブルになり、昨年5月、高橋被告に殴られ、千枚通しで刺されたことを証言した。


このことは何を意味しているのか?相当にいらいらしていた、金にも追いつめられていた。そういう
異常な心理状態に追いつめられていた。犯罪を犯す前に妻にこれだけ危険なことをししていたことは次にさらに大きな犯罪につながる予兆だったのである。人間は何でも突然に事件でも起こらない、必ず予兆があるがそれが事件が起きるとそこだけクロ-ズアップされるから何でこんな残酷なことをしたのかとなる。高橋被告は未必の殺意だったのだろうか? 妻にこれだけのことをしたのだからヤケになっていたとも考えられる。もうどうでもいいや金が欲しいんだと犯行に走った。そういうヤケになった心理状態が犯罪に結びつきやすい。そうでなければこれだけの犯罪は犯せないだろう。
「初めから家人を殺そうした部分は否認する」というのは嘘ではない、ただ心理状態としてもうどうでもいい、

「必ず殺ろしてやろうと思ったわけではないが死んでしまうなら仕方がないと思いした」
 
 これは嘘ではないだろう。未必の殺意だったのだろう。
 
 ●殺す過程の残酷さは何を意味しているのか?
 
「 助けて」「お願い」−。悲痛な叫び声が続き、最後はうめき声に変わった。消防が確認のためにかけ直した電話には高橋被告が出て「すいません。間違い電話です。大丈夫です」と答えた。
 
 こういうふうに命乞いしても残酷に殺した。ここでは裁判員も同情の余地がなくなる。こだけ残酷に殺せるのはどうしてなのか?人間の情の一片もないのかとなる。こういう犯罪は深い恨みがある場合に起こりやすい。それがないのだからただ金目的でこれだけ残酷になれるのかという疑問がある。それでも消防には冷静な対処をしているのである。こういうことはなかなか冷静でないとできないだろう。冷静だということは突発ではなく故意で計画的二男ているともいえる。普通だったらそんな冷静に対処できないということもある。だからこの残酷さが裁判員から見たら許せない残酷さにみえる。

結局金を得るまえに金が得られない夫婦にはばまれたということが激情的になったのかもしれない。もし金を得ていたら殺すまではしなかったかもしれない、何も得られない、でも犯罪者として顔を見られ通報されるから殺したとなる。事の成り行きがあったかもしれない、人間は普通冷静でないから極端な犯罪にも走る。冷静だったら普通はそんな犯罪を犯さない、よほど追いつめられていない限りこんな残酷な犯罪にはならない、高橋被告は妻を刺したということでかなり追いつめられていたのである。ともかく心理状態がやはり追いつめられていた異常化していたことは確かだろう。
 ヤケになっていたというのが真実ではないか?だからこそそこまで突っ走って残酷なこともできた。

●刑罰の軽重はその結果によって判定される


とにかく犯罪の刑はその結果によって決められることになりやすい。故意とか動機が何だとかいろいろ言っても二人も残酷に殺したら許せないとなる。結果の重大性が世の中では第一なのである。
江戸時代では五両盗んだら獄門になった。現代では百円盗んだものとい千万盗んだものでもたいして変わりない、かえって百円盗んだ人が重罪にもされている。それが変だとしてそれが現実なのである。でも百円盗んだとは出来心でしたと返して誤ればすむことである。でも一千万盗んだ人はもう絶対に返さない、返せない、その額が大きいからそもそも欲望が強いからそれだけのことをしたのであり返して謝ることなどないのである。その額の大きさがかえって謝ることも悔い改めることもできないものにしているのだ。だから江戸時代の罪の決め方の方が的を得ているともなる。

情状酌量というけどこれを考慮したらこの世の中きりなくなるのだ。この犯罪を犯したのはこの人の不幸な生い立ち、家族に恵まれなかったせいだとかこういうことを言うときりなくなるのだ。
例えばこの世では非常識な人がいくらでもいる。なぜこんな人が世間にまかり通っているのかという人も多くいる。心も曲がった人もいくらでもいる。そういう人たちと接してこの人たちは不幸な生い立ちでありそういう事情があったからそこを情状酌量すべきだというとききりがなくなるのだ。
そういう不幸はわかるにしてもそれをいちいち考えたらきりがない、結局何かしら人間には情状酌量するところがありそれで罪が軽減されるべきだとなるとみんな罪を問うことすらできなくなる。
いい大人になったら人は結果をみている。殺人を犯したらその結果をみている。殺人になったらいくら謝ってもその命は帰ってこないのだから深刻なのである。だから目には目をになる。人の命を奪ったら何であれその人の命を奪わねばならないとなる。

結局高橋被告は二人も残酷に殺しているのだからその結果をみれば死刑になっても仕方ないとなる。故意とかなんとか法律用語でも擁護しても納得いかないともなる。

ではあなだが裁判員になったらどういう判決をして刑を与えますか?
これは本当に困難を究めたものになる。裁判員が判定するのは荷が重いということもある。
裁判員制度で罪が重くなる傾向があるということは感情的になりリンチ的なものがでてきているからかもしれない、裁判員自体が冷静に見れなくなる。法律用語を勉強してもなかなかかりにくい。
すると結果を見てそれから判断するとなってしまう。その事情や故意とかの法律用語より結果から決めてしまう。それで重い刑を課すのが多くなっているというのはそのためかもしれない、

結局、人間には人が人を裁くことが荷が重すぎるしもともとできないことだったのである。
裁くのは神しかできない、人を裁くなというのはそのことである。
盗む方でもそれなりの理屈がある。官僚など他でも地位あるものは金でも濡れ手で粟で入ってくる。それは国民から盗んでいるのではないかという理屈もあるし現実でもある。
だから不正に金をためたやつの金は盗んでもいい、その人は殺してもいいと思う人もでてくる。
そういう不正が世の中には日常的にあるからだ。
だからなかなか公正に裁くことなどできないのである。



