2013年02月23日

日本橋-春の江戸俳句十句 (日本橋は江戸時代の基点の橋)


日本橋-春の江戸俳句十句

(日本橋は江戸時代の基点の橋)

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寒暁や大名たちぬ毛槍かな

季節がいつなのかわからないが冬の感じがする

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日本橋諸国の大名上る橋

日本橋渡りて誰も江戸の春
大名の紋あざやかに江戸の春
足軽も日本橋渡り江戸の春
日本橋毛槍をかざし江戸の春
日本橋馬も渡りて江戸の春
百艘の舟入り乱れ花の江戸
伊達藩の米も積まれぬ江戸の春
日本橋踊る魚や春の岸
江戸っ子の活魚を売るや日本橋
春富士や諸国の基点日本橋
寒暁や大名たちぬ毛槍かな


日本橋というと広重の浮世絵がまず思い浮かぶ。あの絵は江戸に到達した絵だと思っていた。逆だった。江戸を出立する絵だった。お江戸日本橋七つたちの七つは朝四時だから早い。この絵は冬なのだろうか?何か冬の寒い感じがする。その頃魚屋も買い出しにきていた。今でも魚屋は早い、日本橋には魚河岸があり一体となっていた。だから日本橋を魚屋が天秤棒かついだ通るのが日常的だから絵にもなっていた。生きた魚を扱うからそこから威勢のいい江戸っ子気質が生まれたのか?江戸は今の東京も同じであり生き馬の目を抜く繁華な場所であり他の浮世絵を見ても人でごったかえしている。それは今の東京にも通じている。一里塚とは、江戸日本橋を起点に一里(36町=3.9km)ごとに街道の左右に築いた塚である。日本橋は江戸時代はまさに諸国の中心点でありそこに大きな意味があった。日本橋に到達してはじめて江戸に入ったと感じた。
それはロ-マと同じだった。ロ-マを基点にマイルスト-ンがありロ-マの道は諸国に通じていた。
東京では今は歴史的なものを感じることはむずかしい。ビルと車の騒音と道路に埋もれている。
東京都中央区日本橋小舟町とか地名にわずかに当時の名残がある。中央であり小舟がそれを示している。

京都なら歴史を偲べるが東京はできない、それが観光しても面白くないとなる。ただ江戸時代は江戸は魅力ある都市だった。水路があり舟が行き来してまさに花のお江戸であった。その基点となったのが日本橋だった。観光は昔を偲べないと歴史を知らないと今だけだとどこでもつまらないものとなる。東京に来たら江戸を知らないと何の魅力も感じない、ただ文明の騒音のみしか残らなくなる。今だと東京駅が基点になるのかあれは昔のままに再現したからあそこを中心にして皇居もあるから日本橋の役割をになうのか?ただ東京はあまりにも雑然としすぎるのである。

江戸時代でも今でも生きることは必死であり詩的に鑑賞するようなことがないのが人間である。のんびりと観光気分の人は当時でもないだろう。長い旅であれ日本橋にきてやっと江戸についたなとなりその感懐は長い旅路であったからこそひとしおのものがあった。新幹線であれついたよとはならない、その行程が宿場に泊まり長いのである。だからこそ日本橋のもっている意味も大きかった。今はどんなところでもあっというまに飛行機でもついてしまうからどこが基点というふうにならないしああやっとついたなということもなかなかない、旅は目的につく時間が長ければ長いほど旅を感じるのである。ただ早くついて通りすぎるのは旅ではないのだ。だから江戸時代の人はなかなか遠くに行けなくても歩いているから旅をしていたのである。

浮世絵を見ると日本橋からあんなにはっきりと富士が見えたのか?想像で描いたのか?ただ当時は高いビルがないからあのように富士も見えたかもしれない、


その北詰側に朝だけで千両の金が落ちる魚河岸があり、今の人形町付近には夜千両が落ちる遊郭・元吉原があった。また現在の日本銀行本店は、江戸時代の金座跡である。
http://www.tokyo-rekisi.com/chuoku/nihonbashi/nihonbashi.html


