2013年03月16日

松川浦の尾浜の漁師から津浪の話しを聞く (津浪はともかく早く逃げないと助からない)


松川浦の尾浜の漁師から津浪の話しを聞く

(津浪はともかく早く逃げないと助からない)

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原釜(はらがま)は鎌倉のようにカマ(鎌)の地形だった。もろに津浪に襲われる地形だった。
尾浜は山にさえぎられて津浪が弱められた。ただもう一方からも津浪が来たがそれも離れていたので
被害も大きかったが原釜よりは被害が少なくてすんだ。津浪はちょっとした地形で被害が違っていた。

地形により津浪の大きさは違っていた
http://musubu.sblo.jp/article/44126846.html



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ボランティアが金沢で砂を掘り起こして津浪の漂流物を掃除していた

南相馬市の原町区の金沢でポランティアが砂浜を掘り起こして津浪で流された木片などを掘り出していた。金沢の浜はサ-フィンで有名だった。サ-フィンをする人がすでにきていた。ボランティアは一人は静岡で東京の人であった。他にも結構遠くから来ている。それから松川浦の尾浜で漁師をしている青年にあって津浪の話しを聞いた。その人は屋根に上ってそれから山の方に上り助かったという。おじいさんは死んだという。家が流されなかったのは高台にあったのと柱が太い鉄骨だったかめだという。鉄骨が細かったら流されていたという。柱に鉄骨を使っている家はすくない、ましてや太い鉄骨は使わない、ただコンクリ-トの家は流されず残ったということはある。もし鉄骨でなかったら一階まで津浪が来たのだから家自体が流されてしまって助からないということもあった。


テレビで最初3メ-トルと聞き次に6メ-トルと聞いたがそれほど驚かなかったという。ところが10メ-トルと聞いたとき驚いて逃げたがそれまでの時間がないので屋根に即座に上ったという。つまり津浪は時間の余裕がないのである。津浪でんでこというときばらばらになってとにかく早く逃げろというのはそのことであった。予兆としては川が異常に退いてた。こんなに引いたことはないという、津浪の予兆は川であれ海であれ異常に引くのである。これだけはみんな言うから間違いな兆候なのである。そしてすぐに逃げない限り助からないこともこれまで経験したことで伝わっていた。四倉では即座に松の木に登り助かった人がいた。四倉は砂浜が広く緩衝地帯があったため意外と被害が少なかったのである。この辺では松に登っても海岸線では助からない、強烈な10メ-トル以上の津浪が襲ってきたからである。


原釜は直接に波がおしよせる所にあり被害がひどかった。波が二方面から来て原釜で渦巻いていたというかち恐い。新沼の方も低地であり津浪の被害が大きかった。だけど松川浦に面していた尾浜は裏の山にさえぎられ前からの津浪も多少緩和したから家は残っていた。海岸に接していた磯部では土台しか残らず壊滅した。津浪は地形の影響を受けやすいのだ。八沢浦では海岸に近いのに前に山がありそれで緩和されて助かっていた。その家ではじいちゃんだけが死んだだけだったから被害が少ない方だとも言っていた。船も沖に出して助かった。船を沖に出すのを遅れて船が流されてつかまってそこから脱出して助かった人もいたという。松川浦では船を沖にだしたので90艘くらいは被害がなかった。今回は意外と老人が逃げずに津浪にのまれた。それはなぜかというと老人は自分の経験から津浪など経験していないから津浪などこないと逃げなかった人が多いのである。家族のものが逃げようと言っても津浪なんか来ないと逃げずに死んだ人が多いのである。


津浪はそもそもこの辺では400年前に起きたことであり誰も知らない、相馬藩政記に一行700人溺死と記録されていただけである。どういう状態なのかもわからない、一方宮城県の方では岩沼辺りでは船が山まで流されてきたとか伝説が伝えられていてその話を聞いた東北電力の副社長が10メ-トルでいいではないかと決められるところをもっと高くして女川原発は助かったのである。相馬地方では津浪の伝説すら聞いたことがない、津神社が津浪を記念したものだともわからなくなっていた。


これでわかることは長い歴史になるともう生きている老人に古老に聞いてもわからないことである。400年前のことをどうして知り得るのか?それはただ一行しか記されていなかった相馬藩の記録しかなかったのである。だから歴史はこういうふうに昔になりすぎると生きている人間からは知り得ようがないのだ。そしたら何で知るのか?文献には一行だけ残っていたが誰も注目もしなかった。伝説もないとすると知り得ようがなかったのである。そしてかえって老人は津浪など来ないとして死んだ人が多いのである。歴史というのは長い時間のことであるけど老人は百才生きても400年前のことは知らない、経験しないものについてはかえってありえないとして対応できなかった。


若い人はなんとなく危ないと感じて助かったしまた逃げるのも早いから助かるということがあった。老人は逃げるにしても遅くなると助からないのである。今回の教訓として歴史は長い時間のものでありその中で歴史を見直す必要があることだった。400年前としても現実にここでもあったことだからそれを検討する必要があったのだ。それは老人に聞いてもわからなかったのである。そこに人間はとても三代くらいの期間ではわかりえないものがあるということを知った。もちろん歴史は古代から勉強している。でも津浪についてこれほどこの辺で看過されていたのはなぜなのかという疑問がある。最近の地層の検査でかなり松川浦の奥まで津浪が来た証拠が津浪の砂が発見されていたのである。それもあまり注目されていなかった。人の経験は三代過ぎたらもう伝説になるしわからなくなる。するとどうして後世に伝えるかとなると文献に残すというのもある、伝説もある。ただそれにしても不確かなものとなっていた。庶民は文字を書けない時代だから津浪のような体験でも残しにくいということもあった。ただ口誦で伝説すら残らなかったというのはなぜなのだろうか?その疑問がこの辺ではある。


漁師だからその話しも興味深かかった。放射能検査でも魚はわからないという、一匹くらい選んで検査してもわからないという、米だったら全部検査できるから安心だという。魚は検査しにくいのである。そして補償金はもらっているが検査のための漁でも船に乗って出ないと金はもらえないという。その人は船ももっているからそれなりに補償はあるのだろう。ただ今でも原発から汚染水が海に流れだしているという、なぜなら海に流れた水をとりかえても何度も計っても放射能の濃度が下がらないという。水をとりかえてもまた汚染された水がながれだしているためである。このことは報道されていないという。何から放射能は常に隠されているから困るのである。
海にはまだ相当数放射性物質が流れだしているのだ。だから濃縮される魚が危険だとはいえる。
魚の安全性はわからない、正確な検査がむずかしいからだ。一方で米などは正確に検査ができるから安全だとなるのか?海の汚染は今もつ
づき相当なものだが濃度が薄められるから危機を感じないのである。その人は仕事しないから体がなまってきたという、母親なども仮設で畑仕事などしないから心臓病になったとか言っていた。やはり仮設暮らしは運動不足とかになり体に悪いのである。

