2013年04月07日

九州から大阪へ-春の旅の短歌十首 (人間は最後は記憶をたどる旅になる)

 


九州から大阪へ-春の旅の短歌十首

(人間は最後は記憶をたどる旅になる)


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外国(とつくに)へ開けし海や平戸かな桜の下に按針の墓
平戸には春の潮の渦巻きつ城と教会と寺の古りしも
長崎に雨しととふる眼鏡橋出島やあわれ夕暮れにけり
長崎に大船去りぬ長々と入江の深く春の日暮れぬ
開聞岳去りゆく船に見えにつつ春の夕陽にそまりけるかな
明石城花に暮れるや淡路島真近に見えて船行き来する
大阪に船のすすみぬ夜は明けて太平洋に春の曙
大坂城夕陽落ちゆくあわれかも花散りやまず惜しみ去るかな
大坂城我が一時や花に酔ふ時の流れの今あわただし
醍醐寺の花見の宴や金屏風贅を尽くして西の栄えぬ


平戸
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人間の特徴は何か?それが老人になると何も哲学者でなくても普通の人でもわかる。とにかく忘れやすいのである。忘れる動物なのである。記憶することがいかにむずかしいかということである。400年前にあった大津波の被害もこの辺ではたった一行しか記録されていないしまるっきり忘れていた。人間は何かに書いていないと記していないと忘れて思い出すことすらできない。自分の書いたものをすでにかなりの部分忘れている。こんなことを書いたのかと短歌や俳句や詩にしても自分が書いたことを忘れている。こんなことを書いたのかということを自分が書いたのに忘れているのである。人間はいろいろなことを経験しても忘れやすい、そして思い出すことがむずかしくなる。
旅もそうなのである。ついにどこに行ったかもわからなくなる。団体旅行だとおしゃべりなどしているとその場のことなどが記憶されなくなる。思い出せないのである。旅行というのもあわただしくすぎる余計に思い出せなくなる。

自分が最初に旅して感動したのは平戸の海だった。それが入江のようになって広く感じた。それは東北の太平洋の海とは違っていた。この海は外国に通じている海だと思った。実際に外国人はここに早い時期に入ってきた海だった。それで按針の墓があった。それは満開の桜の下にあった。ただ写真とっていたと思ったがそれもない、その頃デジカメがなく写真をとるのは金がかかり貴重だった。
デジカメ時代は記録するものとして便利になった。なぜなら人は忘れやすいから何でも記録することが大事なのである。人間がなぜ最後にあらゆることを忘れる認知症になるのだろうか?これも極めて人間的病気だったのである。最後は記憶もあいまいとなりその記憶すらたどることができなくなるのだ。それはすでに60代とかからはじまっている。それが極端化して病気になったのが認知症だったのである。遂に自分の娘息子すら忘れる。最後はみんな忘れて遂に自分がどこにいるかもわからなくなった。自分の生まれ場所すらわからなくなったのである。そこに80年とか住んでいても自分の住んでいる場所さえ忘れてしまったのである。それが人間の最後だったのである。


旅の記憶にしても平戸に行ったのは30年以上過ぎている。すると思い出すことが容易ではない、ただあそこには寺があり教会があり入江のように海がありあの時は桜の満開の時期だったとか覚えている。春の潮が入江に流れこんでいたようでもあった。古い城もあった。そういうことはおぼろげに覚えている。ただおぼろげになってしまった。開聞岳を覚えているのは船はゆっくりと離れてゆくからである。これが電車だったりすると覚えていない、新幹線だったら記憶には残らない、早すぎるから記憶には残らない、目的地につくにはよくても記憶する旅には向いていない、結局最後は人間は記憶をたどる旅になってしまう。近くだとまだ行った所があるのだから記憶が蘇るから忘れることはない、それでもその場から去ると忘れやすいのである。


ともかくこの辺は津浪や原発事故で日々あわただしく過ぎたからまたそうした現実に過去は記憶から消えてやすくなる。これだけのことが起こるとまた日々追われて過ごすことになり過去は記憶から消えてゆく、それでまた過去の記憶は消えやすいのである。自分はゆっくり旅しても記憶から消えているのだから今のように早く急ぎすぎる旅はさらに記憶に残らない。船旅が好きでかなりしたから船旅はゆっくりした時間があるから記憶しやすいということはある。時間をかければかけるほど記憶に残りやすい、それでも終わってみればただ一時の時間だったのである。