このペ-ジはよく読まれている。やはり関心が高い、裁判員制度になり余計こうした重大な犯罪の罪を決めるので国民の関心も高まった。
裁判員制度自体がまだ国民になじんでいない、でも裁判員にされた人は困惑するだろう。
どういうふうに考えていいのかもわからない、それで罪が軽減される傾向があると思ったら
罪が重くなっているというのも意外な結果である。やはり裁判員自体が冷静になりにくい、感情的になるからかもしれない、家族の訴えなどに同情しすぎるからそうなるのかもしれない、

ただその判定はあまりにもむずかしすぎるのだ。
死刑にするということはまた人をみんなで殺すということにもなる。だから外国では死刑だけは廃止したのだろう。日本だけは死刑にしている。その根拠は何なのか?外国ではどういう理由で死刑を廃止しているのか?死刑の判定をすることは裁判員も犯罪者を殺すということにもなる。逆に殺人罪を共有するこにもなりかねないから深刻なのである。
そこには人間が人間を裁く限界があるからだ。
posted by 老鶯 at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2013年05月09日

桜は散った(介護は延々とつづく)


桜は散った(介護は延々とつづく)

十分に光を吸いて牡丹散る

我が庭に牡丹二輪残る夕べかな
牡丹の緋の色にじむ夕べかな


散りはてぬ大坂城の桜かな訪ねてみれば夢の跡かも

散りはてぬ千本桜一時の夢にしあれや電車過ぎゆく
山桜高きに咲きて仰ぎしも真澄の空に映えつ散りにき

八重桜今日も散りにきこの道のその影踏みつ故郷に住む

桜は散った。前見た高いところに咲いていて山桜も散った。もうこの辺ではほとんどの桜は散ったろう。今年見た桜では近くの山桜で高い所、見上げるような所に咲いていた桜が印象的だった。それも今日はなにももない、桜は咲き始めて散るまでの期間が一つのドラマのようになり人間の一生にもにているからひかれるのだろう。ただ戦争中のように潔く桜のように散るのがいいのだというのは戦争に利用されたというのもある。20代で死ぬなどいいことはないのだ。その若さだったらみんな無念の内に死んだのである。それで満足している人はいないだろう。
牡丹は十分に光を吸って散った。牡丹のように咲けば満足だろうとなる。桜があんなに咲いていたのにみんな跡形もなく散ってしまうのは夢のようだとなる。桜は特に華やかでもそれが一時に散ってしまうから日本人がひかれる花となった。

一方で介護は延々とつづく、足が悪くなって動けなくなったがなんとか今度はボ-タブルトイレを設置してそこで用をたす。ベッドも置くことにした。介護保険から金が出るから一割払えばいいしベッドも借りて払うからそれほど金がかからない、でも介護は容易ではない、介護には本当はみる人が二人必要であり金もかかる。それを自分は一人でそれも病気の時にも介護していたのである。
いかに苦しかったか誰もそれをみている人もいなかった。福祉関係の人すら自分のそういう状態をみていなかった。親戚はかえって身体障害者になったとき責めてきたし入院したときも責めてきた。
弱さにつけこまれて責められ苦しめられるだけだった。

介護に第一健康であり次に金であり次に介護する人手が大事になる。その三拍子そろうとなんとかやっていける。一つでも欠けると苦しくなるのだ。でもこの三拍子が揃う人はそんなにないだろう。
ただこのなかで大事なのは別に介護するからではなく健康でなければのりきれない、一人暮らしとか身寄りがないとかでも病気にならなければなんとかやっていけるのだ。
病気になったらどうにもならなくなるのだ。誰かの援助なしには暮らしていけないからだ。金があってもそれですべてできるわけではないからだ。

65才以上になると地域支援の人が役所から回ってきた。65才から老人として扱われる。
結局今の時代は隣近所は全くあてにならない、見て見ぬふりであり死んでも関心すらもたない、それは別に田舎でも同じであり限界集落とかで人のつながりが強いところでも村自体のつながりがなくなって孤独死していたという。そういう時代のときやはり福祉関係のサ-ビスに頼ることが多くなる。
だから福祉サ-ビスがいい市町村は老人にとってはいいというのは確かである。

自分でトイレに行けなくなることこれはかなり本人にとっては苦しいものとなる。これで介護度もすすむ。それでもなんとかポ-タブルトイレでもいければまだ介護度は進んでいない、もう自力でトイレにいけなくなったとき、そのとき介護度がすすむ。寝たりになりオムツになってしまったら最悪である。こうなると家でめんどうみるのは人手がなければできなくなる。

要するには人間は桜のようにいさぎよくきれいに散れない、死ねないのである。延々ととことん最後までいろいろ苦しみ迷惑をかけて死んでゆく、現実にその人にとってトイレにいけなくなるということは相当な苦痛なのである。オムツになると人間の尊厳すら失われる。だからトイレに自力で行けることが意外と大事なのである。でもその後も介護が今はつづくのである。人間は桜のようには簡単に死ねないのである。本人にすれば泣いていたようにトイレに行けなくなくことが相当な苦痛なのだからどうしてもその苦痛を和らげる対処をしてやらなければならないのだ。
今度はベッドを借りることにした。これだとトイレはさらに楽になる。
こうなるとまた介護も楽ではない、でも自分は健康になったからなんとかのりきれる自信はついたのである。身体障害者が介護はできないのである。

2013年05月10日

牡丹散る



牡丹も散る


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光受け牡丹に余裕長寿かな


大きなる家に住みつつ牡丹散る華やかに姉の在りし日想ふ

まぶしきや朝の光に散る牡丹光につつまれ散りにけるかな
一時に五輪の牡丹今日散りぬその華やかさを共にし散りぬ

牡丹五輪散りしもなおも一輪は隠され咲きて夕暮れしかも

牡丹は今年は六輪咲いた。毎年六輪くらい咲いているのか?4輪のときもあった。とにかく牡丹は華やかである。華やかというとき姉は太っていて華やかさがあった。性格的にはいろいろ問題があったが性格が外向的で陽気で華やかだった。ただ謙虚さには欠けていた。人は完全な人はいない、内向的な性格と外向的な性格がありこれは水と油のように違っている場合があるのだ。自分は内向的だからあういうふうに外向的で陽気な人にひかれるということがあった。だから姉がいるときはこの家も華やかさがあった。しかし今は全くない。