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2013年03月17日

松川浦の漁師の話(続) (海からは山が目印になる-漁師の仕事はわかりにくい)


松川浦の漁師の話(続)

(海からは山が目印になる-漁師の仕事はわかりにくい)


以前は特徴のある山形を用いて位置を確かめた。陸上の山の形を見て、位置を測定するのである。串本では、5海里(約9キロ)までは潮岬の高塚の森、10海里(18キロ)では重ね山、
20海里(36キロ)では那智のムカデ連山が目印になった。漁師にとって、
命が懸かっているから、これらの目印の山は信仰の対象となった
http://apolohal.jp/st2-4.htm


昨日あった漁師の話しは興味深かった。30才くらいのようだが体が自分より小さい、筋骨隆々でもない、ええこんな体で漁師ができるのかと不思議だった。やはり人間はまず体つき見る。体つきが姿勢とかいいと好感度が高くなる。体が大きいと威圧されるのだ。若い人でどちらかというと今は背が高くて大きな人がいる。そういう人に接すると何か自分がみすぼらしく見える。最初相手の知能がどうだとか見ない、まず体つきを見る。これは聖書でもニムロデとか大きな人のことがでている。それは人類がはじまって以来、人が出会うと相手の体つきで判断していた。やはり大きい人には威圧感があり恐れを感じてしまう。そういうのが誤りであり偶像崇拝に通じている。巨大なものが何でも偉大だとなってしまうからである。巨大化信仰がそこから起きてくる。ただ漁師とか大工でも土木関係でもどうしても力仕事だから体力がないと勤まらないと思うから体を見るのである。あんな小柄な筋肉質でもない体でどうして漁師ができるのかと思ってしまう。ただ小柄でも機敏であり動きがいいのかもしれない、漁船は常に揺れているから体力も必要だが機敏さが必要になる。あの人からは機敏さは感じた。小回りもきく。揺れる船の上では仕事がしやすいのかもしれない、眼に大怪我をしそうになったというのは機械のワイヤ-などが原因でありそっちの方が今は恐いと言っていた。仕事は機械でする時代だから機械により事故が今は一番多いのだ。


その人が言うには海から見えるのは山しかないという。それで山によって位置を計る、海上の位置をみる。漁場でも山を見て位置を定める。
この辺の山は特別高い山が見えない、阿武隈山脈であり低山の連山でありそこに目立った高い山が見えない、でも海上から見分けられるという、陸に暮らすものにとっては海から見ている感覚がどうしてもわからない、確かに海から見えるのは山しかないのだ。陸地は平坦だから目印にはならない、すると山が頼りになり信仰にまでなる。海の人も山を信仰するのかとなる。砂漠でもそうだが位置を知ることが一番大事になることは変わりなかった。砂漠では位置をしるために星が一番大事であり妙見信仰も北極星のことでありこれは変わらないので目印となった。砂漠の国はみんな国旗には星が記されている。星がそれほど大事なものなのである。海上から山が大事だというとき位置をしるためなのである。この感覚はやはり漁師でないとわかりにくいのだ。

今は漁場を探すにも機械である。だから年配の経験者の指導もいらないとなるが実際はやはり必要になることもある。海を経験で感覚的に体で知っているということである。人間はそうした感は長年の経験で養われる。ただ感というとき経験なくても海外旅行では青年は楽にしやすい、なぜなら言葉が通じなくても感がいいから辺りの様子が感でわかるのだ。自分のように50才で海外旅行すると感が鈍くなっているからわからなくなるのだ。感は経験で働くものもあるが別に経験がなくても働く、老人が津浪で死んだ人が多いというとき経験していないから津浪が来ないと依怙地になって逃げないから死んだのである。つまり老人には柔軟性がなくなるのだ。人間は生きるのに経験しないことがいくらでもある。だから経験だけに頼ることはできないのである。人間一人の経験は限られている。その限られている経験からすべて判断することはできない、そこにミスが生まれるのだ。だから多様な人の経験に聞くということも大事になる。


そもそも漁師というのは一番わかりにく職業なのである。ただ海の上での仕事だから危険だなと見ている。確かにその人は船の上で手術をするような病気になりそれが緊急を要していたので危なかったといっていた。船がなんとか陸に帰り救急車が来ていて救われたという、30分遅れていたら死んでいたという、そういう危険は海の上ではある。その人が言うには農業など仕事がとんとわからないという、それも確かだろう。漁師と農業はあまりにも違いすぎているのだ。陸で暮らす人から見ると漁師の仕事は魚をとれるのは何か運のように思える。魚が勝手に集まり増えてそれで大漁になったりするのかと思っている。でもそういうことはないという。それはあくまでも人間の業であり運ではない、人間の積み重ねられた技術の集積で魚はとれる。運でとれるということはないという。長年の感で漁場を探していた時代もあった。今は機械で探しているがやはりそれも運ではない、一つの熟練した技術の結果だという。世の中運で仕事になるものはないということである。何か運で食糧が恵まれなどということはないのである。


その人の話で最も漁師らしいと思ったのは魚をとったばかりの新鮮なものを食べているから二三日過ぎたものはまずくて食べられないという、そういうものはすぐにわかるという、それは確かにそういうものかと思った。とれたての新鮮なものが魚でうまいのだ。一日でも置いておくと新鮮味がなくなりまずくなるのだ。そういう新鮮なものをいつも食べているからその舌でわかる。ここでも石鰈などは売りにきていた。それは2千円とか高かった。でも新鮮だからうまかったのである。この辺では一番のごちそうだった。そういうものが食べられないというのも海側に住んで得なものがないとなる。放射能の影響は長くつづくから困るのである。放射性物質はまだ何かわからないが汚染水が原発から流れだしている。その水をいくらとりかえてもやはり濃度が下がっていない、つまり汚染水が地下水からかどこからか常に流れだしているからその水をとりかえてもまた汚染されて濃度が下がらないのである。ただ海は広いから汚染水が流れても濃度が広範囲に流れて薄められるから危機感が薄いのである。


水を得た魚と、陸に上がった河童


その人は漁師だから陸で仕事しにくい、陸にあがった河童になる。農業のことはわかりにくいというのはあまりにも漁師の仕事と違っているからだ。ただ農家とか漁師でいいのはいつも新鮮な食糧を食べられるということである。農家では農薬を使わない野菜を前の畑からとって食べているとか言われる。そういう特権があり買ったものは新鮮味で落ちるし何か農薬が使われすぎているのではないかという不安があるのだ。この辺では原発事故でそういう特権を失ったことでがっかりしている。

とにかく人間の能力は多様であるから理解しにくいのである。

2816号 水を得た魚と、陸に上がった河童(平成進化論)
http://www.2nd-stage.jp/backnumber/ppf_full/2011/05/2816.html