日本橋付近のにぎわいは江戸時代ならとても田舎では味わいないものだった。田舎と江戸の差は今では考えられないほど大きかった。江戸は政治経済文化の中心地だった。伊達藩が石巻から米を船で江戸に送った。その米を作るために今回の津波にあった仙台平野が開拓されたのである。米はみちのくでは商品作物だった。川岸には蔵が密集していてそこに米は貯蔵された。全国から物資が集まりあの蔵に納められたのである。江戸はその当時の人は住んでいてそれほど感じなかったかもしれないが今になり江戸を偲ぶあういう江戸なら行ってみたいとなる。タイムマシンがあったら行って見たいとなる。今の東京には見るべきものがない、スカイツリ-なんかもつまらない。昔も偲べないからつまらないとなる。では何か目新しいものに接して買い物があるかとなるとほとんどない、通販でほとんどのものは今は買える、東京でなければ買えないものは今はほとんどないのだ。だからただ今になると混雑して嫌だなとなり今の時代は田舎の方がずっといい、文化的差も今はほとんどないのだ。情報的にもそうである。インタ-ネットが普及しているしこうして即座に調べて書いてプログにのせられるのである。東京にいようが田舎でも情報格差はないのである。


キンドルを買ったことを書いたがこれも実際は最新の技術がつまったものだった。クラウドとかWI=FI通信とかipadと同じくこの小さな文庫本のようなものに意外と最新の技術の集積があったのだ。
パソコンで文字を読むと何か疲れる。文庫本のようにどこでも気軽に読めることが必要だった。そうすると頭に入り安いのである。パソコンで調べるのはいいが本のように文を読むのは向いていない、横文字でありまた体がリラックスして読めないから頭にも入りにくいのである。この点キンドルは本当に読みやすい、紙より読みやすいのである。こういうものでも東京が別に文化の中心地でもない、通信が発達すると中心地がなくなるのだ。クラウドというように雲の上が中心地になってしまっているのだ。


これで青空文庫の夏目漱石の「草枕」を


「わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本橋の真中に臓腑(ぞうふ)
をさらけ出して、恥ずかしくないようにしなければ修業を積んだとは云われんてな。


日本橋を通る人の数は、一分に何百か知らぬ。もし橋畔に立って、行く人の心に蟠まる葛藤
を一々に聞き得たならば、浮世は目眩ぐるしくて生きづらかろう。ただ知らぬ人で逢い、知らぬ人でわかれるから結句日本橋に立って、電車の旗を振る志願者も出て来る


臓腑(ぞうふ)をさらけ出して、恥ずかしくないように・・・・・というのは日本橋が日本橋の中心でありその中心だからこそ自分の臓腑までさらだしても恥じないようにせよという意味なのだろう。
つまり漱石の時代、明治時代は日本橋が日本の中心だという感覚が残っていたのである。もちろん明治時代には鉄道馬車などが通っていたから日本橋は今とは余りにも違う何かのどかなものになっていた。でも日本橋はそれだけ人が混雑するところだから草枕という小説では日本橋をこのように表現した。でも今になると江戸時代の日本橋の混雑もなつかしいとなる。それで日本橋を再興しようとか観光にしようとかになる。でももうできない、余りにも変わりすぎてしまったのである。人間は昔を歴史を偲べないということは心を貧しくする。現代だけだと人間の重みは失われる。過去とつながって現代がありそうするとき人間の意味もでてくるのである。


外国人が見た「日本橋」
http://www.tanken.com/nihonbasi.html


日本橋魚河岸
http://wako226.exblog.jp/16111505/


浮世絵で見る江戸の橋
http://hix05.com/rivers/ukiyoe/nihonbasi.html

2013年02月25日

丸森の女性がインタ-ネットで知り合った68才の男性を殺害 (田舎の人間も今や素朴ではない、都会と同じ)


丸森の女性がインタ-ネットで知り合った68才の男性を殺害

(田舎の人間も今や素朴ではない、都会と同じ)

 インターネットの結婚紹介サイトで知り合った埼玉県行田市の男性を殺害し現金などを奪ったとして、埼玉、宮城両県警は21日、強盗殺人の疑いで、宮城県丸森町町東、無職伊藤早苗(42)=詐欺容疑などで逮捕=、仙台市太白区袋原6丁目、会社員菊地広光(48)=同=の両容疑者を再逮捕した。


 逮捕容疑は共謀して昨年11月3日夜、行田市持田4丁目の電気設備業白田実さん=当時(67)=方で、白田さんの首を包丁で切るなどして失血死させ、現金約3万2千円や指輪などを奪った疑い。2人とも容疑を認めているという。
 埼玉県警によると、伊藤容疑者は白田さんから1千万円以上の借金があり、貴金属の購入や生活費に充てていた。伊藤容疑者は「借金の返済に困ってやった」と話している。
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/02/20130222t73024.htm