人間も牡丹のようにまぶしい朝の光に散れば死ねればいいのだ。眩しい光を受けて光につつまれてあの世に行くのが理想なのである。でも人間の死も動物と同じであり無惨なのである。肉体が朽ちてゆくから牡丹のように華やかには散れないのである。人間が死ぬときやはり昇天するということがあるだろう。人によって違うが普通は無惨な死に方の方が多いのである。死ぬ相に異常にこだわるのも問題だろう。なかなか安らかに死ねる人はいない、これはどんな宗教に入っていてもそうなる。

カルト宗教団体などはあれだけの数だから別に宗教に関係なく無惨に死んでいるのが多いのである。学生で交通事故で死んだ人がいても成仏したとか言う。その他非業の死を遂げても成仏したとか言うが実際は違っている。

ともかく牡丹も散った。桜も散ったしあとはこれから藤の花とか菖蒲とかになり地味になり雨の季節にもなる。5月上旬までは一番華やかだった。今年もたちまち過ぎた。ただ今年は身体障害者から解放されたから体力的にも充実しているし楽である。牡丹はやはり一番華やかな花である。

人間もその才能でも牡丹のように開花して散れば満足だともなる。高齢化社会はまだ時間に余裕があるからゆっくりと円熟させるのもいいだろう。花にはいろいろあり花詩集ができる。花について書いた詩を詩集としてまとめたい、ただ詩集の部はにまだ出していない、三つのプログをやることが手間なのである。プログもアップするのが結構手間なのである。さくらのプログはあまり良くできていない、アップしずらのである。だから別なのに移りたい希望はある。ただこれまためんどうになるからなかなか一旦最初に入った所から移れないのが困るのだ。でもどういうわけかプックマ-クから1500くらいきているみたいだ。でも訪問者500人くらいなのか?毎日読んでいる人が1500人もいるとしたらかなりの数なのである。ただ自分のプログは記事の量が膨大だからアクセスが増えるのである。でも毎日プックマ-クからくる人が1500人くらいいたら多いと感じる。ただ訪問者は300くらいだとろるとこの関係がどうなっているかわからないのだ。

 
 

2013年05月11日

菖蒲-忘れな草-八重桜(淋しい町)

 

菖蒲-忘れな草-八重桜(淋しい町)


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駅に待つ雨しととふり八重桜

夏雲雀草原のかなた海光る


八重桜今日も咲きつつ散りにけりこの道行きてともに暮らしぬ

牡丹の散れる花弁のあまたかな華やかさの余韻残して暮れぬ
忘れな草庭の隅に隠されて咲きしを知るは我のみなりしも

菖蒲咲き鈴蘭咲きぬ通りかなこの町淋し人もともしく

今の時期は八重桜になった。駅に待っているという時間が一つの旅なのである。待つ時間を旅を豊にするのだ。旅も団体でゆくとこうした待つ時間とかないのだ。自分の場合はあまりにも待つ時間が長かった。それだけぜいたくな旅をした。電車を待つために人生の時間があったとすらなる。
それほど旅していたのである。これほど恵まれた時間はなかった。しかしそれもまたたくまにすぎた。そんな時間が有益だったかどうかはわからない、何が人生で有益だったのかなど最後になってみないとわからない、本当に人生は最後にならないと何が幸福だったのか不幸だったのかわからない、

結婚でもなんでもその結果は最後にわかる。その結果は常に意外なのである。その時は幸せだったと想ったことが不幸になっていることなどいくらでもある。あの人はうらやましいなと思ってみても実際は最後にはそうでもない、かえって不幸だったとかなる。
金持ち羨んだりいろいろうらやむけどその結果はその時見ただけではわからないのだ。

一人は家事をやらせれていて奴隷のように働かせられていた。一人は何もしない、いつも食事でも用意されていた。結果的にどうなったか?働かせられていた人は97才まで生きて何もしなかった人は85才で認知症になり死んだのである。これも予想もつかないことだった。奴隷のように働かせられた人が認知症にならなかった。何もしないで体と脳を働かせなかった人は認知症になったのである。

認知症は家事でも何か頭で体でも働かせていないとなりやすいということは確実にあるのだ。
それがすべてではないにしろ確率的には大きな要因であることはまちがいないのだ。
その時奴隷のように働かせられた人は不幸でありそれを使っている人は幸福に見える。
結果的には逆の結果ともなっていたのだ。だから何が幸不幸かなどわからないのだ。


本当に金持ちの使用人が不幸なのか、何もせずなんでもしてもらえる金持ちが幸福かとなるとこれもわからないとなる。何でもしてもらえて家事もしないとなるとその人は怠け者となり認知症になりやすくなるかもしれない、脳が働かなくなりそうなりやすい、家事などしないで遊んでいてもやはり家事はそれなりに仕事になっているから遊ぶのとは違うのである。一人で家事をやるとなるとこれはなかなか大変なのである。今は介護でまたベッドとポ-タブルトイレになったから負担になる。

それで思い出したのが病院で入院していた女性がポ-タブルトイレにたまった便などを看護師になげてもらうのにすまないすまないと何度も恐縮して言っていたことである。あんなにすまないすまないと言わねばならないのかわからなかった。それだけ他人に世話になるのは気を使うということもある。でも施設でもそんなこと全然気を使うこともない人もいる。これも人によりけりだったのか?
家にいる限りはそんなに気を使う必要がないから楽だとなる。


通りには菖蒲と鈴蘭が咲いていた。通りといっても川の方は店もほととない、ただ車が通っているだけである。仮設で人が増えてもやはりこの辺はまだ都会とはあまりにも違っている。びっしり家が建っていることはない、都会は隙間なく建っているのだから密集地獄になっている。あういうところには住みたくない、だからどうして東京のような狭苦しい密集地獄に住めるのか自分には不思議である。若いときはかえってあういう所でも良かった。そのあとは自分の性格もあるがあういう密集地獄には住みたくない。ただ都会に住めば都会はいいという人もいる。都会には都会の良さがあることは確かでも自分には向いていなかった。やはり秘境のような所がまだあるところが向いていた。

