2013年03月12日

初雲雀-初音を聞いた


初雲雀-初音を聞いた

初雲雀原町の野の広しかな
我が町は小家の多し初音かな
春の水土を潤し流るかな


初雲雀とか初音がどこで聞くか問題になる。毎年違っているからだ。初蝶を見たのは今年は庭だった。庭で初蝶を見たことがなかった。たいがい外である。初音を聞いたのは住宅地だった。こういうところでもあまり聞いていなかった。この辺では街に住んでいても鶯の声はどこからか聞こえてくるしこれからも雲雀の声も聞こえてくる。今までは白鳥の鳴く声も聞こえた。そういう自然が身近である。やはり自然の中で暮らすことは気持ちいいのである。飯館村だったらまた街に住むよりもっと自然が身近だった。それが福島市とかに住んでいる赤生木の(あこうぎ)の人からメ-ルあったがマンションとか団地とかに住むと違和感がかなりあるだろう。それで鬱的になったという人もいた。

要するに人間は何でもなれる動物だというときなれないところに住むとステレスがひどくなるのだ。特に老人はそうなる。若い人でもそうなったのだから余計にそうである。若い人は順応性が強い。
海外旅行でも語学なんか関係ないのである。感がいいのと順応性があるからできるのだ。
語学など中学生の英語で十分である。


うぐひすのあちこちとするや小家がち 蕪村


この句はこの辺にあっている。仮設が増えたからである。江戸時代は大きな家は少ない、田舎でも庄屋のような家は大きいが他は小作人とかであり掘っ建て小屋と変わりないようなものに住んでいた。江戸であれあとは長屋住まいなのである。大きな立派な家に住んでいた人は少ない、ただ戦後は養蚕をしているから家がその作りになっているから山の方でも大きい家が多い。やはり町の方が小家が多かった。ともかくビルなどないから低い小家が多かったことは確かだろう。


原町は何か広い感覚になる。相馬市はそういう感じはない、それぞれに狭い領域でも個性があった。浪江は地形的にも魅力があった。海には請戸があり高瀬川があったからだ。大きな川が二つもあったの魅力である。二万人も住んでいたのだからそれなりに広かった。だから病院であった農家の人は15町の田畑を作り平に今のいわき市に作った野菜などを売って財を成した。でも重病となり手をあげるのがやっとでありあとは何もできない、しゃべることもできない、意思疎通は妻がくると手をにぎるために手をあげるためだった。妻はその頼もしい夫にすがるだけだった。よほど頼りにしていたことがわかる。今は一体どうしたのかあの重病で介護度5でどうなったのか、介護度5で自宅で介護していたのだ。それだけ思い入れが大きかった。介護というのはそもそもそうして個人的事情が家族ごとに反映しているのだ。

田んぼだったところにきれいな水が流れて潤ししていた。でも田は作らないから淋しいとなる。

放射能不思議は水をみてもきれいで変わりないから汚れた感じないことである。樹にしても枯れるわけでもない、でも特殊な写真でセシウムがはっきりと黒く映し出されていた。やはりあれだけ放射能が見えると恐いとなる。でもずいぶん放射線量は減ったみたいだ。この調子でゆくと5年後またさらに相当にへるのか?水で流れたというのはやはり本当だった。それから3月11日は東風が吹かなかった。寒かったからだ。だから飯館村とか本当に風により不運だったとなる。雨もふったのも不運だった。海岸沿いは風で海に流されたから低かったのである。


今日はやはり記録として初雲雀とか初音を聞いたのでプログに書いた。
出かけやすくなったので今度は飯館の方に行ってみよう。

倒木-蕗の薹(故郷がなくなったらどうなる-まだアイディンティティ化されなかった自然)


倒木-蕗の薹

(故郷がなくなったらどうなる-まだアイディンティティ化されなかった自然)

taoregiiiii111.jpg

石静か庭に若芽や手入れかな
故郷の山や一杯に春日浴ぶ
放射能消えよ復興の蕗の薹
倒れ木の側に芽生えし蕗の薹
若き等の話しつ歩む春の街
軽快に電車の音や春の山
はるかにも沖行く船や春の海

