2013年02月01日

一難去ってまた一難 (人間の心は状況の変化により変わってゆく-津浪、原発事故から二年)


一難去ってまた一難

(人間の心は状況の変化により変わってゆく-津浪、原発事故から二年)

風ひいて頭が痛い、これもまた一難である。ここ6年間が一難去ってまた一難であった。介護していると介護している人が病気になくると辛いのだ。二年間は身体障害者でありこれも辛かった。
自分の場合は30年間くらい心の変化はなかった。20代までは結構めまぐるしくあった。大学が遊びであれその後も20代は結構苦しんでいた。だから恋愛などしていない、そういう余裕がなかった。
性格的にできないところもあったが20代は誰でも波乱の時代である。だから心も相当に変わる。
心は回りの変化でも常に変わっているのだ。この辺では津浪から原発事故とめまぐるしく変わった。津浪で家族が死んだ人や原発事故で避難して仮設に住んでいる人もそうである。仮設に住む前は体育館などに避難して一時は家もなかった。雑居状態でありその時みんな助け合ったということは人間はそういう過酷な状況にともにあるときは助け合うということである。その時の心の状態と今の仮設に住んで補償金をもらってパチンコ屋とかに通い遊んでいる状態とは違っていた。今は内部でも隣の家は多くもらっているとか内部でも補償金でもめて外部からも補償金をふんだくるだけの人たちだと批判されているのだ。最初の内は東電の社員までねらわれるから気をつけろと言われていた。


国民は東電とか政府でも社員でも原発の責任に厳しい目を向けていたのである。それが状況が変わりまた国民の心も変わってきたのである。つまり人間の心は常に変わりやすいのである。人間の心は状況により縁により変わっている。同じ状態はありえないのだ。だから30年も平穏無事で心も変化しなかったということはよほど恵まれていた状態だったのである。人間は恋愛して結婚して子供もってとかそういうなかで心も常に変わっている。老人になると若いとき全く違った心になる。つまらないものが実際は特別貴重なものになったりする。それは金とか物ではない、何か夫婦で共に苦労したとかそういうことがふりかえり貴重な時であり思い出が宝となることがある。老人になると価値観がかなり変わってしまうのである。青春時代に価値あると思ったものがまるで価値のないものとなってしまうこともある。人の心は常に変わり安い、それはまた常に状況が変わるからである。


人と人の付き合いでも常に状況により変わっているのだ。深くつきあっているとこの人はこんな人なのか、弱い人を虐待する人だったのかと知り嫌になる。最初は苦労した人だと思うからそう思っていなかった。この6年間弱い立場にあり何も言うことができなかった。そのためにその弱さにつけこんでいろいろ言葉の暴力を受けた。お前は誰も世話する人がいないからどうだとか恐喝じみていた。
しかしそれも終わった。実際は今度は立場が逆転してこっちが強い立場になっていたのである。
そういう状況立場の変化が常にあり心も変わってゆくのだ。ただ相手は以前として自分が弱い立場にいると見ていたのである。こうして個々の人間関係でも常に変わっているというとき本当は社会というのは常に変わっている。その変化に気づかないことがある。国際関係でも日中関係でも最初は日本が優位にあったが今は違うけど以前として日本が優位であり日本は世界第二位の経済大国だという幻想をひきづっている。現実は変化してもそれがわからず過去をひきずっていてそうなっているのだ。国際関係でもアメリカがいつまでも全体的優位に立つということはいない、いつか思わず逆転するのだ。ただその変化に気づかないのである。アメリカは絶対的に強いんだという幻想は簡単にはなくならない。それで失敗することがある。人間は変化することに対応できないのである。


近所の人で60代の人が新聞配達するという、補償金をもらっていないから働かざるをえない、でも最近二三か月新聞を読んでいない、地元の情報を知るためにとっていたが読む暇がないのである。情報にしても今はインタ-ネットもあるからそんなに読めないのである。活字を読むのはテレビとは違い結構手間であり疲れるからだ。テレズでも今はいろいろあるから見るのも大変である。だから2時間の番組があるけどあういうのは現代にはあわない、簡単に要約したのがいいということである。それだけの時間がないのである。情報の摂取にしても変わっている。プログでもこれを毎日読むとなると結構時間がかかる、書く方にしても時間がかかる。三時間くらいは構想して書くのにかかるのだ。読む方にしても時間をさくことになる。一日の時間が限られているとしたらそんなに読めないのである。新聞は無駄が多い、半分は宣伝だとか無駄が多い、スポ-ツ欄と芸能欄など関心がなくてものっている。今はみんなこの辺では原発問題に注目している。それらを中心にまとめてもらいばいいのであり他の大部分は無駄なのである。だから新聞はだんだん読まなくなるだろう。本の読み方にしても変わった。自分の興味があることを検索してこんな本があったのかとアマゾンで注文するから結構買う本が増えたのである。自分の書くのにあわせて買っているのである。こういう本の買い方は今までできなかった。情報分野では相当な変化がありスマホとかでもありこれにはついていけないのだ。
老人は変化に対応できなくなるのだ。


だから注意しなければならないのは原発避難民に対する風当たりが今は強くなっている。補償金だけもらって遊んでいる。補償金もらうからと地元に帰らない、仮設を離れると補償金がもらえないから帰らないというのは外部から批判される。金があるからとそれですべてが解決するわけではない、
ただ人間はどうしても楽な方を選ぶのである。補償金をもらっていた方が楽だとなるとわざわざ苦労して地元に帰るのは嫌だとなる。特に老人が多いとどうしてもそうなるのだ。ただそうしていたら外部からの批判はいつまでもつづく。移転先でも心情的に受け入れられない、そうしたらいじめとか差別がこれからも起きてくる。そういう状況の変化にうとくなっているとやはり問題が起きてくるだろう。津浪原発事故から二年になろうとしているけどやはりこうした状況の変化に対応しないと外部からの批判にさらされて福島県自体がマイナスイメ-ジしかなくなってしまうのである。

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2013年02月02日

原発避難者が内部で争い国民に責められるのはなぜか?) (支配層の策略にのせられている-共通の敵を知るべき-市町村崩壊の危機)


原発避難者が内部で争い国民に責められるのはなぜか?)

(支配層の策略にのせられている-共通の敵を知るべき-市町村崩壊の危機)

●いわき市で起きている原発避難民の差別はどこでも起きている


「誰も望んでいない被災者同士、市民同士の摩擦が広がっている。
地元の津波被災者より原発避難者ばかり優遇されるなんて・・・」
http://kasakoblog.exblog.jp/18069956/


いわき市にも津浪の被災者がいてその人たちには援助がない、原発避難者には援助があり津浪の被害者は忘れられている。確かに原発避難者の方が数が多すぎるから津浪の被災者は目立たなくなっている。でも実際津浪の被災者も援助がないとすると深刻である。そこで原発の被災者に対して不満をぶつける対立してくる。これは相馬市でも起こった。トマト栽培の農家に飯館村の人が就職しようとしたら断られた。津浪の被災者を優先して雇うためだという。理由は相馬市では松川浦や磯部で大きな津浪の被害がありその被災者は原発避難者のように補償金をもらっていないからだ。他でも相馬市の人は原発被害地のように補償金を全くもちっていないから不満なのである。それで買い物を見ていて贅沢しているとか不満を言う人がいる。

それはやはり生活に余裕がない人たちはそういうことを言いやすいのである。生活に余裕があればそんなこと言わないのである。どこでも底辺層がいるしそういう人たちは特別買い物まで見ているのが田舎なのである。あいつはいいものを高いもの買っているなと見ているから田舎はなかなか目立った行動ができないのである。金持ちは住みにくいのが田舎である。どうしても平均的に生きることが要求されているのだ。本当に津浪の被災者は原発避難者のように援助がないから仕事をするにも大変な苦労している人が宮城県や岩手県などでもいる。その人たちから見れば原発避難者はうらやましいとなるのもわかるのだ。切羽詰まったところに追い込まれている人も多いからだ。ただ浜通りは津浪の被災者と原発避難者が混在しているからややこしくなっているのだ。津浪の被災者となり原発避難者となっている人もいる。相馬市は原発避難者を受け入れて補償金がもらえないからいわき市とにているのだ。


●原発避難者の不安



原発避難者は何かと批判を受けています。何か大きい買い物しようと思っても、贅沢してるんだとか言われて世間の目が怖いです。 主人の車が17年目を迎え、そろそろ買い替えてもいいかなと思いつつも原発避難者は新車に乗り替えてると批判を目にします。
確かに精神的賠償は貰っていますが、主人は働いていて休業補償は貰っていません。パチンコもしてません。外食ばかりもしてません。
中学生の娘は美容室で『避難民は遊んで暮らしていけるんだってね、絆なんてもういらないわよね〜』という会話を直に聞き悲しいと言ってました。原発避難者は大人だけではありません。子供達が聞いて傷つくこともあると知ってもらえたら…と思います


二重生活と言いますが、家賃は無料ですよね。
月一人10万もらい、さらに、一人100万貰ったはずです。
医療費無料、高速無料、義援金も津波被害と同額もらい、次は600万一人貰うでしょう。
んー、
多分今までどれだけ原発から恩恵受けてきましたか?
その恩恵も忘れて原発に文句ばかり言ってるから叩かれると思います、特に津波被害は義援金そこ付きひさんですよ。
義援金原発避難者に回さず津波被害に回すべきの気持ちが県民に多くありますので、原発避難者にきつい目でみると思います。
ま、一番は今までどれだけ原発から恩恵受けてきましたか?
これが、いわき市市民の声です。


原発反対者はおそらく福島県民に対しては同情的です。

しかし、福島県民をたたかれているのを見て喜ぶ連中もいます。
それはこの国の支配層です。
貧しい者がたたきあうように仕向けるのは、江戸時代から続く我が国の歴史的伝統です。
おわかりですね。福島県民を悪者のように風評している大元は誰でもない、この国の支配層なのです。
あとは、そうとはばれずに、忍びやかに福島県民を貶めていけば、勝手に国民同士いがみ合っていってくれるだけです。
貧しい者から奪い続ける者は安泰というわけです。
その手を使えば福島県民の損害賠償も低く抑えることも可能ですね。


知恵袋にもそういう工作をする人がいるんじゃないですかね。証拠はないですが。

私は大多数の日本国民は福島の人の側(がわ)にいるべきだと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1285771587

 


福島県民でも原発避難者でもそれだけ被害を受けたのだから補償金をもらってはじるべきでないという意見は普通にある。応援している人も
全国にいる。これは一方で支配層の策略ではないかと前に書いたが何かそういうふうにしむけられているのではないかという疑念が生じた。
なぜ福島県民や原発避難者に非難の矛先が向けられるようになってしまったのか?
それは支配層によって政府や東電や官僚やらによってしむけられたのではないかという疑念である
例え補償金が多額になってももし他の地域で一から始めるとなると家を建てるにしても土地から建物から多額の金がかかる。今の時代なら家を新たに建てるとなると3千万とかそれから支度金として2千万とか5千万くらい必要になるだろう。一億円くれてやれという人もいたが本当に他の地域で新たに生活するとなるとそれだけ大変なことなのである。

今は支配層の策略にのせられている。補償金で内部でいがみあい外部からは国民から補償金をもらう原発避難民だけ得している。そういうふうにしむけられているとも思える。
だから原発避難民や福島県民はもっとそういう方面で協力すべきである。内部で補償金で争うのではなく支配層の思惑にのせられないようにその意図を知り協力する方法を考えるべきである。
ただ現状は何か支配層の策略にのせられていて思惑通りになっていないか?
内部で分裂して外部から責められている状態はそうである。
原発避難民も福島県民も何かそうした支配層の意図がありそれを知り対策をねる必要があるのではないか?やたら内部でいがみあい争っても得なことはないのである。


●地域の人間に違いがあるの?


つーか今回避難してきた人たちと触れ合ってなんとなく思ったことが
小高人と鹿島人って天と地なくらい人間性違うんだが…。


気のせいだと思うが鹿島の人は基本的に意地悪だわ…。

生まれも育ちも鹿島だが、鹿島区民は足の引っ張り合いが大好きだね。
こんな書き込みしてる俺もそうなんだろが...