丸森は秘境的な場であり飯館もそうだったが今度は丸森の方にどうしてもゆくようになる。飯館にはやはり店もないし休む場所もなくなったからだ。

忘れな草がどうしてここに咲いていたのかわからない、隠されるように咲いていた。やはり竹とかには花がにあう。老後は庭いじりが向いているのだ。狭い庭でもなぐさめになる。ただこうして全部一人でやっているから忙しいのである。

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2013年05月12日

「心に青雲」で紹介された『トゥルーマン・ショー』を見る (権力、マスコミによって操作されている人間-原発も同じだった)


「心に青雲」で紹介された『トゥルーマン・ショー』を見る

(権力、マスコミによって操作されている人間-原発も同じだった)

 なぜ見る気になったかというと、911事件の映像がことごとくCGでつくられたもので、現実には貿易センタービルに飛行機は激突していなかったことを知ったからである。
 以前にも書いたが、私は2001年9月11日の深夜にテレビの中継(?)を見ながら、これはアメリカの自作自演だと見抜いた。だがそのとき流されていた飛行機がビルに激突する映像までが、あらかじめ用意されていたCG作品だったとは気がつかなかった。


 つまりわれわれが現場で起きていると思っていたものが、実は作り物だったのである。それで、昔観た映画『トゥルーマン・ショー』を思い出
した次第である。これはまさに『トゥルーマン・ショー』の世界ではないか、と。


私たちの世界は、もしかしてトゥルーマンのように巨大な書き割りセットの中にいて、ユダヤ金融マフィアあたりから与えられた生活を送っているのであり、それを〈彼ら〉が面白そうにどこかで眺めているかのような気がしてくる。


 ボストンマラソンの爆発事件にしても、徐々にわかってきたのはニュースに出ていた負傷者たちの多くが偽物であったことだった。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/359849294.html

ここで無料で見られる
http://freemovielib.blog47.fc2.com/blog-entry-436.html



インタ-ネットでは絶えず本でも過去の映画もDVDで紹介される。こんな映画あったのと面白そうだなとアマゾンで結構買った。でも映画は中味が見れないので面白いものが少なかった。本ではだいたい検討がつくが映画は検討がつかない。でも映画の種類もこんなに多いのかと驚く。
この映画は現代の文明の問題を鋭く映像化したので高く評価できる。

この映画は一人の人間が生まれてから成長して死ぬまでも監視カメラで追われ続けスタ-にされていた。そのすべてがセットであり俳優だった。妻もその仕組みの中に入ってだましていた。妻も映画として見せるために与えられた俳優だったし友人もそうだった。すべてが回りの家も風景も映画のセットだったのである。そのセットを操るのが一番トップにたつ監督であった。その命令は絶対だったのである。だから3.11のニュ-ヨ-クに飛行機が突入したのも実はCGだったとかにもなる。明かにボストンマラソンはFBIによって仕組まれたものらしい。それはプログで分析しているからわかりやすい。
ニュ-スの映像でもそれが作られていることがあるのだ。テレビ局のやらせが問題になった。
マスコミはトル-マンショ-のようにスタ-を作り上げる。マスコミに出る人はマスコミの報道する側で操作されて作られるのである。マスコミで有名になる人もそうである。誰もかってにテレビに出ることはできないのである。たいがいは芸能プロダクションに所属している人だという。それは事前に決められた人である。


これを見ればテレビからは我々はもはや真実が何なのかわからなくなるだろう。NHKで報道されることだってすべてが報道されるわけではない、必ずタブ-がありそのことは報道されない、NHKも大衆を国民を操作するメデアなのである。トル-マンショ-のようにすべてが操作されているのをみている。情報は権力をもつものによって操作されているのだ。巨大な権力というとき背後にいろいろある。カルト宗教団体もそうである。オウムだってオウム王国をめざして権力奪取をめざしていた。日本国をのっとろうとしていた。その一つの武器としてサリン製造があった。創価なども創価王国建設のために権力を我が物にしようと地方新聞社に聖教新聞をすらせている。莫大な財力があるからできることである。幸福の科学でも政治に進出したから同じである。だから創価では維新は幸福の科学が入り込んでいると対抗意識をもつ。自分たちの権力が脅かされているからだ。どっちにしろ権力を目指していることでは同じである。創価ではだから教員とか公務員とか司法関係とか権力をもつものに入り込ませる。創価大学はそういう日本の権力中枢を掌握されために作られたのである。東大が法学部で司法を支配するのとにている。


別にこういうことは創価だけではない、権力をもつものに情報は操作されているのだ。マスコミはその巨大な権力にとりこまれたものにすぎない、それが明確化したのは今度の原発事故だった。東電の権力は国家並だったのである。何兆円もの資産をもっていた。賠償金も天文学であってもそれができていることに驚いた。市町村をいくつも買えるほどの資産をもっていたのである。それだけの巨大な権力だからマスコミなど簡単にとりこむことができた。政治家もその走狗となってしまった。天下りで警察官僚までとりこみ、原発に反対させなかった。フクシマ原発でも何らか検察までかかわっていた。その背後にはアメリカの意図がありユダヤがかかわっていたか心の青雲ではなる。
ユダヤはわからないにしても何か大きな権力が背後にありその意図通りに操作されていることは確かなのである。遂にトル-マンショ-では嵐まで天候まで人工的に作り上げるセットのなかにあったのだ。これはしきりに心の青雲などの主催者が言う、人工地震だったのである。地震まで操作できるという世界にいるのかとなる。地震を起こせる力があれば世界を支配できることにもなるからだ。