犯罪は明かに時代を写す鏡なのだ。犯罪から時代が見えてくる。もちろん怨恨など人間社会には男女関係のいざこざがあり変わらないものが多々ある。ただその時代を反映するものとして犯罪がある。
この犯罪に興味をもったのは丸森というと極めて近いのである。自転車でも相馬市から行ったことがあるし一時金山城がありあそこは相馬藩であり伊達藩と争う場所でありその城主も交代していた。

その金山城の麓に住んでいる人とと病院で隣り合った。相馬市の病院には丸森からも結構きている。丸森はそれだけ相馬市に今でも近いのである。そこで方言を一回だけしゃっべった。んだべっちゃ・・としゃべった。普通は仙台などでは宮城県ではべっちゃなのである。んだというのは相馬弁である。だからんだべっちゃは仙台弁と相馬弁が一緒になったものなのだ。それが地域性を反映して面白かった。方言はやはり郷土史の大きなテ-マになる。でも今は子供すら標準語をしゃべり方言をしゃべらなくなった。きれいな標準語をしゃべるようになったのである。そうすると地域性がなくなるから面白くなくなる。方言も一つの文化なのだろう。そういう地域的なものがなくなることは文化の喪失なのである。この事件はまず地域的なものとして興味をもった。


もう一つインタ-ネットの出会いのサイトで知り合ったということである。これも時代を反映している。インタ-ネットは遠くの人と出会える。でもそこに問題が生まれる。近所の人はこの女性がどういう人なのか子供のころから知っている。普通の女性とは違っていた。高校を中退して盗みを平気でして反省もなかった。異常性があった女性だった。そういうことを近くなら知ることができる。
インタ-ネットはそれができないから盲点になる。そして見た感じはそんな人には見えない、すると

68才となると42才では若いから惹かれることになる。そしてここにもう一つ現代を反映する問題があった。高齢化社会である。この人はすでに68才で二人の妻をなくしている。それで寂しいからまた結婚したいとなってインタ-ネットサイトを利用した。見た目はいい感じなのでひかれた。68才くらいになると若いということは価値が大きいのである。老人はどんなことしたって若さをとりもどすことはできないし若い時代に帰ることはできない、青春はもう永遠に帰ってこないのである。だから相手は40才でも青春が帰ってくるような錯覚に陥ってくるのだ。だから若さを若い女性をどうしても手に入れたいとなるとなんてもするということがある。でも悲しいかな老人には自らひきつける若さがないから金でひきつけようとする。一千万も貸したということでわかる。でもその一千万が徒(あだ)となた殺された。女性は金しかなかったが男性にも若い女性を求める欲望があり事件となった。これもまた高齢化を象徴している事件なのである。こういうことは昔もあったにしろ現代はその数が多いから事件もふえる。


会津で横倉明彦容疑者は遠藤信広さん・幸代さん夫妻強盗殺人事件が会津美里町で起きたがこの事件は外部から来た人が犯罪を起こした。田舎に住んでいる人ではない外部から入ってきた人が犯罪を起こした。逆に今度は田舎の丸森に住む人がインタ-ネットを通じて外部の人への犯罪となった。外部からの人が田舎に入るとき危険だということは言われる。しかし今はそれ以上に田舎の人も都会の人とさほど変わらないということがあるのだ。田舎は子供まで標準語をしゃべるように都会化しているのだ。この問題がやはり金から起きているように田舎でも金がものいう社会になったときどこでも金から問題が起きてくる。それは田舎も都会も関係なく共通しているのだ。そもそも女性を金で引きつけようとしたこと自体誤りなのだろう。それが命取りになった。

金ほどまた恐いものはない、別に悪気がなくても金もっているだけで犯罪にあうことがあるから恐い。それは自分も経験したから金は恐いなとつくづく思った。ともかく犯罪にあったものが犯罪に興味をもつ、どうしてそんなことするのだろう、そんな酷いことができるものだとか思う。会津の事件でもそうだしこの事件でも相手を殺しているからそこまでやるのかやれるのかと思う。二三万でも殺された人もいるから恐いとなる。

田舎に対するイメ-ジは素朴だとか思っているが今では全然違っている。もちろんこの女性は若いときから異常な行動をしていた。だから特
殊だということもある。でもそういう人が田舎からも普通にでてくる社会なのである。丸森は仙台とは違い相当な田舎なのである。ただ仙台市の人とかかわっていた。丸森と仙台は密接につながっているからわかる。