人にできることとできないことがある。向いていることと向いていないことがある。それは手伝いとかの仕事でも誰でもできると思っているがそんなことまで向き不向きがある。手伝いとなるとその家に溶け込む必要があり結構人間関係などでめんどうだともなる。職業に無数のミスマッチがある。
適材適所になっていない、それは離婚が三分の一になっているのとにているのかもしれない、男女関係もミスマッチが多いのである。自分はこういうふうに文章を書くことは得意でもしゃべることは不得意である。ただこうしてプログを出していてもこれが職業とはなりにくい、職業でも結局金にならなければ職業になりえないとかこれもまた適材適所にならない理由なのである。あなたは自分の向いた好きなことを社会でやりなさいとならない、まず強いられるのは収入が金をとることが先になりその人の適正がどうだなどと考慮してくれる社会ではないからだ。

いづれにしろあんな小柄で漁師がやれているというのも不思議だった。時代が変わってまた漁師も力だけではない、機械の操作とかが大事になると別に体力がなくてもやれるとなる。ただ高橋英吉の「潮音」のような漁師像はすでに過去のものなのだろうか?あれは地引き網とか海とじかに格闘していた時代のものなのだろうか?あれは海の男を如実に彫刻化したものである。

今回あった漁師はそんなふうには全然見えなかった。これなら自分もできるなと思った。体も小柄で手も小さく筋肉質にも見えない、顔も子供ぼい、子供がいても顔が子供ぽいのである。ただ小柄でも機敏性があることはみてとれた。揺れる船の上で機敏に動けるから漁師ができるのかと思った。鳶の人が船に乗ったけど揺れて動けなかったというのもわかる。鳶も十階とかビルの上で仕事している。だからそこにいるだけで恐怖になる。でも船の上ではまた勝手が違うのである。つまり職業は慣れもありなれない所ではみんな勝手が違ってくる。だからアルバイトで電気関係でアンテナをとりつける仕事した年配の人が屋根から落ちて死んだ。だからアルバイトと危険である。その仕事の要領がわからないし訓練を積んでいないから危険なのである。どんな仕事も本当は簡単にできないのだ。

posted by 老鶯 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

抽象画(春の風)



抽象画(春の風)

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春の風(東風)


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spring stream

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春の風は東風でありこの東風は海から吹いてくる。
だから青い海がまずイメ-ジされる。
ただ抽象画はまずタイトルと関係なく感じるものがある
ただ春の風としたときこれが春の風の感じかとなる

2013年03月18日

【広島・中国人研修生が8人殺傷】 (待遇不満-トラブル多い外国人実習制度-追いつめられるていると犯罪者になる)


【広島・中国人研修生が8人殺傷】

(待遇不満-トラブル多い外国人実習制度-追いつめられるていると犯罪者になる)


犯罪はなぜ起きるのか?会津の夫婦殺害事件でも相手は追いつめられていた。金がなくて追いつめられていた。でも回りの人はそうは見ていない、金がもっているかどうかなど外から見てもわからない。だからのんきにかまえていたのである。まさか殺人までするとは思っていなかった。
ところが近くにそうして追いつめられている人間がいる。大方は金で追いつめられている。
金が欲しい金が欲しいと頭の中が一杯になっている人間はまず家の中に入ってくるだけで危険である。

 


アガシが日本で売春すんのも大半が韓国国内で借金返済できなくなり、日本に送られてくんのと同じなんだよな。
不法なことで借金返済する韓国人と泣かば強制で働かせられて借金返済する中国人って考えるとかわいそうには思えるけど。
中国人の技能実習生陳双喜容疑者(30)を旅行に連れて行き、食料の手配もするなど生活の面倒まで見ていたことが18日、知人らの証言で分かった。


おそらくどちらも原因は”人間扱いしてしまったから”
なんだろな


残念だけど親切にしたら親切にして返す、恩を返すみたいな
発想はキリスト教や日本のごくごく豊かな国の一部の発想で
たいていは親切にしたら家財産とられるが大半の国の
発想です。


> カキの仕事は1歩間違えば命を失いかねず
こういう命を落とす現場では、基本厳しい指導になってしまう。
死んでからでは遅いから効率重視でいかなければならないから。



借金というのをしたことがないけど返すとなると実際は相当に厳しいものとなる。江戸時代も遊女も借金の形にとられて身を売って若くして病死したものが多い。今の風俗で働くのとは大違いである。親の借金とかでそうなった。戦前とか江戸時代は親のために尽くすことがモラルであるからそうなった。親のために子が犠牲になる。今は反対に子のために親が犠牲になっている時代なのである。
借金した元親戚の人も見栄からしていた。事業が成功したように借金でしていた。それがわかったのは最近のことでありそれで借金の形にブラックなところで働かせられている。そういう人が自分が苦しいときかかわったから最悪だった。そんな人は人を助ける余裕がない、借金で追いつめられている人は犯罪予備軍である。だから入院しても脅迫された。金だけ欲しいだけだった。こんな人とそういうとき頼る他なかったのが悲惨だった。前も他人が入ってきて火事場泥棒されて財産を失った。その女性も追いつめられていたのだ。事情はよくわからないが金もないしおいつめられていた。だから最初から金くれとか家に入ってきたのである。その事情が良くわからないから家に入れてしまった。
そういう追いつめられている人は必ず犯罪に走る。


それは善人とか悪人とかではない、ただ金なり何かの事情で追いつめられているから犯罪を犯すのである。今食べるものがない金もないとしたら盗むほかないのである。他人の家の中に入ったら相手のことなどかまわずに盗むし殺しもするのである。何であれ追いつめられている人間は危険である。そんな人は人を助ける余裕もない、自分が助けてもらいたいのであり他人はもう金をえるための道具になって人間ともみない。そんな人と二組自分が苦しいとき家に入ってきたから最悪だった。その人たちが金がないのその人たちに原因がある。別に質素に暮らしたり離婚しなかったりそれなりに生活していれば追いつめられることもなかったのである。でもそういう人は絶対に自分が悪いなどと思わない、悪いのは他人であり社会であり金をもっているやつは自体が不公平だとなるのだ。そういう人はカルト宗教団体などに普通に入っている。そして社会が悪いとか不公平を正せとか団体で社会に要求するのである。もちろん金には不公平なことはが多々ある。でも明かに本人にもそうした借金を作ったことなどの原因があるのだ。だけどみんな他人のせいにして今度は弱者を脅迫してくるから悪質だけど追いつめられた人は何でもするから恐い殺人もする。そういうことをししていいのかという歯止めもない、なぜなら追いつめられているからそういう善悪のことすら眼中になくなるのだ。


この研修生の中国人の事情も良くわからない、回りでは親切にしたという、でも生活の経済的格差があるときは人間はいくら親切にしても通じない、なぜ時給にしても日本人とこんなに差があるのだとか日頃不満がたまっていた。そういう格差があるときもう親切も通じない、相手は親切とも感じない、中国人はそういうことを知って来たとしても現実を実際に知ればまた違ってくる。現代は世界的に平等意識が高まっている。奴隷制度のようなものに従う時代ではない。情報だってどこからでも入ってくる時代である。日本人の経営者の方が悪いという見方も出ているのもこういう時代だからである。相手が中国人でも極端な格差は認められないのである。


