2013年02月10日

津浪から二年過ぎようとして感想の短歌十首 (二年過ぎて現実感がひしひしと迫る)


津浪から二年過ぎようとして感想の短歌十首

(二年過ぎて現実感がひしひしと迫る)


一瞬に奪われる命いづこにや嘆けどなきや波の音ひびく

なお消えぬ傷痕深く津浪跡家しも建たず土台のみかな
形見にそ残れる松の凄まじく海に向き立ち海し離れじ
なお海に生きむとするや若者のよそより来つつ根ずかむとす
恐ろしき津浪にしあれその記憶大地に留め消えざりしかな
大いなる海の力を知らしめぬ傷跡消えじもなお生きるかな
鎮魂のいかにあるべし術もなく津浪の跡や二年過ぎなむ
一瞬に奪う命や何故に天も恨みぬいやさざりけり
一瞬に奪う命や短きに世は変わりゆく無常なるかな
地名より人の命の短きに世は変わりゆく無常なるかな
人の世の栄は一時消え失せぬ津浪の跡の寒の月かな


津浪というのはまず普通の感覚では想像しえないものであった。最初はこれは何なのだとか現実だと思えなかった。夢のように思えたのである。それはその後も長くつづいた。今でも何か現実に思えないところがあるのだ。津浪の恐怖は一瞬にしてすべてを失うということである。家も家族も失って土台しか残っていなかった。そんなことがありうるのかと別に家族を失った人でなくても現実のように思えないのである。津浪はだから普通の台風とかの災害とは違う。一瞬にして村や町自体すら消えてなくなるという恐怖だった。こんなことがありうるのかという恐怖が未だにある。
最初は津浪から原発事故が重なり本当に世の終わりが来たかと思い震撼とした。
ともかく原発事故で町ごと避難した人たちでもこれは何なのだという現実感をもつことがむずかしいのではないか?今でもそうではないか?そういう戸惑いのなかにまだあるのではないか?
そのことが復興へ向かわないものとなっている。何をどうしたらいいのかという明確な指針が得られないのである。


ただ二年過ぎようとして何か現実感がでてきた。三陸では他から来た若者が地元の人たちと一緒になり海産物屋で働きここに定住しようとしている放送があった。大工の人も関西から来て地元の人と結婚した。新たな段階に入って津浪の被害から現実的に厳しいが立ち向かうという姿が見えた。でも町自体が崩壊しているような状態で人も流出しているからこれからどうなってゆくのかかなり厳しい道のりになる。ただもう夢のようだとか言っていられない、現実を見据えて立ち向かわねばならない状態になってきている。

津浪で死んだ人の鎮魂ということも一瞬にしてこれだけの人たちが死んだということが何なのか?
どう対処していいのかわからないのだ。それは家族の一人が死んだとか一家族の問題でもない。
神を恨むとか天を恨むとか言っていた人もいるけどその気持ちもわかる。一瞬にして無惨にこれだけの人の命も財産も奪うということがあまりにも無情、非情だったのである。
そして人間の命は地名より実にはかない、地名でも千年とか前からあるものが普通にある。
人間で何か残るかとなると名前すら残らない、名前が一行でも残っているのはいい方である。その名前しかわからないのが無数にある。その名前をいちいち気にしてその人を考える人もないのだ。
地名はその土地に長く記されているから人間より寿命がはるかに長いとなる。


そして明かに大地に津浪の痕は刻まれていた。地層に残されていたのだ。400年に一回しか来ない津浪でも地史的に見ればそれは規則的なものであり大地に記される。最近貞観津浪でも慶長津浪でも地層を調べてその痕が大地の残されていたのだ。そのことを東電に忠告しても聞く耳をもたずだった。相馬でもその地層が発見されていて自分も時事問題の深層に書いていた。これは実はもっと注目すべきことだったのである。本当に相馬でも奥まで津浪がきていてその痕跡が発見されていた。
それを大々的にとりあげる人もいないし考える人もいなかった。
仙台の不動産業者が海の方に開発した宅地などの価値が下がると津浪のことを警告していた学者を脅迫していた。この体質は東電と同じだった。ただみな利益だけをがむしゃらに求めて他は見えなくなっいた。そのことはみんながそうであり400年前のことなどもちだすな、まして千年前のことなどもちだすなとかなっていた。それは人間の奢りだった。


今回はそうした人間の奢りが打ち砕かれたのだ。津浪の防波堤にしてもあれだけ高くしたから安全だというのが奢りだったのである。自然の力は人間の知を越えていることをまざまざと見せつけられたのである。自然は人間の力で計ることはできない、計られるているのは人間の方だったのである。神の力は計ることはできない、人間は計られている存在なのである。科学がこれだけ発達したから科学者の奢りもあった。原発事故でも百万年に一回しか事故は起こらないと真面目に言っていた。これも科学者の奢りだった。科学者は神の力を手に入れたようにおごるようになっていた。今一番崇められているのが科学者であり医者とかでありその人たちはやはり何か奢りがあった。謙虚さを失っていた。人間で一番恐ろしいのは奢りである。それが人間自体もこの世自体も滅ぼすのである。

posted by 老鶯 at 16:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係