また借金というのも恐い、借金している人はそれが理不尽でもかえって返せと要求して殺害されたりすることがよくある。借金の問題で事件が常に起きている。借金も恐いものなのに今は気軽に借金しすぎるのである。借金はたいがい見栄からであり分不相応な生活の結果であり今では同情できないのが多いのだ。でも闇金融だとその人を見ないで貸すから悪いのである。そういうシステムがあること自体また犯罪を増やしているのだ。なぜそうした犯罪を誘発するものが許されているのかも疑問である。ところが闇金とかサラ金とかは出資していたのはもともと銀行であった。銀行がそうして闇のものに力を貸してもうけていたのだ。そういう世の中のカラクリがある。銀行にもブラック企業的なものがあるのだ。それは大きな組織、会社にもある。カルト宗教団体にもある。それはまさに大きな闇であり見えないし明るみに出されないのがこの世なのである。金があってもまず人は買えない、人の心は買えないし何でも買えない、家で手伝ってもらいたいからといってもその人が買えない、モノは買えても人は簡単に買えない、金は万能ではない、そこに殺された老人の誤算があった。

今はあらゆる面で田舎と都会の差はない、人間そのものもそうだし生活でもそうである。田舎でも都会と同じ様な生活をしているのだ。医療などのぞいてはそうである。田舎でも東京と同じ贅沢が金があればできる。しかし金ですべては買えない、かえって原発避難民の問題は金があってこそ起きている。補償金をもらえない宮城県の津波被害者は仮設でも協力しているがここでは補償金もらっている人ともらわない人で離反していて一体感はないのである。その現金は補償金であり金の問題だったのである。

posted by 老鶯 at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2013年02月26日

大雪の弘前城 (日本列島は災害の動乱の時代になった)


大雪の弘前城

(日本列島は災害の動乱の時代になった)


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枝たわむ雪の重さや弘前城

雪埋もる古風なる門や弘前城
青森は遠きや雪の便りかな
大雪に津波に地震難つづく


弘前城には雪の時に行った。雪を踏んだ感触が記憶に残っている。弘前城は日本の最果ての城である。江戸時代ならどれだけ遠い所だったか?まさに地の果てのような感覚だったのか?そこが雪に埋もれる。古風な門は弘前城ならではである。古い形の門が辺境に残った。青森にはまた日本の古語が方言として残っている。それは沖縄と同じである。そういうふうに古い形の門も残っていた。弘前の桜はまだ見ていない、桜の咲く時期は限られているからみづらい、新幹線になると見やすくなるが一日も介護で出かけることができない,介護は代わりになく人がいないのである。


ともかく日本は災害の口だったことを改めて思い知らされた。あんなに雪が積るなんて地元の人も驚いている。もう何か自然災害が連続して起こる不穏な時代になった。一身上でも難がつづいた。
一身上のことと自然が呼応していた。日本は明らかに動乱の時代に突入したのだ。60年間平和の時代だったがもうそれも終わった。これからは自然も人間社会も動乱である。この辺もまさに仮設だらけであり動乱である。


雪に桜の樹の枝がたわんで耐えているが桜の咲く時期も遅れるというのもわかる。何かまだ寒い、もうあたたかくなってもいいころだが寒い。弘前の桜は一度見てみたい、弘前の朝の雪は美しかった。心を清められるように美しかった。でもあれだけの大雪となるともう美的に鑑賞もできない,雪との戦いになっている。それで高齢者が雪かきなどで死んでいる。一人暮らしだともう雪かきもできない、雪につぶされてしまう。ただこの雪のことはその土地に住んでみないとわからないのだ。


キンドルをなくした。いくら探しても見つからない、外にはもちだしていない、でも小さいものだからなくしやすいものでもあった。箱とか袋とかに入れないとなくなりやすいものだった。これも困った。これから出てくるのか、いくら探してもないということはどこかにまぎれてしまったのか?
電子本とかネット関係は便利なんだけどこれも一瞬にしてすべてが消えるという恐怖が現実になったのである。大量の本を買っていても本体をなくしたらすべて見れない恐怖かある。金銭的にも相当の損失である。まさかこんなに早くなくすとは思ってもいなかった。これもショックである。


写真は出したけどテレビでも見たけどこういう風景はかなりとられている。インタ-ネットにもでていた。拝借したが本人が見ない限りインタ-ネットではわからないのだ。これは自分がとったとしてもわからないかもしれない、同じような構図の写真が多いのはわからないのである。

2013年02月27日

寒月(震災から整理整頓が終わらない)


寒月(震災から整理整頓が終わらない)