結局経済的格差が認められたのはそれなりのモラルが社会に通じていたときである。インドのカ-スト制は宿命論で金持ちと貧乏人を分けた。そうしなければ金持ちの正当性は保てなかった。江戸時代の分をわきまえるがモラルになりえたのは支配階級の武士も貧乏だったからできた。庶民とたいして暮らしも変わらないとなれば文句もあまりいわない。ただモラルが高いものとして模範を示すものとして許されていた。だから「武士は食わねど高楊枝」となった。貧乏でも昔の清貧な僧侶のように暮らしていれば庶民から文句もさほど言われないということである。金持ちと貧乏人はどんなことしたって相いれない、一緒には暮らせないのである。それは大きな差でなくても今は少しの差でもそうなる。この辺で補償金の額でもめているのはそのためである。


残念だけど親切にしたら親切にして返す、恩を返すみたいな
発想はキリスト教や日本のごくごく豊かな国の一部の発想で
たいていは親切にしたら家財産とられるが大半の国の
発想です。


自分もこれを経験したからそういうことなのだろう。ただ人間はいろいろ事情が複雑だからすべてとはいえない。でもほとんどは金持ちが貧乏人に親切にしても恩を感じることはない、なぜ自分よりこんなに金があるのだ贅沢しているのだという理不尽だけを感じるのである。こういう人は金だけではないあらゆることに不満をもっている。なぜあいつは才能があるのだとかあの女性は美人でもてはやされるのだとか何かと不満だらけなのである。欧米ではわからないがチップの制度は金持ちと貧乏人がうまくやることから生まれ文化である。それはやはり欧米には貴族階級があり日本などと違い桁外れの金持ちがいたからである。金持ちと貧乏人が折り合う文化が日本のようなもともと貧しい国にはないのだ。アジアも貧しいから一般的にないだろう。

ただ雇う側でも貧しい人がどういう気持ちでいるかなど考慮していないと痛めにあう。牡蠣をとることがこんなに厳しい労働の現場だとは知らなかった。だからどなるということは普通にある。工事現場では常に怒号で一杯である。それは危険な場所だからである。だから常に「馬鹿野郎」という言葉がでている。それは普通のことなんだけど外国人はひとく侮辱されたと傷つくのである。突然フィリッピン人が「馬鹿野郎」と言われたと旅で出会ってびっくりしたその人は大学卒でインテリだったので英語もしゃべれたのである。日本に出稼ぎにくる人は最低辺の人とは限らないのである。いづれにしろこんな労働形態自体が問題視されていた。だからいくら親切にしても通じなかったというのはその労働形態そのものにあったから日本人から同情論がでている。

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2013年03月19日

若芽(ケアマネがくる-ショ-トスティも混んでめんどうだった)


若芽(ケアマネがくる-ショ-トスティも混んでめんどうだった)

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大風に若芽ふくらみゆれるかな

ふくらめる芽の一つ一つ希望かな
万作やまた同じ家の前通る
往来や街中流る春の雲
春風に樹々しなりゆれ雲流る
春塵や墓所をいでて街の中


今日は原町の実家の墓参りに行った。その墓所を出たら風が強いか春塵が舞い上がった。原町の通りはシャッタ-通りになっていた。原発事故以後食堂意外が成り立たなくなったみたいだ。原町の中心地は六号線の方に移っている。だから駅前通りの方に行かない、なんか駅前のセブンエレブンが前に駐車場があり中心地みたくなっている。その前の喫茶店でカレ-を食べた。それなにうまかった。
あそこの前から仙台までの直通バスがでている。あの辺がやはり街の中心になってしまった。

芽が相当ふくらんできた。今日は大風でゆれた。万作というときいつも通る道の家の庭に咲いている。なんかこれは飯館の山にも咲いている。親しみ安い花なのだろう。飯館にはずいぶん行っていないからそろそろ行ってみよう。あういう状態だとなかなか行きゆくくなった。やっぱり人住んでいない村というのは変なのだ。人が住んで映える自然というものがある。


今日は半年ぶりくらいで介護関係の人から連絡があった。ショ-トスティできるとか言われたので喜んだがこれも大変である。混んでいるから二日くらいでも一か月から二三か月前から予約なのである。そしたら桜の咲く時期には行けない、弘前城の桜はいつ咲くかわからないし結局一日も旅に行けなくなったのだ。介護職の人もパチンコやっているらしい。これは息抜きだからそれを責める人は今まではなかった。仮設の人が大勢パチンコで仕事もしないから責められるのである。人とかかわる仕事だから人の悪口を言った時、そのまま聞かないのは得策である。自分もそれで失敗したのだ。
パチンコも必要だなどと言うのも頭に来たが双方の言い分があり知らないときどっちの見方もしないのが得策である。家庭に入ってくるともめごとが結構あるからあまりかかわらない方がいいとなる。警察もかかわらないのはわかりにくいし公平にみることがむずかしいからである。自分の前の親戚も長い間つきあっていないからてっきり娘の方の言い分が正しいと思っていた。その逆だったのである。母親が娘に虐待さていたのである。今はこうして親子関係でも逆転現象が起きているのだ。子供に親が虐待される時代なのである。


今はこの辺では仕事している人は威張れる、今までは仕事しているのが当たり前でありそんなに仕事を重要視していたとも思えない、それはありふれた普通のことだった。今は若い人でも仕事する人が流出しているから仕事している人は強いから文句が言えない、特に医者や看護師や介護関係はそれに関係するものは切実なものがあるからそういう仕事は尊重されるし威張れる。だから看護師にもひどいめにあっても介護職でももちあげるほかない、文句は言えないのである。仕事してもらうだけでありがたいというのがこの辺なのである。金かあってもこの辺では威張れない、補償金がんほりもらっていてもそれで威張ることはできない、回りから非難されているからだ。ただもっと介護など医療でもサ-ビスを受けたい人は金があるなら他のサ-ビスのいい自治体に移るほかない、東京辺りでは金がある人が多いから実際にそういうサ-ビスのいい自治体に移っているのだ。どこでも移動が容易な時代だからその方がいいともなる。この辺ではもはや人材を確保できないのである。今は隣近所とかあてにならないし協力してくれる親戚などいないものは福祉のサ-ビスがいい自治体に移った方が得である。


正直川内村に住んでいた東京の人が補償金で遊んでいるだけの人たちを見て住むのいやになって去って行った気持ちがわかる。芽はふくらんで来たが何か全体的にこの辺は将来性とか希望に欠けてきたことはいえる。まだ今は工事関係の人がかなり入っている。札幌のナンバ-もみかけた。新しいホテルも小池の山の方にできたりそういう活気はある。ボランティアも結構来ているのだ。ボランティアも津浪などにかかわったということをあとで自慢できるかもしれない、つまり400年に一度の津浪などあとは経験できないだろう。だから津浪でボランティアしたということは何であれ記念になるのだ。テレビで見ているより実際にかかわったということで記念になるのである。