体育館で3ヶ月近く避難生活していたとき、鹿島のバッチャン達の意地汚さをマザマザと見せ付けられた。
配られる物資の食料や衣類、生活用品などは、配る前から保管してある在り処を分かっていて
大量に良いものだけを選んで運び出していた。
とにかく卑しい連中だった。それが揃いも揃って鹿島区民ときたもんだ。


鹿島はそうなのかもしれん、でもどこでもいい人と悪い人いるからな、なかなかいちがいには言えないな、そもそも田舎は人間がまともなのがいないと思っている。狭い世界で狭い了見の人が多い。
田舎では個性的な人はまれでるある。それは狂人が異常なアウトサイダ-になるのだ。
だから田舎では創造的な生活をすることはむずかしいのだ。ただ自然があるということで創造性が生まれている。

鹿島の住民が意地悪だというとき自分も苦しんでいるときほとんど助けがなかった、回りでは楽しそうに見ていたのかもしれない、田舎の人が助け合うというのは今はない、かえって悪い面が露骨にでてくるところでもある。ただ一般的には金の社会になると人間はどこでも協力しない、助け合わなくなった。自給自足の村だったら自ずと助け合うことが多かったしそうしなければ小さい社会で生きていけなかった。貨幣社会にれば金さえあればなんとかなるということで人と人は協力しなくなったのである。

原町市が外部の人が受け入れやすいというのは本当である。無線塔などが作られいち早く近代化した街だからである。一方は相馬市は古い城下町でありよそ者を受け入れないというのもわかる。
街の作りでも相馬市は駅前から発展したのではない、城下町の作りそのままが残っていたのだ。原町は駅前通りが鉄道と共に発展した街なのである。そういう違いは確かにある。

何か今回ほどこの町はどうだ、この町の住民が性格が悪いとかいろいろ言われた。双葉町は一番言われた。それは双葉町の住民全部が移住したから当然回りから一つのグル-プとして見られるから必然的にそうなったのだ。双葉町民がいわき市に集団移転したからそうなった。別なグル-プとして意識されるからそこにとやかくいろいろ言われ差別が起きたのである。普通だったら双葉町民がどうだ、浪江町民だどうだ、性格が悪いとか言わない、小高も南相馬市内でも移住したから差別化されていろいろ言われるのである。南相馬市内に住んでも今までは小高町民がどうだ鹿島町民がどうだなどと意識しないのである。多少あったにしてもこんなに意識しない、それはこんな状態ではやむをえなかったのである。

ともかくここでも小高町民どうだとか鹿島町民はどうだとか相馬市民はどうだとか言っているより内部で結束して外部に向かった方が得策である。互いにそういう意識をもち外部に対抗する方法をとらないと状態はさらに悪くなってゆく。支配層の思う壺になってしまう。本当の敵は何なのか、みんなで考えて協力する方法を見いだすべきであり内部で争っていて得するのは誰か?そのことを良く検討する段階に入っているのである。


今確かに食うには補償金で困らない、しかし心は分裂している。これは明かに内部から崩壊してゆく危機なのではないか?人間は外部から責められて崩壊しない、内部から崩壊してゆくのが歴史を見ればわかる。モラルの低下とか人心の乱れ不統一とかから内部崩壊してゆく,そういう危機なのではないか?個々の家の争いとか町民同士のいがみあいとかもそうである。自分の一身上に起こったことも内部分裂であった。何かわからないがこの辺を市町村を分裂させ崩壊させようとする悪魔的な力が働いているのではないかとさえ思う。ただ自分自身を襲った犯罪もそうだったし責められたのもそうだった。この辺には何か破壊させようとする悪魔的な力が働いているのではないか?
そういう危機に直面している。ただまだ別に食うには困らないから深刻なものとして意識していないのである。でも心がばらばらになればそういうことは起こり得るのだ。市町村が心の面で崩壊してゆくということである。そういう危機に直面している。

posted by 老鶯 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年02月03日

鬼やらい(健やかな体で鬼やらいをした-人間は健康が一番大事、特に老後はそうである)


鬼やらい

(健やかな体で鬼やらいをした-人間は健康が一番大事、特に老後はそうである)

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この道を行きつ見守る冬芽かな


I keep on looking
buds in winter
in my sight
in my homeland


皓々と無情の跡や冬満月

土台のみ津浪の跡や冬満月
冬の灯やここに移らず一軒屋
二年過ぎ仮設の隣冬灯かな
我が里にはや咲きいずる犬ふぐり
健やかに豆にぎりしめ鬼やらい
我が家や五つつの部屋を鬼やらい


丸き菊姉を思いて墓に挿す微笑みたまわむ年あらたまりぬ

墓隣話すもあわれ同じ町年あらたまりて話しけるかな
この池の氷の溶けず一本の松によりつつ帰る夕ぐれ


ここ何日かの変化を俳句短歌にした。昨日は冬満月が美しかった。今日は星が美しい、昨日はあたたかくイヌフグリが咲きだしたから季節的に立春になる。東北は西よりは一か月は遅れる。なぜなら東京ではすでに梅が咲いているからだ。俳句の季語は西が京都など中心に作られたからあわないものがある。季語はだから地域ごとにそれぞれの季語もある。季語も膨大だいだからすべて覚えられない、冬の灯というとき一軒家があるとしてああ、ここに住めて良かったとか津浪で良くこの家は残ったなとか思うのもこの辺である。残り谷(屋)という地名の実感は津浪を経験しないと納得がいかない、人間は経験しないとわからないことがいろいろある。津浪の跡にはただ冬の月が光り無情である。ただそこに非情の自然の美が映えている。仮設も二年まもなく二年になる。隣合い仮設に住むというのもどんな感じなのか不思議である。まだ長くつづくとなると仮設もなじんだものになる。


今日は鬼やらい、節分である。自分が豆をまいた。部屋が5つつありまいた。ともかくこの6年間は自分は本当に苦しかった。人間は長男となるといつか否応なくその家の責任を負わされる。嫌だといっても負わされる運命にある。両親とかの介護もそうだしその他責任を負わされる。別に長男でなくても50以上になったら誰も大きな責任を否応なく負わされるのだ。それが厳しいと言っても逃れようがないのだ。その間に自分が二つの病院に入院したのだからこのことが自分が病気だったことが一番辛かった。その病気の間でも自分をみる人はなく責められたのも辛かった。病気のときまで責められるのかとがっくりきた。医者にも看護師にも責められた。身よりのない人は病院ほど恐い所がないと実感した。ただ普通の人でも介護する人がいても今は病院は恐いころである。死ぬにも死ねなくなる恐さがある。ということはいつまでも苦しみつつ地獄を生きさせられる恐怖である。ただいつ突然倒れたりするかわからないから恐怖なのである。

今は身体障害者でないし体は健康である。別に旅行もできるし登山でもできるだろう。そういう状態にもどったことが大きかった。健やかであるからこそ鬼を払うことができる。病気だったらどうにもならない、その弱さにつけこまれる、人間の尊厳は失われてしまう。介護してくれる身内がいればそういうことはないがないものは病気ほど恐いものはない、だから病院に入る前に死ぬか野垂れ死の方がいいと思った。動物は誰にもみとられず荒野に死んでゆくから威厳が保てるのだ。

人間は健康ほど大事なものはない、どんなに金があり才能があり家族に恵まれたとしても病気になったら最悪である。徳田虎男氏とか見たらあまりにも悲惨である。大病院をもって最高の看護を受けてもあれを見たらいかに病気が恐いものがすべて台無しするものが一見してわかる。巨大な病院をもち医者も顎で使いてもどうにもならなくなるのが病気なのである。病気になればどんな人間も弱くなる。認知症も脳の病気だから人間が崩壊するからこれも恐い、未だに信じられない病気だった。
人間が何か特別の罰を受けているようにさえ思えた。


今日はやっと墓参りできた。ともかく家事をやっているだけでたちまち時間が過ぎる。家事でも墓が二つあり墓を掃除したりするのも必要であり手間である。墓も近くにないと荒れてしまうだろう。
現実無縁墓ではないが一年に一度も来ない墓がある。そういうものも増えてくるだろう。ただ墓参りするとそこにやはり死んだ人がいる感じがするから不思議なのである。もしそこに墓がなければ死んだ人はどこにいるのか?墓がない森林葬とか海とかに灰を捨てるにしてもやはりどこかに墓がないと死者を偲ぶことはできないのである。

姉は太っていて男勝りだった。自分は女性には本当に詳しくない、知らないのだ。ただ若いときはかわいいとか美人だとかが第一の価値になる。でもまた女性の価値も常に変動している。年とともに価値が変わってくるのだ。50すぎたりしたら美人だとかかわいだとかではない、思慮分別のある賢い女性がかえって価値がでてくる。年相応の価値がでてくる。その時ただかわいいという価値はなくなる。かわいだけで子供のようで何もできない、気がまわらない思慮分別がない女性は価値がなくなる。この女性は人形さんみたいだけどこれもまた50以上になったら社会的責任をもたされる。だからかわいいだけではまた悲惨なことになる。誰かが夫でもしっかりしていればいいが災難がったりすると責任をやはり負わされるからかわいいだけでは責任を負いきれなくなる。思慮分別のある女性はそんなにいないだろう。そういうものに若いときは価値を置かないからあとで失敗したとかなる。美人だとかかわいいとかいう価値も年とともに変わるのだ。美人はあきるというのも本当だろう。女性についてわからないにしてもネットなどで調べるとそんなものなのかと実感ではないにしろ理解できるものがある。

節分の鬼やらいの鬼だが最近鬼とは誰でもなりうる。何かの契機で人は鬼になる。ひどい犯罪にあったら必ずその人も復讐心に燃えて鬼となってゆく。非情な仕打ちを受けた人はまた非情な仕打ちをする鬼となる。虐待されたものは虐待する鬼となる。そういう鬼に自分はここ6年間責められてきたからこれは実感である。人間の心にこそ鬼が住み人間には天使にも悪魔にもなる。悪魔といっても外部にあるのではない、人間の心にあるのだ。一念三千の心が人間にはある。だからこそシェ-クスピアのような作品が生まれた。一人の人間があれだけの心をもっていたから書けたのである。人間は自分もだが鬼にも悪魔にもなりうる存在である。ただ自分の場合そういう契機がないだけだったのである。これだけ非情の仕打ちを受けたから自分は一時は鬼の心になったのである。ただその心も常に変化しているのだ。鬼の心から仏の心にもなるのが人間の不思議なのである。


ともかく今年は春になったらかなり活動できる。ただ介護は継続中だから一日の旅にも出れないのである。介護は今は本当に長くつづきすぎるのである。この時間のロスも大きいだろう。40代とかで介護になって仕事をやめたりした人がいるがそれは貴重な時間のロスなのだ。ロスが大きすぎるのだ。自分の場合は60才まで自由に旅したのだからあきらめられるが他の人はあきらめきれないのである。

 
 

2013年02月04日

故郷や家が意味するもの (故郷を喪失することは記憶が喪失すること)


故郷や家が意味するもの

(故郷を喪失することは記憶が喪失すること)


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原発事故では様々な信じられないことが起こった。故郷に住めなくなる、故郷がなくなる、喪失するということも信じられないし想像すらできなかった。そして今もみんな自問自答している。この辺は故郷は住み続けられのとか住むべきなのかとか問われている。それはやはり前のように前向きに故郷に住むという条件が失われたからである。だから現実にに若い人は新し生活の場を求めて流出した。

でも老人は簡単に離れられない、それはなぜなのか?土地をもち家があり墓があり長い間住んで場所だからそこには記憶が刻印された場所だからである。家でもやはりすでに40年間くらい住むとそこが濃密な記憶の場所となり例え家族が死んでも家には霊となり住んで離れないということを実感した。それぞれの家は違ったものであるが家には死んだ人も離れず住んでいる。これは理屈ではない、実感なのである。自分は二つの家に住んだ。一つは昔の古い家でありもう一つは築40年になる新しい家である。前の古い家はただ記憶としてしかないがその家がなくなってもその家があったときから住んでいた家族がいたから記憶がその家族を通じて継続している。自分の記憶は60年間一緒に住んだ姉と結びついている。普通の家族ではないにしろ結果的にそうなったのである。それが悪いとかいいとかを言うのではなく結果的にそういう家だったということである。


この家はやはりつくづく男勝りの父親代わりの姉の家だった。結果的にそうなっていたのである。だから姉が主の家だった。姉は二階の八畳間に寝起きしていた。そこに自分が寝るようになったときそこに確かに姉がいた。姉がいたというとき姉は子供のときから一緒の家でありそこから継続して一緒に暮らし今は死んでいない、墓に納まったが姉はやはり家にいる。父は子供のとき死んだから古い家にいたのでいる気がしない、姉は父が死んでからもさらに50年近く一緒にいたのである。そのことは他人には理解しがたいにしろそういう時間の長さがもはや消えない記憶として定着していたということである。これは別に老夫婦でも40年くらい一緒に同じ家に住んだら片方が死んでもその人は同じ家に住んでいる感覚になるだろう。家は記憶を保持する形なのである。


家は時間のかたちである


家そのものは記憶である。


家には家霊が住む


特に家は女性なのである。嫁というとき女+家であり女性は家と一体化する。家は女性の子宮のようなものであり男性はその子宮から生まれ育てられ家と一体化してゆく。ただ男はこの家と化した女性から脱出するのも宿命としてある。この家にとらわれると創造的生き方はできないというのも真実だろう。家は女性であり母性であり女性により安らぎを与える場なのである。そして記憶が保持される場所なのである。そこには愛があり愛につつまれているのだ。だから女性は特に家から離れたくない、男もそうだが家で死にたいというときそれは人間の本能的な感情であり理屈ではない、家はまた時間を継続する場所でもある。だから家族が死んでも家族はなお家と共に生きているのだ。だから家がなくなるときこの辺では家が壊されて更地になったところが結構ある。その家は喪失して記憶も失われとなる。もし住んでいれば記憶の継続があるが家がなくなりそこに住む人もどこに行ったかわからない、その家の記憶は失われたのである。ただ街中の墓地に墓が残っていた。それで墓にはその家が故郷にあったことを知った。でもそれは無縁仏のように隠されたようにあった。その家があったことを記憶している人はまれだろう。たまたま近くにあったので自分は記憶していたのである。


