2013年03月17日

抽象画(春の風)



抽象画(春の風)

sprigwindssssss1212.jpg
春の風(東風)


sprigwindssssss333.jpg

streamsp1111.jpg


spring stream

全部クリック拡大!

春の風は東風でありこの東風は海から吹いてくる。
だから青い海がまずイメ-ジされる。
ただ抽象画はまずタイトルと関係なく感じるものがある
ただ春の風としたときこれが春の風の感じかとなる

松川浦の漁師の話(続) (海からは山が目印になる-漁師の仕事はわかりにくい)


松川浦の漁師の話(続)

(海からは山が目印になる-漁師の仕事はわかりにくい)


以前は特徴のある山形を用いて位置を確かめた。陸上の山の形を見て、位置を測定するのである。串本では、5海里(約9キロ)までは潮岬の高塚の森、10海里(18キロ)では重ね山、
20海里(36キロ)では那智のムカデ連山が目印になった。漁師にとって、
命が懸かっているから、これらの目印の山は信仰の対象となった
http://apolohal.jp/st2-4.htm


昨日あった漁師の話しは興味深かった。30才くらいのようだが体が自分より小さい、筋骨隆々でもない、ええこんな体で漁師ができるのかと不思議だった。やはり人間はまず体つき見る。体つきが姿勢とかいいと好感度が高くなる。体が大きいと威圧されるのだ。若い人でどちらかというと今は背が高くて大きな人がいる。そういう人に接すると何か自分がみすぼらしく見える。最初相手の知能がどうだとか見ない、まず体つきを見る。これは聖書でもニムロデとか大きな人のことがでている。それは人類がはじまって以来、人が出会うと相手の体つきで判断していた。やはり大きい人には威圧感があり恐れを感じてしまう。そういうのが誤りであり偶像崇拝に通じている。巨大なものが何でも偉大だとなってしまうからである。巨大化信仰がそこから起きてくる。ただ漁師とか大工でも土木関係でもどうしても力仕事だから体力がないと勤まらないと思うから体を見るのである。あんな小柄な筋肉質でもない体でどうして漁師ができるのかと思ってしまう。ただ小柄でも機敏であり動きがいいのかもしれない、漁船は常に揺れているから体力も必要だが機敏さが必要になる。あの人からは機敏さは感じた。小回りもきく。揺れる船の上では仕事がしやすいのかもしれない、眼に大怪我をしそうになったというのは機械のワイヤ-などが原因でありそっちの方が今は恐いと言っていた。仕事は機械でする時代だから機械により事故が今は一番多いのだ。


その人が言うには海から見えるのは山しかないという。それで山によって位置を計る、海上の位置をみる。漁場でも山を見て位置を定める。
この辺の山は特別高い山が見えない、阿武隈山脈であり低山の連山でありそこに目立った高い山が見えない、でも海上から見分けられるという、陸に暮らすものにとっては海から見ている感覚がどうしてもわからない、確かに海から見えるのは山しかないのだ。陸地は平坦だから目印にはならない、すると山が頼りになり信仰にまでなる。海の人も山を信仰するのかとなる。砂漠でもそうだが位置を知ることが一番大事になることは変わりなかった。砂漠では位置をしるために星が一番大事であり妙見信仰も北極星のことでありこれは変わらないので目印となった。砂漠の国はみんな国旗には星が記されている。星がそれほど大事なものなのである。海上から山が大事だというとき位置をしるためなのである。この感覚はやはり漁師でないとわかりにくいのだ。

今は漁場を探すにも機械である。だから年配の経験者の指導もいらないとなるが実際はやはり必要になることもある。海を経験で感覚的に体で知っているということである。人間はそうした感は長年の経験で養われる。ただ感というとき経験なくても海外旅行では青年は楽にしやすい、なぜなら言葉が通じなくても感がいいから辺りの様子が感でわかるのだ。自分のように50才で海外旅行すると感が鈍くなっているからわからなくなるのだ。感は経験で働くものもあるが別に経験がなくても働く、老人が津浪で死んだ人が多いというとき経験していないから津浪が来ないと依怙地になって逃げないから死んだのである。つまり老人には柔軟性がなくなるのだ。人間は生きるのに経験しないことがいくらでもある。だから経験だけに頼ることはできないのである。人間一人の経験は限られている。その限られている経験からすべて判断することはできない、そこにミスが生まれるのだ。だから多様な人の経験に聞くということも大事になる。