2013年03月20日

最近増えてきた浪江の避難者 (南相馬市に原発避難者が移っている)

 

最近増えてきた浪江の避難者

(南相馬市に原発避難者が移っている)


ス-パ-の前で昼間から咲け飲んでいる老人がいた。浪江の人だった。最近二本松辺りから移ってきたらしい。浪江の人たちだけが住んでいる仮設もできた。その隣に浪江の会社も移った。前から確かに浪江の人が鹿島区などにも空家を借りて住んでいた。そういう人に三人あったから前々からいたことはいた。また人が増えているのを感じた。今は彼岸で増えたということもある。その人ももう浪江に帰れないと言っていた。確かに家は五年もほっとくとぼろぼろになる。人が住まなくなると家の傷みが激しくなる。だからその人はすでに帰られないと決めている。そういう人が浪江では多いだろう。二本松とか会津では冷たくあしらわれたという。会津などは質素に暮らしているから補償金などで金使いが荒いから嫌われたとか言っているのは原発避難者はみんなそうなる。会津などもともと浜通りより産業などがないから貧しいだろう。貧しい雪国である。浜通りは火力発電所とか原発で金は入っていたのである。それなりに会社もある。今度は避難者になっても補償金の額が大きいからやはり金使いが荒く問題になっている。


二本松に会社が移って鹿島区から空家を借りて通っているという人はどうしたのだろう。会社社会になれば会社が移れば人も移る。農業でないから地元に執着する必要もない、そういう点で今は移動するのは楽である。江戸時代は簡単に移動できない、命懸けにもなる。金さえあれば広域社会なのだから移動は容易なのである。でも移住して住むとなるとやはりいろいろ問題が生じる。この辺ではまた複雑になる。小高の人は一応南相馬市であるが浪江は浪江町であり別である。すると税金も納めないことにもなる。浪江町民は浪江町という籍をぬけられないのだ。なぜなら補償金を国や東電からもらわなければならないからいつまでも浪江町民としてあらねばならない、これが結構問題を生む。いわき市でも双葉町などが仮の町をいわき市に作ろうとしたのはそのためである。それは現実的でないにしろ双葉町民であれ大熊町民であれ浪江町民であれそのレッテルをとることができないのである。


そうしたら生活すらできなくなる。でも他の市町村に移住したらそれでは困るとなる。それだけではないこういうふうに人が一時に移住すると移住された方でも困るということがある。福祉関係や医療関係でも人が増えても人がたりないということが深刻化する。いわき市ではすでに病院が満員だとか住居も避難民優先で入れないとか不満がでて車を傷つけることなどが起きている。

金をもっているから飲み屋で札びらをきるとかで非難もされる。それで隠れて仙台の方で金を使っているらしい。そこだと金を使ってもわからないからである。浪江町は二万人だからかなり多い、これだけの人が移住するとなると様々な軋轢が生まれる。今でも小高区の人と鹿島区の人が補償金問題でももめているからこれにまた浪江町の人が加わることになる。その人は請戸の人は罰があたったと言っていた。小さい船でも一艘二千万の補償金が入っていたとか船主は一億円もらっていたとか言っていた。だから相馬市の請戸の入院した人が特別室に入り家を建てるというのもそのためである。億の金は軽くあるのだ。事故後も補償金が入るからその額は大きい。でも相馬市でもそれがすんなり受け入れられるかとなるとそうはならない。


ただ空家を借りていた人が親戚を頼っていたとか親戚関係の人が浜通りに多いから二本松とか会津のようには嫌われないだろう。でも小高区の人と軋轢が生じたように生じる。現に鹿島区ではまた農家の人が作付けができないとか補償金の請求をする署名が回ってきた。小高区と浪江町は厚い補償があるが原町区や鹿島区はないとか相馬市は全然ないとかもめるのである。だからいくら相馬藩内でもすんなりと受け入れることにはならない、その人も80才だったけどやはり高齢者の移住がふえる。そういう人を世話するのは地元の人である。その地元でも

南相馬市では医者や看護師が流出している。
だから南相馬市立病院は半分しかやっていない、相馬市の病院もさらに混雑してくる。金を払っても人手がたりないのだからそれを補給してもらはないと困る。ただ老人だけではない、家族ごと移っているから若い人もいる。その人も家族ごと移っていて娘を待っていた。空家に移った人も相馬看護学校の生徒だった。そういう人はまたこの地域で働く。だからすべでがマイナス要因とはならない。
でマイナス要因の方が多いのである。なぜ原発避難者が嫌われるのかというと前にも書いたが金をもっているからその金で世話しろとなる。そこにお世話になりますという謙虚さがない、金さえ払えばいいじゃないかというのが現代の社会だったからである。でも金だけですべてが解決できないのがこの辺でありまた高齢化社会になる。


老人しかいなくなった村で無給でス-パ-を運営せざるをえなくなった。ス-パ-がつぶれて買い物もできなくなった村を放送していた。それで村の老人が無給で運営せざるをえなくなったのである。あれは高齢化する限界集落の行き着く果てかと見た。若い人も子供もいなくなり世話する人もいない、老人だけが取り残される。30分離れた場所で買い物するほかない村になった。すると残った老人でも無給で働かざるをえない、村を支えざるをえない、これはまさに高齢化社会の現実を見たしその解決策も見た。働き手がいなくなり残った老人で村を維持せざるをえなくなる。でもいつか子供もいないのだから村は消失してしまう。そういう限界集落が日本中にある。この辺では高齢者が移住するということは負担のみ増えるということなのだ。例え金があるといっても看護師も介護職も足りない、他に人手がたりないところが増えた。すると金があるからはサ-ビスは受けられないのである。ただ老人だけではない若い人も移住するから労働力は多少は補給される。でも老人が多いの
だからそれではたりないのである。


いづれにしろこの辺の混乱状態はさらにつづいている。家も二十軒以上新しく建った。アパ-トも二棟立つ、山の方に新しいホテルも建った。鹿島区はさらに人口が増えているのだ。だから一見いいように見えるがそこに小高区の人との軋轢が生じたように生じる。ただこうした混乱状態は長くつづくだろう。原発非難者の落ち着く先がどこになるのかということである。まあ、鹿島区などの地価は上がり空家の価値が高くなったろう。すると自分の家の価値も古いが高くなったかもしれない、もう売れないと思ったが前よりは家が古くても売れるということかある。空家を探している人が多い、需要が増えたからそうなる。

posted by 老鶯 at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年03月21日

田園都市-原町-HARAMACHI(川によって特徴づけられる街-詩とエッセイ)


田園都市-原町-HARAMACHI(詩とエッセイ)

(川によって特徴づけられる街)