人間のアイディンティティは空間軸と時間軸で形成される。旅だと空間軸の記憶であり時間軸で記憶されたものを知ることがむずかしい。同じ道でも何度もそこを通り時間の中で空間も記憶されてゆく、一回くらい通っても記憶されないのである。そういう濃密な時間軸と合体して記憶された場所が故郷でありその中心に家があるのだ。だから故郷から離れ家から離れ仮設住宅に住んだりするとそうした記憶がただ頭の中だけになる。場所と結びつかなくなるのだ。記憶は場所と結びついて強固なものとなるのだ。そして記憶を失うことは人間の存在基盤であるアイディンティティを失うことなのだ。だから認知症のようにその人は生きながら死んだとさえなる。認知症になると空間認識ができなくなり迷うのとにている。そこがどこで何なのかすらわからない、自分の生まれ育った場所すらからなくなる。その地名すら言えなくなる。そして「ここはどこですか」「あなたはだれですか」となる。それは故郷でもそうであり息子娘の名前すらわからなくなる。顔を見てもわからなくなる。そうなればすでにその人は死んだと同じではないか?記憶を失うことは死と同じである。生きるアイディンティティをすべて失ったということである。


空間軸で考えると故郷も相馬藩の一村から相馬藩全体としての時間軸があり空間軸がある。歴史的空間と時間軸がありアイディンティティは形成されている。大和というとき奈良を中心に場所に密接結びついて形成されたものである。万葉集は必ず場所と地名と結びついて歌われたのが多いのはそのためである。ヤマトというのは一地域の名であり狭い範囲だったのである。それは日本を現すものとなった。人間が生きるというとき空間軸と時間軸で人生を形成する。それは記憶として継続保存される。だから一人の人間が死んでもその記憶は継続されることに人間が歴史を形成する唯一の動物だとなる。つまり記憶を失うとき人間は人間でなくなる。動物的生であり継続されるものは何もない、動物には過去がないからだ。だから人間はそうして長い時間で継続してきたアイディンティティの場所を簡単に離れて住めるものなのだろうかという疑問がある。もちろん別に新たな場所でアイディンティティを見いだすことがある。でもそのためには時間が必要であり老人にはもはやその時間ないから長く住んだ所から移り住むということはむずかしいのである。

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2013年02月05日

冬の雁(東風はまだ吹かない)

 

冬の雁(東風はまだ吹かない)

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写真はここに
http://www3.famille.ne.jp/~ochi/izunuma/magan-3.html


朝明けぬ残月光り冬の雁


北風の家に唸りて姉建てし家を我が継ぎ八畳間に寝る


夕べから北風がまた唸り吹いて寒かった。久しぶりに朝早く起きた。朝日に赤く雲が染められていた。そして外に出ると残月がこうこうと光っていた。残月はあまりこんなに光っているのを見ない、
月の様子も常に変わっている。自然はいつも同じではない、自然は飽きないようにできている。
その美は千変万化なのである。その時一群の雁が東に向かって飛んだ。寒いから空気が澄んで気持ちよかった。本当に自然は美しい、人間は汚い、田舎の人間も汚い、ただ自然があるとき心も清められるのである。人間の生活を隠せと詩人が言ったときまさに人間の生活が自然に隠されていたときまさに自然のみが映えていたとき美しかったのである。大都会に人間の生活がむきだしになり醜さでおおわれている。あういうところに良く住めるものである。ということは人間は美の感覚に麻痺してしまっているとしかいいようがない、もし美の感覚があればギリシャのように自然との調和を計っていたからである。

北風でもあたたかい北風だと春北風(はるきた)となる。これもまたすでに何日か前に吹いた。立春を過ぎても東北はまだ冬である。この風の感覚はその土地に長く住まないとわからない、風は極めて風土を感じさせるものなのだ。風と土ということでまさにここに風があるのだ。風はその土地でしか感じられないのだがなかなか旅ではこの風はわかりにくい、一年の内でどういう風が吹くかわかりにくいのだ。冬の間は浜通りは北風であり山から吹いてくる。ただ春になると東風(こち)が吹いてくる。この風が吹いてくるとき春がきたと思い何か遠くへ旅したくなるのだ。
 

東風(こち)について

 もともと季節に関わらない、東からの風である。例えば『万葉集』には、萩を散らず秋の「朝東風」(巻十)が詠まれている。


「匂ひきや
    都の花は東路(あずまじ)に
       東風の返しの風につけしは」
      (『後拾遺集』雑五・源兼俊母)(かねとしのはは) 


東国に暮らす姉妹の康資王母へ(やすすけおうのはは)の手紙に、都の花の香が届いたかと思いやった。東風の返し=西風。
 
 太宰府への配流を前に菅原道真が自邸の梅に詠みかけた超有名な和歌がある。


万葉集に萩を散らず秋の「朝東風」とあるのは秋に東風が奈良で吹いていた。別に春に吹く風ではなかった。東から吹いてくる風が東風(こち)だった。ただ東風は春に吹きやすい風である。


東風の返しの風につけしは・・・この表現は面白い、春に東風が東路に吹いてくる。都の花の香りをのせて吹いてくる。東風の返し=西風 みちのくから西風にのり手紙の返しがあるというのもすでにいかにみちのくでも京都と都と交流が深くなっていたのである。

今年は西の栄という新年の俳句連作を作ったし前にも桜についてかなり書いた。インタ-ネットで便利なのは東風(こち)というキ-ワ-ドから全国的に知識を広く展開してゆけることである。ええ、こんな短歌があったのかと発見がある。


「東風(こち)吹かば
    匂(にお)ひおこせよ梅の花
       あるじなしとて春を忘るな」       
          (菅原道真『拾遺集』雑春)

これが一番有名だけどこの辺では原発事故で避難して家が空になった。町村自体も人が住んでいない、ただ家が残されているしやはり庭に梅の木があり花が咲く・・ということはこの歌と同じである。そしてこの東風(こち)は災いの風だった。ちょうど3月11日の事故の日に吹いたために飯館村が大きな被害にあったのだ。風が災いしたのである。
 

抽象画(spring colours)



抽象画(spring colours)

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spring city

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springcolourssss333.jpg

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spring flower

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抽象画はきまぐれであり計画的にはできない
ただパソコンで無邪気に子供のように遊ぶときできる
ただ大人だからそれらしい名前を与えるのである
これはソフトの遊びなのである


2013年02月06日

抽象画(春の地球の色合い)




抽象画(春の地球の色合い)

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spring colours

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street colours

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spring palace

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地球の多様な色合い

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大地の褶曲

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地震の巣


それらしい名前をつけたけど抽象画は謎である
これって何だろうとなる
やはり芸術の一つだろう
パソコンから生まれた新しい芸術の一つだろう
作っている方もわからないのである

2013年02月07日

森の風倒木(雪はふるかな-詩とエッセイ)


森の風倒木(雪はふるかな-詩とエッセイ)

山鳩の里に飛び来るイヌフグリ
この家や椿の赤く残る雪


雪ふりしあとに松風寥々と鳴りつつ雲の流れゆくかな

雪の上に小鳥おりきて歩むかなこの道行くは我が一人かも

taoregiii111.jpg

 森の風倒木


風倒木が森に一本
この道にいつも倒れたまま
北風が唸り吹き
今日もこの木を見る
この風倒木は死んでいるのだろうか
寝ているけど97の母はまだ生きている
そのようににまだ死んでいない
ここにある限り死んではいない
今日はまた昨日ふった雪が残っている
風倒木はもの言わず倒れたまま
ここにありてその存在を示す
やがてこの倒木も森に朽ちて
森の土となるのだろう
そうなるまでもまた長い年月
故郷のこの道をまた通りて
この風倒木を我が見つつげる
時間の継続で生き続けるもの
近くに墓所があり墓もそうだろう
故郷にはそうした継続がある
存在の継続がある
それがたたれたとき
存在する場を失ったとき
人は記憶からも消えて
存在の証も残せず
人の心の中からも全く消えてしまう
・・・・・・




昨日は雪だった。一日雪だった。この辺では長く雪がふることはない、夕暮れまでその雪をながめていた。その雪に浄められた。

snowpoem111122222.jpg

   ゆきはふるかな

うつくしくきよらかにゆきはふるかな
おやみなくゆきはふるかな
ひとひゆきはふりつつゆうぐれぬ
なべてをかくすゆきはふりつむ
ゆきぐにのいえはふりにふゆごもる
そのひはながくもゆきはふるかな
よのみだれとけがれとつみを
うらみとにくしみもよのならひ
いやしきものをつつみかくして
そをつつみかくしゆきはふるかな
しんしんとよふけてなおもゆきはふるかな
ひとのよもいつしかおわらむ
ああ きたなきよよ うつくしきゆきよ
このよにうまれなみだはつきじ
なべておいてはかなしきものとなれ
よふけてなおもゆきはふるかな

 


この辺では雪はまずなかなか鑑賞できない、消えやすいからだ。一日雪ふる日はまれである。でも考えると会津や新潟で毎日雪がふっている。このように雪を見ているのだ。雪はやっかいなものでもたまにふれば雪はきれいだな、心も清められてゆく、雪国ではそうはみていないだろう。雪かきがまた大変だとなる。その感覚が結局すこに住んでみない限りわかちないものなのだ。
雪はただ外から鑑賞すると美しいなと思う。それも事実でありまたそこに暮らすものにとってはやっかいなものである。冬の間この雪に閉ざされている感覚が実感しにくい、福島県でも浜通りと会津ではまるで気質の違ったものになる。山もそうだが雪の感覚もわかりにくい、日本海側もそうである。この雪を理解しないかぎりまたその土地を理解できないのである。
浜通りは常に海を見ていた。海の幸もあった。今回津浪に襲われて大被害を出した。これもまた海に面して住むものの宿命だったのである。それは雪ともに暮らす他ない会津とか新潟とか日本海側の生活と同じである。自然はそれぞれに違った恵みと苦難を与えるのである。それが自然なのである。


ただ自然と共に生きるということは森の倒木の詩のようにやはり自然の中に人間の存在価値が生まれ美しいもののなかに生死がある。都会とはそうこが違っているのだ。この倒木はまた人間にも見えるのだ。この倒木はやがて土となり森に還る、それまでに長い年月がかかる。そういう長い時間の中で命は見つめられ生きて死ぬのである。自然の中に生きることは厳しいことだけどまたそこにはいつも美があり人間もその中にとけこむのである。人間の生の意味も自然によって意味づけられ価値づけられるのである。田舎でいきるということはそういう存在価値を自ずともつのである。大都会のビルの谷間で死ぬのとは違っている。だから自然の中でかけがえのない命を生きると都会から農業をして
極貧の中に山尾三省は死んだのである。こういう意識をもって生きている人は田舎にもいない、だからこそ原発の金に群がり放射能に故郷は汚染されて住めなくなったのである。

もちろん現代では農業とか漁業だけでは生きられない、ただ何か田舎でも自然を深く意識して生きている人が少ないのである。ただ美的にだけ生きられかともなるが自然の価値がどういうものか意識していない、だから安易に原発でも誘致して金になるのを目指したのは反省する必要があるのだが
田舎に住んでいてもそういう意識で住んでいる人は少ない、自然の中に無意識に住んでいる。
でも原発事故はそういうことを見直す契機となったのである。その自然でも台無しにして住めなくさえなったことは何を意味しているのか?それはすべての価値を失うことに通じていなかったか?
そういう反省を強いられたのである。


詩集の部を作った、百篇の詩をすでに書いている。外国を旅した詩なども書いた。結局三つのプログを書き続けることはむずかしかった。管理することもむずかしい。我ながら人生の最後を迎えいい詩ができる。総決算としてできる。これも不思議である。自分は故郷の自然と共に生きた。それを基にして詩も作った。故郷という自然がないと外国に行ってもまたその意味がわからない、故郷と外国と何の関係があるのかとなるが自然ということでは共通性があったのだ。自然の感覚をみがく場所がないなら芸術もありえないのだ。それは日々そうでありそこから世界的な視野まで広げるのである。
都会では自然への感受性をみがくことができないのである。だから都会から天才も芸術家も出にくいのである。ヨ-ロッパでも天才や芸術家が生まれたの自然の豊かな地方都市だった。自然を離れて人間は本当の価値を見いだせないのである。

2013年02月08日

良い姿勢も生活習慣で作られる (人を見るとき姿勢が大事なのはなぜ!)


良い姿勢も生活習慣で作られる

(人を見るとき姿勢が大事なのはなぜ!)

