2013年04月13日

カルマの法則は現実にある (なぜ子は親と同じような人生になりやすいのか?)


カルマの法則は現実にある

(なぜ子は親と同じような人生になりやすいのか?)



カルマの法則・・・前世での行為の清算のために、あるときは義務を負う側に、
あるときはそれを受け取る側に身を置き、何度も何度も繰り返す。


ある人が何かの出来事で人の命を奪ってしまったら、その後には、同情を覚えるほどの
辛い状況が待っているでしょう。
もしかしたら、来世では医者になって、人の命を助ける仕事について、全身全霊で人(生命)を
愛し、その生涯を捧げるかもしれない。



知人に、自分の前世を、昨日の事のように覚えている看護婦がいる。
その人は、戦国時代に「山賊」であったという。戦いで傷を負って落ち延びた武者を襲い、
金品を奪い、手を切り落としたり、足を切り落としたり、時には、命まで奪っていたという。
そんなことを全部覚えているという。


そして今、勤めている病院に、自分が前世で殺した人が診察を受けに来ることもあると言う。
前世で足を切った人が、足が不自由なままに入院したり、自分が「刀」で切りつけた人が
背中に傷跡がそのまま残っていたりするという。「今は姿・顔形は違うけど、魂が同じなので、
すぐ分かるという」。


そんな人を見るたびに、「すみません、すみません」という思いでいっぱいで、
ただひたすら心の中で詫びるという。


他の看護婦さんが、あの患者さんはわがまま、扱いにくいと言う人もいるけど、
「私はとてもじゃないけど、そんなことは言えない。自分のやってきたことを考えたら、
そんな事を言える資格はない」。今はすべての人を愛したい、出会うすべての人に
ありったけの愛を注ぎ、全身全霊で人に奉仕をしたいという。
そして、休みの日には、ボランティア活動に励んでいる。
http://www.ne.jp/asahi/aquarius/messenger/books_008.htm



カルマというときそもそも前世の因縁があるのかどうかということがある。前世での悪行を今償うために医者や看護師の仕事など福祉やボランティアをしている。それが動機になるというのも不思議である。しかしこの動機は全く根拠もないものでもないし悪いとは言えない、それだけの善行を行う動機づけになっているのだ。そんなものないよと否定するのもいいが実際の動機となり善行になっているからだ。ここまで前世のことを真剣に考える人は普通はいない、医者だって看護師だって種々雑多でありこんなにしてまでこんな動機でやる人は極わずかである。そして医者や看護師でも結構性格の悪い人だって金だけを求める人だって天使が変じて悪魔にもなりやすい職業でありきれいごとはこの世はすべてすすまない。だから前世のことをこれだけ真剣に考えることは特殊であり動機が悪いとはならない、いい動機になっているのだ。でもこの前世で悪いことしたからそれを現世で償わねばならないというのはすべて否定することもできないむしろ事実なのである。


たいがいなぜ親と同じ様な人生を送りやすいのか?親の因果が子に報いとかなるのか?親が離婚していると子も離婚しやすい、親が苦労したことを子も同じ様な苦労をする。借金で親が苦労したらやはり子供も借金で苦労する。親に捨てられたという人は自分が親になったら子供捨てていたということもある。何かそういう因果がある。それはほとんど一部にあてはまるのではなく統計的な数字として確実なのである。だから家系の研究している人はそうした一つの法則があることを割り出した。親が悪いことをしていたらその因果は子に受け継がれる。それは仏教でも聖書でも同じである。三代四代までその因果が継続されたたるともなる。その罪の報いは一見関係ない子供が受けることになる。これも理不尽と言えば理不尽なのだがそれが因果の法則なのである。悪行はそれだけ恐ろしいことなのである。しかし軽い気持ちで悪は常に行うのも人間なのである。

この看護師は極端にしてもこういうことはありうるのだ。前世でないにしろ今世でもそうである。

例えば恩を受けたら恩を返すことが要求されているのだ。恩を返すことなど別にするしないは自由であると考える。でも恩を受けたことがカルマとなっているのが人間なのである。だからそのカルマが生まれたのだから返さねばならない、それをしないとどうなるのか?その人はそのカルマを返さないからカルマは解消せず自分自身を不幸におとしいれる。そういうことは現実にみている。恩を返す機会がありまざまざとみていたのに何もしなかった。ただ見て笑っていただけだったとなればその人は何だったのかとなる。それで今の不幸があるとしか言いようがない、それは自分にも起きたことだった。もちろんそれは一方的な見方だということもある。悪行の結果はすでに必ず別に死ぬ前に現れるのである。カルマ(業)をそれぞれ背負っているからこの看護師のように極端ではないにしろカルマを解消するためにはカルマは罪障でありそれが行為として示さないと消えないというのが現実としてある。


