2013年03月16日

松川浦の尾浜の漁師から津浪の話しを聞く (津浪はともかく早く逃げないと助からない)


松川浦の尾浜の漁師から津浪の話しを聞く

(津浪はともかく早く逃げないと助からない)

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原釜(はらがま)は鎌倉のようにカマ(鎌)の地形だった。もろに津浪に襲われる地形だった。
尾浜は山にさえぎられて津浪が弱められた。ただもう一方からも津浪が来たがそれも離れていたので
被害も大きかったが原釜よりは被害が少なくてすんだ。津浪はちょっとした地形で被害が違っていた。

地形により津浪の大きさは違っていた
http://musubu.sblo.jp/article/44126846.html



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ボランティアが金沢で砂を掘り起こして津浪の漂流物を掃除していた

南相馬市の原町区の金沢でポランティアが砂浜を掘り起こして津浪で流された木片などを掘り出していた。金沢の浜はサ-フィンで有名だった。サ-フィンをする人がすでにきていた。ボランティアは一人は静岡で東京の人であった。他にも結構遠くから来ている。それから松川浦の尾浜で漁師をしている青年にあって津浪の話しを聞いた。その人は屋根に上ってそれから山の方に上り助かったという。おじいさんは死んだという。家が流されなかったのは高台にあったのと柱が太い鉄骨だったかめだという。鉄骨が細かったら流されていたという。柱に鉄骨を使っている家はすくない、ましてや太い鉄骨は使わない、ただコンクリ-トの家は流されず残ったということはある。もし鉄骨でなかったら一階まで津浪が来たのだから家自体が流されてしまって助からないということもあった。


テレビで最初3メ-トルと聞き次に6メ-トルと聞いたがそれほど驚かなかったという。ところが10メ-トルと聞いたとき驚いて逃げたがそれまでの時間がないので屋根に即座に上ったという。つまり津浪は時間の余裕がないのである。津浪でんでこというときばらばらになってとにかく早く逃げろというのはそのことであった。予兆としては川が異常に退いてた。こんなに引いたことはないという、津浪の予兆は川であれ海であれ異常に引くのである。これだけはみんな言うから間違いな兆候なのである。そしてすぐに逃げない限り助からないこともこれまで経験したことで伝わっていた。四倉では即座に松の木に登り助かった人がいた。四倉は砂浜が広く緩衝地帯があったため意外と被害が少なかったのである。この辺では松に登っても海岸線では助からない、強烈な10メ-トル以上の津浪が襲ってきたからである。


原釜は直接に波がおしよせる所にあり被害がひどかった。波が二方面から来て原釜で渦巻いていたというかち恐い。新沼の方も低地であり津浪の被害が大きかった。だけど松川浦に面していた尾浜は裏の山にさえぎられ前からの津浪も多少緩和したから家は残っていた。海岸に接していた磯部では土台しか残らず壊滅した。津浪は地形の影響を受けやすいのだ。八沢浦では海岸に近いのに前に山がありそれで緩和されて助かっていた。その家ではじいちゃんだけが死んだだけだったから被害が少ない方だとも言っていた。船も沖に出して助かった。船を沖に出すのを遅れて船が流されてつかまってそこから脱出して助かった人もいたという。松川浦では船を沖にだしたので90艘くらいは被害がなかった。今回は意外と老人が逃げずに津浪にのまれた。それはなぜかというと老人は自分の経験から津浪など経験していないから津浪などこないと逃げなかった人が多いのである。家族のものが逃げようと言っても津浪なんか来ないと逃げずに死んだ人が多いのである。


津浪はそもそもこの辺では400年前に起きたことであり誰も知らない、相馬藩政記に一行700人溺死と記録されていただけである。どういう状態なのかもわからない、一方宮城県の方では岩沼辺りでは船が山まで流されてきたとか伝説が伝えられていてその話を聞いた東北電力の副社長が10メ-トルでいいではないかと決められるところをもっと高くして女川原発は助かったのである。相馬地方では津浪の伝説すら聞いたことがない、津神社が津浪を記念したものだともわからなくなっていた。


これでわかることは長い歴史になるともう生きている老人に古老に聞いてもわからないことである。400年前のことをどうして知り得るのか?それはただ一行しか記されていなかった相馬藩の記録しかなかったのである。だから歴史はこういうふうに昔になりすぎると生きている人間からは知り得ようがないのだ。そしたら何で知るのか?文献には一行だけ残っていたが誰も注目もしなかった。伝説もないとすると知り得ようがなかったのである。そしてかえって老人は津浪など来ないとして死んだ人が多いのである。歴史というのは長い時間のことであるけど老人は百才生きても400年前のことは知らない、経験しないものについてはかえってありえないとして対応できなかった。