姿勢というとき言葉をはればまさに姿の勢いなのである。その姿に勢いがあるかどうかが姿勢なのである。living attitude なのである。


figuratioを遡ると、「姿」「形」の意のfigura(フィグーラ)や、「つくり上げる」の動詞fingere(フィンゲレ)になり、同じ語源では英語のfigure(フィギュア)があります。
このfigureの概念は、ギリシア語で「形」を意味するschema(スケーマ)の翻訳語ともされていますが、このschemaから来ているのが英語のscheme(スキーム)で、「企画」「枠組み」などで訳されています。


figureにはいろいろ意味があってももともとは形にすることであり解決するということはfigure outである。

人間を見るときまず顔を見るということがある。顔も大事なのだが実際体全体が大事であり姿勢が大事なことがわかった。姿勢がいい人は見ていて気持ちいいのだ。なぜ老人が醜く見えるのか?
顔も肌も老いて醜くなるのだが姿勢が悪い人が多いからではないか、それは肉体的衰えもあるが姿勢から精神が歪んでいる感じも受けるからだろう。回りを見回しても60代くらいになると姿勢が悪くなる人が多い、体型も悪くなり歪んでくる。自分も痩せ型なのに腹がでていたりする。どうしても年とともにそういう人が多くなってくることが印象を悪くしているのだ。


美人の要件として姿勢がいい、スタイルがいいことである。顔よりスタイルが大事だという人もいる。人間は体全体から何かを発している。同級生で背の高い人だったがせむしのようになっていたのには驚いた。あの人は表に出れないだろう。人に見られないように家にひきこもっている他ないだろう。ある人はぶよぶよに太っている。ある人は脚が曲がったように見える。ある人は体が太鼓腹であり脚が短く体型自体が生まれつき悪いのだろう。それに加えて心も曲がっているから体と心が一致してしまった。ダンテの地獄編では体が変形した人が良くでてくるけど悪しき心が変形して歪んだ体となったのである。ただ若い内はたいがい体に生気があふれ姿勢がいいから若い人と接することは老人に接するより気持ちいいのである。若い人はまだ世の汚れにもそまっていないから気持ちいい人が多い。若い人のすべてがそうでないにしろ一般的にはそうである。
姿勢はそもそも生まれつきではなく作られるのである。人間なんでも生まれつきだと思っているけど違う。双子がいたけど筋骨隆々になったのは重量挙げをしていたからみたいだ。双子でも全然違った体型になってしまったのだ。その後訓練で双子でもまるで違ったものになっている。その生活習慣でもそうである。人間を決めるのは生活習慣だというのも本当である。もちろん生来のものもある。

自分の場合、体も弱く心も弱く能力もまるでなかった。でも結局長い人生で生活習慣でなんとかさほど病気もせずにここまで生きられた。体力的にも知的にも優れた人はいる。若いときスポ-ツができて知的能力も高い人がいる。高校生のときから柔道ができるとか体力がある人がいる。そういう人を見ているとうらやましいとなる。知的に勉強できる人は体力がないように見えるからだ。でも実際は勉強もできて体力もある人がいる。そういう人はやはり社会的に上のクラスに自ずとつく。やっぱり人間は頭脳が大事だといっても体力もその基礎にある。芸術だと本当は体力がないと巨大な芸術家にも哲学者にもなれないだろう。なぜならこの大自然を詩にするにしろそれ相応の体力かないと健康でないととても詩にできない。だから巨大な芸術家は超弩級の体力かあった。牛という詩を作った高村光太郎、その体自体が牛のようにさえ見える。頑丈な体だったのである。彼は彫刻家でも彫刻家は頑丈な体の人が多いかもしれない、それはかなりの肉体労働になるからだ。牛になるきるには牛のような体力が必要だとなる。虎の詩を書いたブレ-クも異常な体力の持ち主だった。天才はそういう人が多い、上野霄里氏とかニ-チェもそうである。体力がなければあれだけのものも書けないのである。


一般的に詩人薄命だとかいうように詩人には柔弱な人が多い、自分もその一人である。ただ人間の不思議そうした柔弱でも生活習慣でそれなりの体力を身につけることができるのだ。もちろんそれには限界があるにしろ生活習慣でできる。酒を飲まないとかタバコを吸わないとか日頃運動しているとかはできるのだ。現代の生活は昔のように第一次産業に従事する人が少ない、工場とか会社のデスクワ-クとか不健康なのが多いから姿勢も悪くなるし人間に生気がなくなるということがある。人間の姿勢は一生の間で作られるのだ。奇妙な話だけど自分の場合は常に自転車にのっていたから自転車に乗る姿勢になっていた。自転車は極めて自然を感じるものである。風を必ず受ける、風に向かって走るのである。そうすると風に向かう姿勢になるのだ。車はそういうことがない、自然をさえぎるからそうした姿勢になりにくいだろう。だから姿勢も長年の習慣で作られる。商売人でもしょっちゅうおじぎばかりしていたらそういう姿勢にならないだろうか?デスクワ-クの人はどうしても前かがみにならないだろうか?現代人の仕事はそういうのが多いから姿勢が悪い人が多いともなる。

高橋英吉の彫刻の漁師は潮風に向かって胸を反って立っている。あの姿勢は漁師だからこそあのようになる。漁師も常に潮風を受けて働いているからそうなる。高橋英吉も自らも漁船にのって遠洋航海で働いたというからそれだけの体力がありあれだけのものをあの若さで作ったのである。これも天才だったが戦争で死んでしまったのである。あの彫刻には広い海からの風を常に受け波の音を聞き常に海に向かっている男の姿を見事に形にしているのだ。日本ではヨ-ロッパのように人間を彫塑にする芸術があまりなかった。自然を立体的にとらえる力が不足していた。だから立体的な建築も発達しなかった。だから姿勢の芸術たる人間の彫刻力がなかった。


ともかく姿勢が生活習慣からつくられるというとき現代は生活習慣がその仕事上も悪いから悪い姿勢になる。職人でも自分が接した人はもともとすでに柔道しなくても柔道何段かの体力があるような人だった。見ているだけでうらやましくなった。職人でも体力かないとできない、それに加えて技術力やセンスもないと一流にはなれない、だから優れた職人も長年の生活習慣でその姿勢が作られる。だから昔は姿勢のいい人が多かったかもしれない、肉体労働がどうしても多かったからである。
一般的にスポ-ツできる人は姿勢がいい、武道をする人は姿勢がいい、背筋が伸びていい姿勢が作られる。だからもともと武道は姿勢を重んじていたのだ。姿勢が人間を作ると思っていたから姿勢を良くするものとして発達した。剣道でも柔道でも武道をする人は姿勢がいいのである。

ただ人間は生活習慣で作られる。生まれつきがあっても長年の生活習慣か人間を作る。病気も生活習慣からなるのが多いとしたとき健康も生活習慣によって作られるとなる。どうしても生まれつきが影響しても現代のように体力がなくても長生きができる時代なのは環境のためである。栄養もとれるし過重な労苦を強いられないということもある。自分の場合は生まれつき弱くてもそういう環境と生活習慣でこれまで生きられたとなるから恵まれていたとなる。昔だと無惨に才能があっても死んだ人が多いのである。まず自転車にのることが人生だったなどということは昔ならありえない、現代のような恵まれた時代からそんな人もありえたのである。ニ-トなどありえないのが昔である。


漁師の像


漁師は常に大海に向かって立つ
筋骨隆々として波がその体を洗う
波はその体全体に轟いている
直射日光が体に射しつけ
その眼は海のかなたを見つめ
遠方から来るもの望んでいる
胸は希望にふくらみ常に潮風を受けている
常に大海から吹いてくる風に向かって立つ
あたかも岩壁のように打ちつける波に向かって立つ
その姿は凛々しく自然が人間を造形したように
大海に向かって立ち波と光と風のなかに立つ


石巻-潮音-漁師の像が立っている
http://ishinomakinews.blogspot.jp/2012/11/hibi1120.html

 

2013年02月10日

津浪から二年過ぎようとして感想の短歌十首 (二年過ぎて現実感がひしひしと迫る)


津浪から二年過ぎようとして感想の短歌十首

(二年過ぎて現実感がひしひしと迫る)


一瞬に奪われる命いづこにや嘆けどなきや波の音ひびく

なお消えぬ傷痕深く津浪跡家しも建たず土台のみかな
形見にそ残れる松の凄まじく海に向き立ち海し離れじ
なお海に生きむとするや若者のよそより来つつ根ずかむとす
恐ろしき津浪にしあれその記憶大地に留め消えざりしかな
大いなる海の力を知らしめぬ傷跡消えじもなお生きるかな
鎮魂のいかにあるべし術もなく津浪の跡や二年過ぎなむ
一瞬に奪う命や何故に天も恨みぬいやさざりけり
一瞬に奪う命や短きに世は変わりゆく無常なるかな
地名より人の命の短きに世は変わりゆく無常なるかな
人の世の栄は一時消え失せぬ津浪の跡の寒の月かな


津浪というのはまず普通の感覚では想像しえないものであった。最初はこれは何なのだとか現実だと思えなかった。夢のように思えたのである。それはその後も長くつづいた。今でも何か現実に思えないところがあるのだ。津浪の恐怖は一瞬にしてすべてを失うということである。家も家族も失って土台しか残っていなかった。そんなことがありうるのかと別に家族を失った人でなくても現実のように思えないのである。津浪はだから普通の台風とかの災害とは違う。一瞬にして村や町自体すら消えてなくなるという恐怖だった。こんなことがありうるのかという恐怖が未だにある。
最初は津浪から原発事故が重なり本当に世の終わりが来たかと思い震撼とした。
ともかく原発事故で町ごと避難した人たちでもこれは何なのだという現実感をもつことがむずかしいのではないか?今でもそうではないか?そういう戸惑いのなかにまだあるのではないか?
そのことが復興へ向かわないものとなっている。何をどうしたらいいのかという明確な指針が得られないのである。


ただ二年過ぎようとして何か現実感がでてきた。三陸では他から来た若者が地元の人たちと一緒になり海産物屋で働きここに定住しようとしている放送があった。大工の人も関西から来て地元の人と結婚した。新たな段階に入って津浪の被害から現実的に厳しいが立ち向かうという姿が見えた。でも町自体が崩壊しているような状態で人も流出しているからこれからどうなってゆくのかかなり厳しい道のりになる。ただもう夢のようだとか言っていられない、現実を見据えて立ち向かわねばならない状態になってきている。

津浪で死んだ人の鎮魂ということも一瞬にしてこれだけの人たちが死んだということが何なのか?
どう対処していいのかわからないのだ。それは家族の一人が死んだとか一家族の問題でもない。
神を恨むとか天を恨むとか言っていた人もいるけどその気持ちもわかる。一瞬にして無惨にこれだけの人の命も財産も奪うということがあまりにも無情、非情だったのである。
そして人間の命は地名より実にはかない、地名でも千年とか前からあるものが普通にある。
人間で何か残るかとなると名前すら残らない、名前が一行でも残っているのはいい方である。その名前しかわからないのが無数にある。その名前をいちいち気にしてその人を考える人もないのだ。
地名はその土地に長く記されているから人間より寿命がはるかに長いとなる。


そして明かに大地に津浪の痕は刻まれていた。地層に残されていたのだ。400年に一回しか来ない津浪でも地史的に見ればそれは規則的なものであり大地に記される。最近貞観津浪でも慶長津浪でも地層を調べてその痕が大地の残されていたのだ。そのことを東電に忠告しても聞く耳をもたずだった。相馬でもその地層が発見されていて自分も時事問題の深層に書いていた。これは実はもっと注目すべきことだったのである。本当に相馬でも奥まで津浪がきていてその痕跡が発見されていた。
それを大々的にとりあげる人もいないし考える人もいなかった。
仙台の不動産業者が海の方に開発した宅地などの価値が下がると津浪のことを警告していた学者を脅迫していた。この体質は東電と同じだった。ただみな利益だけをがむしゃらに求めて他は見えなくなっいた。そのことはみんながそうであり400年前のことなどもちだすな、まして千年前のことなどもちだすなとかなっていた。それは人間の奢りだった。


今回はそうした人間の奢りが打ち砕かれたのだ。津浪の防波堤にしてもあれだけ高くしたから安全だというのが奢りだったのである。自然の力は人間の知を越えていることをまざまざと見せつけられたのである。自然は人間の力で計ることはできない、計られるているのは人間の方だったのである。神の力は計ることはできない、人間は計られている存在なのである。科学がこれだけ発達したから科学者の奢りもあった。原発事故でも百万年に一回しか事故は起こらないと真面目に言っていた。これも科学者の奢りだった。科学者は神の力を手に入れたようにおごるようになっていた。今一番崇められているのが科学者であり医者とかでありその人たちはやはり何か奢りがあった。謙虚さを失っていた。人間で一番恐ろしいのは奢りである。それが人間自体もこの世自体も滅ぼすのである。

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2013年02月11日

原町中央産婦人科医院長の高橋亨平(たかはし・きょうへい)さんは死去 (ミッションと言って死ぬ者があり一方ではパチンコで遊ぶだけの人の矛盾)


原町中央産婦人科医院長の高橋亨平(たかはし・きょうへい)さんは死去

(ミッションと言って死ぬ者があり一方ではパチンコで遊ぶだけの人の矛盾)

ミッションを果たして死にぬ後たのむ人こそありて見守りけるかな


原町の中央産婦人科の先生が死んだ。癌になっても診療していた。子供が南相馬市の未来を作るんだ、子供が大事なんだ、南相馬市で子供を生んで育ってくれと言ってここで産む人が増えた。
それだけここで長いから思い入れがあった。南相馬市病院の医者はやめた人が多い。勤務医でありその土地に思い入れがないこともあった。別にこの土地で生まれ育った看護師でも流出しているからいちがいにはここで生まれて育ったからといってここで尽くさねばならないとか思っていない。

ただこんな事態になってミッションだと使命感をもったのはやはり土着的になっていたからだろう。勤務医だと変わりやすいことがあり別な場所に移ることに抵抗がない、看護師でも実はどこでも就職できる職業だから移ることは容易なのである。一時産業が主だったときはその土地と密着しているから移りにくいのである。職業も土着的になるとその土地や市町村に思い入れができる。

