2013年02月05日

抽象画(spring colours)



抽象画(spring colours)

citycolouoriginnn.jpg
spring city

citycolourrr111.jpg

kosatennn.jpg

springcolourssss333.jpg

springflower.jpg
spring flower

クリック拡大!


抽象画はきまぐれであり計画的にはできない
ただパソコンで無邪気に子供のように遊ぶときできる
ただ大人だからそれらしい名前を与えるのである
これはソフトの遊びなのである


冬の雁(東風はまだ吹かない)

 

冬の雁(東風はまだ吹かない)

moonkaeiii111.jpg


写真はここに
http://www3.famille.ne.jp/~ochi/izunuma/magan-3.html


朝明けぬ残月光り冬の雁


北風の家に唸りて姉建てし家を我が継ぎ八畳間に寝る


夕べから北風がまた唸り吹いて寒かった。久しぶりに朝早く起きた。朝日に赤く雲が染められていた。そして外に出ると残月がこうこうと光っていた。残月はあまりこんなに光っているのを見ない、
月の様子も常に変わっている。自然はいつも同じではない、自然は飽きないようにできている。
その美は千変万化なのである。その時一群の雁が東に向かって飛んだ。寒いから空気が澄んで気持ちよかった。本当に自然は美しい、人間は汚い、田舎の人間も汚い、ただ自然があるとき心も清められるのである。人間の生活を隠せと詩人が言ったときまさに人間の生活が自然に隠されていたときまさに自然のみが映えていたとき美しかったのである。大都会に人間の生活がむきだしになり醜さでおおわれている。あういうところに良く住めるものである。ということは人間は美の感覚に麻痺してしまっているとしかいいようがない、もし美の感覚があればギリシャのように自然との調和を計っていたからである。

北風でもあたたかい北風だと春北風(はるきた)となる。これもまたすでに何日か前に吹いた。立春を過ぎても東北はまだ冬である。この風の感覚はその土地に長く住まないとわからない、風は極めて風土を感じさせるものなのだ。風と土ということでまさにここに風があるのだ。風はその土地でしか感じられないのだがなかなか旅ではこの風はわかりにくい、一年の内でどういう風が吹くかわかりにくいのだ。冬の間は浜通りは北風であり山から吹いてくる。ただ春になると東風(こち)が吹いてくる。この風が吹いてくるとき春がきたと思い何か遠くへ旅したくなるのだ。
 

東風(こち)について

 もともと季節に関わらない、東からの風である。例えば『万葉集』には、萩を散らず秋の「朝東風」(巻十)が詠まれている。


「匂ひきや
    都の花は東路(あずまじ)に
       東風の返しの風につけしは」
      (『後拾遺集』雑五・源兼俊母)(かねとしのはは) 


東国に暮らす姉妹の康資王母へ(やすすけおうのはは)の手紙に、都の花の香が届いたかと思いやった。東風の返し=西風。
 
 太宰府への配流を前に菅原道真が自邸の梅に詠みかけた超有名な和歌がある。


万葉集に萩を散らず秋の「朝東風」とあるのは秋に東風が奈良で吹いていた。別に春に吹く風ではなかった。東から吹いてくる風が東風(こち)だった。ただ東風は春に吹きやすい風である。


東風の返しの風につけしは・・・この表現は面白い、春に東風が東路に吹いてくる。都の花の香りをのせて吹いてくる。東風の返し=西風 みちのくから西風にのり手紙の返しがあるというのもすでにいかにみちのくでも京都と都と交流が深くなっていたのである。

今年は西の栄という新年の俳句連作を作ったし前にも桜についてかなり書いた。インタ-ネットで便利なのは東風(こち)というキ-ワ-ドから全国的に知識を広く展開してゆけることである。ええ、こんな短歌があったのかと発見がある。


「東風(こち)吹かば
    匂(にお)ひおこせよ梅の花
       あるじなしとて春を忘るな」       
          (菅原道真『拾遺集』雑春)

これが一番有名だけどこの辺では原発事故で避難して家が空になった。町村自体も人が住んでいない、ただ家が残されているしやはり庭に梅の木があり花が咲く・・ということはこの歌と同じである。そしてこの東風(こち)は災いの風だった。ちょうど3月11日の事故の日に吹いたために飯館村が大きな被害にあったのだ。風が災いしたのである。