2013年03月25日

失われた貴重な右田の松原 (残された詩で思い出す)


失われた貴重な右田の松原

(残された詩で思い出す)


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松影老鴬

松影の道
釣人並び
沖行く船
老鴬鳴く
車輪梅咲き
南風そよぐ
我が歩む
海辺の道



右田の松原は松川浦よりもいい松原だった。調っていたし松風や松影が気持ちよかったのである。あの松原に注目していた人が少なかった。松の幹もそれなりに太かったしいい松原だった。あそこは一本一本の松として意識していない、今は残った松を一本一本意識している。松原としてあったから一本一本の松を意識しなかったのである。陸前高田市の松も一本一本の松ではなく松原として意識していた。あそこの松原の前の旅館に一度だけ泊まったことがあった。確実にあの旅館は津浪で流されてしまった。松も一本も残らなかった。前の広田湾は静かでいい湾だなと思っていたけどあそこあんな被害にあったのはショックである。今回の津浪は美しい光景の場所が津浪にあってめちゃくちゃにされた。陸前高田市でもあの松原は憩いの場所でありその生活に密着した場所だった。特にあそこは街と一体化していたから余計にそうだった。ただ街の方には行っていなかった。あんな大きな街があったとは知らなかった。風光明媚な地がもう人が住めないくらい破壊されたことは信じられない、街が大きかっただけでにダメ-ジも大きかった。そして松原は人の記憶にしか残らなくなった。

一本の松をその松原を思い出すために建てた気持ちもわからないではない。ただ松原としてあったのだから一本の松を建てても思い出とはなりにくい。右田の松原もあくまでも松原として意識されていた。ただ不思議なのもその松原が消失したのだから松原があったということはただ記憶の中にあるだけである。現実にはもうないということが未だに信じられないというか不思議だとなる。
松原がある風景の中で暮らしていたものが失われた。それは二度と経験できなくなったのである。
人工的自然であったがそれは失われたから二度ともどってこない、松原はただ思い出の中にしかなくなった。

だからこの詩もたいした詩ではないにしても松原を思い出すものとして貴重かもしれない、正直自分でもものたりないのだが松原があったときの風景を思い出す一つにはなる。
夏になると釣りする人が必ず車で来て並んでいたのである。その前の海には漁船が見えた。それは烏崎港から出た船だった。それは別になんでもないいつもの風景だったけどそういう風景をもう見ることができないのだ。車輪梅も咲いていたがそれも根こそぎ喪失した。崩れた防波堤があるのみである
実際このように消失してしまうと思い出すことがむずかしくなる。もっと写真とか画家がいたら松原の風景を描いてもらっていたら思い出したかもしれない、それももうできないというショックである。貴重な財産が一瞬にして喪失したのである。風景そのものが消失したというショックである。
それはここだけではない、松原は仙台辺りまで延々とつづいていたのだ。それらは根こそぎ喪失したショックである。そしてそれらはもう回復しないというのもショックである。ただもともと松原は人工的な風景だから元の自然に原野に帰ったといえばそれまでである。でもその衝撃は圧りにも大きすぎたのである。
posted by 老鶯 at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係