ユダ金とか「心の青雲」ではしきりに批判しているけどそれほどの支配力がユダヤ人にあるのか疑問である。まさに世界を支配するほどの力がユダヤ人にあるとしたユダヤ人は聖書の時代から以前として世界を支配する中心民族だともなるからだ。ユダヤ人だけは今まで国土ももたないのに滅びていない、エジプト文明を作った民族やマヤやインカ文明を作った人種は滅びている。残っていてもその文明を作った人たちの力は完全に喪失している。ギリシャ人もあれだけの天才をだしたのに今は菜の花のとロバの国になりヨ-ロッパの保養地にすぎない、なんら生産的なものがないのである。もちろんノ-ベル賞の学者など一人もでないのである。ユダヤ人は以前として優秀な人材を出している。
それは何なのだろうとなる。ユダヤ人といっても本当にユダヤ人の子孫なのかというのもわからない。キリストはユダヤ教を否定した人である。それはヒンズ-教を否定して仏教を起こした釈迦とにている。そして別にキリスト教側でもユダヤ人が本来のユダヤ人に立ち返れば世界が変わるという人もいる。だからあれほどユダヤを憎みまたキリスト教を憎むまでなっているのはなぜなのか?
キリスト教団体を憎むのはわかるがキリストそのものを憎むのがわかりにくい。
一体この世を支配しているものはそもそも何なのかというときそれは闇の主なるサタンでありユダヤ人ではありえない、ユダヤ人だけにそんな力がありえないのである。


いづれにしろトル-マンショ-というのは一区画が映画のためにセット化されていた、人間もすべてそうである。でもそもそもこの文明社会はトル-マンショ-とにているのではないか?全く自分で生きていると思ってもそれは誰かに操作されたものでありニュ-スでも情報でも自ら見たものでもないからテレビの映像をCGの方が真実のように見させられるのである。人間の一生はすでに死ぬまで決められている。そこに冒険も意外性もなにもない、トル-マンショ-と同じではないか?そういう疑問をもった人が上野霄里氏とかニ-チェとか天才的アウトサイダ-になった。文明そのものがトル-マンショ-なのである。文明によって計算され仕組まれた人生を生きることに対抗するには文明から脱出してトル-マンショ-のようにその囲まれた壁を破らねばならない、それは遂に天才的狂気的なエネルギ-が必要になるのだ。

ただ原発事故ではそうしたアウトサイダ-でなくても情報は権力に操作されていたことが地震と津浪で明確になった。安全神話は東電と政府が一体となり国民を操作していたのである。それに逆らうことはトル-マンショ-のようにできなかったのである。例えば言論の自由があるから反対する本も出ていたのである。その本すら実は原発の安全神話のために権力側に許可されてでていたという。ロスチャイルドから情報の提供がありそのくらいの批判は許されていた。だから結局原発に反対する情報はすべて権力側によって操作されたものだったのである。心の青雲では歴史の見直しをしている。あういう見方があるのかと新鮮なものがあった。歴史でも一人の天才的な人が出れば見方が変わるということがある。結局こういう人が出たのはインタ-ネット時代になったからである。
こういうことは公にはされないものだったのである。自分もそうでありアウトサイダ-になればそうなる。出版でもなんでも情報は巨大な権力に操作されている。インタ-ネットすらアメリカが作ったものとすると操作されるということがある。膨大な世界の情報がアメリカに分析され操作されることもある。だから中国ではグ-グルに批判的なのである。

2013年05月13日

小人閑居して不善を成す (原発避難民が東京でギャンブル遊び)


小人閑居して不善を成す

(原発避難民が東京でギャンブル遊び)


いわきにはパチンコ屋が多いのですが、どこもかしこも平日の昼間から駐車場が満車です。
普通じゃありえない混雑振りです。

原発被災者の方もほどほどにしておかないと、批判にさらされるでしょうね。電気代の値上げも結局そういう人たちに行くわけですから。一人10万円で5人家族で50万円も毎月入るなら湯水のように使うでしょうね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1485326309


今日あった人は東京まで行ってギャンブル、競馬をしていた。新しい靴を東京で買ったとか自慢していた。靴自体安物であった。東京とか仙台で原発避難民が遊んでいるというのは本当だったと思った。近くでパチンコ屋に行くことは聞いていたが東京までけいはに行くというのはちょっと贅沢であり今まで競馬するにしても福島市まで行っても東京まで行かないだろう。金が入るから東京まで行っているのか?競馬のことはわからない。仲間が400万もうけたとか言っていた。もともと競馬をしている人はいたしパチンコをしていた人もいた。ただその時ほとんどの人が働いていたのである。
だからそのことでそんなに批判する人はいなかった。気晴らしにやっているくらいだと思っていた。今原発避難民は毎日ギャンブルであれ何であれ遊んでいるだけである。それも東京まで行くとなるとそれは贅沢だなとなる。ギャンブルだけではない東京に行ったら風俗などの遊びに行っているかもしれない、それだけの金が入るとなると一般的にそうなりやすい。


第一高尚な趣味は相当な年期が必要なのである。老後に軽い気持ちで俳句を作ろうかなどとなるが俳句でも季語や花の名前を覚えるだけで十年二十年とかかるのだ。簡単に俳句だって作れないのである。だから一般的には仕事でも強いられてしてでもしていればそうはならないのだ。
「小人閑居して不善を成す」このことが今は原発避難民に起こっているのだ。自分も小人だったから若いときから仕事していないからそうなった。暇で暇でしょうがなかったのである。いつも三食用意されているし時間はありあまるほどあった。だから旅ばかりしていたとなる。読書も趣味だからしていた。パソコンもその間に覚えたとかは違っていた。でもやはり小人は暇を与えられると不善を成すのである。暇を有効に使うことは簡単にできないのだ。


英語 school(スクール)の語源は古代ギリシャ語で、schole(スコレー、暇)。古代ギリシアや古代ローマの「市民」(市民権をもつ男。裕福で、労働は奴隷がおこなう)が、音楽や芝居、議論を楽しんだり、スポーツを嗜んだりする暇な時間、そしてその暇つぶしの場所から由来し、ラテン語でそれをschola(スコラ)と訳したのが直接の語源になる。scholaは、「学院、僧院」の意味で、思想史では「スコラ学」(僧院哲学、スコラ哲学)の名前で出てくる。実際には、スコラはキリスト教の教義の研究や教育に専念する修道士たちの生活と研究の場であった僧院のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1


