2013年03月09日

原発避難民はなぜ嫌われるのだろう (金をもっていることが反発される-金だけでは解決しない問題)

 

原発避難民はなぜ嫌われるのだろう

(金をもっていることが反発される-金だけでは解決しない問題)

原発避難民か今になりなぜ非難されるのか、それは前にも書いたように多額の賠償金をもらっているからだ。まず百万とか百五十万も一か月もらえるとなれば回りのもらえない人はこれは何なのだとなる。そしてイワキあたりでは飲み屋に行って札びらを切っているというのも異常である。この辺で毎日パチンコ通いでパチンコ屋で人がたりないとか自分の家にきて言う人があった。自分の家でも苦しいのになぜパチンコ屋で働かねばならないのか、他に働くところがあるじゃないかとも思う。
もちろんこういう異常な状態だから何もすることがないからパチンコに行く他ないということもある。そういう人たちをみて回りで補償金をもらえない人はあの人たちは何なのだと何も困っていない、かえって買い物でも贅沢しているとかみる。女性は細かい他人の買ったものをス-パ-見ているのだ。あの人たちは原発避難民で高い買い物をしている。補償金もらっていいわね、こっちは安い給料で働きづめだわ・・とかなる。結局今の世の中なんでも金でもめる、金で何でもできる、解決できると思っているが今はそうなっていない、その金がかえって徒になっているのだ。


金をもっているということは人間を傲慢にする。俺は金があるんだから何も困っていない、金を払っているだから別に頼む必要もない、頼まれても頼む必要はないとかなる。でも実際に本当に困った人ならなんとか助けてくださいとお願いにくるだろう。金があるからそういうこともない、だから避難民は回りから嫌われた。それは何か態度も悪かったのか?原発避難民というのは特権者になったのか、そういうことは確かにあった。自分たちは原発事故の被害者なのだから待遇を良くされても当然だとなった。だから避難した先でも謙虚さがなかったのかもしれない、どうぞお世話になりますとか言う心の謙虚な姿勢がなかった。その後も多額の補償金をもらっているから回りに気づかうこともなかったのか?この辺でも小高区と鹿島区の人たちで仮設商店を出すのに小高区の人は四軒しか出させないというのは差別だった。でもなんか小高区の人も回りに気づかうことがなかったのかもしれない、お世話になりますとかいう気遣いがなかった、もし鹿島区の人たちに一言でもそういうことを言う人があればまた違っていたかもしれない、そんなことは全然ない、他に避難した人たちもそうである。

人間の矛盾は人間は本当に食うものもないとき助けられたら恩義に感じてその人のために尽くそうとするだろう。でも普通の場合はしない、かえって金があり俺たちは何も困らないんだよ、むしろ金を払っているから尽くしてもらいたいとなれば誰も交流もあまりなくなる。住居は狭いにしても困った人たちと助けてくれという人たちではないとみられてしまう。ただ金をもらっているということで回りの反感を買うだけだとなる。今の世の中、金の世界だというとき金をもっているだけで回りは許さない、民主主義は必ずどんなことであれ平等を主張する。とにかくみんな同じでなければならない、そこにいかなるものでも不平等があってはならないのだ。例えその人が才能がないにしてもその相手が才能があったらそれも平等でならばならない、努力しようがしまいがそんなことは関係ない、とにかく平均して同じでなければならない。そうでないと必ず恨んだりねたまれたりと許せないとなるのだ。いくら謙虚になれと言ってもおそらく賠償金を高くもらっていればいるほど回りでは羨みねたみ許せないとなるのだ。だから避難民はその土地の人といつまでも溶け合わないとなる。
津浪の被害者で原発避難者のように補償金がもらえない人も仮設にいる。すると原発避難民はもらって俺たちはもらえないと不満を言っていた。結局今の世の中金がすべてとなったとき金でもめていることもまた同じだった。金がかえって協力させないようにしているのだ。金の世の中の矛盾が被災地にも露骨に現れたのである。


そもそも今回の津浪原発事故では金ではどうにもならない問題が起きたのではないか?宮城県などでも町自体が消失したような所がある。陸前高田市などでも街自体が壊滅した。ではそういうところに一億円やるから住んでくださいと言っても住む人がいないだろう。原発事故の放射能汚染地帯でもそうである。一億円やるから住んでくださいと言っても誰も住まない、住む価値のある場所じゃなくなったのだ。金はそこで何の力も発揮しない、病院も介護施設もなにもないとなれば金があっても何の役にも立たない、そこで商売をはじめようとした人がいたが回りに人がいないなのだから帰ってこないのだから売れないから商売にもらならないとなる。金が有効なのはそこに投資する価値がある場所だとそうなる。しかし壊滅した街を見てここで何をしたらいいのかとかなると金を投資しても無駄だとなる。金があっても有効に働かないのである。原発事故地域でも賠償金で二百億円くら銀行に金が増えた。でもそれは有効に使われない、銀行でも金がたまりすぎても困るという。
銀行は金を貸しているとき一番有効に働いているという。その金を貸すものがいないのである。


だからただ金は紙幣としてあるだげでありそれは紙にしかすぎないともなる。一見今の世の中金ですべて解決するように思えるけど被災地域では金だけでは解決しない問題が生じているのだ。牡鹿半島辺りの小さな漁港では牡蠣などがとれるのでそれで会社で資金をだしてもらいその会社に勤めることでそこに残ることができたと報道があった。60以上の人が多いからもう資金を出してやっていけないからだ。ただそこに会社が入ってきたのは牡蠣とか他にも養殖の貝とかがとれるからである。常にそういう糧がありとれるということが復興につながっていたのである。だからこそ会社が入ってきて資金も供給した。

そこはまだ小さな港だからできたのかもしれない、大きな街が壊滅したような所ではむずかしいかもしれない、ただ現代は一次産業が主力ではない会社があればそこで生活が成り立つ、でも若者が流出して人手不足とかなる地域には会社も入りにくい、金が万能ではなく金を産むものが何かということが問題なのである。現実に銀行や信用組合に二百億円増えたけどそれは活かされていないのである。中国などに世界から工場が進出したのは何もないけど安い労働力があった。それが金を産む元だったのである。やはり補償金だけに頼るようになるとそこは嫌われ人も入ってこない、イメ-ジ的にも悪くなるのだ。

posted by 老鶯 at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連