2013年02月15日

ツグミ(二年過ぎようとする仮設住まい)

 
ツグミ(二年過ぎようとする仮設住まい)



二年ほど仮設に住みてツグミ飛ぶ

隣り合い仮設に住みて寒雀

盆栽の仮設に手入れ冬深む

山鳩とヒヨドリとツグミが集まっていた。なんか童話的な風景だった。ツグミは渡り鳥であり冬の季語でる。山鳩とヒヨドリはいつも里に住んでいる違いがある。仮設に棲むとはツグミなのである。
渡り鳥であり定住するというのでもない、一時的に住んでいるのが仮設である。だからツグミがにあっている。ただ安い規格品の住宅がこの辺では10軒以上建っている。十軒くらいは壊されたけど海側の部落が津浪で壊滅したり他から入ってきてるから新しい家を建てる人が増えた。町内に人が集るようになったのである。仮設でも二年くらいすぎるとなじんでくる。ただあまり生活感はない、盆栽の手入れをしていた人がいたのであれだけが何か仮設の生活にあっている。盆栽は狭いところでもできるからである。だから盆栽は日本的なものであり茶室も狭い空間の美学であった。文化はその風土にあったものができるのだ。アメリカとか中国のような大陸的な風景に茶室などそぐわないのである。
寒雀というと何か江戸時代の長屋暮らしのようになものにあっている。みんな貧しい寒雀だったのである。その日暮らしだったのである。でも仮設に住む人は百万から百五十万も補償金をもらっているというからこれまた貧しい時代とはあまりにも違っているのだ。原発避難民は特権者なのである。

だからかわいそうな人がいるとは今は見ない、昔の長屋となるとみんな貧乏だから貧乏を共有して
生きていたから互いに助け合うとういか争うということもそんなになかったろう。貧富の差がないから争わないのである。仮設はそういう世界とは違う。貧乏人ではないのだ。恵まれた人たちだとなる。実際に補償金もらっていた方がいいと思っている人も今はかなりいるだろう。なぜなら田舎では現金収入は限られていた。農業でもそうであり金にならなかった。すると一人十万でその他も補償があるとするとこの方がいいやと思う人もかなりいる。特に老人にはその傾向が強い。だから定住型の住宅を作ってほしいとなる。老人はとても復興にしてももうその力が出ないのである。


ただ仮設でも狭いのは苦しい、隣の騒音で他では殺人が起きたりしている。プライバシ-が長屋にはなかったのである。仮設では勉強することなどには向いていない、知的な作業にはそれなりの空間が必要である。ものを書くには家が小さい図書館のようになっていないと書けない、それが自分の家にはあった。それも二十代からあったから恵まれていたのである。今は八畳間に寝ているから広いとやはり落ち着いて眠れるようになった。狭いと窮屈でうまく眠れないということがあった。仮設は狭いからそういうことがあるだろう。アパ-トなども住みたくない所である。そういう不便はある。

老後は実際に家が大事になる。なぜなら家にいる時間が長くなるからだ。そこが快適でないと影響が大きいのである。ただ家事を全般やっていて古い家なので不便である。台所と食事する居間が離れていたり介護する部屋が離れていたりそこにお茶一杯運ぶのが手間なのである。つくづくお茶一杯運ぶのがこれほど手間だとは思わなかった。こういうことを実際にするほうにならないとわからないことだったのである。庭も広い庭があればいいが狭すぎて楽しめない。一人くらいしか通れないのでそうなる。老後の生活に向いていたのは庭作りでもあった。あまり遠くに外出することが向かなくなる。すると目の前に庭があれば自然を楽しめるということがある。それもうまくいかなかった。
何かこの辺ではそうした計画していた生活が破壊された。浜通りは気候がいいから東京辺りから移り住んだ人が結構いたが原発事故で去ってしまったのも残念である。住みにくい場所になってしまったのである。