2013年04月04日

桜が一輪咲いた(孫を抱いて梅が匂う)


桜が一輪咲いた(孫を抱いて梅が匂う)


flowerssssss1111.jpg

春日さし採り採り花一鉢に
鳩数羽喜々と飛ぶかな春の空
新築の家に子供や春の雲
大空や鳴き合い暮れぬ雲雀かな
新築の家の前広し雲雀鳴く
故郷や孫を抱きて梅におふ
梅散りてなおにおいたる夜道かな


真野川に鴎飛びきてその岸に桜一輪咲きにけるかな


真野川の桜は一輪咲いた。でも一分咲きにもならない、三輪四輪咲いて一分咲きとなればそうである。真野川には鴎が良く飛んでくる。それが海とつながっていることを示している。町の上も飛んでくる。でも墓の近くの枝垂れ桜は満開に咲いていたのは驚いた。あの桜はいつも早く咲くという。普通枝垂れ桜の咲くのは遅いはずである。ともかく明日はまちがいなく一分咲きになる。今日は春らしい気候だったからだ。

鉢の花は千円だとしたら安い、こういうふうに人も個性豊に色々に咲けばいい、ここに争いはない、そもそも花には争いはない、それぞれの個性を色を尽くして咲くだけで悪。人間だけに争いがあるのだ。

新築の家が一軒ぽつんと新しい家が建った。子供の自転車があったから子供がいる。この辺は新築の家がふえつつけている。新築ラッシュにもなっている。津浪で家を流された人や小高区から移った一部の人も家を建てている。鹿島には何もないと言っていたが新しいビジネスホテルも小池の方にできた。ここにはそんなホテルもなかった。あれは一人用ではあり確かに仮設では親戚が来ても寝る場所がないからあそこに泊まるのにはいい。
新築の家の前はには家がないから広々として気持ちいい、これは都会から比べれば贅沢である。
実際街内になるとたいがい家でさえぎられて見晴らしが悪いからだ。庭も狭いのである。
田舎でも都会と同じ様な狭い場所に住んでいる人も多いのである。


近くの知っている人か孫を抱いていて梅の香りにひたっていた。すでに団塊世代は孫をもつ世代である。孫がかわいいというのがわかる。孫を通じて命がひきつがれるという感覚になる。この感覚はやはりその世代にならないとわからない、ただまだ今は60代でも若い、そういう人がやたらふえてくるのだ。退職して何をしたらいいとか60代はいろいろ病気の世代でもあり悩むのである。

この辺では浪江などは悲劇である。故郷というとき孫を抱いて故郷に命がひきつがれてゆく、それが普通のことだった。故郷で代々くりかえされてきたことである。その故郷がなくなったということが悲劇なのである。ただ別に孫がいなくなったわけではない、でも故郷がないということはどういうことなのか?引き継がれるべき故郷がなくなったのである。孫をもっている世代とばらばらに暮らしている人も多い。孫は故郷の思い出がないとか言っていた。忘れてしまったと言っていた。新しい生活の場が故郷になってしまうのである。ただ故郷というとき自然がないと故郷にはならないだろう。

東京とか大きな都会に移ればそこは故郷となりにくい、すると故郷喪失者になってしまったのである。この辺ではまだ田畑が耕されなくても生活があるから孫にひきつがれる故郷は残っているからまだいい。故郷がなくなるなどということを未だに信じられない、そういう混乱と戸惑いがつづいている。

今日も一日自分は忙しかった。買い物のために三カ所よった。買い物が結構一仕事なのである。何で毎日こんなに買うものがあるのかと思う。ただこの辺では仕事しないでぶらぶらしている人が増えた。七割くらい仕事していないかもしれない、それでも補償金があるから余裕であり補償金のない積み津浪被害者とはかなり違っている。顔に余裕があるなとかのんびりしているのである。
ただ忙しい人はやたら忙しいのである。暇なやつはやたら暇である。だから今になるとそうした暇にしている人を見るとなんなんだと今は思ってしまう。この辺では津浪原発事故以後は価値観が変わった。働く人は金を持っている人より上である。働かない人は低くみられるし邪魔だとさえなる。
でも実際は働かない人がふえすぎたのである。自分の仕事は史(ふひと)なのである。郷土の歴史を記録することが一つの仕事である。津浪原発事故でそのことがふえたのである。

地元の人に津浪の話しを聞く(鹿島区の御刀神社の後ろの家の人)(東部高速道路のようなものが津浪には有効だった)


地元の人に津浪の話しを聞く(鹿島区の御刀神社の後ろの家の人)

(東部高速道路のようなものが津浪には有効だった)


ebirittai111.JPG

minamiebiiii222.JPG

shimoebimura11111.jpg

tunamishinsuiii1111.jpg

mikatana111.jpg
クリック拡大!

