2013年02月23日

日本橋-春の江戸俳句十句 (日本橋は江戸時代の基点の橋)


日本橋-春の江戸俳句十句

(日本橋は江戸時代の基点の橋)

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寒暁や大名たちぬ毛槍かな

季節がいつなのかわからないが冬の感じがする

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日本橋諸国の大名上る橋

日本橋渡りて誰も江戸の春
大名の紋あざやかに江戸の春
足軽も日本橋渡り江戸の春
日本橋毛槍をかざし江戸の春
日本橋馬も渡りて江戸の春
百艘の舟入り乱れ花の江戸
伊達藩の米も積まれぬ江戸の春
日本橋踊る魚や春の岸
江戸っ子の活魚を売るや日本橋
春富士や諸国の基点日本橋
寒暁や大名たちぬ毛槍かな


日本橋というと広重の浮世絵がまず思い浮かぶ。あの絵は江戸に到達した絵だと思っていた。逆だった。江戸を出立する絵だった。お江戸日本橋七つたちの七つは朝四時だから早い。この絵は冬なのだろうか?何か冬の寒い感じがする。その頃魚屋も買い出しにきていた。今でも魚屋は早い、日本橋には魚河岸があり一体となっていた。だから日本橋を魚屋が天秤棒かついだ通るのが日常的だから絵にもなっていた。生きた魚を扱うからそこから威勢のいい江戸っ子気質が生まれたのか?江戸は今の東京も同じであり生き馬の目を抜く繁華な場所であり他の浮世絵を見ても人でごったかえしている。それは今の東京にも通じている。一里塚とは、江戸日本橋を起点に一里(36町=3.9km)ごとに街道の左右に築いた塚である。日本橋は江戸時代はまさに諸国の中心点でありそこに大きな意味があった。日本橋に到達してはじめて江戸に入ったと感じた。
それはロ-マと同じだった。ロ-マを基点にマイルスト-ンがありロ-マの道は諸国に通じていた。
東京では今は歴史的なものを感じることはむずかしい。ビルと車の騒音と道路に埋もれている。
東京都中央区日本橋小舟町とか地名にわずかに当時の名残がある。中央であり小舟がそれを示している。

京都なら歴史を偲べるが東京はできない、それが観光しても面白くないとなる。ただ江戸時代は江戸は魅力ある都市だった。水路があり舟が行き来してまさに花のお江戸であった。その基点となったのが日本橋だった。観光は昔を偲べないと歴史を知らないと今だけだとどこでもつまらないものとなる。東京に来たら江戸を知らないと何の魅力も感じない、ただ文明の騒音のみしか残らなくなる。今だと東京駅が基点になるのかあれは昔のままに再現したからあそこを中心にして皇居もあるから日本橋の役割をになうのか?ただ東京はあまりにも雑然としすぎるのである。

江戸時代でも今でも生きることは必死であり詩的に鑑賞するようなことがないのが人間である。のんびりと観光気分の人は当時でもないだろう。長い旅であれ日本橋にきてやっと江戸についたなとなりその感懐は長い旅路であったからこそひとしおのものがあった。新幹線であれついたよとはならない、その行程が宿場に泊まり長いのである。だからこそ日本橋のもっている意味も大きかった。今はどんなところでもあっというまに飛行機でもついてしまうからどこが基点というふうにならないしああやっとついたなということもなかなかない、旅は目的につく時間が長ければ長いほど旅を感じるのである。ただ早くついて通りすぎるのは旅ではないのだ。だから江戸時代の人はなかなか遠くに行けなくても歩いているから旅をしていたのである。

浮世絵を見ると日本橋からあんなにはっきりと富士が見えたのか?想像で描いたのか?ただ当時は高いビルがないからあのように富士も見えたかもしれない、


その北詰側に朝だけで千両の金が落ちる魚河岸があり、今の人形町付近には夜千両が落ちる遊郭・元吉原があった。また現在の日本銀行本店は、江戸時代の金座跡である。
http://www.tokyo-rekisi.com/chuoku/nihonbashi/nihonbashi.html


日本橋付近のにぎわいは江戸時代ならとても田舎では味わいないものだった。田舎と江戸の差は今では考えられないほど大きかった。江戸は政治経済文化の中心地だった。伊達藩が石巻から米を船で江戸に送った。その米を作るために今回の津波にあった仙台平野が開拓されたのである。米はみちのくでは商品作物だった。川岸には蔵が密集していてそこに米は貯蔵された。全国から物資が集まりあの蔵に納められたのである。江戸はその当時の人は住んでいてそれほど感じなかったかもしれないが今になり江戸を偲ぶあういう江戸なら行ってみたいとなる。タイムマシンがあったら行って見たいとなる。今の東京には見るべきものがない、スカイツリ-なんかもつまらない。昔も偲べないからつまらないとなる。では何か目新しいものに接して買い物があるかとなるとほとんどない、通販でほとんどのものは今は買える、東京でなければ買えないものは今はほとんどないのだ。だからただ今になると混雑して嫌だなとなり今の時代は田舎の方がずっといい、文化的差も今はほとんどないのだ。情報的にもそうである。インタ-ネットが普及しているしこうして即座に調べて書いてプログにのせられるのである。東京にいようが田舎でも情報格差はないのである。


キンドルを買ったことを書いたがこれも実際は最新の技術がつまったものだった。クラウドとかWI=FI通信とかipadと同じくこの小さな文庫本のようなものに意外と最新の技術の集積があったのだ。
パソコンで文字を読むと何か疲れる。文庫本のようにどこでも気軽に読めることが必要だった。そうすると頭に入り安いのである。パソコンで調べるのはいいが本のように文を読むのは向いていない、横文字でありまた体がリラックスして読めないから頭にも入りにくいのである。この点キンドルは本当に読みやすい、紙より読みやすいのである。こういうものでも東京が別に文化の中心地でもない、通信が発達すると中心地がなくなるのだ。クラウドというように雲の上が中心地になってしまっているのだ。


これで青空文庫の夏目漱石の「草枕」を


「わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本橋の真中に臓腑(ぞうふ)
をさらけ出して、恥ずかしくないようにしなければ修業を積んだとは云われんてな。


日本橋を通る人の数は、一分に何百か知らぬ。もし橋畔に立って、行く人の心に蟠まる葛藤
を一々に聞き得たならば、浮世は目眩ぐるしくて生きづらかろう。ただ知らぬ人で逢い、知らぬ人でわかれるから結句日本橋に立って、電車の旗を振る志願者も出て来る


臓腑(ぞうふ)をさらけ出して、恥ずかしくないように・・・・・というのは日本橋が日本橋の中心でありその中心だからこそ自分の臓腑までさらだしても恥じないようにせよという意味なのだろう。
つまり漱石の時代、明治時代は日本橋が日本の中心だという感覚が残っていたのである。もちろん明治時代には鉄道馬車などが通っていたから日本橋は今とは余りにも違う何かのどかなものになっていた。でも日本橋はそれだけ人が混雑するところだから草枕という小説では日本橋をこのように表現した。でも今になると江戸時代の日本橋の混雑もなつかしいとなる。それで日本橋を再興しようとか観光にしようとかになる。でももうできない、余りにも変わりすぎてしまったのである。人間は昔を歴史を偲べないということは心を貧しくする。現代だけだと人間の重みは失われる。過去とつながって現代がありそうするとき人間の意味もでてくるのである。


外国人が見た「日本橋」
http://www.tanken.com/nihonbasi.html


日本橋魚河岸
http://wako226.exblog.jp/16111505/


浮世絵で見る江戸の橋
http://hix05.com/rivers/ukiyoe/nihonbasi.html