つまり南相馬市全体を視野にして尽くすという土着性が生まれる。南相馬市は以前として医師や看護師が不足している。南相馬市と相馬市では差がある。南相馬市立病院の半分は閉鎖しているし機能していないのは痛い。建物が立派でもそこで働く人がいないと機能しないのである。

今回の津浪や原発事故ではいろいろなことが問題になった。現代の問題が凝縮してこの地に起こったのである。まず医者でも普通の状態だったら特別にミッションとか意識しない、でも何か南相馬市の存亡の危機という状態で危機の中でミッションが意識された。市町村が存亡の危機にされされたのがこの辺だったのである。その中で医療が機能しなくなるとき現代では住めなくなるということである。現代では手厚い医療があるから長生きできる。医療が機能しなくなれば長生きはできない、早く死ぬことになる。医療が崩壊すると市町村も崩壊するという危機であり恐怖だったのである。

昔だったら医療よりまず食糧だった。相馬藩でも飢饉があり三分の一に人口が減った。それで他藩から人を入れて立ち直った。越中の移民の墓は実に多いからだ。今回は食糧に困ることはない、かえって贅沢している人がいる。一番困ったのは医療だったのである。

一方で逆に補償金をもらってパチンコ三昧ということで他から批判されることにもなった。小高でも働くと小高に帰ると補償金がもらえないと仮設を出る気持ちがなくなった。それで外部から来た人が働いて働かない内部の人と喧嘩になった。パチンコ屋で遊びパチンコ屋に勤め人手がたりないと働いているのは変である。そんなところで人手がたりないというより他でも人手がたりないのである。
介護施設でも人手がたりない、ス-パ-でも人手がたりない、募集しても人が来ない、働かない人がいなくなることは市町村が維持できなくなる。介護施設でも二つも新しく建てるとして介護士などが確保できない、病院でもそうだが立派な建物があっても人がいなければ機能しないことがわかった。

だけど実際は食糧はあるからそんなに危機感がない、そうでなければ毎日パチンコなどできないだろう。そういう矛盾がこの辺にはある。だから内部で別に協力し合うということもあまりない。食糧が供給されればそんなに助け合うということも必要がないからだ。体育館に避難してたときは不自由ななかで協力しあったが仮設では個々別々になり協力することもないのである。


ただこのへんは以前として異常事態なのである。普通の状態のようにには考えられないし生活できない。産婦人科医の先生がミッションだという特別の意識をもって最後仕事したのはそのためだったのである。南相馬市存亡の危機でガンになっても働いていたのである。一方で毎日パチンコ屋通い遊んでいる人たちとの対照がある。その差があまりにも大きいのである。別に補償金もらって暮らしていれば南相馬市存亡の危機などと考えなくてもいいのかもしれない、このまま補償金もらって暮らしていればいいとか思っている人もいる。老人が多いからそうなる。そのことで税金泥棒とか外部から批判される。結局食糧でも自給していればそうはならない、税金で補償されて外部から買うにしてもそれは補償された金であるから税金泥棒とか批判される。だから人間がすべて金だけでは解決できないのである。多額の補償金をもらって豪邸を建てたら回りの人はどうおもうだろうか?別に普通だったら金があるからいいじゃないかとなるが避難民なのにそうなっていることが矛盾しているのだ。

世界中の難民など食うや食わずであり悲惨な状態に置かれるのが普通である。原発難民は町長とかは家を建てマンションに移り住んでいる。結局難民は補償金をもらうために市町村が維持されているのだ。これは沖縄とにているという。沖縄の土地所有者は金持ちでありその金で東京に住んでいるという。それで沖縄も税金泥棒とか批判される。何かこの辺も沖縄とにてきて嫌われるものとなったのだ。ただ内部にいればあまり意識しないだろう。東京で車が傷つけられて直すのに十何万かかったという話しを聞けば相当な批判が外部にあることを意識するのである。

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2013年02月12日

世界に起きている危機と連動している原発問題 (減らす、制限する思想がない現代文明に落とし穴)


世界に起きている危機と連動している原発問題

(減らす、制限する思想がない現代文明に落とし穴)

「マリ北部の子どもたちにとって、大惨事は、もはや“迫っている”ものではありません。今、既にそこで起きているのです。」 ユニセフ・マリ事務所のフレデリック・シザレート副代表は、次のように続けます。「あまりに多くの子どもたちが栄養不良に陥り、避難を強いられています。多くの子どもたちが学校に通っていません。そして現在、深刻な子どもの権利侵害行為が行われているという信憑性の高い報告も寄せられています」

ユニセフの調べでは、マリ北部から避難を余儀なくされたのは、これまでに30万人以上。その半数が子どもたちです。こうした人々は、現在、マリ国内の他の地域や、近隣諸国で避難生活を強いられています。
http://www.unicef.or.jp/kinkyu/africa_drought/2012_0510.htm


013年に入って以来、中国各地では深刻な大気汚染が観測されている。一般市民の不安も募り、薬局ではマスクが売り切れるなど騒ぎが広がっている。中国工程院の鐘南山(ジョン・ナンシャン)院士は中国中央電視台(CCTV)に出演し、中国の大気汚染は2003年の新型肺炎(SARS)以上に恐ろしい、誰も逃れることはできないと警告した。

 鐘院士によると、北京市の肺がん患者数は過去10年間で60%増加した。この背景の一つとして大気汚染があるという。また、喉頭炎や鼻炎、目の疾患の要因にもなっているほか、今後はより重大な健康被害が出現するだろうとコメントした。
ソース:http://news.livedoor.com/article/detail/7374325/


アルジェリアのテロの背景には極端な貧困があった。今回のテロリストが集結していた地帯だった。そこには欧米や日本などに対する根強い不満があった。自分達の富である石油だけがもっていかれるという不満である。石油の精製技術がないのでその富を自分たちのものにできない不満があった。
信じられない貧困があり飢饉状態にもありそこはあまり注目されていない、突然日本人が10人もテロリストに殺されたことで憤りが生まれたが実際その背景をみるとどうにもならない飢饉状態のような貧困があった。そこからテロも必然的に生まれる背景があった。宗教とは必ずしも関係していない、そういう不満が宗教を起爆剤としてテロになっているのだ。そういう貧困がなくなればテロもなくなるのだから明かにテロの原因は宗教ではなく貧困なのである。飢饉となればすでに生か死に追い詰められているのだから自爆テロまでやる。人間は余程追い詰められなければそこまではしない、日本の特攻隊だってそうだった。もう生きるか死ぬかのギリギリでしかそんな無謀なことはしない。


最近北京などからのPM2・5の大気汚染で騒いだ。これも放射能と同じで恐いなと思った。中国はどこでも空気が悪く喉がいたくなるのだ。あれを経験した人は中国に住みたくないとなる。その原因はまた工業化とか高度成長のためだった。中国は水も汚いしどろどろしているし空気も汚染されている。日本のように小さい国でないからそういう汚染に無頓着なところがある。文明はどこでも限界にきているように思う。経済発展だけを目指せばこのように汚染がひどくなる。原発でもエネルギ-を作るために無理した結果である。これ以上経済発展だとか便利さを追求することに無理がきている。何か地球環境の面からも限界にきている。人口も日本では増えないにしても世界では増えるし限界に達すると言われる。どこかで歯止めが必要でありそのために津浪のような大災害が起きて人口を減少さすとか文明の自壊作用が起きてくるかもしれない、核兵器ももはや戦争するというより核自体で滅びるということになるように何か科学技術や経済発展、便利さの追求に限界がきている。それはすでに世界全体でも大気汚染やら環境破壊やら核戦争の恐怖とか文明自体を滅ぼすような圧力になっている。


前も書いてきたけど増やすという思想はあっても減らすという思想は現代の文明にはない、制限する思想もない、無限に豊さと便利さとを追求してゆく、そこに大きな落とし穴が待っていた。原発でも石油を使用するにも無理があるから問題が起きる。それだけ文明は過剰なエネルギ-を使いすぎるのである。もちろん電気をなくせとか使うなとかは言えないけどまず少しでも減らすこともできないのである。原発の電気分をなんとか工夫すれば減らすこと増やすことをしないことができたかもしれない、しかし真剣にそういうことを実行されない。原発は危険でも文明には電気は不可欠だから無理をするのである。


またグロ-バル化というのも何か不自然なのである。原発にしても技術的にアメリカから最初にマ-ク1の古い原子炉ではじめた。こも危険なものだった。次に国産化した原発は今回は事故がまねがれていた。グロ-バル化して安易に何でも技術をとり入れるとそこにはリスクがあった。地震や津浪が多い日本では向いているものではなかった。そういう風土性も考慮されていなかった。技術でもどこまでも可能性があり追求される。もうこの辺でやめておいた方がいいとかにはならない、そこに危険性がひそんでいる。科学技術も思わぬ落とし穴がありその危険性については事前にわからないものが多いのだ。最新鋭機「ボーイング787」の故障もリチウムイオンの電池を使っていてそこにフランスとかアメリカとか日本が技術提携してできたグロ-バル化の協力で作ったものであった。その国が違うことで不具合があったらしい、原因はわからないにしろそれぞれの国の提携がうまくいかなかったこともある。原因はわからないという。グロ-バル化はそうしたリスクが常にともなっている。相馬市にその飛行機の部品の製造工場があったことも知った。アルジェリアのテロではそこに実際に働いていた人と旅で出会った。世界も身近になっているのも確かである。

食品でも外国から輸入されるのは特に中国のは危険だと盛んに言われている。食品くらいは自国産のがいいと思う。グロ-バル化とはすべて地球環境からするといいものではない、それぞれの風土にマッチして作られた文化や文明を破壊する。現代のグロ-バル化を推進しているのはほんの一部の投資家でありその人たちだけが莫大な世界の富を独り占めして他はマリのように飢饉状態になっている所もある。格差が世界的に拡大するのだ。


より広くより早くより便利に・・・こういう思想ではなくより狭くより効率的にただ便利ではなく人間的なスケ-ル(ヒュ-マンサイズ)の落ち着いた生活の志向とかの思想に転換する。それは江戸時代にあった。そこには狭くても効率的にリサイクルで環境を破壊しないものにする思想があった。スピ-ドを制限するために乗り物も制限されていた不思議もあった。食糧まで外国から運ぶこと自体エネルギ-の無駄であり効率的ではない、遠くから運ぶことは何でも相当なエネルギ-の浪費なのである。人間社会には何か減らすとか制限する思想がないのだ。ギリシャでは回りの環境と調和するために大きな建物、神殿は建てていない、その技術力があってもあえて自然と調和するコスモスを目指したためにあえてそうしたのである。そこにギリシャがただ技術力を使うというのではない明確な思想に基づいて技術を使っていたのである。それが現代文明には無限にただ拡大化して発展することが是とされるのである。そこに危険な落とし穴が待っていたのである。

 
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2013年02月13日

補償金でもめる原発難民 (原発難民として特権化したのは沖縄と同じ)


補償金でもめる原発難民

(原発難民として特権化したのは沖縄と同じ)
 
  ●補償金の額が多すぎる
 
  避難生活などで働けなければ、給料分も東電から補償される。このため、月給30万円で5人家族なら、1人10万円ほどの賠償金と合わせ、月80万円ほども支払われることになる。この収入で、寿司を食べたり、スマホに買い替えたり、パチンコに行ったりしている被災者も一部でいるとしている。
   被災者個人ばかりでなく、企業も賠償金をあてにできるため、工場などを再開しようとしないという。マネー流入により、いわき市では、賠償金や義援金などの銀行預金も大幅に増えたとしている。
  
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7460365.html
  
   飲み屋に入ってくるなり、そこに居る女の子たちに1万円札をばらまいた、だの、パチンコ屋は終日満杯だの、という現象が起こっている。使い切れない金は、物騒だからとりあえずの貯蓄として銀行に入れる。例えば福島県地銀最大手の東邦銀行の昨年9月末時点で、個人預金残高は前年比約2400億円も膨張した
  
    最初は昨年5月、被災10県220自治体で、失業給付期限を延長した。再び期限が来ると、昨年10月、岩手・宮城・福島3県の沿岸部で、さらに3カ月延長した。
 今年になってそれも切れ始め、多くが生活保護に雪崩れ込んでいる。
 その間に、すっかり働く意欲を失ってしまったのだ。ハローワークで紹介されるのは、安い時給のパートなどで、失業給付の方が良かったからだ。だからこの時も、地場のパチンコ屋と繁華街が大賑わいした。この人たちには、他に保険金、義援金が入ったからだ。
  
http://ameblo.jp/kawai-n1/entry-11206796877.html
  
   「例えば漁師なら、原発事故の影響で漁に出られない分、漁船の油代がかからない。結果として、可処分所得が大幅に増えたという家庭が少なくないと聞いています」(被災地のカマボコ工場で働いていた主婦)

 福島県漁業協同組合連合会には、原発事故後、東電から過去5年間の漁獲実績により、今年1月までに約76億円の補償金が出ている。これは各漁民に割り当てられ、金額は月に百数十万円に上るケースもあるという。
http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_94134
  