寒月や天に冴えつつ孤高かな


the coldest moon
the clearer one
loneliness in superiority
in the heaven


我が家の整理整頓寒の月

沖に船松一本や冬深む


昨夜は火事があった。何度も消防車がサイレン鳴らして何台も走った。それで外にでたが火の手は見えない、ただ寒月が皓々と輝いていた。今の時期でも今年は寒いから寒月である。天に独り孤独に冴えて光っている。人間はやはり集団で卓越性を発揮することはない、最期やはり真善美を追求する果てに孤独となって独りとなって天にも引き上げられる。集団になるときそうした精神の卓越性には到達しない。集団でどんなに祈っても天国に行くことはできない、この世の利益は得るにしても精神の卓越性は集団では得られない、集団は組織は政治、経済化して数量化される運命にあるからだ。精神はそもそも数量化されないからだ。結局精神の卓越性を求めれば大衆からも文明からも孤立せねばならない、それで現代では上野霄里氏でもそうだがアウトサイダ-孤立化の運命をになわされるのである。


震災から二年たつが未だに家の整理整頓ができない、結局介護があり毎日のようにゴミの整理に追われている。つくづくゴミ屋敷化していたのが自分の家でもあった。ばらばらに本が散乱したままだった。それがかたづけようがないのだ。本はあとで役に立つかと思いなかなか捨てられない、要するにゴミ屋敷の問題は捨てられないものがたまってしまうということである。本は読まなくてもこれはあとで役に立つと思い捨てられない、それで家が傾いてしまった。本はいづれにしろいくらためても読めない、一冊の本を読みこなすだけで大変な労力がかかるのが知的世界だった。本はあくまでも自分の文脈、創作のときそれを補足するために必要であり必ず引用が従になるように読む人が主にならないかぎり読んだことにはならない、それがいかに優れた本でもそうなのである。自分が主となって利用しない限り無用の長物となってしまう。そういう本が山と積まれているのだ。利用できない本はすでに価値がない、アクセスされない情報は価値がなくなる。資料が埃をかぶって山ほどあっても利用されなければ無用の長物となる。ただ百年後に利用されるかもしれないと保存されている。それはとても個人ではできない、だから知の世界は電子化するのがいい、ただ電子化の最大の弱点は資料そのものが全く消えることなのだ。それで紙化することも平行してやらねばならないという矛盾があるのだ。現実に買ったばっかりのキンドルがいくら探してもないのである。ということは記録したものも消えてしまう。買った本も読めないということになってしまった。おそらく小さいものだから見つからないからまた買うようになってしまうだろう。


一本の松が残っていた。沖に船がゆくのを見ている。誰の句だったのか、「寒月や津波の跡に松二本」このキ-ワ-ドで探していた人がいた。これは自分が作ったのかとは思ったがそうでもないようだ。では誰が作りどこに出ていたのか?それがわからない、この句はいい句だなと思った。津波の跡に残った松二本、そこに皓々と寒月が照っている。松二本というとき人間も象徴している。家族が全部死んで独りになった人もいた。大船渡ではその人は自殺した。まず独りになったらショックである。

二年すぎてもほとんど復興はない、原発事故地域と津波だけの被害地域はまた違っている。でも市町村自体が壊滅状態になったときいかに
復興がむずかしいか困難を究めているか思い知らされた。
土地の権利をはっきりさせることだというのも本当だろう。それぞれの個人の土地の権利にこだわっていたら復興はできない、もう国で買い上げて文句を言わせないという思い切った手段をとるほかない、そういう緊急事態だから個々人のことを配慮していたらできない、そういう思い切ったこともできるのが震災の被害だったのである。個々人の利権に執着していたらいつまでも復興はできないのである。もうそうした個々人の利益をあきらめるほかないということである。それだけの衝撃だったということである。

津波の跡の松二本(詩) (二年過ぎようとする南相馬市に住む心境)

 

津波の跡の松二本(詩)

(二年過ぎようとする南相馬市に住む心境)


一瞬に家は津波に流され
未曾有の大雪に埋もれ
砂漠の砂に埋もれ
人の記憶は消えぬ
大いなる自然の力
人の奢りは打ち砕かれぬ
一世すぎまた一世
人の記憶はただ忘却の中にあり
皓々と寒月照らし
津波の跡に残る松二本
人のなおここに生きむとするや
仮設に盆栽の手入れ
冬の灯あわれ二年過ぎむ
昔の街道の細道
古き碑の傾き何語る
そも忘られんとするや
今年はなお寒々として
春はまだしも
相馬の城跡へ行くや
相馬藩の要にこそあれ
この危機にこそ要なれ
野馬追いに再興の願いかな


