2013年02月22日

キンドルを買った (電子書籍は本とは違う-情報処理能力の飛躍的拡大)


キンドルを買った

(電子書籍は本とは違う-情報処理能力の飛躍的拡大)

●キンドルは文章を読むのに優れている

キンドルの説明
http://www.youtube.com/watch?v=NPTpTEVchY8


Kindle Paperwhite3Gは電子書籍を読むのに優れている。文字が読んで疲れない、外の光の中でも読める、軽いから文庫本のように持ち運びができて寝ころんでも読める。非常に読みやすいことである。眼はパソコンのように疲れない、電池は長持ちする。電子書籍に特化すればこれは優れている。
ソロ-の森の生活をダウンロ-ドしてみて読んだら読みやすい、本というのはそもそもこんなに手軽に読めないようになっている。書棚にあっけ取り出してペ-ジをめくり読むのだが何か本は一冊でもじっくり読むようにできている。本はまた厚いのも多く手にとると重く電子書籍のように簡単に読めない、書斎がありそこで瞑想にふけりつつじっくりと読むというのが本であった。だから一冊の本には重みがあった。本のル-ツをたどれば


修道院には専門的な工房があり、そこで制作された聖書を初めとする手写本は、修道院や教会の宝物庫にいつまでも保存されるべき宝でもあった。
やがて写本は、次第に装飾や彩色画を備えるようになる。この装飾や彩色画を託されたのは、修道士たちであった。
装飾手写本は当時の市民には高価きわまりない贅沢品で、6册分の価格で家屋が購入できるほどであった。

http://www.geocities.jp/petitpixy/page503.html


本はこのように気軽に読めるものではなかった。そういう延長のなかに本というのはあった。だから本は出せる人は特別の人だったのである。ロ-マ時代でも作者より本にする紙の方が高くついて紙を提供する人が作者よりずっと力をもっていた。これは現代でもメデアとか出版社とか取次ぎとか本を書くものではなくそれを作り流通するものが力をもっているのと同じだった。だから出版社では編集者とか印刷業とか本を出すにはいろんな人がかかわっていた。それだけ一冊の本を出すのは普通の人はできないし商業ル-トにのらないと本は出せない、それで権力あるものが出版で牛耳ることになった。原発を批判した本が出されてもまるでSF小説のように扱われていた。原発事故など起こることがありえないというように情報で操作されていたのである。

安全神話が出版でも巧妙に作られていたのだ。情報は今でも常に権力をもつものにより操作されているのだ。新聞でも本や雑誌でも出版するには相当な金がかかる。。すると権力側で資金を提供してその権力側にとりこまれるのである。だから巨大組織である創価であれ幸福の科学であれ何であれオウムさえ自ら出版する印刷機まであった。
そういう巨大組織でしか出版はできない、だから本を信用する人がまた多く癌が直るとか本に出してだまされた人が結構いる。株でも民主党の海江田党首すらもうかると本をだして今は訴えられている。本はインタ-ネットなどより信用される。もちろんマスコミでもテレビでもインタ-ネットよりは信用される傾向はまだつづいている。ただインタ-ネットというのは思った以上、普及している。


●パソコンやインタ-ネットは高齢者まで普及している


プララから二〇〇〇円安くするとかOCNから電話で連絡があった。簡単な操作で移れるというので申し込んだがそこで問題だったのはインタ-ネットをする高齢者が増えたので操作がわからなくなりその相談で会社でも悩んだらしい。ということはそれだけ高齢者でもインタ-ネットする人が増えたのである。でも六五才以上はできないと規約になっている。それは操作がめんどうだから高齢者の相談が多いからである。操作ができないとそういう乗り換えもめんどうになるからだ。初心者も多いからである。パソコンとかインタ-ネットはもう必需品になっている。インタ-ネットなしではもう社会参加するらできなくなる。参議院選挙からインタ-ネットで政治家が宣伝するのも許可される。インタ-ネットは日常生活のツ-ルとなっているのだ。ただ高齢者とかには操作がめんどうでアクセスできないのでそれだけ相談が増えたのである。

バソコンがこれだけ普及したのは人間の欲求が頭脳に知的なものに移ったからである。人間は建築であれ道路であれ水道であれ重厚なインフラ整備が終わると次はやはり知的な分野に精力を傾ける。