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春の大風にしなりゆれる樹々
風にあおられ鳥は飛び
春光に新田川きらめき流るる
川岸に老人ホ-ムや梅満開
街の中心に人の往来の盛んに
春の雲流れ風に吹かれ休みぬ
街を離れて静かに森の中に家あり
人は街を必要として森を必要とする
街は出会いの場、森は孤独の場、思索の場
新田川きらめき流れ海の風の吹く
浜通りに東風は海のかなたより吹きくる
桜井古墳は川の岸辺に海を望みぬ
陽は太平洋より昇り山に沈みゆく
大原の村、昔の生業や古老の棲む
素朴なる人の棲みて親しきや
その跡継ぎのなしを悲しむ
美しき田園の日々よ、再び蘇れ
国見山を望みてここに栄えあれや
太平洋は白波打ち寄せ波にのる
沖ゆく船影の見えて鴎飛びぬ
春の川に鴎は喜々と群れ飛び
東風は吹きそよぎ新たなる街
理想の田園都市はまた蘇り生きむ


新田川の特徴は何か、ええ、この川に何か特徴があるの?新田川は平凡な川である。でもやはりそこに住んでみると川にはそれぞれ特徴があることに気づいた。それぞれの有名な街でなくても特徴がある。一般的にはまず自然とその市町村は特徴づけられる。その中で川が目立つのである。ヨ-ロッパや外国ではほとんど長大な川があるから川で特徴づけられる。川はただの川ではない、川が運河となり四大文明を作ったことでもわかる。エデンの園に四っつの川が流れていたことでも川によって特徴づけられるものがあった。


桜井古墳はまさに原町では最も最適な場所にあったのだ。新田川の岸辺であり海にも近いということは鮭がちょうど上る場所だから鮭を食糧とするに最適の場所だった。そもそも不思議なのは古墳時代は稲作をしていない、この辺で泉官衙跡が発掘されたが米は関東地方から運ばれたらしい。その頃この辺で稲作がされていないのだ。そしたら何を食糧としていたのだろうという疑問がある。

東北地方は水辺、とくに川のほとりに遺跡が多くなっている。これは川に上ってくる、サケ、マスなどをとって生活をたてたものと推定される。
縄文晩期の土器を代表する亀が岡、是川などは川魚によって集落が形成されていたものと思われる。(宮本常一-村のなりたち)

その解答は鮭がかなりの部分食糧となっていた。その具体的な例はアイヌにある。アイヌの食糧は鮭によっていた。また鮭の靴などまであるとしたら鮭に頼る生活だったとなる。川は今のように単に流れているだけではない、重要な食糧を供給するものとしての川だった。古墳時代は稲作が行われた結果として大君なるキミが生まれた王が生まれた時代である。ヌシは地方の土着の王だった。君は後の大君になるから天皇に通じる。食糧にしてもこの辺では広範囲に稲作は行われていない、だから関東の方から運ばれたのである。縄文時代の延長として古墳時代もあった。海の幸である貝とか魚を食べ山の幸であるクリとかを食べていた。鹿とかの動物も食べていた。ただ米はそんなに食べていない、稲作はまだこの辺では普及していなかった。だから古墳は稲作が普及したとき作られたというとき
東北では平地にあるのは少ない、名取の雷神塚古墳とか遠見塚古墳とか海の近くにあり海の幸を食糧とする海と関係した古墳だった。今回の津浪でわかるように古墳時代も深く海が入りこんでいたのである。桜井古墳はその土地の最適な場所にあった。古墳があるところはそういう傾向がある。


新田川の特徴は美的には芸術的にはせせらぎが多いことである。もちろん日本の川は滝だというとき外国の運河のような川とはまるで違っている。常にせせらぐ川である。瀬音(せおと)ゆかしき 杜(もり)の都の広瀬川でもある。新田川は特にそうである。川が短いからそうなる。一方真野川は新田川とはまた違っている。流域が長く飯館村の佐須までつづく奥深い長い川である。高瀬川は激流の渓谷である。宇多川はほとんど特徴がないから何かものたりない、ただ上流が奥で二つに分かれ副霊山の方まであったことは意外であり発見だった。川はやはりその上流や源流まで見ないとわからないのだ。浪江は川の街だった。二つの川が合流する町だった。盛岡も川の街であり川が情緒を作っていた。中津川と北上川は違った音色の音楽を奏でている。あの二つの川があって心がなごむのである。
金沢も川の街であり浮世絵のような風景がかもしだされている。江戸ですら日本橋がありあそこが日本の中心点だった。川はやはり常に街を特徴づけるものとしてあったのだ。


田園都市というのは理想である。エデンの園に四つの川が流れていたから理想の都市には必要不可欠だった。もちろん森も必要である。森というときまたこの辺では深い森ではないにしろある。放射能に汚染されたにしろ別に見た感じは前と同じなのだ。放射能で森が枯れたりはしないのである。街からすぐ離れて森に囲まれて家があったりする。そういう住まいは何でもないようで理想的にも感じる。人間は何でもないような故郷の見慣れた風景が実は貴重なものだと認識していない、見いだしていないのである。それがあまりにも当たり前になると貴重なものに見えないのである。それが津浪や原発事故で故郷まで失ったことで改めてその貴重さを見直したのである。故郷に住めなくなるということ自体誰も想像もしなかったからである。街からすぐ近くの森の中に住めるとなればそれは本当は理想的な住まいなのである。都会だったら仙台でも杜の都だといってもそれは街路樹だけであり森はないのである。この辺ではまだ森が小さくてもあるのだ。


東京のような住環境は最悪でありいくら豪邸に住んでもそこでは自然がないから索漠としたものになる。確かに東京のような街はない、でもそれなりに街がある。飯館村のようになると街はなかったからだ。森があって川があって山があって街があるのが理想的な田園都市なのである。もちろんそこにはどうしても農村的漁村的山村的一次産業不可欠なのである。自分が仕事で興味をもったのは農民であり漁民で山で生活する人である。それらは生活と密着しているから話しも興味深いである。工場で働くような人はあまり関心がない、自然と深くかかわらないから興味が薄れるのである。自然の中で働く人は自然と体でも一体化しているのだ。そういうものが原発事故で喪失したとき田園都市も失われたのである。確かに海や平地や森や山はあっても生活の中で活かされていないものになってしまった。田んぼを水が流れているとき水は生きていた。まるで血流のように水が大地を潤し実りを与えていたのである。田んぼや畑がなくなることは実がない世界なのである。まるで公園のようになってしまったのである。ただ不思議なのは実がなくても花はあるのである。ひまわり畑にしたように花は咲いて放射能の害がないである。それで川内村は花の村にしようと花の栽培をはじめたのである。だからそれも現代では一つの新たな村作り街作りになる。


つくづく思うに意外と人間は長年住んでいても自分の住んでいる足元のことがわからない、その良さがわからないのだ。日本の良さも外国に行かないとわからない、水がきれいでいつも飲めるとうのはどこにもないのだ。川の水はたいがい濁っている。きれいにせせらぎ流れている川はない。ギリシャのロドス島でこの辺の橲原渓谷のようなありふれたものでもそういうものがない、それでも渓谷だなどと観光客が訪れている。日本のような自然は外国ではなかなかないのだ。そのないものが日本にはすぐ身近にありふれたものとしてあるからその良さに気づかない、この辺ではやはり高瀬川渓谷が奥深いし一番の景勝の地だった。そこはまだ長く住んでも未知の領域でもあった。そこに入れないことが理不尽なのである。