若い人はなんとなく危ないと感じて助かったしまた逃げるのも早いから助かるということがあった。老人は逃げるにしても遅くなると助からないのである。今回の教訓として歴史は長い時間のものでありその中で歴史を見直す必要があることだった。400年前としても現実にここでもあったことだからそれを検討する必要があったのだ。それは老人に聞いてもわからなかったのである。そこに人間はとても三代くらいの期間ではわかりえないものがあるということを知った。もちろん歴史は古代から勉強している。でも津浪についてこれほどこの辺で看過されていたのはなぜなのかという疑問がある。最近の地層の検査でかなり松川浦の奥まで津浪が来た証拠が津浪の砂が発見されていたのである。それもあまり注目されていなかった。人の経験は三代過ぎたらもう伝説になるしわからなくなる。するとどうして後世に伝えるかとなると文献に残すというのもある、伝説もある。ただそれにしても不確かなものとなっていた。庶民は文字を書けない時代だから津浪のような体験でも残しにくいということもあった。ただ口誦で伝説すら残らなかったというのはなぜなのだろうか?その疑問がこの辺ではある。


漁師だからその話しも興味深かかった。放射能検査でも魚はわからないという、一匹くらい選んで検査してもわからないという、米だったら全部検査できるから安心だという。魚は検査しにくいのである。そして補償金はもらっているが検査のための漁でも船に乗って出ないと金はもらえないという。その人は船ももっているからそれなりに補償はあるのだろう。ただ今でも原発から汚染水が海に流れだしているという、なぜなら海に流れた水をとりかえても何度も計っても放射能の濃度が下がらないという。水をとりかえてもまた汚染された水がながれだしているためである。このことは報道されていないという。何から放射能は常に隠されているから困るのである。
海にはまだ相当数放射性物質が流れだしているのだ。だから濃縮される魚が危険だとはいえる。
魚の安全性はわからない、正確な検査がむずかしいからだ。一方で米などは正確に検査ができるから安全だとなるのか?海の汚染は今もつ
づき相当なものだが濃度が薄められるから危機を感じないのである。その人は仕事しないから体がなまってきたという、母親なども仮設で畑仕事などしないから心臓病になったとか言っていた。やはり仮設暮らしは運動不足とかになり体に悪いのである。

posted by 老鶯 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

名所観光がつまらないのはなぜ(3) (福島県の奥の細道はどこに)


名所観光がつまらないのはなぜ(3)

(福島県の奥の細道はどこに)



名所観光がつまらないのはなぜ(1)
http://musubu2.sblo.jp/article/46974438.html


名所観光がつまらないのはなぜ(2)
http://musubu2.sblo.jp/article/46982436.html

名所観光がなぜつまらないのか、今はあまりにも簡単に名所に行けるということもある。新幹線で二時間で平泉についたよ、これが金色堂かやっぱりこんなものか、ここはこれくらいしか見るものはないな、次は何を見るんだ、もう終わりか、また新幹線で遠くへ行こうとなる。
これでは芭蕉の感じた「奥の細道」は全く感じられなくなったのだ。自分も前に書いたけど平泉で印象に残ったのが金色堂ではなくその裏方の普通の農家だった。それがいかにも農家らしい農家であり古い碑があり納屋がありとかで深々と雪に埋もれていたのである。そこにもののあわれ北国の情緒を感じた。観光地化した平泉には感じなかった皮肉があるのだ。


深々と雪に埋もれし農家かな金色堂の華やかさもなし


金色堂の華やかさもなくてもその土地に根を降ろした農家は平泉が栄えた時代からあったのだ。それは今も変わらずあったのである。必ず農家には風情がある。それも本当に農家らしい農家だったそうなる。そこに日常の暮らしがあり冬は雪に埋もれてひっそりとしている。今の農家は一面農家らしい農家が少なくなっている。農業だけで暮らしている農家が少ないと風情もなくなる。その風情は観光者のために作られたのではない、自然とまさに自然の暮らしのなかで自ずと生まれてきたものである。そこは観光地用に作られたのではない、そこが現代はあまりにもあらゆるものが観光地化してもののあわれを失ったのである。そして観光というときみんな急いでいる。だからともかくいいとこどりして早く見て早く帰ってゆく、それで旅が印象に残らないものとなった。旅には時間が必要であり現代はただ車で突っ走り通り過ぎてゆくだけなのである。歩いて通りすぎるなら体で記憶に刻まれることがあるが車だとそこで風も感じないし記憶に残らないのである。ただ遠くへ遠くへ通りすぎてゆく旅になってしまう。

