2013年04月16日

相馬市の復興住宅1200万 (二階建てと平屋で46軒が建った)


相馬市の復興住宅1200万

(二階建てと平屋で46軒が建った)


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こっちが部屋数多いようだけど三つで同じだという
奥行きがなかったからだ

これは大曲地区の辺にあった。ここはもともと住宅があり新しくした。この前に住んでいた人が言っていた。自分はこの前に住んでいて津浪が来たと・・・
ここはもともと住宅であり土地が確保しやすかった。46軒たっているが平屋でも二階建てでも三つの部屋があるという、三つもあればそれなりの家である。平屋は敷地が広くなっているから三つの部屋であり二階建ては奥行きがないのだろう。二階は二階で棲み分けできるからいい。

値段は最初の五年間は賃貸であとは1200万だという、やっぱりそれなりに高い、建売住宅並なのか
家はやはり高い。


これだけあれば仮設から移りたい人がかなりいるだろう。たいがい老人が多いというのもやはりそういうことかと思った。馬場野にできたのは一人老人用でありそこでも二部屋あったからいい。
ここは夫婦が住むにはいい、三部屋だから余裕がある。子供をもっている人はすでに住んでいた。

仮設に住んでいる小高区の人は帰りたくないという、そしてこのような復興住宅に住みたいから市で建ててもらいたいと言っていた。今日のテレビでも老人は帰りたいけどもう子供は帰らないということでばらばらですとか言っていた。小高区の場合さらに老人だけが残されるし回りが町としての機能をもてないとなると住みたくないとなる。


でも1200万は高い感じもするがやはりこの辺で家建てたら土地が800万とかした。だから土地代こみだと高いとも言えない、最低でも土地代はやはり高いから500万となるとプラス700万だから妥当な金額なのかもしれない、鹿島区では新築の住宅がふえた。町内に人口が集中してきた。一軒は街から離れた所に建った。それは東京から来た人だという、子供もいる。東京から移り住む人もいたのか、やはり何らかの仕事ができて移り住むようになった。こういう人が増えると活気がててくるからいい、一見新築の家がふえたとしても津浪の被害者だったりただ今まであった人口が町内に集中しただけだともなる。図らずもコンパクトシティ化したということもある。


 

posted by 老鶯 at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

相馬市の大曲、程田村、新田村を訪れる (城跡の桜もすでに散りはじめた)


相馬市の大曲、程田村、新田を訪れる

(城跡の桜もすでに散りはじめた)

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ここに舘腰があった



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ここに元禄の碑があった
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これは安正(安政)だろう




沈丁花一人に余す香りかな

母性なる香り豊に沈丁花
春耕や前畑にでて老いにしも
畑に人朝に雲雀や花に影
釣人や春の日ざしに同じ池
夕陽さし六万石も花盛り


新しき芽はいでにけり我が庭のありてなおしも生きるべしかな

城跡に花の散るかな夕陽さし椿のゆれて風騒ぐかも
新田にそ元禄の碑や津浪跡残り尊き春の日さしぬ
新田なる里の社の古りにしや二つほど見て春の日暮れぬ
古き碑のここに並べて新田なる春の日あわれ我がよりにけり
古き里なにしか親し小径行き辻を曲がりて春の日さしぬ
古の人の歩みし道親し春の日さして我が歩みけるかな
街道に枝垂桜の古りにしや根より二つに分かれし幹かな

街道や夕べ桜に松並木日立木通り我が帰るかな

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これは二つの木ではない、一つの木である


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今日は相馬市に行ってきた。途中の池でやはり釣りする人がいた。小さいのしかとれないから面白くないとか言っていた。渓流釣りはどうですかと言ったら危険で年だからできないという、そして釣りは気が長いとできないでしょうというと気が短いからできるのだという、それが良くわからなかった。釣りをしてみないと釣りのことは良くわからない、ヤマメはいるな、岩魚もいるよ、ええ、岩魚は見たことないな、岩魚は隠れているのかな、ヤマメは浮いているのをみかける、岩魚はこの辺ではまだ見たことがない、今はただ食うためにとっているのではない、遊びですよという、釣った魚は放している。自分の父親は良く釣りしていた。鮎釣りもしていたし鰻釣りもしていた。何回かついていった。その時はオカズのためであり食べるためだったのである。何しろ貧乏な時代だからそうなった。今はこの辺ではいくら魚釣っても放射能で食べられなくなった。ただこの同じ池で釣りしている姿をみるとなんとも平和である。自分も苦労の連続だったが病気も楽になったので春の日をともにのんびりした。


それから相馬市の方を一度行って松川浦の方をめざした。そこで大曲とかで津浪が来たかと聞いたら来ないと言っていた。川がありそれは梅川でありまさに埋められた川である。途中で川がなくなっているからだ。そこは新田村だった。。かなり松川浦に近い所だった。その辺はもともと伊達領でありかなた古い村だった。なぜなら津浪に倒された碑の一つが元禄と記されてあった。元禄と記されているのは葛尾(かつろう)村で見たものだけだった。それでここは古い村だと思った。元禄の碑は未だに二つしか見ていないのだ。館腰宮の碑があるのはこれは館腰駅があるので記憶されるがこれも伊達領の神なのだろう。相馬地方には伊達藩の関係の信仰の碑がなりあるからだ。ここは調べれば面白い場所みたいだ。ここで不思議に思ったのは松川浦がかなり近い、でも津浪の被害は辛うじてまねがれた。一部この墓地や浸水はしたが大きな被害にはならなかった。

でもかなり松川浦が近いのである。新田とか地名があるがやはりこの辺までかつては湿地帯で海だったから磯部となるとあとから作られた村だとなる。ここは磯部よりずっと古いのである。村の新旧を知ることが郷土史の基本である。村が古ければ必ず情緒を感じる。何か故人の跡がしみこんでいるという感覚になる。その道一つがもしかしたら故人もひんぱんに歩いていた道だとかなる。奈良辺りだったら古代からの道があるから古いとなる。ただ旅しては急ぐからゆっくりと味わうことができないのである。

そこからまたもどってきて城跡に行きそれから街道を帰ってきた。枝垂桜は二木の松とにていたのか?根元から二つに分かれていた木であり一つの木ではなかった。あれも気づいていなかった。

人間は何度も言っているが意外と近くのことがわからないのである。今回もここにこんなに古い碑があってここがこんなに古い村だとは思っていなかった。まず津浪の被害にあった所はやはり新しいのでありここは津浪の被害が大きくなかったから古い場所だったのである。村の新旧が津浪の被害でわかったということもある。


鹿島区でも畑をやっている人は結構いる。畑に人がいてこそ土地も活かされている。それがいない風景は自然と調和しない風景になる。雲雀がなき人が畑にいて花の影にいこう・・そこで調和しているのである。今度は新地辺りに行ってみよう、詳細な細部にこだわれば狭い範囲でも見るべき所がある。それには多少の郷土史の知識が必要になる。古い碑があると具体的に感じる物があるからいいのである。


大曲には復興住宅が46軒建っていた。あそこの前まで津浪が来ていたのだ。それは別なカテゴリ-に出す。