2013年03月11日

復興はすすんでいるのか? (何が優先順位なのか-高齢化社会が復興をはばむ)

 

復興はすすんでいるのか?

(何が優先順位なのか-高齢化社会が復興をはばむ)


●放送は震災関連一色


今日は一日震災関連の放送だった。いろいろな人がでてきた。南相馬市の産婦人科医の院長で最近死んだ高橋亨平氏のことも放送していた。「南相馬市に生まれてきてくれてありがとう」と生まれた子供に最後のメッセ-ジを残した。これもこういう状態だからこんな言葉が生まれた。そもそも子供をもっている看護師自体流出している。これも放射能にそんなにこの辺で敏感になっていいのかという疑問がある。この辺は放射能が低いからである。飯館村とか浪江とかともちがう。小高だって他と比べると中通りの方が高いのである。もし放射能が危険なら中通りの人口が多いところも若い人の子供をもっている人が流出しても不思議ではない、そんなことになったら福島県が崩壊する。

確かにここで子供を産み育てること自体大変なことになったから他に移るのもしかたないし止めることはできないというのも本当である。相馬藩のような江戸時代とは違うからそうなる。相馬藩が飢饉のときは相当な人の流出があったらしい。それは食えないのだからどうにもならない、その人たちが悪いとはならない、でもこの辺でそんなに放射能が危険なのかという疑問がある。地元出身者が多いとすると親もいるからその親を捨ててでていくのかともなる。それから何を優先して行うべきなのかということも問題になった。それは子供をここで生んでもらいここで育ってこの街に住んでもらいたいということで産婦人科医の院長が癌になっても奮闘して死んだ。優先順位がまずここで子供を生んで育てる、子供がいなければもうその市町村自体が衰退して崩壊するからだ。ただ津浪被害地域でも人の流出は激しく市町村が維持できない、崩壊寸前にあるいう危機的状態である。それに対処するいい方法が見つからないのだ。派遣された公務員も過労で自殺したというのも驚きである。自衛隊も過労で一時三人くらい自殺した。そのくらい厳しい現場になっているということである。


●何を優先順位にするのか?


何かこういう緊急事態になると何か優先順位なのか問題になる。無駄なやっていられない、そんなことに金使っていいのかとかいろいろある。陸前高田市の一本松を記念に残すにも億の金がかかったからそれは別な生活に役立つものに回すべきだという市民の意見もあった。優先順位を決めるのは実際はむずかしいのだ。いろいろな価値観に生きる時代でありそれが無駄だとしても簡単にはできない。この世の中は実際は膨大な無駄な労働からも成り立っているのだ。労働がみんな価値あるものとはならない、一時は公共事業自体がただ金をかけるだけだと言われた。無駄な労働と金が費やされていたのである。だからすべて働いているだけでそれがすべて有益だとはならないのが社会である。

個々人にとって無駄か有益かは違っている。老人に何が売れるのかとか今は高齢化社会だからキ-ワ-ドで探している人がいる。でも老人にはあまりモノは売れない時代である。モノよりそのモノを売りに来る人の方が価値があるともなる。意外とモノを売っている人はそこに気づいていない、モノよりその人が気立ていいの女性で気持ちが優しくていいとかなるとモノも売れるかもしれない、老人はモノよりそうした人と接することを望んでいるのだ。ところがモノを売る人はモノがいいからモノが欲しいのだと錯覚している。モノより人間的サ-ビスを欲している時代なのである。自分もモノより心優しい女性に一杯のお茶でもわかしてもらい飲ませてくれたらそれなりの金を払ってもいいと思った。毎日介護で疲れたからである。優先順位は必ずしもモノではなくなてっいる。モノが売れないというときそういう時代の変化があった。だから介護時代になったということもそれに呼応しているのだ。介護はモノを買うことではない、人のサ-ビスなのである。老人と心地よく優しく接しているくれる人を望んでいるのでありモノではない、そこを勘違いしているのである。

優先順位ではこの辺では異常である。みんな必死になって復興で働き命を削っているときパチンコ通いでパチンコ屋で人手がたりないからとなげている。これほど馬鹿げたことがあるだろうか?

高橋享平医師はは癌でも命を削って南相馬市の将来を思って子供たちに未来をたくした。一方で毎日パチンコ屋通いの人たちも仮設に多い。多額の補償金をもらえるから何もすることなくなったからそうなった。そんなところに優先順位があるわけがないのだけどこれもまた原発事故の被災地域の現実なのである。個々の地域でそれぞれ違った事情をかかえている。自分からすると介護で苦労しているから少しでも手伝ってもらえば助かるなというのが優先順位になる。ただ一方で老人なんか介護しても何にもならない、若い者の負担になるだけだから早く死んでほしいということも常に言われてきた。老人の医療とか介護自体を優先順位にすべきでなはい、もうそんなところに社会で金を税金を使うべきではないというのも今は公然と言われているし政策にもなりつつある。病院でも身内のものが手術するときまだ生かせたいですかとか露骨に言われた。その時も医者は過重な労働で高齢者の世話に疲れていたのである。それだけ高齢化の負担が過重になっているからそうなる。今回の震災でその高齢化の問題が極端化して現れた。もう被災した市町村から若い人が流出して老人だけが残される、姥捨山が現実化する恐怖である。被災地でなくても高齢者の世話するのは嫌だ無駄だと騒いでいる若者が多い。被災地ではその何倍もの負担が若い世代にかかってくるからこんなところに住むのは嫌だとなり流出してゆく、そういうことが深刻な問題として現実化したのが被災地でもあった。


●高齢化が復興をはばむ大きな要因


不思議なのは一方で津浪の被災地で壊滅したところでは年金生活者はどこでも暮らせるからいいがこの市町村に残っても働く場もないしとても生活がなりたたないと若い人が流出してゆく、つまり年金生活者はかえってもう誰も医療でも介護でも若い人がいないからできない状態になったら老人も流出する。年金生活者は困らないからそれができるだろうとなる。でも老人は故郷への愛着が強いから故郷を出たくないのだ。ただそういういろいろな葛藤とか矛盾が二年たっても噴出している。どうしていいかわからないというのも現実である。復興するにはもう高齢化社会ではできない、老人では復興できない、つまり老人は復興の負担にしかならないということもある。だから少数の若い人たちでも残り復興する。そこでは老人がいなくなるから医療や介護の負担もなくなるから最小限でまにあわせるとかなる。医療介護はほとんど高齢者であるからだ。こういうことはあまり考えなかった。

何かいい知恵がないかというときそんな考えもあるのかと思った。でもその社会に地域に老人がいなくなるというのも異常なことだろう。老人もその地域で必要なものとしてあった。ただ数が多いのと高齢すぎるというのが問題だったのである。現代の問題は世界的にも高齢化というのが大問題なのである。高齢化社会というのは人類で経験していない、人生50年とか社会的には世代間の新陳代謝が激しい社会だった。常に社会が子供が大量に生産され若い社会だったのである。高齢化社会というのは人類で経験していない問題だったのである。だからその解決方法がなかなか見つからない、高齢者の増大で一地域でもその圧迫で崩壊するまでになっている。特に震災地域は現実化している。

posted by 老鶯 at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連