自分も新田川の近くの原町高校に通っていてもまたそのあとにしても新田川が特徴ある川だと見ていない、土地の人すら見ていない、真野川でもそうでありただありふれたものとして見ているのだ。高瀬川は変わっているから違っていた。でも他はありふれた何の特徴もない川だと思っている。それは結局見る人によっていたのである。根本的には人間は感受性がないからどんな美しい場所にいても感じないのである。ゴッホのような天才だと異常なほど自然を感じるから芸術家になっている。普通の人間は全く感じない、自然の美を感じない、どんな美しい場所に住んでも盲目なのである。その眼は美をみない、ただ様々な欲望にその眼は濁り見えないのである。それはどこの世界でも同じである。大多数はこの世にある美を見ない、見えないのである。天国に行っても天国が見えない、つまり見る眼がなければ何も見えないのである。動物には自然の美が見えないのと同じである。


ともかく田園文化都市の復興なくして復興はありえない、自分の住んでいる場所がどういう場所か見直す結果になったのが津浪や原発事故でもあった。


 

抽象画とは何か? (日本の地形と水の波紋(タイトル)から考える)


抽象画とは何か?

(日本の地形と水の波紋(タイトル)から考える)

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これもスケッチブックというソフトで遊んでいて偶然にできた。
抽象画も偶然の要素が大きくてもそこに何かしら人間の意図が入ってできている。
つまりこの抽象画が何ですかというときあなた自身のイメ-ジでみればいいともなるが
また作者の意図も見るべきである。

これを日本の地形としたのは日本の地形ほど複雑なものはない、体力のように平坦な地がどこまでもつづくということはない、狭いのだけど複雑に入り組んでいるのである。
それで今回の大津波でいかにちょっとした地形で津浪の影響が大きく違っていたかを書いた。
地形の相違で生死が別れたのである。一様な被害ではなかった。
地形を良くみれば津浪から逃れるヒントがでるということもあった。

ともかく前に小高い丘があるだけで津浪の被害は最小限に抑えられたとかあったのだ。
日本の地形は複雑だから狭い地域でも住んでいてもわからないし飽きないのである。

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これも偶然だがでもこの絵から何も感じないものもいるだろう。
これを見て自分は水の波紋を感じた。小さな石を落としても微妙に水はふるえて反応する。
これはまた別な見方もある。
ただ抽象画もやはり自然とか人間社会の反映である。抽象画もやはりそうした自然と社会をくみとることが必要なのである。

水というとき女性は水である。女性は神秘であり自分にはわからない、深く接したことがない、
ただ女性の体自体感受性に富んでいる。女性が体にふれられるだけで感じやすいのはそのためらしい。女性のことを最近インタ-ネットで調べて理論として知識をつけている。
ただこれは結婚したり深く女性に接しないと実感としてわかりにく。
ただ女性的なものは男性にも必要である。自分はどっちかというと女性的なのである。
女性的だということは感受性が豊であり芸術家向きだということもある。

抽象画も何か人間的に意味づけしてさらに意味をくみ取るべきなのである。

これは明かに新しい芸術であり自分自身パソコンから新発見したものである。
パソコンで新しい芸術分野が生まれたのである。抽象画なんか芸術ではないという人もいる。
でも芸術そのものが何なのかもわかりにくいのだ。
ピカソの絵だって最初は理解されなかったのである。
時代は常に変わっているから時代と共に生み出されるものがある。
そういう新しいものはなかなか価値づけられないのだ。

ただ抽象画もやはり人間の脳の創作活動の一端を示すもので創作活動だからこれだけ作りつづけているのだ。
もし自分でこれに創作的価値がないとしたらつづけられないだろう。
価値はまず自分が見いだすのである。それは知的なもの全般に言えるのだ。

2013年03月22日

梅香る(60代はまだ元気-70代から本当の老人になる時代)


梅香る

(60代はまだ元気-70代から本当の老人になる時代)


津浪跡古梅香るや残る家

梅の香や幾度も通る道親し

濃厚に梅の香りぬ夕べかな

梅は満開になった。津浪の跡に残った家に古い梅が香る。つくづく残った家と残らなかった家の差が大きい。今になると大内辺りは別に高台がすぐ近くにあるから逃れられた。トラックで逃げたというのはトラックが流されるからだろう。商売道具だったからだろう。すぐ後ろが山なのだからあそこでは死者は出たのか?烏崎とは違っていた。ただ津浪は逃げない限り助からない、いくらすぐ後ろが山でも逃げなかったら助からない、その時間がないのである。津浪はちょっとでも離れると津浪が来たらまにあわないことが問題である。歩いているとまにあわなくなる。でも海老とか烏崎とか大内はすぐ後ろが山だから逃れやすかった。でも死んだ人がいるというのは逃げないからだったのだろう。
時間的にまにあわなかった。逃れる場所があってもすぐ逃げないと助からないのだ。そこでのんびりかまえていると助からないのだ。烏崎は港を修復していたし船も20艘くらいあったからまた漁をはじめるのだろう。造船工場もあった。でもあそこに家を建てることはないだろう。通って船を出すことはできる。


どうも最近自分はものをなくして困る。忘れ物もしやすい、もともと忘れ物がしやすいたちだった。何か考えているとどうしても忘れるのである。この前はバッグを忘れたがすぐにもどってコンビニにあった。バッグもすでに十回以上忘れている。でも田舎では必ず帰ってきた。仙台でも届けられ帰ってきた。今日はデジタルカメラがどこで紛失したのかわからない、火事があってその火事の現場に行って写真をとった。まるで記者のようだったがプログを書いているから記者でもある。やはり生々しい現場の写真をとることが一番訴える。枯れ草がかなり広範囲に燃えた。、最近近くでも枯れ草が燃えた。乾燥しているから枯れ草が燃えやすいのだ。

そのあとコメリによったがその時カメラを自転車内に置いて盗まれたのか?デジタルカメラは盗まれたことはないしその線は薄い。キンドルは見つかった。今回はカメラはでてこない気がする。カシオのカメラは最新式で良かったがちょっと厚みがあった。それが持ち運びにくくしていた。これはなくなってしかたがない。ソニ-の最新式が15000円くらいで通販で買える。パソコン用のメガネも注文した。これらは必需品だからしかたがない、そう高いものではないからよかった。メガネを踏んだり何かこの頃日常生活でうまくいかない、やはり家事というのがいろいろ結構めんどうなのである。介護もしているからそれで気がとられる。人間はそんなにいろぽすなことに気が回らないのだ。でも一人だからどうにもならない。