海老村の歴史
http://musubu2.sblo.jp/article/43585610.html


北海老村-下海老村は壊滅した



今日はたまたま老人が家から出てきていたので津浪のことを聞いた。場所は写真の所である。御刀神社がありそこは林になっていてその後ろの家は結構被害が大きかった。ボランティアが来て泥をとるのを見ていた。京都や大阪から来ていた。今日話を聞いたのはその後ろの家である。床上ちょっとだけ浸水した。ただその前のは家は氏神の社を残してなくなった。御刀神社の前の家はほとんど喪失した。あそこが家が残るか残らないかの境界線だった。


ただ不思議だったのは津浪は海老の方から高くなって押し寄せてきたという。それでその前に坂になって高い道がありそれで波がさえぎられて助かったという。ええ、あんな坂が津浪をさえぎったのか?それを聞いて何か納得がいかなかった。津浪は海老の方で高く押し寄せたという、海老の家が密集している所は右田などから比べると高台になったのであそこが壊滅状態になったことで驚いた。
だから津浪は低い所に高く押し寄せたのかと思っていた。それがある部分的に高くなって津浪は押し寄せていた。それで海老の崖になっている所も高かったのだがあそこに高い波が押し寄せたからあんな被害になった。


反射・屈折・干渉などの「波」の性質を持っていて、条件により変化するため、予測されないところで被害が生じる場合がある。波の中では孤立波、その中でも伝播中に形状や速度が変化せずお互い衝突しても安定している「ソリトン」に分類される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%B3%A2


これはわからないにしても津浪と海底が浅かったり深かったりしても影響する。津浪は一様な高さで押し寄せるとは限らない、津浪はまた地形に影響されやすいことは前にも書いた。
今回聞いた津浪の話しでも同じだった。その地形とは高い坂になった道路だった。でもその道路はその道路だけが高いというのではない高台に作られた道路だったのである。道路というより地形の影響だったのだろう。津浪が海老の方から高く押し寄せてきて右田の方の平坦な地域からそれほど強い波が押し寄せたのではなかった。津浪の押し寄せる力は場所によって違っていたのだ。ただ御刀神社を境にしてその前の家はなくなった。全部流されたわけではないが被害がひどいので壊されてなくなった。御刀神社の後ろの家が残ったのは流された木材などが神社の林でおさえられたこともあったろう。その後ろの家は被害がひどく壊されてなくなった。
その後ろの家の人に今日津浪の話しを聞いた。家が三軒ほどでも前がさえぎられて海が見えなかった。


津浪が来たときその前の家の人に聞いて逃げたという。最初の一波はひたひたと押し寄せる低い波なのだ。その時逃げればみんな助かった。それは磯部の人も海を見に行ったら低い波がよせてきて逃げて助かった。最初の一波は低い波なのである。それから津浪はある程度距離があると津浪が来るのが見えてからでも必死で逃げれば助かる。大内は結構距離があるから津浪が来てトラックで逃げて助かった。八沢浦の人は海が近いのだけど前に小山があってその小山にさえぎられ津浪が弱められた。

そし津浪が見えていたから後ろの山に逃げて助かった。つまり津浪は見えてから逃げて助かるということがあった。あそこには4軒くらいしか家がないのにその家にさえぎられて前が見えないから海がみえないし津浪が来るのもわからないとなる。もちろん外に出ればあれだけ視界が開けているのだからわかる。ただ家から海の方が見えないのだ。この海が見えないということが死角になっていた。


多賀城と石巻とか都会は家が密集して海が全く見えないし海を意識すらしない、ただ砂押川をさかのぼってきたのでそれで川と海がつながっていることを改めて知ったのである。海が見えないということが意外と死角となっていた。石巻の大川小学校の悲劇も住宅にさえぎられて海が見えない、だから津浪が来るのが見えないからわからなかった。それで逃げ遅れたのである。海は意外と近くにいても見えない場所が多くなったのである。この辺でも松原があると海は見えなくなっていた。常磐線では海の見える地域が極一部である。だかち海が近くても海が見えないのである。浜吉田も浜がどこにあるのか海を意識したことがなっかたけどあそこまで津浪が押し寄せて海が近いと改めて知ったのである。


亘理から名取の海岸線を走る東部高速道路はかなり高いからバスからの眺めがいい、鳥の海とか河口か見えて海が見える、あそこの高速道路に必死に上って助かった人がいた。あれだけ高いと津浪には効果的だった。あれがもっと海岸線近くに作られていたら相当に津浪を防げたので参考になった。
今回聞いた話でもあの道路があのわずかに高い地形が影響して津浪をさえぎったというので不思議だった。津浪は地形に影響されるし津浪自体が良く解明されていない、それはかなり複雑なものであり海底の浅さや深さでも違ってくる。


南海老村は被害がなかった。下海老村と北海老村が壊滅した。そこはあとから人が海の方に向かって開けた地域である。だからその神社も新しいとなる。神社が津浪の被害からまねがれたというとき北海老や下海老村の神社は新しいから流された。古い神社は津浪が来た経験から高い所や津浪の来た地点を記憶していて昔の人が建てた。神社が古ければ古いほど津浪が来た所には建てていないというのは本当なのだろう。


あの辺の田んぼは塩害やら放射能で使い物にならないので農協であづかり広く整地するという。今まではなかなか土地を農家の人が手放さないのでできなかったがもう何もできないとあきらめて農協が一括してあづかることになったからできる。そういうことで大規模な農業経営に移行しやすいということもあった。宮城県などでも津浪で壊滅した町は御破算になってしまったから新しい町作りを一からはじめられることはある。そうはいってももう人が流出していてはできない。これだけ被害が大きいと今までの狭い土地に執着することや何か他でも新しい発想が必要になってくる。それが何なのか模索することになる。そうはいってもなかなか新しくするというのはむずかしいだろう。でも町自体消えることはそうならざるをえないということもあるのだ。

posted by 老鶯 at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係