2013年04月09日

桜は満開に(桜井古墳の土筆の写真)

 

桜は満開に(桜井古墳の土筆の写真)
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沈丁花香りに浸り朝の蝶
復興や桜井古墳に土筆かな
道の駅桜満開真昼かな
ヒヨドリに椿の赤さ映えにけり

みちのくの名もなき里や花曇り

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苦しみを乗り越えてこそ今のあれ今年の桜ことさらに映ゆ

咲き初めし桜に嵐その時の定めは知らじ時は移りぬ
みちのくに桜は咲けど雨しとと行く人まれに夕暮れにけり
満開の桜や今日は穏やかに道の駅にし人は来たりぬ
春の日に桜井古墳我が立てば海に川に野のひらき見ゆ


この蝶はアカタテハである。庭に飛んでくるのはめずらしい。おりしも沈丁花が馥郁と匂っていた。馥郁とにおうのは梅とか沈丁花である。昨日まで嵐の風だった。今日はことのほか穏やかである。

桜の時期の天候はいつも違っている。ただ必ず荒れた日がある。今年は咲く前から荒れていたのが特徴だった。午前中はなんとなく花曇りという感じでもあった。それで「みちのくの名もなき里の花曇り」となった。 「春なれや名もなき山の薄霞-芭蕉」と類似俳句になる。
もともと津浪とか原発事故の前はこの辺は知られていない、飯館村だって知られていない、名もない里だったのである。その時が幸せな時だった。今は世界まで知られているが平和がない所になってしまったのである。フクシマといえば放射能かと世界でなってしまった。


道の駅の桜も満開だったし病院の桜も満開だった。ただ六号線は通じていないから遠くからの客や旅人は来ない、それが淋しいとなる。それでもまだボランティアが来ていたのである。
桜井古墳に立つと見晴らしがいい、あそこに土筆が一杯出ていた。何か復興の象徴のようでもあった。桜井古墳のある所はやはり原町では一番いい場所だったのである。新田川があり海も近く望まれたし野もひらけていたのである。最適の地にあったのだ。古墳があるところは一番最初にひらけた場にあった。だから古墳のある場所には立ってみる必要があるだろう。そこがその土地の中心地だったかもしれないからである。


南相馬市はこれからどうなるのか?やはり原町中心で復興するようになる。でも今度は鹿島に住宅がふえた。アパ-トが二軒も建築中だし小池に一人用のビジネスホテルもできた。鹿島には高校もなにもない、施設もないと訴えていたが住宅が増えて人口もふえた。その分小高は人口が減ってゆくしこれからどれくらい復興するのか?やはり人口がへり原町、鹿島に家を建てる人も増えてくる。どうしても隣の浪江が警戒区域になっているから嫌だとなり帰りたくないという人がいるのもわかる。

ともかく今の時代六号線とか東京と交通が通じないと市町村の復興もないとなる。それだけ外との交通が大事になった社会だからである。高速道路は二年後に開通するとなるとその辺で復興のはずみがでてくるのか?


自分もこの六年間は苦しみの連続だった。どうにもならない苦しみだった。64才で俳優が同じ病気になっていた。やはり年になるとなりやすい病気である。でも今は楽である。だから普通に行動できる。やはり身体障害者が脱したことが大きかった。あのままではどうにもならなくなっていたのである。まず健康でなければ介護は負担が大きすぎる。健康がすべての基であり健康を失うことは金を失うより辛いことだったのである。60代以後一番大事なのは健康なのである。同級生で体が曲がったようになった人はショックである。なぜなら外にも堂々と出れないということもある。体があれほど曲がったように目立ったら出れないということがある。いづれにしろ60代は明らかに病気の世代であり
ここで最初の老いがきてつまづく、そして死にいたる人も結構いるのだ。