老後はやはり何かくつろぐ場所が必要になる。回りでもあまり変化すると適合できなくなる。

人間でもそうだし街自体でもそうである。いつもの道を行きそこに梅が香っているというのがいい。なじみの人とあうというのもいいだろう。そういう人はないにしても何かそうなってしまう。
ただ見慣れた風景が津浪で喪失した。相馬藩内は自転車で一日行程だったからちょうど視界に治まる広さだった。これが会津であれ伊達藩とかだと広すぎて視界に収まらなくなる。浪江の高瀬川辺りまでゆくと広いと思う。葛尾(かつろう)は一部を残して警戒区域が解除になる。高瀬川の上流地域には入れるのかもしれない、ただあそこまで自転車でゆくのは遠くなった。
今度の電動自転車は走りやすいので遠くに行ってみたい。誰かプログに書いていた。
70代になると体が衰える。60代はまだ意外と元気だと書いてあった。確かに自分も病気になったが
手術して元にもどり意外と元気だと思う。でも70なったら運動もきつくなってくるだろう。
そうなるとあと5年くらいしか余裕がなくなるのだ。つまりもうあと5年くらいしか自転車で遠くにゆくことができなくなるかもしれない、最近盛んに老後の生き方とか過ごし方とか本もでるしインタ-ネットでも書かれている。60代以降の生き方や過ごし方は未知の世界になっていたのである。
大方は死んでいたからである。それでいろいろ語られるようになった。

60代は実際は黄金の時代だった。最後の実りの時だった。これはどんなことでもそうなる。雑学でもどんなことでも最後に実りがある。集積したものが実りとなる。詩を百篇以上書いたのもそうだった。そして若者が学ぶべきは若者ではない、若者は参考にならない、老人が人生の最後に何を語るのか実りとなるのかそれこそが最も手本にすべきことなのがわかった。青年の目指すべき見本は老人にあるのだ。それは体でも酒をのみつづけると必ず肝臓とか内蔵を悪くする。酒を飲まなければ肝臓などがあまり使わないのだからいたまないのである。腎臓などもそうかもしれない、先天的に病気になりやすいことがあってもやはり体も酒を毎日飲んでいれば内臓が疲れてきていたみ病気になってくるのだ。例え注意してしても60代になると病気になりやすいのだ。60代は病気の世代であることがわかった。若いからといって毎日ガブガフ酒飲んだりしていたら必ず内臓が衰弱してくるのだ。

だから60代から病気になりたくなかったら酒を飲まずタバコを吸わないとか節制すべきでありそれは老人の姿を見て参考にするのである。高齢化社会は60代から20年間くらいをどう健康に過ごすのかということが最大の問題だからである。病気になったら終わりになる。そういう恐怖を味わった。
自分の場合は体が弱くても自転車などでかなり運動していたからそれで今も病気になってもまだ調子がいい、6ただ60代はみんな元気なことは確かである。体力的にそれほど衰えたということはないのだ。70になったら食うものもまずくなったとか言っているからそういうところからも衰える。
60代は老化というのはあっても何かまだまだ元気なのである。そういう時代でもある。
今は70から本当の老人になるのかもしれない、60はなかなか一般的には老人とは言えないだろう。
ただ個人差があり10年くらい見た感じでも年も違って見えるのだ。自分より元気な人はいくらでもいる。だから年金なんかも70以降にしかもらえなくなる。高齢化社会そのものがそういうものであり
60代は元気だから働くことさえできるからだ。

2013年03月23日

春の山鳩 (洪水の後の鳩(詩)-大津波はノワの方舟の洪水ににていた)


春の山鳩

(洪水の後の鳩(詩)-大津波はノワの方舟の洪水ににていた)


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高台の家に紅梅朝の海


高台に紅梅映えて望む海
山鳩や心なごみて春の雲
山鳩や畑に飛びきて春の昼


川子の高台はビュ-ポイントである。あそこは結構高い所だった。だから見晴らしがいい。今回の津浪であそこからみる平地は海になったから信じられないのだ。だからもともと海だったから人は住んでいなかった。例えば小島田という所も海であり島のようになっていたがそれでそこを田にしたので小島田になった。大内でも山側に住んでいた人は家も残った。もともと海だったところに住んだ家は被害があったのだ。だから人は先に高台に住んでいた。平地は海であり湿地帯でありそこを開墾して田にしていったのである。だから高台に住んでいる人の方が古くから住んでいたのである。


山鳩が春の日に飛んできて一段と平和を感じた。鳩というとき土鳩より流線型になって飛ぶ山鳩の方が姿も美しい。鳩らしい鳩である。鳩は平和のシンボルの鳥である。



40日後にノアは烏を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。


洪水の後の鳩


平和の使いの鳩よ
ノワの方舟より
陸を知らせし鳩よ
大洪水の災禍は終わりぬk
のの
やさしき鳩よ
天より注がれる
神の慈しみの眼よ
春の日は穏やかに
畑に街にさしなごみぬ
災いの日は去りぬれ
やさしき鳩よ
心温まる鳩よ
ほのぼのとした
いつくしみあう家庭よ
母は家庭を安らかしめぬ
母性にあふれ子をいつくしむ
争いのなき家庭よ
争いのない市や町や村よ
故郷は深く傷つきぬ
春の雲はぽっかりと浮かび
大空に雲雀は今日も
つつがなく鳴き暮れぬ
燕も街に来たりて
新しき日また来なむかも


この大津波はなにかノワの方舟の時の大洪水ににていた。そういう恐るべき光景だった。そして災難はすでに自分はその前からもつづいていた。家族が認知症になったり自分も病気になったり家族はばらばらになったり外からは責められる親戚もないのでその親戚にもいじわるされる、さまざまな災難が自分一人にに押し寄せたのである。内に苦しみ外に苦しんだ。だから一身上でもこの辺全体が混乱状態になった。まるで戦争状態でありそれは実際今もある程度は継続している。

ただようやく何か平和が訪れつつある。この辺は避難することもなかったから他とは違っている。

田んぼはないが畑も一部栽培している。洪水から逃れたノワの方舟のような感覚になったことは確かである。だからここにきてやっと平和が来たのかと思う。去年よりも何か穏やかな春を感じた。
それは自分が手術して前のようにもどったということも大きかった。そうでなかったらまた親戚などにいじめられつづけたしまた自分が病気ということはすでにどんなことしても平和がないということでもあった。


世の中本当に平和な日がありつづけるということではなかった。平和な日は当たり前だと思っていたし別にありがたいとも思っていなかった。アフガニスタンの少女が戦争のない平和が欲しいと言ったとき切実だったのである。戦争のないことなど当たり前じゃないかというがそれがアフガニスタンでは当たり前ではなかったのだ。イラクでもそうだった。だからそういう状態になると人間は切に平和を望むようになる。平和は願うようになるしまた平和をより一層感じるようになる。


津浪で助かった家も自分の家は津浪で流されない、家族も死んでいないと助かったと思ってほっとしている。ともかく平和の価値も平和でないことを知らないとその本当の価値もわからない、病気にならないと健康の価値もわからない、人が死んでみないとその人の価値もわからないとかやはり何かそういう当たり前になっている価値を再発見したのが今回の大津波の災禍でもあったのだ。