福島県も相当に見どころある場所である。ところがこれも会津の白虎隊とか名所とかばかりに気をとられているのだ。別に名所でなくても見る所がいくらでもある。奥の細道というとき相馬藩などは注目されていないけどプログで何度も書いたように六号線ではなく日立木から入り松並木を通り城跡のある相馬市に入る道が歴史の道であり情緒ある道だった。そこは細く曲がりくねっていていかにも奥の細道の感じがでているのだ。あのような細い曲がりくねった道でありそこは歩いて旅する道だった。白河の関に出る道が森があり木暗い道であり境の明神がありいかに奥の細道に入る道としてふさわしいがあとは頻繁に車の通る道になるからその面影は全く感じられなくなるのだ。時々東京辺りから六号線を歩いてくる旅人がいた。でもその人も昔の街道を歩いていない、六号線はわかりやすいから歩くにしてもそうする。ただ歴史に興味ある人が街道の昔の跡を訪ねて歩いてインタ-ネットに出していた。その人は地元の人より詳しく見ていたのである。

昨日見たその日立木からの細いくねり曲がった道の脇に養蚕をした農家が二軒あった。それも気づいていなかった。六号線ができたのはすでに40年前とかなるにしてもその前は六号線がなかったからこの街道の細い道が唯一の道だったのである。相馬市まで鹿島から梨をリヤカ-で運んだという女性がいたがそれは六号線ではない、旧街道である。今になるとすべてが六号線で運ばれたような錯覚に陥るのだ。車がこんなに普及してわからなくなったのである。車時代になると車があるのが当たり前になるからわからなくなる。それまでの運搬は馬だったから馬頭観世音の碑が多いのである。


桑畑、麦畑、養蚕農家の景観は後進国では今でもそうである。ネパ-ル辺りでは麦畑と水田が半々にある。昔の景観が残っていることが後進国では面白いのである。過去にタイムスリップした感じになるからだ。養蚕農家を見るとそこに重厚な暮らしがあったと思う。三階建ての白川郷の合掌作りも養蚕するためにあのような作りになった。今は何か農家の重みがない、会津辺りにある曲がり屋でも生活の重みが感じられた。そこに生活がなくなるときやはりもののあわれは感じない、水田とか畑があるということが風景としても必要なのである。外国からTPPで輸入して米すら作れなくなったらどうなるのか、この辺の原発事故の放射能で荒廃化した大地のようになってしまうだろう。何だかわからないけどTPPはアメリカの策略であり地震は人工地震でありTPPを日本におしつけるためだったと言うひともいる。確かにもう放射能で農業も漁業も林業もできなくなったというとき何で食べてゆくのだとなる。自動車工場とか何か日本の農業は壊滅してしまうかもしれない、農業は日本の大地の景観を維持するためにも必要だった。それがなくなることは日本の精神自体にモラルにも影響してくる。
そういう観点から論じられない、ただ経済的効率のかみしか論じられないのである。そこに原発事故が起きたように大きな落とし穴があるのだ。


福島県の観光でどこがいいのかとなると推奨するのは松林があり静かな船津浜辺りがいいのではないか?真正面に秀麗な磐梯山が見える。松林があるのもいい、あまり観光地化されていない、志田浜は観光地化しているからいいとはいえない。そこから福良にゆく白河街道はやはり忘れられた奥の細道であった。そこを自転車で旅したから記憶に残っている。福良はその時まだ茅葺きの家が通りに何軒かあった。今はないだろう。何か寂れていたのだ。そこの蔵の宿にたまたま泊まった。それも情緒があった。その裏の路地に紫菖蒲が咲いていた。そこで思い出して一句作った。

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蔵の宿紫菖蒲に福良かな


福良から会津に出る道が情緒がある。でもあそこはあまり行かない、六月でしとしとと雨がふって田植えしていた情景も情緒があった。あそこはあまり車も通らない、今はこうして名所観光地を目指して一直線に行き一直線に帰る。そして名所はつまらなかったとあとでみんな言う。会津は白虎隊だけではないのだ。また八重の大河ドラマのように作られたものが今では観光になる。ドラマと歴史的事実は違っている。何かドラマが歴史的事実のように錯覚しているのだ。名所が架空のドラマによって作られているのだ。映画の舞台が名所になっていることでもわかる。そういうところに旅の感動はないのである。

白河街道の詳しい写真
http://www42.tok2.com/home/kaidoweb/sira/05.htm


こういうふうに詳しく見れないのだ。これを見れば白河街道の情緒が再現される。自分が旅してもやはり通り過ぎてみていない、自転車も通り過ぎるのが多いのだ。写真から一枚失敬した。

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夏草に埋もれむ道や雨しとと