暇があったからこそ学問も芸術も生まれたことも確かである。一方でロ-マではパンとサ-カスのように堕落した民衆にもなった。現代でもやはりパンとサ-カスになっている。ただサ-カスはテレビとかいろいろ大衆的娯楽が増えたが本質的には変わっていない。民衆の知的レベルはやはり上がらないしそういうものが人間である。最近思うに民衆は民主主義になりただすべてが平等となりもう誰も何が人間として尊敬すべきものかなどない、貴族がなくなったとき貴族ならそれなりに芸術の鑑賞や価値を知るものがいた。何が人間にとって価値あるものか精神的に価値あるのもか知るものがいた。


そういうエリ-トは社会にとって必要だった。それがなくなったとき、どんな下劣なものでも対等の原理が働くようになった。そのことは誰も偉い人はいないし認めない時代である。江戸時代あたりなら分をわきまえるということがあった。それは差別で不平等だということもあった。でも今の時代になるとどんな下劣でも分をわきまえる人などいない、相手が金持ちだったら自分も金持ちであるべきだ。相手が才能があったら自分も同じ才能があるべきだ。そうならないのは金がないからだと極端化しているのだ。だから非常識な人が増えているというとき民衆自体がただ民主主義ではすべてが対等でありあらゆるものの平準化を均等化を要求する。そうしないとみんな不満になる。だから学校では競争させないとまでなった。何か差をつけることが否定されるのである。

だからもう大衆に何かモラルとか理屈とか言うのは無益だとさえ思うようになった。なぜこんなひどい人ばかり増えたのかと思う。知識がなくても分をわきまえるとかなればそう思わない、民衆は今や民主主義、資本主義の下では欲望の無限の追求である。そこで分をわきまえて欲望を抑えることなどしない、大衆にはもはやモラルは喪失して欲望の野獣化したのである。
だから民衆が素朴だといういうことは田舎でもない、一部にあっても一般的にはそうである。だから欲望を満たしてやる欲望を刺激することが進められる。そのことを大衆は一番求めていることなのだ。カルト宗教団体もだからあなたたちの欲望が拝めばかなえられますよとしか言わないからこそあれだけの数が集まってくる。だから今までの素朴な分をわきまえる民衆というのはいなくなったのである。非常に利己的に分をわきまえないどこまでも欲望を追求する人しかいない、それが戦後の民主主義と資本主義で拍車がかかったのである。


原発避難民ではさらにそうしたことが露骨に現れる場所になったのである。もう補償金ずっともらって遊んでいればいいんだ、今がいいければいいんだと言っていた。補償金はあといつまでももらえないよと言っても無駄である。刹那的快楽を求めているだけとなっている。そして政府とか東電とかが払うのだから払ってもらえると思っている。そしてその権利があると思うようになったのである。
今の時代は被害者になると被害者特権が生まれてそうなりやすいのである。沖縄なんかもそうなっているし韓国でも常にそうだった。中国も被害者だということで日本から賠償金を請求し続けていたのである。そういうふうに原発避難民は堕落してゆく。

それで浪江町長の馬場町長が補償金いらないと言ったそうである。この真意はわからないがもしかしたら補償金ばかり請求して堕落している避難民のことがあったからかもしれない、これは何なのか実際はわからないが原発避難民と化している市町村にはそういうことを危惧することがある。この辺ではこれから生活保護所帯がかなり増えてくる。そういう地域はやはり外部からまともな市町村とは見られないだろうしイメ-ジが悪くなるのだ。
飯館村のように所得が低くてもまでいな村として村作りしていたとき外部の人から好感がもたれていて訪ねる人も結構あったのだ。今はこの辺にはそういうことがなくなったのだ。原発事故周辺はこうして人心の荒廃がすすみ外部から入ってきた人もここに住みたくないと大内村では出て行った。


でもその解決策はあるのかとなるとこれまたむずかしい。職につけといっても簡単につけないこともある。遊んで暮らせるならめんどうだからその方がいいともなるのが人間でありそうしたことを変えることは簡単ではないだろう。人間はどうしても楽な方につきたいのである。何か強いられない限り苦しいことはやりたくないのだ。それは自分でもそうだった。仕事でも若いときから流れ作業のアルバイトはかりしていたからもう仕事がしたくなくなった。仕事はこんなものしかないのとか思いしたくなくなったのである。なかなか生きがいある仕事につけないのが社会なのである。だから遊んで暮らせるならそれでもいいやとなる。でもそれは「小人閑居して不善を成す」になる。仕事をしていればやはり仕事なのかで培われるものがある。ただ単に金をもらうというだけではない、ギャンブルばかりしていたらその一生は恐ろしい浪費として終わる。例えそれで生活できたとしても浪費意外なにものでもないとなる。だから今になって仕事なくても生活できるけど虚しい生きがいがないと思う人も増えたのである。


いづれにしろ小高の人は下水道などが整備されれば帰らざるをえなくなるのではないか?インフラが調えば帰ってくださいとなり補償金も打ち切られる。仮設住宅は5年住むのが限界だという。すでにかなり痛んでいるというからだ。すると復興住宅がこの辺でも建設されているがここに入れる人は津浪の被害者であり原発避難民はまた別である。小高に家があれば帰ってくださいとなる。ただ南相馬市は小高でも南相馬市民だから違っている。いわきで問題なのはいわき市民になっていないからである。相馬市の場合も相馬藩というアイディンティティはあってもやはり南相馬市とはまた事情が違っている。補償金は全くもらっていないから反発されるだろう。結局金があればいいだけでは解決できない問題が実は結構あるのだ。それでもしかしたら馬場町長が金をいらないと言ったのはそういうことがあったからなのか真意は不明である。

つまり金を要求すればするほどなぜか原発避難民は強欲だと事故も前も金をもらっていた。事故後もまた補償金で潤っているとか実は東電とか政府は批判されず批判の矛先が原発避難民に向けられているのだ。そうなるとだんだん原発事故地帯は国民から同情されず生活保護も増えてやっかいな人たちが増えたとなる。東電社員は最初責められていたが今は責められないのである。会社の幹部も事故の責任追及もされない。だから補償金を大目に払い批判の矛先を原発避難民にむけるという意図があるのかもしれない、ただそんなに補償金を払い続けることもむずかしい。ただ避難の矛先は原発避難民の方に向けられていることは確かなのである。

posted by 老鶯 at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

抽象画(原初の花-光る花)