そもそも漁師というのは一番わかりにく職業なのである。ただ海の上での仕事だから危険だなと見ている。確かにその人は船の上で手術をするような病気になりそれが緊急を要していたので危なかったといっていた。船がなんとか陸に帰り救急車が来ていて救われたという、30分遅れていたら死んでいたという、そういう危険は海の上ではある。その人が言うには農業など仕事がとんとわからないという、それも確かだろう。漁師と農業はあまりにも違いすぎているのだ。陸で暮らす人から見ると漁師の仕事は魚をとれるのは何か運のように思える。魚が勝手に集まり増えてそれで大漁になったりするのかと思っている。でもそういうことはないという。それはあくまでも人間の業であり運ではない、人間の積み重ねられた技術の集積で魚はとれる。運でとれるということはないという。長年の感で漁場を探していた時代もあった。今は機械で探しているがやはりそれも運ではない、一つの熟練した技術の結果だという。世の中運で仕事になるものはないということである。何か運で食糧が恵まれなどということはないのである。


その人の話で最も漁師らしいと思ったのは魚をとったばかりの新鮮なものを食べているから二三日過ぎたものはまずくて食べられないという、そういうものはすぐにわかるという、それは確かにそういうものかと思った。とれたての新鮮なものが魚でうまいのだ。一日でも置いておくと新鮮味がなくなりまずくなるのだ。そういう新鮮なものをいつも食べているからその舌でわかる。ここでも石鰈などは売りにきていた。それは2千円とか高かった。でも新鮮だからうまかったのである。この辺では一番のごちそうだった。そういうものが食べられないというのも海側に住んで得なものがないとなる。放射能の影響は長くつづくから困るのである。放射性物質はまだ何かわからないが汚染水が原発から流れだしている。その水をいくらとりかえてもやはり濃度が下がっていない、つまり汚染水が地下水からかどこからか常に流れだしているからその水をとりかえてもまた汚染されて濃度が下がらないのである。ただ海は広いから汚染水が流れても濃度が広範囲に流れて薄められるから危機感が薄いのである。


水を得た魚と、陸に上がった河童


その人は漁師だから陸で仕事しにくい、陸にあがった河童になる。農業のことはわかりにくいというのはあまりにも漁師の仕事と違っているからだ。ただ農家とか漁師でいいのはいつも新鮮な食糧を食べられるということである。農家では農薬を使わない野菜を前の畑からとって食べているとか言われる。そういう特権があり買ったものは新鮮味で落ちるし何か農薬が使われすぎているのではないかという不安があるのだ。この辺では原発事故でそういう特権を失ったことでがっかりしている。

とにかく人間の能力は多様であるから理解しにくいのである。

2816号 水を得た魚と、陸に上がった河童(平成進化論)
http://www.2nd-stage.jp/backnumber/ppf_full/2011/05/2816.html


人にできることとできないことがある。向いていることと向いていないことがある。それは手伝いとかの仕事でも誰でもできると思っているがそんなことまで向き不向きがある。手伝いとなるとその家に溶け込む必要があり結構人間関係などでめんどうだともなる。職業に無数のミスマッチがある。
適材適所になっていない、それは離婚が三分の一になっているのとにているのかもしれない、男女関係もミスマッチが多いのである。自分はこういうふうに文章を書くことは得意でもしゃべることは不得意である。ただこうしてプログを出していてもこれが職業とはなりにくい、職業でも結局金にならなければ職業になりえないとかこれもまた適材適所にならない理由なのである。あなたは自分の向いた好きなことを社会でやりなさいとならない、まず強いられるのは収入が金をとることが先になりその人の適正がどうだなどと考慮してくれる社会ではないからだ。

いづれにしろあんな小柄で漁師がやれているというのも不思議だった。時代が変わってまた漁師も力だけではない、機械の操作とかが大事になると別に体力がなくてもやれるとなる。ただ高橋英吉の「潮音」のような漁師像はすでに過去のものなのだろうか?あれは地引き網とか海とじかに格闘していた時代のものなのだろうか?あれは海の男を如実に彫刻化したものである。

今回あった漁師はそんなふうには全然見えなかった。これなら自分もできるなと思った。体も小柄で手も小さく筋肉質にも見えない、顔も子供ぼい、子供がいても顔が子供ぽいのである。ただ小柄でも機敏性があることはみてとれた。揺れる船の上で機敏に動けるから漁師ができるのかと思った。鳶の人が船に乗ったけど揺れて動けなかったというのもわかる。鳶も十階とかビルの上で仕事している。だからそこにいるだけで恐怖になる。でも船の上ではまた勝手が違うのである。つまり職業は慣れもありなれない所ではみんな勝手が違ってくる。だからアルバイトで電気関係でアンテナをとりつける仕事した年配の人が屋根から落ちて死んだ。だからアルバイトと危険である。その仕事の要領がわからないし訓練を積んでいないから危険なのである。どんな仕事も本当は簡単にできないのだ。

posted by 老鶯 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)