すでに津波原発事故から二年過ぎようとしている。でも復興はほとんど進んでいない、陸前高田市で残った一本の松に今回の津波は象徴されていた。この辺では何本か松は残っていた。陸前高田市では土地の個々人の権利が問題になっている。そういう権利を放棄しない限り新しい街作りはできないというのも本当である。この未曾有の災害は個々人の財産も吹っ飛んでしまったという恐怖だった。
着の身着のままで家も何もなくした人もいる。家族すらみんななくした人もいる。その衝撃があまりにも大きすぎたのである。津波の衝撃は大いなる自然の力を神の力を知らしめられたのだ。
科学文明が高度に発達して人間は奢っていた。原発でもそうだった。神の力を手に入れたとような錯覚に陥っていた。神は全能であり人間の力はそれには及ばない、そこで神の力が人間を砕くのである。それは世の終わりかと思ったほどの恐怖だった。

二年すぎてもこの辺は原発事故の混乱も治まっていない、ただ仮設でも何かなじんできたというのはある。でも仮設には生活感がない、わずかに盆栽を仕入れしている人がいて感じる。でもそれは趣味であり生活ではない、あとはただ補償金でのうのうと暮らしているとなり外から今や同情されていないのも変化である。南相馬市だと相馬藩内だしその最期の砦として相馬の城があった。相馬市は平常に機能していることは大きかった。そこから野馬追いも平年通りに行われるというときやはり野馬追いを通じて一体感がもてるということはある。


いづれにしろ人間の記憶は消されやすい、津波もまた人間の記憶を消してしまうという衝撃だった。残ったのは土台だけだった。災害がなくても人間の記憶は消えやすいのだ。だから津神社が津波を記念したものだったということさえわからなくなっていた。神社にはいわれのわからないのが結構ある。何か記念したものであっても理由があってもその理由もわからないのである。人間は一人一人が死んだ時点で急速に忘れ去られてゆく運命にある。60すぎたりしたら次から次と死んで行くからいちいち関心がもてない、有名人でもそうである。あの人死んだこの人死んだと次々と死んでゆくとそんなに人に関心がもてないのだ。そしてまた次々に若い人がでてくるからこれも何者なのかわからなくなる。だんだん年とると認知症的になるのだ。つまり強烈に記憶されたものは思い出すがあとは記憶すらされなくなるのだ。


今年は寒いから3月11日になっても東風が吹かないかもしれない、東風はやはり春を告げる風でありこういうふうに寒いと吹かないかもしれない、今年だったら飯館の方に東風が吹かず放射能が拡散しなかったかもしれない、北風だったら海の方に流れた。海沿いは放射能が低いのは海に流れたからである。飯館村は悲劇であり不運だった。恨みの東風だったのである。

 
posted by 老鶯 at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係

2013年02月28日

人間はなぜ歪んでしまのか? (その原因の根底に育った家庭があった)


人間はなぜ歪んでしまのか?

(その原因の根底に育った家庭があった)

子供は夫婦の会話や態度を鏡のように映す存在。例えば奥さんから誕生日に『おめでとう』と言われプレゼントをもらったときに、どんな反応をしていますか。奥さんが喜ぶような言葉や態度で感謝を表現できているでしょうか。素っ気ない態度で感謝の気持ちをごまかして、きちんと伝えていないと、子供はそれを感じ取り、男の子は特に父親をまねて極端な形で表してしまいやすいのです」


 つまり日ごろから夫婦間で『ありがとう』の会話がないと、それがわが子にも伝播(でんぱ)して、友達の心が理解できない感受性の鈍い子供となる。その結果、当然のことながら感謝の表現ができなくなるというのだ。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130227-00000001-pfamily-soci


自分がここ6年介護とがで接した人間はまともなものがいなかった。主に親戚だが他人もいた。そもそも自分の家族が異常な家族だった。それは家族が悪いというのではない成り行きでやむをえないことからそうなったのだから自分は家族が異常でも家族を責めないし自分で言うのも変だがそれなりに手厚い介護しているし親には感謝している。こういう家庭環境になったのは本人が悪いというのではなかったからだ。それぞれの家庭を知ることは複雑であり他者が知り得ないものがある。