抽象画(原初の花-光る花)

原初の花

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ラフレシア


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光る細胞-細胞分裂


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結合する光


抽象画は題名はどうにでもつけられる。
これは光っているから光ることがテ-マになる。

ラフレシアににているから名前をつけたが
やはり光ることはパソコンでしか表現できないア-トだった
結合する光はまさにまばゆい

人も光として結合すればこうなるだろう
一方で闇ともなるのが人間である。

2013年05月14日

水田がない自然の不思議(田んぼなく蛙がいない)


水田がない自然の不思議(田んぼなく蛙がいない)

チャ-リップ新しき家また建ちぬ
前畑に蛙の鳴いて夕暮れぬ
一区画水張る田にそ蛙の声
いつの日や蛙鳴く声満ちる日は
老鶯や松一本に同じ道
郊外のイオンに集るつつじかな

草原に日ざしのまぶし夏の蝶

一輪の牡丹隠されなお咲きぬ我が見守りつ時の遅かれ
我が庭の牡丹は散るも隣家の牡丹は咲きぬ四五輪ほど


蛙は冬は田だったところに冬眠していて田に水が張られると目覚めるという。蛙は水のあるところに集る。だから試験的に田に水張っている処に蛙が鳴いていた。蛙は水がないところには生息しない、湿地帯化して水がたまっているところに蛙が鳴く、田んぼがなくても蛙がすみつく。

蛙が鳴くのは

基本的にほとんどが繁殖行動に伴う鳴き声ですね。
そして、生きるための必要性からくる警戒、危険音
http://q.hatena.ne.jp/1148202762


蛙と水田はすでに海岸の松原のように第二の自然としてあった。だから蛙の鳴き声が聞こえないのが不思議なのである。田んぼが草原化し
たときかえって蝶にはあっている。夏の蝶が広い草原を飛ぶのはあっていたのである。草原の景色はモンゴルの草原とにている。水田は湿っぽい。日本は湿地帯が多いように湿潤地帯である。雨が多いから水田があり米も作れる。だから大和言葉でもしめやかにとかしみいるとかは何か日本の風土から生まれた言葉なのである。そういう表現は外国語に少ないだろう。英語などでも乾いた土地から生まれた感覚だからである。蛙もしめっぽいところに生息するものである。皮膚呼吸して雨を呼ぶというのもそのためである。しめっぽいの体にいいのである。
だから蛙は極めて日本的な風土にマッチしたものとして生息していたのである。


雨鳴きというのは、カエルは呼吸の大部分を皮膚呼吸に頼っていて
皮膚が湿っていないと生きていけませんから、


菖蒲などもしめやかにしっとりと咲いている。これも雨の季節にふさわしいから日本的風土にあっている花だとなる。世界には雨がふらないところが結構ある。砂漠地帯やヨ-ロッパでもアメリカ大陸でも乾燥している。蛙がこんなに鳴くのは水田があるところである。トラクタ-で水田のあったところの土起こししているあとを鷺がついて歩くのは土を掘り起こすと冬眠している蛙がでてきて餌になるからである。自然でもあれは何なのだろうと考えるとそれなりの理由があるわけだ。


人間が住むにはなんらか文明化せざるをえなかった。人工化せざるをえなかった。湿地帯には虫とかばい菌の巣にもなっていて住めなかった。だから縄文人は高台に住んでいる。これは外国でもにていた。最初に住んだのは高台である。湿地帯に風土病になる寄生虫とウィルスとかの棲家になる。
今でもフィリンピンでは水田の自然の水路にそうした寄生虫が住んでいてそれが体に入って多くの人が死んでいるとテレビで放映していた。それで日本人がコンクリ-トの水路を作って寄生虫が出ないようにしたという。自然の小川がこの辺でもなくなったようにどうしても寄生虫などが増えるからフィリンピンではそうなった。でも自然の水路がないということは淋しい、そこには自然の生き物か生息していたからである。メダカもいただろうしいろいろな生物がいたのである。それが今は全くいなくなった。松原も水田もやはり文明化した結果としての風景だったのである。
丸森ではびんびんと蛙が夜鳴いていた。もう蛙の合唱が山にひびき木霊していた。あれだけ蛙が鳴くのもやはり水田があるからである。それがこの辺ではパタッと消えてしまったのである。


死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづき天に聞こゆる 斉藤茂吉


死ぬまで蛙の声を聞いて母は死んでいった。蛙の声が天に送るように鳴いていた。まさにそれほど密接に蛙は日本の風土と水田を通じて結びついていたのである。

とほき世のかりようびんがのわたくし兒(ご)田螺(たにし)はぬるきみづ戀(こ)ひにけり
(斎藤茂吉)


陵頻伽の私生児が田螺という話の出所は不明。タニシはぬるき水を求めてすむということである。
この辺ではタニシも水田がないのだから棲まない、水を恋(乞う)いてすむ生物がかなりいたのである。草原にはタニシのようなものは棲まないのである。タニシのような貝が寄生虫に宿りそれが人間にも入ってきて風土病にもなった。モンゴルの草原とか砂漠地帯ではそうした寄生虫は少ないだろう。からからに乾いているからゴミなどでも乾くから何かそこに寄生虫がすみつくような気配がないのである。


ともかく人間の世の中で普通は確かに都会化するなど家が多く建ったり工場が建ったりして変わるのが現代だったが自然がこれほど変わるということは普通は経験できないのである。津浪で水田が草原化したり水田そのものがなくなるなども想像しようがなかったのである。

HARAMACHI-鹿島-相馬市(抽象画論-見る眼が必要)

 

HARAMACHI-鹿島-相馬市(抽象画論-見る眼が必要)

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抽象画は見る人によってどうにでも見える。具象画だったら山を描いたら山にしか見えない、家だったら家にしか見えない、人間を描いたら人間にしかみえない、でも抽象画どんなふうにも見えるしどう名前をつけてもいいのだ。ここではそれぞれの住んでいる市町村でも違った感じになるのだ。
南相馬市の原町は一早く近代化した都市だから赤のイメ-ジになる。
相馬市は城下町だから紫のイメ-ジになる。他は小高でも鹿島でも土の色とか緑になる。
そういえばそういうふうに見えるなともなる。