●被害者特権化した原発難民  
  
 補償金が一人十万だけではない、働いていた人や土地をもっていた人はその分ももらっている。これでは働く意欲もなくなる。最低賃金の収入より生活保護がいいという心理と同じである。生活保護で興味深かったのは生活保護をもらうことは世間的には評判を落とす、回りからやっかいな人たちとみられる。それが嫌で苦しくても生活保護を受けない人がいる。それが歯止めになっているという。ところが原発避難者はそういう世間からの眼を逃れるものがある。その正当性をあえて公然と主張できるものがあることなのだ。「俺たちは国や東電のために故郷を失った、被害者なのだ、好きでなったわけじゃないだぜ、金をもらっても当然だよ、何にも悪いことねえんだよ、当然の権利だよ」こう居直ることができる。被害者特権が生まれたのである。これを言われれば責める方も責めにくいのである。これは何か沖縄とにている。沖縄でも基地を置いて騒音などで悩まされているから被害者意識が非常に強い。戦争でも被害が大きかったのでそのことでも日本国民全体に対して被害者意識がありそれなりに支援されて当然だという被害者特権にもなる。
 
 それで土地をもっている人は東京に住んで贅沢な暮らしをしている。沖縄のことをあまり関心をもたなかったがこれも原発事故以後ここと共通したことがありその意識が具体的にわかったのである。他に広島のことも原爆被害と原発事故は別物だと思っていたがそうでもなかった。共通なものがそれなりにあった。避難民というときこれも世界でベトナム難民とかから内戦の難民とか中国だともともと飢饉の時、大量の難民が発生した。それらは流民となり膨大な人が流浪するようになりそれが政権を交代させたりと政治不安をもたらした。

 中国は数が多いからそういう流民がでると政治が不安定になる。難民というとユダヤ人が最古の難民だったのだろう。その住んでいる土地を追われて流浪するよほかなったからだ。そして土地をもたないということでどこの国に行っても金融業とか何かその土地に根付くにも苦労した。中世とかでも土地が生産の基になったとき土地がないことは致命的だったのである。原発避難者も土地を失ったことでは共通しているのだ。まず故郷を失うことがどういうことなのか?それが良く当事者にも認識されていないかもしれない、そういう体験をした人は日本ではほとんどなかったようにも思うからだ。難民になって難民問題で共通性があるとアフガニスタンに行った人もいた。でもあのような貧窮地帯
ではまるで違うのが原発難民なのである。特権階級化した人たちなのである。

現代の民主主義では被害者になることは強力な特権をもつことになる。その被害を集団で訴えて常に被害者として社会に訴えることができる。それに社会は弱いのである。それは低所得層の多かった創価や共産党にも共通したものがある。低所得にされているのはそう社会にされているという被害者なのだという意識で共通して団結して社会に要求する権利があるとなる。だからなんであれ団体化したらその圧力に抗せなくなる。でも一方でそういう人たちがやがてその被害者特権で堕落してゆくという懸念がありいろいろ新聞記事にもなるようになった。
「俺たちは被害者なんだよ、政府や東電の被害者なんだよ、原発を決めたのは推進したのは国民でもあるから国民も負担して当然だ、 何か文句あるのか、・・・・」
こうして被害者意識が当然となりその特権を絶えず主張するようになる。被害者意識をもちそれを権利として主張して生きることになる。これは確かに沖縄ににている。だからこそ沖縄は嫌われている。


●補償金をもらっている人たちもらわない人たちでいがみあいが・・・


例えば福島県内でも補償金をもらっている人たちといない人たちがいる。その間で確執があり争いにもなる。

飲み屋に入ってくるなり、そこに居る女の子たちに1万円札をばらまいた、だの、パチンコ屋は終日満杯だ

まず地元の人たちがこういう人たちをどう思うかである。これはいわきで特に顕著だが南相馬市内や相馬市でも起こった問題である。補償金をもらっている人といない人がいてそこに確執が生まれた。その補償金も80万だ百万だ百五十万だとか聞いたとき最初嘘だと思った。でも漁業業者はまちがいなく百五十万でももらえる。漁業業者は原発があったときも手厚い補償金をもらっていたのである。それで磯部でも御殿が建っていたというのは嘘ではなかったのだろう。相馬市の病院で請戸の人が特等室に入り家を建てるとか言っていたから漁業関係者なのだろう。相馬市でトマト農家に就職しようとした飯館村の人が松川浦などの津浪被害者を優先して雇ったからだというのも今になるとわかる。
飯館村も相当な補償金をもらっているからである。ただいくら補償金をもらっても故郷を失うことに代えられないということは確かである。金では代えられないものを失ったということは言える。

ただ回りの人は今はそうは見ない、あいつらは補償金で困らず生活できる、その人たちのために働くのはその回りの人たちである。そこに不満が生まれるのは人間の心理として当然である。

例えばこれが補償金ももらえないで少なくてもうまともに生活できない、働かせてくれ、米でもあれば分けてくれとなるとそれは回りの人も同情するかもしれない、回りの人も働いてもらえば楽になるということがある。貧乏人はかえって助け合うし貧乏な時代ほど助け合った。今はただ金だけの社会になり人と人は助け合わなくなった。金さえあればどうにかなる、そのためにみんな必死に働いている。そういうことがないからかえって今は回りの人から同情もされないしかえって金だけもらっていて働かない回りの人はその金で働かせられている。こんなこと馬鹿らしいとなる。人手不足なっている、募集しても人が来ないとしたらさらにおかしい。そういう地域で暮らすのに遊んでいていいのかともなる。

「飲み屋に入ってくるなり、そこに居る女の子たちに1万円札をばらまいた」この金を受け取った
飲み屋の人の女の子の気持ちや回りの人の気持ちはどういうものなのか?なんだあいつらは原発難民なのに札びらきって威張っているじゃないか、何なのだ、あいつらはという反感があるだろう。
でも金をもらいるからいいとする。でも心の内ではゆるしていないから何かあればその心が表に現れ問題が起きてくるだろう。つまり原発難民は多額の補償金をもらっても歓迎されないのである。

金だけもらってもそれですべていいとはならないのだ。これもまた現代の問題が象徴的にここに現れたのである。原発事故地域では何かそうした現代の日頃問題になっていることが具体的に現れたからそういうことを考える場としてはモデルとなっている。それは沖縄とにた場となったのである。
常にそうした政治的意識でももたされる地域になったのである。ただこういう場所にはもう住みたくないとか飯館村でもまえはいい場所とされていたがあんなところには行きたくないとかなってしまった。もちろん今は行けないのだけどイメ-ジ的に相当に悪くなって福島ナンバ-までひどく傷つけられるようなことが起きているのだ。

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2013年02月14日

原発難民は復興の気力も補償金で喪失している (三陸では補償金がもらえないので真剣に復興の努力をしている)


原発難民は復興の気力も補償金で喪失している

(三陸では補償金がもらえないので真剣に復興の努力をしている)


やっぱり原発難民は変なんだろう。近くの人が新聞配達をはじめたのはやはり南相馬市内でも小高区の人で仮設に入っている人は補償金をもらっているから働かなくてもいい。でももらえない人は働かざるをえないことがある。その極端な例がパチンコ屋で遊ぶ原発避難民がいてパチンコ屋で働く回りの人がいるという異常な状態なのである。どこも人手不足になっているとき毎日パチンコ屋で遊んでいるというのは回りで働いている人から見るとあの人たちは何なのだともう最初のように原発難民に同情はなくなっている。特権階級化してしまったとなる。避難民というより原発特権者となっている。小高区は放射線量が低いのだから帰れるが自ら帰らないのだ。会社すら補償金がでるからもうやる気がしないという。それで飲み屋とかで札びらきって遊んでいるとなると避難民などどいう名で言うようなものではない、原発特権者である。金があるんだから金を使うんだからいいじゃないかともなるが金だけでは解決しない問題である。銀行とか地元の信用金庫の預金が増えた。東邦銀行では200億も増えたという。


ただその金が活かされるかというと活かされない、投資先がないからだ。何か有効な投資先がありそこから何か生産できるものがあればいい、確かにソ-ラ-発電とかは試しにはじめたがまだどれくらいの収益があるのかわからない、ともかく金があっても有効に働かないのである。金より人手がどこでも欲しい、その人手が集らない、若い人は流出してゆく、老人が金をもっていてもその金は有効に働かない、それは日本全国で起きてきたことだがここではそれは極端化して現れたのである。金で万事解決することはできない、自分も何ら金が役にたたなかった。家事は結局今一人でやるほかないしつづけるほかない、誰か雇ってくれとかそういう人はいない、いても危険だから簡単に雇えないとか金では解決しなかった。金があってもこれが欲しいとか言っても簡単にそのニ-ズにあったものが金では買えない、特に人は買えないのである。原発難民がもし補償金がもらえなかったら何とか働かせてくれ金をなんとか得ようとして必死になるがそういうこともない、原発特権者としてそんなことはしない、むしろ俺たち特権者のために働けよとなっているのだ。だから避難民などというものではない特権者なのである。生活保護とにていて回りからは疎んじられる。でも特権者だから何も回りでは言えないということがある。これも現代社会の特有の問題がここに顕著に現れたのである。


金が万能のような時代でも万能ではない、かえって金で補償されることによって働く気力も復興する気力もなくなる。生きる真剣味もなくなる。宮城県の三陸では外部の若い人も水産関係で働き土地に根付こうとしている。その時何度も俺たちと一緒にやる気なんだな、本当にやる気なんだな、なら一生お前たちのめんどうみるとか言っていた。そこでもう生き残ることは必死なのである。だから真剣に単なる一時的なボランティアの気持ちではないことを問い正したのである。そういう人たちをみているとあそこは補償金もない、街は壊滅的である。流出している人も多い、市町村の存亡の危機になっている。そういうところではもう生きることが必死であり真剣になる。そういう姿を見ていると外部の人でもひきしまってくる。何とかがんばってやってくれとか何もできなくても心の中で応援するようになる。その後どうしたのかずっと見守りたいという気持ちになる。そういう気持ちにさせるということである。


この辺ではそういうことがない、漁業業者は破格の補償金がもらえる。漁業を復興するより補償金で生活できるからいいやとなる。だから復興する気分もなくなる。外部の人もあいつら多額の補償金で遊んで暮らしているとか同情心もなくなり税金泥棒だとかなる。もともと漁業業者は原発補償金を事故の前にも他より高額なものをもらっていた。事故のあともまたもらえるのである。人間はあまりにも補償されると堕落するというのは本当であった。生きる真剣味がまるでなくなる。そういう場では生きる感動的なものも生まれない、三陸ではそこに残るための必死の戦いがあり真剣さがありそのドキュメントには感動するものがある。原発難民にはそういうことがないのである。毎日パチンコ屋通いで飲み屋で札びらを切っているのとは大違いだとなる。ただ人間はどうしても楽なものを求める。特に老人はそうである。無理をできないのである。人間はなかなかあえて苦しいことを選ばない、だからもう補償金もらったら働かないということになる。三陸では補償金がもらえないから強いられて苦しくてもそこに居残るために必死なのである。


原発難民は補償金がもらえるから復興への真剣な取り組みをしない、つまり真剣にならなければ道は開けないということもある。真剣になるからみんなで何とかしようと協力しようとする。体育館という不自由な避難所では助け合ったが仮設では補償金をもらってぬくぬくと暮らせばいいとなる。もちろん仮設も不自由だけど食うには困らないしがまんするかともなる。要するに復興への気力とか真剣味とかが多額の補償金で失われたということである。高齢者も多いからますます何か全体的に自立して復興するという気力も失われてゆく、結果として市全体が何か無気力状態になってゆくかもしれない、補償金で暮らせばいいんだ、あとはパチンコ通いでもいいしとか楽を与えられれば人間は楽な方を選ぶのである。多額の補償金がいつまでもつづくとはならないしいつか断ち切られ正念場を迎えるようになる。しかしまだそういう覚悟はないしのんべんだらりとこうした補償金づけの生活がつづくのだろう。人間の問題はすべて金では解決しない、金が有効に働かないことはいくらでもある。

原発事故地帯はそういう地帯にもなっている。今は外部から土木事業などがあり人も入ってきている。やがてそれも終わり補償金も減らされたたれたりしたらどうなるのか?その時この辺は夕張市のような存亡の危機になることが恐怖である。いづれはそうなることが見えている人には見えているだろう。そういう事態になったとき本当に市町村が夕張のように崩壊する危機になるのかもしれない、実際はそれが迫っているのがこの辺なのかもしれない、ただ今は補償金でもっているだけなのかもしれない、そんなことがいつまでもつづくとはならないからである。

posted by 老鶯 at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年02月15日

ツグミ(二年過ぎようとする仮設住まい)

 
ツグミ(二年過ぎようとする仮設住まい)



二年ほど仮設に住みてツグミ飛ぶ

隣り合い仮設に住みて寒雀

盆栽の仮設に手入れ冬深む

山鳩とヒヨドリとツグミが集まっていた。なんか童話的な風景だった。ツグミは渡り鳥であり冬の季語でる。山鳩とヒヨドリはいつも里に住んでいる違いがある。仮設に棲むとはツグミなのである。
渡り鳥であり定住するというのでもない、一時的に住んでいるのが仮設である。だからツグミがにあっている。ただ安い規格品の住宅がこの辺では10軒以上建っている。十軒くらいは壊されたけど海側の部落が津浪で壊滅したり他から入ってきてるから新しい家を建てる人が増えた。町内に人が集るようになったのである。仮設でも二年くらいすぎるとなじんでくる。ただあまり生活感はない、盆栽の手入れをしていた人がいたのであれだけが何か仮設の生活にあっている。盆栽は狭いところでもできるからである。だから盆栽は日本的なものであり茶室も狭い空間の美学であった。文化はその風土にあったものができるのだ。アメリカとか中国のような大陸的な風景に茶室などそぐわないのである。
寒雀というと何か江戸時代の長屋暮らしのようになものにあっている。みんな貧しい寒雀だったのである。その日暮らしだったのである。でも仮設に住む人は百万から百五十万も補償金をもらっているというからこれまた貧しい時代とはあまりにも違っているのだ。原発避難民は特権者なのである。