例えばここにホ-ムレスがいたとする。この人は自分とは何の関係もない、この人はよほどでたらめな人生を送ったのだろうとか思いその人の苦しみなど全く無視するのが普通である。ところが逆に人間は会社が急に倒産したりして自らがホ-ムレスにならないとも限らないのだ。そして人間は結局決して自分が苦しまない限り他者には同情しない、病気になった人は病気の人に同情するようになる。ホ-ムレスの苦しみはホ-ムレスにならない限りわからない。病気の苦しみも同じである。貧乏の苦しみもそうである。現代ではどうしても貧乏の苦しみを実感することが普通はできない、過去の貧乏とはあまりにも違っているからだ。だから医者とか看護師は別に病気などしていない人が多いから意外と病気はみていても同情しない人が多いのである。だから病人を残酷に扱う悪魔にもなりうる職業だということである。

ところがそういう人も医者でも看護師でもいつか病気に必ずなる。するとなんであのとき患者にあんな冷たい扱いをしたのかと反省する。そういうカルマの繰り返しが人間なのである。だからこの看護師は極端にしてもカルマを解消するためにはそれくらいすることも異常ではないのである。
普通はこの逆であったり全然していないからである。その結果として自らに不幸を招く、でも自分自身のことは反省しないで他人のせいにしたする。そのことは自分自身もこの六年間こんなに苦しむのはなぜだろうと考えたがやはり自分のカルマだったのである。それは今も継続中なのである。


そして仏教でもキリスト教でもシャカやキリストがどういう人生を送ったか?それが忘れているのだ。それは大伽藍に飾られて大聖堂に祭られたりしているからシャカは洞窟で暮らした乞食だったしキリストは枕するところなしというホ-ムレスだったということを全く忘れている、感じられないのである。大伽藍や大聖堂の主がそんなことがありえないとなる。でも現実は二人ともホ-ムレスだったのである。この世では住む家すら与えられなかった。今の宗教者はこの正反対である。清貧の生活すらしている人はまれだとなる。それは江戸時代からそうであった。だから宗教者ということ自体何なのかともなる。袈裟を来ているだけの見せかけだとなる。ともかく人間はいくら言葉で説教しようが自分自身が同じ苦しみを受けない限り同情することはないのだ。ホ-ムレスの苦しみはホ-ムレスになってみなければわからないし病気や貧乏もそうである。そういう同じ苦しみを受けると同情するようになるのである。そうでないと口だけになってしまうのである。だからかえって人の苦しみをみて他人の不幸は蜜の味となっているのが普通である。自分が苦しまないから実際は関係ないとなる。金持ちは貧乏人に同情しないし無関心である。

また自分が苦しんできたから他人も同じ苦しみを受けるべきだともなりざまあみろとなって同情しない人もいる。こういう人もまた多いのである。そういう人は他人の不幸を心から願っているのである。自分と同じ様に不幸になればいいと暗黙の内に願っているのだ。そういう人とつきあうことも危険である。だから現代では特に同情する人はまれである。そもそも前世のことをこれほど思ってカルマを解消しようとしているのは特殊でありほとんどないから貴重だともなる。
そういう立場の人を理解できないのである。
自分のこの六年間の苦しみもやはりカルマだった。そしてこのカルマは未だ解消していないのである

結局人間は罪の故に業(カルマ)の故にカルマを誰でも背負っている。だからこの世でカルマを消滅させる必要がある。でもかえって必ずまたこの世でそんなカルマの自覚より新たにカルマ(罪と業)を積んでゆく。するとまたカルマが消滅していないから生まれ変わり苦しむことになる。その因果の繰り返しだともなる。ただこの看護婦の場合は強制されたものでなく自らそう思ってカルマを消滅させるために人の看護をする。逆にカ-スト制はカルマによって身分制化したもので強制されてしまっているからいいとはいえない。強制されてやるのと自らが悟ってやるのでは相当にちがう。
前世など関係ないというけど現世ですでに誰でもカルマを背負わされている。そして自らもカルマを積んでゆく宿命にある。殺人を犯したような人はすでにこの世ではそのカルマを消滅することなどできない。とすると来世でまた生まれ変わりそのカルマを消滅させるために生きることになるというのも不思議ではない、殺人したから今度は医者となり他人の命を救うために働くというのもわかる。
なぜこの人はこんなに懸命に働くのだろう。金のためだけではない、本当に他人に尽くすために働いているとなるとその動機が何なのだろうとなる。それは前世からの因縁でそうなったというのも一つの解釈にはなる。


ただ人間は決して自分のカルマを認めたりしない、だからこの看護師の言うことは特殊でありまれである。逆に自分の犯した積んだカルマを他人のせいにするのだ。他人に自分のカルマを負わせようとする。それもまた普通にある。自分で自覚してカルマを消滅させようとしないで他人に押しつけるのである。借金というのがそうかもしれない、自分が贅沢するために遊ぶために見栄のために借金していてそれを他人のせいにして借金する。カルマが関係ない第三者にも負わされるのである。結局この世はそうしたカルマが充満して解消しないのがこの世だとなる。それはどなんことしたって永遠に解消しない、変わらずにカルマを積んでゆく、その大きな原因が欲望があるからになる。欲望はどんなことしたって断つことができない、そこからカルマが生まれてくる。そういう因果の繰り返しなのである。カルマが消滅するのはいつなのか、それはこの世が滅び新たにされるときしかない。人間という種が滅び新しい種になる。それはこの世ではありえないからこの世は欲で滅びるとなる。
最後の審判があり人間の欲が滅ぼされてようやくカルマが消滅するとなる。