まず自分の母親などは悲惨だった。継母に育てられたのである。だから小学生のとき弁当を作ってくれたのだがそれを残したとき「オレの作ったものを食えないのか」とその弁当を投げつけたというからひどい。その継母は異常なほど気性が荒い女性だった。最期は養老院で眼が見えなくなり死んだ。もう一人は連れ子になり心が歪んでしまった、またもう一人は子供のとき三人母親が変わった。これもかなり影響したろうがその三人は愛情がないとういのではない、特別可愛がったのである。でもその影響が大きかったかもしれない、それで50才くらいになってその女性は異常な人間になっていた。そのとばっちりを自分の家で受けた。あとは子供のころは極端な貧乏とか苦しみを味わい結婚してから夫がすぐに重病となりその世話に明け暮れた女性も心が歪んでしまった。もう一人は生まれたとき母親の乳で育たず親戚のものが乳を与えて育てた。兄弟姉妹も多くそんなふうになったのだろうがこれも最後は犯罪者になった。自分がここ6年であった人はこんな人しかいない。自分自身の家庭環境が異常であったこともあるがその回りもすべて異常だった。


そういう人ばかりみていると家庭とはそもそもそういうものだと思ってしまうのだ。まともな家庭、家族で育たないものはまともな家庭がどういうものか知らないのである。毎日夫婦喧嘩しているのが普通だと思ってしまうのである。家庭とはそういうものだと思ってしまいまともな家庭があるなどわからないのである。ともかく人間は家庭環境が致命的に影響することがまちがいない、やはり家庭環境が悪ければまともに育たないということはある。ただ環境因子がすべてではないし生まれつきがすべてでないしそれは複雑に相互作用しているのだ。悪い環境でもいい子は育つ、親がなくても子は育つと同じである。一般的には確率的にはどうしても人間は育った家庭環境に大きく影響される。
だから就職のとき家庭環境を見て採用するというのはやむをえないかもしれない、協調してやれるかどうか性格がどうかとか見るのには家庭環境を見るのが基本になるのかもしれない、自分はまず他人と協調してやれるようなことはなかった。それでも逆に家庭環境で会社にも就職せず無職でも遂に人生の最後までも困ることもなかったのである。


ただ世の中は広い、人間の接する範囲は極めて限られているのだ。だからそこから判定することはできない、一般化することはできない、最近あった女性を見ていていつも不思議だった。その感じとか受け答えとか本当に気持ちよく素直であり態度がいいのである。それは何だろうと不思議だった。異常な人間ばかりとあっていたから地獄で仏にあったような気がした。この女性はまともだとつくづく思った。心も歪んでいないしまともなのである。そのことに感動したというのも変だけどまずこれだけ歪んだ人間を相手にしていればそうなる。その女性は男一人と女一人と三人兄弟姉妹であり夫婦仲は良かったという。なるほどこれくらいまともだとやはり家庭環境もいいのだなとつくづく思った。まともな家庭環境で育った人もいるのだなと感心した。こういう家庭に育てば気立てのいい優しい女性に育つと思った。ただ金持ちの家だって夫婦仲が悪かったりすべてがいいわけではない、貧乏でも夫婦仲が良かったりするし貧乏がすべて悪いとはならないから貧乏から家庭を判断することはできない、ただ家庭は人間形成の基の場であり影響が大きすぎるのである。だから家庭環境をみればそれなりにその人物を判定できるかもしれない、ただその後の大人になってからすべてを家庭環境の原因にすることはできない、どんな不遇な環境でもみんなが犯罪者になるわけではないからだ。


結婚が昔は家と家の結婚だというときそれは家庭環境がその人間に大きく影響しているからだ。家と家の結婚だというときその結婚する本人より家庭環境を見ている。その方がまちがいないかもしれない、なぜ戦後に三分の一も離婚しているのか?それはその人ばかり見ていてもなかなか人がわからない、家庭環境を見ればその人がわかるということもある。家と家の結婚なら離婚も少なくなるかもしれない、だから自由恋愛というのも離婚が非常に多いのである。そこで古いものが何でも悪いとしたことにも問題があった。新しいものは新しい価値観は簡単に身につかない、それより何代にもわたった価値観にも習慣にもそれなりの人間の知恵が働いていたから軽んじるのが問題だったのである。


「オマエを育てるのに苦労した。」
「この食事の支度に苦労した。」
「あんな人と結婚するんじゃなかった。」・・・等々。
個々の事例については、以前より配信しております。


じゃあ、このようにグチばかり聞かされてきた子供がどうなってしまうの?
その一例として、「苦労自慢や不幸自慢」の人間になったりする例が多くあります。
そもそも、その親から不幸話や苦労話以外の話を聞いたことがないんだから、子供だって、自分の不幸を語るしかないじゃないの?
皆様の周囲にも、不幸自慢や苦労自慢ばかりの人もいるでしょ?

