2013年04月25日

橲原渓谷上流へ花と岩をたずねる(ニ部) (橲原村(じさばら)の春の景色)


橲原渓谷上流へ花と岩をたずねる(ニ部)

(橲原村(じさばら)の春の景色)



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大きい画面で見ないと今回は写真が映えないです

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これは傑作と思うんだが・・

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この山に狸の住むや延齢草
橲原に媼嫗二人や落椿


朝の滝とどろきにけり山吹の咲きいでにける縁取る岩に

橲原に石くれの墓隠されつこの道あわれ椿散るかな
伸びやかに鳥の飛ぶかな春の日の清き流れや樹々の芽吹けり
紫木蓮桜の咲きて朝日さし疑うべくなくこの日美し
渓流にそいて下りぬキセキレイ芽吹く樹の枝に一時とまる
四十雀群れつつ飛びて樹々芽吹く梢に高く飛び移るかな
散り残る山の奥処になお咲きぬ桜そあわれ我がたずねけり
分け入りぬ山路の深く消残れる雪を踏みつつ岩に真向ふ


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橲原村はあそこも秘境的なのは車があまり通らないからである。鹿島区の奥座敷のようになっている。原町区の大原も秘境的だったが車が頻繁に通るようになってその感覚は消失した。大葦辺りも秘境だったが八木沢峠から川俣への幹線道路になっているから頻繁に車が通るからあそこがかつて秘境だったということをイメ-ジすらできない。その点橲原村は車が通るのがめっきりへる。橲原渓谷が通行止めになっている影響もあるがもともと車が通らない所だった。車が通るとどんな辺鄙なところでも秘境にはならない、ずいぶんにぎやかだなとなるのだ。一日車が通らない所にいたら不思議だろう。車がこれだけ通るようになったのはここ30年くらいなのである。それまでは車は通っていないのだ。馬車などが荷車として利用されていたのである。車によって人間の感覚は全く変えられてしまったのである。


橲原村は「落椿」の里である。粗末な石塊の墓があの杉木立の影に隠されるようにある。誰もあそこに注意している人はいない、誰が埋もれているのかもわからない、字がはっきりしないからだ。そんな墓が結構多い。そこは明治時代のものであり江戸時代のものでないとすると開拓に入った人たちの墓かもしれない、橲原村は江戸時代からあったからそれなりに古い。そこはいかにも山の村にふさわしいのである。養蚕をしていた家が一軒あったが江戸時代から林業があった。薪など供給地でもあった。自分の家は姉の橲原の同級生が柱を提供してくれたというとその頃木材は地元のものとを使っていたのである。林業が盛んなときだったのである。最近50年たって杉などの日本の木材が利用されるようになるという。日本の木材が利用されていなかったのは年数がたたないので木が大きく何ていなかったからなのか?ただ安い木材が外国から入ってくるためだと思っていた。林業というのは50年サイクルくらいで利用される気の長いものだったのである。50年で木が大きくなるから山も活気がでてくるとなる。ただこの林業すら放射能汚染でできなくなった。木が意外と放射能汚染されているから使い物にならなくなった。すると田んぼもない林業もだめだとなると生活がないのである。


だから何か気がぬけたような肝心なものが欠けてしまったような感覚になりここが村なのかとなる。せめて田畑でもしていればそうはならない、村に生業がなかったらもぬけの殻のような感覚になるのだ。そういう生業をぬきにすれば橲原村には茶室を作るのが一番向いている。なんともしんみりする場所だからである。「落椿の里」なのである。だからあそこには陶工などが窯をもつのに向いている。そしてゆっくり茶を飲み心鎮めるのである。食堂などもあればいいと思う。レストランとかは環境がいいところだと食事もうまいということがある。高速道路などできたら外部から人が入ればそういうくつろぎの場ができて客も来るかもしれない、そういう立地条件があそこにはある。


滝には山吹が咲きだしていた。あの写真は偶然だけどうまくとれた。回りの木が切ったので岩が露骨に現れてそれがいい写真になったのかもしれない、岩の感じといい、滝がしぶき落ちる感じは偶然にとれたのである。写真でわかったことは偶然にシャッタ-チャンスでとれることがある。ただ本当に自然の中で動物や野鳥をとるとなるとそこに構えてテントなどに隠れて一日がかりになるだろう。
その写真は貴重なものとなる雑誌にも売れる。この滝の一枚は偶然であったが自分でみても傑作だったと思える。

橲原薔薇にはキセキレイが飛んでいたし川烏が忍者のようにいつものように飛んでいた。その上流が今回探索した苔むす岩群のある所だった。


この雪(ゆき)の、消(け)残る時に、いざ行かな、山橘(やまたちばな)の、実の照るも見む
(大伴家持)


弓削皇子に献る歌一首


御食(みけ)向かふ 南淵山の 巌(いはほ)には 降りしはだれは 消え残りたる (巻9-17
09)


まさにこの歌にふさわしい場所だった。

現代はやはりデジタルカメラができて写真の時代である。今度はソニ-の20倍のピッタリズ-ムの機能のあるのをアマゾンで注文した。それなら鳥もとれるかもしれない、鳥をとるのは相当にむずかしいのだ。