パソコンは明きらかに人間の頭脳の代わりであり補充するものであり人間の頭脳と密接にかかわっている。人間の記憶力は映像にして文章にしても極めて容量が少ないがパソコンやインタ-ネットは無限大なのである。だから最近家事など忙しく時間がなく新聞をとるのをやめた。読まないのに新聞紙は紙としてたまってくるから困るのである。バソコンとかインタ-ネットは無尽蔵に貯蔵しても困ることがないのだ。インタ-ネット化で一番早めに消えるのは新聞でありすでに電子化されていることでもわかる。次に本も消えてゆく、本は芸術作品のように豪華本として残される。流通するのは電子本になる。電子本とかインタ-ネットの弱みは一瞬にしてすべてのデ-タ-が消える恐怖がある。
そういう恐怖を何度も味わった。これが一番恐いのである。だから紙にも残す必要がある。それもオンデマンド出版で一冊から今は機械的に作れるのである。自分は書きためたものを今度は整理して本にして出そうと思う。出版社からではない、アマゾンのキンドルで誰でも出版できる。出版社を通さなくてもできるのだ。今や本など誰でも簡単に作れる時代なのである。ただそれが広く読まれかどうかはわからないし無理な面はある。出版できたらすでに出版社で評価されて世にでるからである。
出版社を遠さなければ出版はできない。すると出版社が力を持つことになる。本はやはりそういう権力をもったものしか出版できないということがあった。そこで情報が操作されて原発事故も起きたともなる。


●情報化社会は莫大な情報を処理する社会


現代が情報化社会というとき江戸時代などからした何万倍か億倍なのか凄まじい情報処理しなければならない、グロ-バルすれば世界の情報も日々入ってくるからもう処理しきれないくらいである。
そのためには新聞とか本とかの媒介では追いつかない、情報を早く処理する、膨大な情報を手早く処理することが必要になってくる。それで電子本であれインタ-ネットであれそっちの方が便利になる。ここにも問題はあるのだけどともかく本にしても自分の家が本で傾いたようにそれだけ本に頼るのが知識の世界だったのである。でも本は自分の文脈で利用するとき活きてくる。自分が主体にならない限り本を読んだことにはならないのだ。本を読むということは極めて創造的作業なのである。だから若い内はは本に読まれても読むことはできないのだ。自分でも最近本を読んでこれは何を意味しているのか即座にわかるしそれを自分なりの文にとり入れることができる。だから読書も楽しいものとなる。そしてイプットよりアウトプットの方が多くなるし面白いのである。


情報化社会はやはりそれぞれが普通の人でもアウトプットする量が膨大になるのだ。自分もすでに全集が作れるくらい書いている。詩集でも十冊くらい出せる量を書いている。それだけ書く量が増えたのも現代なのである。
作家でなくても普通の人でも今はアウトプットできる時代になった。それがすべてとるにたらないものとなるということでもない,なぜなら人間の体験は例え百年生きても極めて限られたものなのである。すると他人のどんな体験でもこんな体験していたのか、それでこんな考えもあるのかと参考になるのだ。人間はともかく話す相手でも主婦だったら夫と子供と隣近所くらいしかないというのが今でも普通である。インタ-ネットは問題があるにしろ広範囲の人の情報に接することができるのだ。
電子本も文庫本百冊持ち歩くことができるようになるのは便利である。通信だったらすでに無尽蔵なのである。IPADなどが普及したのもわかる。情報は本一冊でも持ち歩くとしたらできない、情報は電子化すると持ち歩く必要ないのである。


あとがき

Kindle Paperwhite3Gではテキストフアイルをパソコンで感嘆にドロップして本のように入れることができる
ただWI-EI通信はめんどうで簡単にできない、ル-タ-などヴ必要になる。
それでも通信料無料で本は読めるから便利である。ただ本の蓄積は極めて少ないのが問題である。
それでもソロ-などの本を手軽に読めるのは便利だった。
自分のテキストファイルは持ち運びびきるのも便利である。
電子書籍が何か知りたいならキンドルのKindle Paperwhite3Gからはじめるのがいいかもしれない・・・