まさに、当人の親と同じように、被害というか、苦労というか、不幸を語り、そして、被害者という立場でもって自分のアイデンティティを設定するわけ。
被害者として、自分の被害を語り、被害を語ることという行為によって、「被害者としての自分」という立ち居地を自己確認するわけ。
http://space.geocities.jp/kinoufuzennkazoku/04-04/04-04-19.htm


こういう人を知っている。本当に信じられない苦労の連続だから苦労を他人に語ることが人生になってしまった。そして他人の不幸を喜ぶような歪んだ性格になった。そんな人と付き合わされた自分は最大の不幸だった。最初はその人間についてはわからなかった。こうして歪んだ性格の人とつきあうことは何らか大きな害を受ける。この女性はついに弱者だったが弱者を虐待して喜ぶまでになった。
だめだめ家庭は実際にいたるところに普通にいるしそういう家庭と接して生きざるをえないのだ。
ただそういう家庭と接するとなんらかの害を受けざるをえない、ある意味で恐いことでもある。
病気になり弱者になって抵抗できないからこんな女性に助けてもらったらあとあと大変なことになる。家庭が崩壊させられるしそういう事件もあったから恐いのである。


だめだめ家庭の目次録
http://space.geocities.jp/kinoufuzennkazoku/index_original.html


ここはかなり参考になる。

 

今日は東風(こち)が吹いた! (3月11日も吹いて飯館村が放射能汚染)



今日は東風(こち)が吹いた!

(3月11日も吹いて飯館村が放射能汚染)

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東風(こち)吹いて川面さざなみ光るかな

前畑に婦(おんな)耕す木の間見ゆ
東風吹くや新たな力湧きい出む


福寿草ヒヤシンス咲く我が庭に争いのなく石の鎮まる

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今日は東風が吹いた。やはり今ころ吹くから3月11日には飯館の方に吹いたのが不運だった。3月になったらやはり東風は吹く、川面をさざなませて吹いていた。川を海から遡って東風が吹き川がさざなみをたてて光っていたから気持ちが良かった。

ようやく春が来た。自転車でも結構遠くに行きたくなるし今日は何度も乗った。
庭には福寿草とヒヤシンスが咲いた。今は花は咲いて争わない、人間の世界は常に争いである。
60年間自分の家も争いだった。でも一人が死んで争いが終わった。人間死なない限り解決しないことが多々あるのだ。

耕しをする婦人が見えた。このように生活があれば春が来たと感じる。田でも田起こしとかがありそれで春を感じる。この辺では田畑は5年間くらい何もできないから荒地化している。ただ草ぼうぼうとはなっていない、でも五年間は長い。アパ-トを西町に建てるため工事をしている。かなりの部屋不足になっているのだろう。新しい家が近くにも建った。津波の被害で海岸部の部落は壊滅したから町の方に家を建てる人が結構いるだろう。街の方に人が集まってくるのである。現代はコンパクトシティ化した方がいい。便利な生活を望むならその方がいい。津波や原発を契機に新しい街作りが望まれているのだ。


ただ小高区でもそうだが補償金の額があまりに大きいと回りでは何だとなりそれを羨む人がいてそこに断絶が生まれてしまった。一人百万とかなると何だとなる。全然もらっていない人が多いからだ。あの人たち恵まれた人だとなり同情もしないとなる。実際に一人十万ではない、それ以上に土地や家や休業補償などもらっていて平均したらどのくらいになるのか?50万くらいもらっても一年に換算すると相当な額になるから働かない方がいいとなる。かなり貯金もできる。そんなに今まではもらっていないから得していると思っている人がいるだろう。ただ5年くらいはもらいるとしてもあとはもらえないとしたらその資金で復興するようになる。でも津波の被害者よりかなり恵まれているからねたまれるのである。


一年目はまだ無我夢中だった。二年目になって多少落ち着いたろう。復興へ向かう力も湧いてくるはずだがこの辺は補償金もらっているからそうともならない、働かない方が高額な補償金もらえるということは変なのである。人間はそれだけの補償金をもらえば働かない、怠け者になってしまう。
ただそれがいいようでまた悪い面であり原発避難民はどこでも嫌われている。だから金をもらってもいいとはならないのだ。




東風(こち)吹いて川面さざなみ光るかな

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