2013年04月27日

残る花 (川内村には川内村の良さがあった-なぜ簡単に故郷を捨てるようになったのか?)


残る花

(川内村には川内村の良さがあった-なぜ簡単に故郷を捨てるようになったのか?)


タンポポや自転車で急ぎ街へ行く

新築の家のあまたや燕飛ぶ
烏二羽里を語るや春の暮
雨しとと夕暮れあわれ残る花
故郷に晩年の日々夕雲雀


この道に残れる花のなおかすか小さき町に我は住みにき

春の雷昨日は轟き今日は風荒れにつつ時は移りぬ


南相馬市鹿島区の変化は大きい。新築の家がもしかしたら50軒くらい建っているのか?今までは西町は住宅地として土地が売りに出されていたが誰も建てなかった。今は大きなアパ-トが三棟建てている。それだけ入る人がいるから増えた。津浪で家をなくした人と小高とかから避難した人も建てているのだろう。結構金を持っている人が多いこともある。避難民は補償金の額が大きい。一年で一千万くらい入る人が結構いるのかもしれない、すると家を建てることができる。

川内村で避難民が村に帰らないのは賠償金の額が大きすぎることなのだ。補償金で郡山に家を建てた方がいいとなる。テレビではそこのところは議論されていない、テレビでは本音が議論されないのである。遠藤村長が原発事故前は川内村の良さがあって住む人がいた。それがなぜ原発事故以後そうなったのかと問うている。不便でも川内村には川内村の良さがあったということが見逃されてただ利便性を求め多額の補償金がもらえることで村は解体しつつあるのだ。


その大きな要因が現代とは広域社会の中で生きているのだ。川内村でも高校がないから富岡とか双葉とかに通うことになっていた。その富岡とか双葉が原発事故で町自体が成り立たなくなった。昔のように自給自足の村で暮らしているのとは違う。広域化社会でありとても一村では生活が成り立たないようになっている。また一地域でも全国でつながっている。それを意識されたのが今回の原発事故だった。郷土史などは一地域のことでありあまりよその人は関心を持たない、しかし原発事故以後この辺は世界からも注目されたしボランティアなども全国から入ってきた。すると一地域の関心ではなく全国の世界の関心の的となったのである。だから原発事故を契機にこうしてプログを書くことは地元のことでも一地域のことではない、日本全国の問題として一地域のことを語るようになったのである。原発事故は一地域の問題ではない、日本全国の世界の問題だからである。プログのインタ-ネットの強みは一地域ではない全国に発信されることである。


確かに最初の内、放射能の風の影響のことを地元の地形から考察して書いたとき自分のプログが注目されたらしい。ノルウェ-語に翻訳していた人がいたことは確かである。なぜノルウェ-だったのかわからないがそれを今日指摘する人がいてわかった。あの放射能の風の影響について書いたのはやはり地元でしか書けないものがあったのだ。最近川俣まで自転車で行ってあそこに水境峠の山を越えて
東風が相当吹いたことで自分の予想があたっていたことを確認した。東風は広範囲に吹いたのである。だから福島市や二本松市、郡山市への影響も大きかったのである。


烏二羽が何かこの里を語るようにとまっていた。桜はだいたい散ったがわずかに残る花があった。
その花を見ると小さい町に住むのにふさわしいとなる。確かに川内村には川内村の良さがあった、飯館村にもあった。では川内村ではその良さを原発事故で簡単に見捨てられてしまったのか?
もちろん不便になったためでもあるがそもそも故郷という場にそんなに執着する人が少なくなっているからではないか?人とのつながりにしても土地とのつながりにしても希薄化しているのが現代である。ただ川内村のようになるとまた別であったろう。それが良さであったが簡単に見捨てられてしまうのは昔の故郷感覚とは違っている。人間の生活感覚がすでに一村にとどまっていない、情報にしても村であろうが山奥であろうが世界の情報が入ることには変わりない。そういう時代の変化が簡単に故郷を捨てるということになっているのかもしれない、一番の原因は多額な補償金であり結局ここも故郷より金だということになってしまう。金より大事なものが利便性より大事なものが川内村にあったではないか?そういう遠藤村長の言い分に共鳴した。川内村で磨かれる感性があるというのも共鳴した。


つまりそういう感性を自分は故郷で磨いてきたからだ。それが俳句になり短歌になったり詩になったりしているからだ。とても東京のような所に住んでいてはそうした自然への感性が磨けないのである。ただ自然の感性というときこれは子供のときは田舎にいたから自然の感性が磨かれるとういものでもなかった。実際は故郷というのは自然というのは老人になると最も感じやすいものになる。
青年時代でも田舎よりあえてごみごみした人ごみの都会の方に憧れる。自然はむしろ欲がなくなった老人に感じやすいものであることがわかった。だから老人にとっての終の棲家は田舎を望むのがわかるのである。


自然の良さとか故郷の良さとかは意外と老人にならないとわからない。田舎は別に人がいいとかならない、老人は故郷に帰りたいという気持ちはやはりすでにその故郷と意識しないにしても一体化していたものがあった。だから老人はなかなか住み慣れた土地から離れられないのである。


まだひっそりと桜は咲き残っている。知らない遠い小さな町である。そこにまた情緒がある。
まあ、情緒だけでは生きていけないけどやはり情緒がないところには生きたくないのである。
川内村にはそうした良さがあったが郡山にはないだろう。郡山となるとやはり相当な都会になるだろう。でも仙台でも東京とは違っている。それなりに情緒はある。第一自分のように情緒を第一にする人は少ない、みんな生活第一である。それは結局経済の問題になってしまうのである。
川内村に都会から住んだ人は自分が求めたようなものを求めていた。でも補償金だけが話題になる村に嫌気がさして離れていったのである。


川内村を訪れる
http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2012-07-01

川内村から原発が見えていた!


それにしても川内村は原発から12キロしか離れていなかった。
川内村から原発のある所が見えた!
それにしては放射線量がかなり低かった。これもやはり風の影響だったのだろう。
なんかあそこから原発が見えるということは嫌だし危険を感じる
今や原発なにか不気味なものとして不安の対象になる
見える距離にあることが嫌な感じになる。
川内村には訪れたことがない、ここからだと相当な距離になる。自転車では簡単には行けない距離である。