だからかわいそうな人がいるとは今は見ない、昔の長屋となるとみんな貧乏だから貧乏を共有して
生きていたから互いに助け合うとういか争うということもそんなになかったろう。貧富の差がないから争わないのである。仮設はそういう世界とは違う。貧乏人ではないのだ。恵まれた人たちだとなる。実際に補償金もらっていた方がいいと思っている人も今はかなりいるだろう。なぜなら田舎では現金収入は限られていた。農業でもそうであり金にならなかった。すると一人十万でその他も補償があるとするとこの方がいいやと思う人もかなりいる。特に老人にはその傾向が強い。だから定住型の住宅を作ってほしいとなる。老人はとても復興にしてももうその力が出ないのである。


ただ仮設でも狭いのは苦しい、隣の騒音で他では殺人が起きたりしている。プライバシ-が長屋にはなかったのである。仮設では勉強することなどには向いていない、知的な作業にはそれなりの空間が必要である。ものを書くには家が小さい図書館のようになっていないと書けない、それが自分の家にはあった。それも二十代からあったから恵まれていたのである。今は八畳間に寝ているから広いとやはり落ち着いて眠れるようになった。狭いと窮屈でうまく眠れないということがあった。仮設は狭いからそういうことがあるだろう。アパ-トなども住みたくない所である。そういう不便はある。

老後は実際に家が大事になる。なぜなら家にいる時間が長くなるからだ。そこが快適でないと影響が大きいのである。ただ家事を全般やっていて古い家なので不便である。台所と食事する居間が離れていたり介護する部屋が離れていたりそこにお茶一杯運ぶのが手間なのである。つくづくお茶一杯運ぶのがこれほど手間だとは思わなかった。こういうことを実際にするほうにならないとわからないことだったのである。庭も広い庭があればいいが狭すぎて楽しめない。一人くらいしか通れないのでそうなる。老後の生活に向いていたのは庭作りでもあった。あまり遠くに外出することが向かなくなる。すると目の前に庭があれば自然を楽しめるということがある。それもうまくいかなかった。
何かこの辺ではそうした計画していた生活が破壊された。浜通りは気候がいいから東京辺りから移り住んだ人が結構いたが原発事故で去ってしまったのも残念である。住みにくい場所になってしまったのである。


 

2013年02月16日

テレ朝のテレメンタリ-で南相馬市復興のボランティアもまだやることがあるを見て (補償金で分断された南相馬市の現状)


テレ朝のテレメンタリ-で南相馬市復興のボランティアもまだやることがあるを見て

(補償金で分断された南相馬市の現状)


東京電力は,緊急時避難準備区域の住民 が避難後に帰宅すると,理由の如何を問わず,帰宅した日を賠償終期と する対応をしています。


市内は無指定を含め最大五つのエリアに分断された。家を追われる市民と住み続けることができる市民、賠償を受ける市民と受けられない市民…。桜井勝延市長(56)は「市民の気持ちがガタガタ、ズタズタになっている」と、感情的な溝が復興を妨げる現状を隠そうともしない。

テレメンタリ-の放送では自転車旅行していた38才の早稲田卒の人が主役で南相馬市の復興の番組を放送した。38才で自転車旅行しているのはやはり社会からはずれた人である。ただ今はあういう人が結構いるしあまり批判もされない時代なのである。司法試験を目指すというけどそれも格好だけでありそもそも司法試験は20代でないとなかなか合格しないむずかしいものらしいからだ。だからボランティアといえば格好いいが旅の途中に津浪原発事故にあって思わずボランティアになってしまった。ただこの辺で矛盾しているのは前にも書いたけど肝心の被災者が補償金をもらっていて働かないということなのだ。ニ-トなんかみんなパチンコだ働かないと喜んでいる。そういうところでボランティアが働くの馬鹿らしいとなる。実際に肝心の地元のものがパチンコで遊んでいたらボランティアもやる気もなくなるしもう必要もないということである。それよりこの辺で一番問題になっているのは補償金問題である。補償金の相談をされて司法試験を受けることにしたとかそのボランティアが言うのもそのためだった。

南相馬市では小高区-原町区-鹿島区で分断された。30キロ圏外と県内でも補償金は違った。30キロ圏内の原町区が一人百万からもらえる、七〇〇百万くらいまでもらえた人もいたとか意外だった。これはまちまちだろうが鹿島区は一律一所帯百万もらっている。でも原町区と比べると少ないとまだ不満の人が仮設にいて自治会の会長がそのことを言っていた。確かに原町区はそんなにもらえるのかと思った。津浪の被害にあった人は悲惨だった。三〇キロ圏外だと津浪の被害者でも一律一所帯百万しかもらえないだろう。でもそもそも津浪の被害者は他でも補償金などもらっていない、原発事故の補償金をもらえるのは三〇キロ圏内でありその中でも小高区のような警戒区域なのである。その人たちは一人十万だけではない、家とか土地とか補償があるからかなりもらっているから金の面では余裕である。そういうのをみて同じ仮設でも津浪の被害者で原発で補償金をもらっている人たちは不満でありうらやましがっているのだ。ということは仮設住宅に住んでも内部で補償金で分断されている。
桜井勝延市長(56)は「市民の気持ちがガタガタ、ズタズタになっている」これも実体はそうなっている。復興が絆だ助け合いだとか言っているけどそういうものは今になるとなくなった。ただ補償金でもめているだけだとなる。


特に気にかかったのが南相馬市というだけで外に出ると特別な眼でみられる、前にも書いたけど福島ナンバ-がひどく傷つけられて修理するのに10何万かかったというのはそのためである。税金泥棒だとかも言われている。だから外に出ると肩身の狭い思いをする。福島県だ、南相馬市だというだけでマイナスのイメ-ジになっている。内部は内部で補償金でもめるだけで復興へ努力することもない、
なぜなら,理由の如何を問わず,帰宅した日を賠償終期と する対応をしています・・とか働くと収入が入ると補償金をもらえなくなるから働かない方が得だとかなっているのはますます復興する気分もなくなる。特に高齢化がここでも影響が大きいのである。松島の浦戸諸島でも高齢化で復興できないという。この高齢化という問題は全国でもそうであり今回の被災地では特に影響が大きかった。

第一次産業の農業や漁業は跡継ぎがいないとかで高齢化していた。今回の津浪原発事故はもう立ち直ることができないほどの衝撃を与えた。六〇以上で船を買って漁業をはじめる気力はないというのもわかる。船だけで三千万かかるとか準備金が多額だからである。その点原発事故で津浪の被害にあった漁業関係者はこれまた恵まれていたのだ。その補償金が高額だからだ。漁業関係者は津浪の被害でもほとんど金銭的に損していないしかえってまた収入が増大した。だから漁業関係者だと一か月百五十万くらいもらえるというのは嘘ではない、他の人でも土地をもっている人とか会社経営者とかはもらっているだろう。だから補償金で暮らした方がいいとなってしまった。ただその補償金が打ち切られるとき問題になる。


飯館村で林業していた人も会社を継続できなくなった。自分が計った放射線は木材で3マイクロあったから結構高いのかもしれない、飯館村は森林が多いから木材業があった。放射能はおそらくあと百年たたないと消えないとかなると木材業は成り立たなくなる。飯館村は村に帰るにしても深刻である。ただ小高区は福島県の中通りの郡山とか福島市より低いのだから放射線ではそんなに問題ないように見える。問題は補償金もらって帰らない方が得だとなり帰らないのである。

ともかく南相馬市の被害者はいろいろな被害者がいて補償金で分断されている。小高区はいくらもらっている、小高区内でも隣はいくらもらっているとか三〇キロ圏外の鹿島区だと三〇キロ圏内の原町区は同じ南相馬市なのに多くもらっているとか未だにもめている。特に津波の被害者は深刻だからどうにかしてほしいとなり訴えるのはわかる。原発事故被害者だけが得しているというのはわかるのである。それは相馬市でも全然もらっていないから余計に避難者に対して厳しいとなる。この点宮城県になるとそういうことはない、補償金がそもそももらえないのだから争う必要もないのである。


ボランティアにしても三陸では土地の人と補償金もなくぎりぎりの中でそこに残り暮らしを継続させようと必死になっている。それで何度もここで残ってやてくれるのだなとボランティアに問うていた。ここに来たボランティアは去って行った。ここではパチンコ屋などで肝心の地元の人が働かないとなれば馬鹿らしいとなるのも当然である。変な話だけど地主が戦後廃止されたけど土地をもっていても働かない者には権利がないとなった。それとにていて土地をもっていても働かない者は権利がないとなるかもしれない、外からのものでも働けばそこに住む権利がでてくる。働かないものは権利がないとなる。ただそこに住んでいる人は先祖から住んでいて先住権みたいなものがある。占有権とかありそれが権利となる。でも働かないとなると権利が喪失してゆくこともある。高齢者はここで働いて来たから権利がある。他から来て大金あるからと待遇されるというものでもない、現実に相馬市などで浪江の請戸の人が金があるからと立派な家を建てたら反発される。


相馬市でも金のない人はいくらでもいるからだ。そういう人たちも働いているから不満になる。別に金持ちでも許される金持ちはいるのだ。全部が平等であるべきだとはならない、金がないというとき結局無駄使いとか離婚している人は協力しないから金がたまらないとその人自身に問題があるのが今では多いのである。昔の切羽詰まった貧乏時代とは違うのである。つまり補償金には不公平が大きいからみんな不満であり文句を言うことになったのである。国民自体もなぜあんなに原発避難者に金を払わねばならないのか税金泥棒だとか不満になる。原町区と鹿島区は被害はそれほど変わりない、確かに強制されて避難した人もいるがそれは鹿島区でも同じだった。その後は別に普通に暮らしている人は暮らしているのである。

だから補償金に差別があるのかと鹿島区の人が不満なのもわかる。そもそも三〇キロ圏内とか圏外とかは意味なかった。現実になぜ郡山市とか二本松市とか福島市の方が放射線量は高いのだ。そしたら放射線量からすればそっちが補償の対象になっているはずである。それがならないのは数が多いから最初から打ち切ったということである。その辺も話題にならないのが変だなと今でも思っている。

いづれにしろこれまた現代の問題を象徴しているように金、金、金、金、の問題になっている。でも高額の補償されてもそれで問題が解決するのかというとそうもならないのである。その辺をもっと自覚して協力することを考えねばならないとも思う。

東電や政府より
金をむしりとるたかる
原発避難民や
福島県民が悪い
やつらは前から原発で
金もらっていて
また原発で金もらっている
貪欲なやつらだ
その金は国民の税金だ
悪いのは原発避難民や
福島県民なんだよ

こんなふうに見られて東電とか政府の責任を向けるより原発避難民や福島県民に向けられていることを考えねばならないのでは?
高額な補償によって内部は分断されて外部からは批判されている現状を考えねばならない、ただ金だけ要求して補償だけでやっていこうとするのは問題がある。そもそも本当に金だけで解決する問題なのだろうかという疑問をもつべきである。
 
 

2013年02月18日

病院で聞いた新地町の歴史の話 (琵琶転がしという地名があった)


病院で聞いた新地町の歴史の話

(琵琶転がしという地名があった)

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新地町はもともと谷地小屋村と呼ばれていた。谷地小屋となるとなんかわびしい谷地の中にある一軒家のように思えるが実際は違っていた。


ここに一つの山城がありそれがもし本城だとすればその周辺に副城、支城、外城、添城、砦というふうにいくらでもあったのだと思います

小屋沢とか何々小屋は秀吉でも名古屋城を築いたとき「小屋の者とも」という手紙の文句がありますこれは本城のことです
小さい砦も小屋、監視していた所も小屋なのです(地名の話し-谷川建一(一志樹)


谷地は湿地帯であり海に面した所は今回津波で元の湿地帯のようになった。ただ小屋というとき小屋ではなく城だったのである。新地町の特徴は新地は駒ヶ峰辺りまで一時伊達領でありそれで伊達の城があった。それで伊達の子孫の武家がいて相馬市との合併に反対していた。その家は駅の近くにあり今回の津波で流された。相馬総合病院という名は新地も出資した病院となっている。その病院でちょっとだけ話を聞いたのだが興味深いものがあった。その人の土地に城の跡がありそれで城について調べたという。虎口とかいろいろ知っていた。郷土史は相馬藩全体ではなく村単位で結構その土地に詳しい人がいる。別に専門家の学者でもなくてもいる。その土地に根ざしているから詳しいのである。だからそういう人に直接その土地を踏んで話を聞くと郷土史は面白いし興味深い者となる。
柳田国男はそうして庶民の口碑を重んじて民俗学の祖となった。つまりその土地に根ざして生きる庶民の話しを直接聞くことによって啓発されるものが多いのである。学者のように本ばかり読んでもわからないのである。