倒れ木に春の日さして寂けきや安らかに死ぬ場をもつべしかな

shipsea111111111.jpg


川子には森がある。森といっても本当の森ではない、隣はゴミを大量に埋めた敷地であり下を鉄道も通っている。でもそれなりに一応森なのである。だからあそこを通ると心がなごむ。近くに森があるのとないのとでは相当に心に影響する。あそこは夏になると日影が長く気持ちがいい、この辺はまだ自然が近くにあった。近くに自然がないと人間に心の安らぎがもてない、だから良く東京のような所に住んでいられると思う。自分は学生のとき東京に憧れで学生生活したがその後は性格なのだろう都会を嫌い隠者のようになってしまった。自分は都会には住めない、ただ地方都市には何とか住める。人間も自然の一部だから自然と一体化するようにできている、自然とアイディンティティ化するようにできている。都会の高層ビルとかとアイディンティティ化することが自己同一化などできないのだ。故郷では自分はそういう作業を詩を通じてしてきた。ただ故郷だけではものたりない,この辺では高い山がないことが致命的なのだ。だから高い山とアイディンティティ化するときは旅して見た山を思い出して詩にするほかない、一方で山国に暮らす人は海がないから海を常に意識できない、自然は多様だからあらゆる自然がある所はない、だから旅する必要がある。


倒木があり蕗の薹が芽生えた。この一シ-ンがまた自然なのである。一方で倒木となり森に還る命がある。この倒木が死んでいない、まだ生きているのだ。それは寝たきりの自分が介護しているような老人にも見える。一方で蕗の薹が芽生えた。新しい命が芽生えてくる。これも自然なのである。死んでゆき森に還る命がありまた芽生える命がある。その繰り返しが命であった。そういうものを感じるのは田舎である。都会ではそうした自然がないから感じないのである。死ぬ場所がどこかというと回りが高層ビルに囲まれた団地のような場所になり墓も自然の中にはなく小さな狭い場所におしこまれる。死んでからも死人も窮屈なのが都会である。都会の密集した大きなビルの住居は蟻の巣みたいで嫌なのである。田舎は多くは広い庭と家に住んでいた。だから仮設は窮屈さを感じているだろう。


原町区を回ったらイオンの前の団地は一杯に入っている。家々を見ても空家はなかった。一時避難していたときは空家が所々街中にあった。今はないから寂れたというのではない、まだ人口が流出していると言われるが外見はそれか感じられない、ただどこも人手不足だから若い人が流出していることは確かなのだ。郵便箱にロ-ソンで募集していた。人が集らないのだ。でも原町区5万の人口があり一万へっても4万だからその数は多い。原町区では別に農業はしていないから放射能とは関係なく会社があれば仕事がある。ただそれぞれの事情がどうなっているかはわかりにくいのだ。


ともかくこの辺で故郷を失うということは考えられなかった。それで故郷は何なのだろうとまで考えるようになった。この辺はそういうことはない、だから春の日を一杯に故郷の山が浴びて平和だなと思う。でもあの山の向こうは飯館村でありあそこは人が住んでいないのだ。だから平和ともいいきれない、浪江の方も住めないからそこも故郷の一部だから失われた。浪江には帰るまで十年かかるとか言われるからもう若い人は帰らないとどうなるのか?飯館村はまだ自由に誰でも出入りできるからいいのだ。だから春になったらからまた自転車で行ってみようとなる。でも浪江の高瀬川渓谷は景勝の地でも行けないのでがっかりしたのである。高瀬川渓谷はこの辺では一番景勝の地だったのである。ただ飯館村でも誰でも入れるのだ飼い犬が野犬化して異様に吠えていて恐かった。そういうのが出てきて襲われると恐いなとなる。立入禁止の軽快区域ては野良牛がいるからまた危険である。

浪江とか葛尾村(かつろう)は自転車で行くと遠いのでそんなに行っていない、つまり自分にとってはまだまだ未知の領域でありそこの自然とアイディティティ化されていなかったのである。自然とアイディティティ化することは時間がかかる。石の時間がありそれと一体化することはまた同じように石のような時間をもたなとできないのである。だから新しい場所に移るとなかなかその場と一体化できない、特に老人はもう時間がかかるからできない、そこで貯えられたものを生きるのが老人だからである。

stooneharu111.jpg

この石は高瀬川の近くである。この石には名前がない、まだつけられていない、ということはまだ人間化されていない、アイディンティティ化されていないのだ。これは一回しか見ていないからだ
この石はそれなり変わっていて老人の皺が深く刻まれたようにも見える。だから「皺石」とかなるか?まだ一回しか見ていないしもう見れないかもしれないとなると名づけようもないのだ。こうしてまだ人間化しなアイディンティティ化しない未発見の自然があった。

浪江と葛尾(かつろう)は遠いから一回くらいしか見ていないのがあるしまた見ていないものも結構あったのだ。それが立入禁止になったから入れないのが悔しいのである。
風光明媚な自然があるから田舎がいいのだがそこに入れない理不尽なのである。