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秋深む


抽象画は第三芸術くらいにしても意外と奥深いものがあるかもしれない、単純化したなかに奥深いものがあるかもしれない、それはやはりその人の見る眼によるのだ。
秋の紋様というのがあまりにも単純なものでありこれがどこがいいのかとわからないだろう。
でも自分でも秋の色を単純化したものでこれは深いものがあるかと思ったのである。
自分で作って自分で評価するのも変だが抽象画はそれだけ自分で作ったものでも解釈も必要になる。秋の紋様としてことでこれが秋なのかということを理解するだろう。
この題は 秋深む だった。やっぱり抽象画はタイトルもかなり大事である。なになのかを示さないと見る人が見当もつかないことがあるからだ。


結局パソコンの抽象画ソフトによって量が増えてくる。無限に増えてくる。エッセシュル4かなり使える、だいたい三つのソフトを組み合わせると抽象画できる。その過程はある意味で決まってしまってもいる。ソフトの中で使いない機能もある。使う機能は必ず使っている。
これは抽象画を作る一つの技術化している。

写真でも加工すると違ったように変化できる。ただそれが元の写真でも絵でもわからなければいいのだが一目見てわかるのは著作権違反になる。でも抽象画からまた抽象画できるのも不思議である。
化学変化とにているのだ。一つの写真でも絵でも変化させると違ったものとして見えるから豊かなものになる。いづれにしろパソコンの抽象画新しい分野なのである。
だからなかなか評価されないということがあるだろう。

今までも抽象画を画家は描いていたがパソコンで作るのとは違っていた。

パソコンでしかできない抽象画かなりあるし絵が描けなくてもパソコンだと抽象画が素人でも作れるようになったのである。
自分のように全く具象画ができなくても抽象画は作れるのである。
ただ見る眼の方が抽象画では大事である。

春の感じとか秋の感じを深く知らなければ感じないだろう。それは日本の俳句など季語の見方に通じているから抽象画もやはり日本的なものが風土が反映されるのである。

2013年05月16日

牡丹-草原と夏の海 (写真をエッセシュル4で変化させる)


牡丹-草原と夏の海

(写真をエッセシュル4で変化させる)

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ここはクリック拡大!

これが原画です

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印象派ペイント

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水彩画ペイント




草原に朝海望み夏雲雀

草原にイソシギ飛びくる夏の朝
タンポポに潮の香満ちて朝の海
夏の朝鶏(かけ)鳴く声の遠くより


我が庭ゆ綿毛飛びゆく見送りぬ

防波堤津浪の壊し荒々し波打ち寄せる夏の朝かな
牡丹咲きつつじの咲きぬ燃ゆるごと雲雀は鳴きぬ夏の朝かな

うなだれてスノ-フレイク我が庭に咲き虫一匹の入るひそけさ

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今日は朝に海の方に行ったらタンポポが咲いて壊れた防波堤に荒い波が打ち寄せていた。
防波堤が一部なくなると波がダイレクトに砂浜に打ち寄せる。この感覚はやはり松原とか防波堤があった感覚とは違い、より野性的な自然を感じる。北海道では防波堤がない砂浜は延々とつづいている。人工化されていない荒々しい自然があることで魅力的だった。
日本の砂浜が消失したというとき防波堤の影響が大きかった。どこもコンクリ-トの防波堤になり砂浜が消失した。それも自然の作用として海が陸地を浸食していたからである。
そもそもそうした自然を人間の力で防ぐこと自体自然に逆らうことでもあったのだ。
そんなこといっても人が住む家があるのだからそうせざるをえなかった。
でも今考えると津浪を防ぐために万里長城のような防波堤を築くこと自体が自然ではない、
人間が自然に逆らう住み方だともなる。白砂青松の風景も人工的なものだったのである。
それに気づかなかったが津浪で自然にもどったとき気づいたのである。

水田がなくなり草原化して海がじかに見えて波が荒々しくよせてくる光景は北海道なのである。
草原は日本では雨がふれば湿地帯になるからこれも湿原化するからサロベツ原野とかとにてくるのだ。サロベツ原野のような風景を憧れて北海道にゆく人が多いがまさにいながらにして北海道二男たという不思議がある。
こんなことを書くとお前は津浪を喜んでいるのかとか言われるが津浪はやはり大きな自然の作用であった。人間の方で津浪を忘れ危険な領域に住むようになって被害を大きくしたのである。
でも水田は津浪の被害は大きなものでないみたいだ。津浪の被害地域でも田植えしているからだ。
ただ津浪で残った松は枯れ始めていた。

タンポポが咲いてそこに防波堤を破った波が荒々しくよせてくる。すると潮の香が強く匂ってくるというのも今までにはない自然の体験になっている。だからも防波堤など作らないで自然にもどすのがいいともなる。今の時代米あまりだからである。ただ生活するものにとっては問題がある。

牡丹が隣の庭で咲きはじめた。ツツジも咲いた。花は別に隣の家の庭でも楽しめる。どこの家の庭でも花をみるのは無料でもある。ただ塀とかでみえない、ここは丸見えなのである。
これをエッセンシャル4で変化させるとまた別なものとして楽しめる。
これも写真をより楽しめるものとなったのがパソコンの技術である。
もともと写真と絵はにた面があったからだ。

庭に咲いていた菊ににた花が綿毛になり飛んでいった。綿毛になるのはタンポポだけではない、いろいろの花がなるみたいだ。自然は春から夏と変化が激しい。だから写真をとるにはいい季節である。梅雨になったら写真をとるのには向いていない、今の時代は映像の時代である。
活字文化は団塊の世代はまだそうであった。その前はもっと活字文化だから小説全盛の時代だった。今はあらゆるものが映像化する時代なのである。
これがいいのかどうかわからない、文章でないと現せないものがかなりあるからだ。
全部が写真で現せるわけではない、だから俳句でも短歌でも無用になったわけではない。
写真と一体化して豊かさを増したのである。