その人はまた黒木氏というのにこだわっていた。黒木氏は丸森に近く伊達についたり相馬についたりしていた。伊達と相馬の境を領地としていたからそうなった。黒木氏にこだわるのはやはりそういう土地に住んでいたかちそうなった。黒木というのはもともと黒木という地名がありそこに土着した武士が黒木氏と名乗った。それからその人はしきりに五社壇のことを言っていた。それは何を祀ったものかわからないという。ただその人は夢枕に私たちを忘れてはいけない、手厚く葬れと告げられたその墓らしきものを祀る幼稚手たという。これは五つつの神様を合祀したものだろう。墓も無縁化したり古い碑でも謂われがわからなくなるのが結構ある。津神社の謂われがわからなくなっていたように重要なことでも時間がたつと不明になる。神社には結構そういうものがなぜか多いのだ。津波と言えば強烈な記憶があるはずだがわからなくなっていた。神社でも由来がわからなくななれば意味もなくなってしまうかもしれない、何を記念して何を供養するのかもわからないからだ。だから烏崎の津神社は鯨を供養するものとなっていた。鯨の碑があり鯨の祭りをしていたのである。そしたら全く津神社の由来と違ったものとして祭りがあったとなる。


もう一つ面白い話しとして琵琶転がしという地名があるという。これは地図にものっていない、そんな地名があるのかと不思議に思った。転(ころ)がしには牛転がが一番多い、長野県の信州の塩の道は深い山中にあり急峻な坂がありそれも細い道だから牛が下るにしてもこれは危険だと思った。江戸時代ころの道はみんな細いのである。奥の細道なのだ。だだ琵琶転がしというとこれがいつの時代のものになるのか?鎌倉時代にすると古いからだ。この辺にそんな古い時代のものがあったのかと思う。

(転がしの地名)
http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/61430826.html


 宮城県遠田郡  涌谷町涌谷   琵琶転(びわころがし)


宮城県にもあるからその辺までも東北では琵琶法師が旅したのか?ただ江戸時代には琵琶法師はいなくなっていた。だからその地名がついたのは江戸時代より古いのである。


平家物語は、平家を打倒するということで、源氏が天下を支配することの正当性を説明付ける物語という一面をもっています。そのため、鎌倉幕府や、その後継者をもって任ずる室町幕府では、幕府の儀礼に欠かせない式楽として保護されましたが、その反面、民衆の嗜好からは縁遠いものとなっていきました
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1351014088


琵琶法師が奨励されたのはその時代の権力者の意向があったということもあったのか?平家物語が作られたのも勝利した源氏の正当性を伝えるものとして作られた歴史書ということもあった。ただ義経の物語は民衆の判官贔屓から生まれたから時の権力に庶民がみんな従うとはかぎらない、反発した物語も伝えられている。

琵琶転がしでまた注目するのが琵琶法師は眼が見えないのだから当然そんな山中の細い険しい道を行くなら転げ落ちても当然だとなる。第一眼が見えなくてそんな山中の道を良く歩くことができたとことが不思議である。ただ当時は眼が見えない人は非常に多かったのだ。明治に来た外国人が日本には盲人が多いと報告している。栄養がたりなくて盲人になっていた。盲人でも食べていかなければならないからそれにふさわしい職業として琵琶法師とか瞽女とかが生まれた。中世では土地をもって定着できないものは流浪者になった。


賤民を広くイメ-ジすれば細工師や大工、壁塗り、絵師、漁師や猟師、座頭、山伏、鉦叩き、説教師、猿回し、街娼・・(中世の貧民-塩見鮮一郎)


これらは賤民だったのか?ただ昔から移動する人々はかなりいた。相馬の方へ萱葺きに来た会津の職人がいたし大工もいて相馬に定着した。その記録が残っている。絵師では相馬の駒焼を跳ねる駒を教えたのは土地のものではない流れてきた絵師だった。木地師などもそうであり農耕手定着していた以外の人々はいつもかなりいたのである。それは現代でも同じである。渡り職人などは最近まであった。腕を磨くために遠くの師を求めるし仕事も遠くにあれば行くのである。大工でも仕事があれば遠く行くし土木関係でもそうである。絶えず移動して仕事を求めている人は多いのである。現代はグロ-バルに人は移動している時代である。人間の仕事は定着してできるというのがいつの時代でも多くあったとはならない、木地師だって資源を求めて移動していたし資源を求めて移動していた人はかなりいたのである。

奇妙だけど最近ノスリをこの辺でみかける。ここに定着しているのかと思った。
ノスリの餌はノネズミなどでありそれが放射能汚染で耕作されない田んぼに増えたのか?何らかかえって餌がふえたせいでノスリが定着したのか?鳥は別に渡り鳥があり餌があるところへ自由に移動できるのだ。餌があれば定着するがなくなれば移動するのである。人間もまた同じものとしてあった。仕事があれば定着するがなくなればまた移動する他ないのである。


ともかく郷土史というのはその土地の人に別に学問などなくても聞かない限り具体的にわからない、これも南相馬市立病院で大原の人と知り合ったとき大原について詳しく話しを聞いたからわかった。病院という場は暇だからそういう話しをするのに聞くにのに向いていたのである。なかなかそういう話しを聞く場がない、老人ホ-ムなどに勤めればそういう話しをじかに聞けることは確かである。

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2013年02月19日

原発事故は人類史的テ-マとして必然的に起こった (一千万の東京を維持するには原発は不可欠になった)


原発事故は人類史的テ-マとして必然的に起こった

(一千万の東京を維持するには原発は不可欠になった)



ウルクの王ギルガメシュは、ウルクの繁栄を願い、盟友エンキドゥとともに香柏(レバノン杉)を得るために、香柏の森の守護者(半獣半神)のフンババを退治に出かけることを決意しました。戦いのために、ギルガメシュは、エンキドゥと刀鍛冶を訪れて、3ビルトゥ(90Kg)の強力な青銅の斧と大太刀を作らせました。その他の武器や防具を合わせて、10ビルトゥ(約300Kg)を身に着けることになりました。

http://www.jvia.gr.jp/kankyou/yomoyama/yomoyama01.html


ギルガメシュ王がウルクから遥か2000qも離れたレバノン山脈までレバノン杉を取りに行ったのは、物語になるほどウルクの皆に認められた偉業だった



この辺で起きた原発事故は何なのか?これは一地域の事件ではない、人類史的事件であり事故だった。だから歴史をさかのぼれば森林の破壊とも共通している。現代に起きていたことは必ず過去にもにたようなことがあったのである。現代のことが現代だけに起きるということはない、過去の延長として同じことが起きていたのだ。森を破壊したというのがウルクという都市の建設のためだった。それが二〇〇〇キロも離れていたのだ。そんな遠くまで資源を求めて都市を建設する。これは全く現代と通じている。東京という一千万の都市をまかなうにはマネジメントするにはけたはずれのエネルギ-や資源が必要になる。そのエネルギ-を三〇〇キロ離れた福島の地に東電が原発を作り供給した。
森林ではないが原子力発電に変わったともなる。都市を建設するには莫大なエネルギ-が資源が必要になるのだ。それはロ-マ帝国時代もシリア辺りに建設した都市で回りの自然が枯渇したという例がある。それだけ都市は森林でもエネルギ-でも使うから自然環境が破壊されるのである。そのために都市の支配者はテクノクラ-トになる。科学者、技術者集団が支配者になる。


今回の原発事故でわかったように政治家が支配者ではない東電が支配者になっていたことでもわかる。政治家も東電によって動かされていたのである。もちろん官僚もマスコミもそうである。検察すらそうだった。創価のようなカルト宗教団体もそうだった。幸福の科学もそもそも科学とつくのだから原発推進をあからさまに主張している。それはなぜか?原発は巨大な文明を推進するものであり都市文明には不可欠なものだった。素朴な疑問としてどうして一千万の東京という都市が維持できるのか?そのエネルギ-は天文学的なものにならないか?それ自体異常に見える。そのエネルギ-を供給するには原発は不可欠でありもはや維持できないとなっている。これは別に東京だけではない中国でも一千万級の都市がいくつもある。そしてそこでは大気汚染に苦しめられている。これも人間が住むことの限界を越えている現象ではないか?仙台くらいなら何とか住める許せるが一千万の都市はもう人間の限界をはるかに越えている。そこに供給されるエネルギ-は資源は莫大なものになるのだ。それは東京でも中国でもそうした大都市を維持することは人間として限界である。だから中国でも原発をさらに増やす他なくなっている。


中国での大きな問題は電力事情だ。あまりにも近年、産業が急速に発展したので、電力が間に合わない。よくあるのは輪番制で、一週間の内、曜日によって電気が送られてこないことが多い。3月4月ごろ日本にあった計画停電のもっと大掛かりなものが、よく行なわれるそうだ。

上海の会社のオイラの通訳者白さんになぜ、こんなに青空がないのだと聞いたら、それはほとんどが、石炭を使った発電所からの煤煙の影響だろうと教えてくれた。当時は嘗ての古い石炭発電所がフル稼働で、それも旧式が多かったので、莫大な量の煤煙を撒き散らす。それが空に登って、曇り空となっていた。

2020年までにさらに100基以上を建設する計画もあるという
http://yoiotoko.way-nifty.com/blog/2011/06/post-181e.html


中国は石炭を使っていた。大同では雲崗石窟が有名だけど石炭の産地でもあった。その石炭採掘現場の街を通ったら子供がすすけた顔していた。石炭で汚れていたのだろう。一方で大同駅から出ると遊牧民が羊を追っていてテントを張っている。何かそうした混沌が中国にはある。古いものと新しいものが混在している。石炭の火力発電の大気汚染も激しいのである。北京などの今回の大気汚染も石炭による火力発電のためだという人もいる。まだ日本のように環境技術が発達していないから余計に汚れが激しくなるのだ。もう石炭では限界だから百基も原発を作るほかないとなる。あれだけの人口と都市を維持するには必然的に原発が必要だとなる。文明が巨大化して人口が増え大都市化したとき否応なく莫大なエネルギ-が必要になり原発なくしてやっていけないとなる。それがここで起きた原発事故のように空恐ろしい結果になることが予測されるのである。中国はいくら広くても住めなくなるという恐怖が原発事故になり人類滅亡に通じているのだ。

これは何も現代だけではない人類史的テ-マとして歴史的にあったのである。ウルクという都市を維持し繁栄させるためにはどうしても森林の木材資源が必要でありそのために森の神を殺すのである。そうしなければ都市は維持できないのである。その森の神のフンババを殺すには


ギルガメシュは、エンキドゥと刀鍛冶を訪れて、3ビルトゥ(90Kg)の強力な青銅の斧と大太刀を作らせました。その他の武器や防具を合わせて、10ビルトゥ(約300Kg)を身に着けることになりました。


森の神を倒すためには技術力が必要である。それで技術はさらに強力なものとなってゆく。原発もにていたのである。原発を作るためにテクノクラ-ト(技術集団)が形成されて支配者となる。それがまさにこの地で起きたことなのである。それは日本の古代でもそうだった。この南相馬市の海岸地域で大規模な鉄の生産が行われその鉄を生産する場が今の火力発電所のあるところで発掘された。その鉄を作って蝦夷征服があり多賀城へと大和政権が進出したのである。そして天皇は鉄の王だった、王は斧の形をしていたというときまさにギルガメッシュの叙事詩とにているのだ。東西の文明でも必ず共通したものがあるのだ。時の支配者とはテクノクラ-トだったということで共通しているのだ。
鉄がないと農耕の道具も作れないから文明には技術が不可欠なものとしてありテクノクラ-トが支配者になる。それが文明を推進するがまた環境を破壊して文明を崩壊させる。そういうテ-マは人類がはじまった時から起こっていたのである。


陸奥みちのくの真野の草原(かやはら)遠けども面影にして見ゆといふものを 笠女郎(万3-396)


一見これが恋の歌で原発と何の関係があるのかと思うがそうでもない、草原とは地名であり渡来人が産鉄の技術集団が移住して来た地が草原だったのである。これは石巻にもあるからこことは断定できないにしても奈良から遠い地とは鉄を生産する、資源を求めて平城宮の都と関係していた。
草原という美しい場所ではない、生々しい資源を求めた場所だったのである。そもそも人間はそんなに遠くに美しいというだけで憧れることはない、現実的問題として生活の糧として必要だから遠くにあえて行くのである。

東京という大都会から原発をここに建てたのもにている。古代など現代とつながらないと思っても人類史的テ-マは共通して古代からすでに起こっていたのである。この辺は鉄をとるためにやはり木炭を鉄を作るための燃料とするから森林破壊があったり鉄を生産するためには田んぼが荒らされたりと自然破壊がつきものなのである。だから原発事故も人類史的テ-マとして必然的に起こったのである。それは予定されていたのである。単純に素朴に考えても東京とうい一千万都市を維持することはもはや不可能とさえ思う。それは中国でもそうだし無理があり原発百基も必要だとなりそれが最終的に致命的なものとして文明の崩壊が起きてくる。文明がもうそういう限界にきている。日本だって適正人口は六千万くらいだというのは本当だろう。人間が多ければ多いほどエネルギ-を消費するのだ。

posted by 老鶯 at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年02月21日

料理で考えたこと (地元が復興する気をもたなければ復興はありえない)


料理で考えたこと

(地元が復興する気をもたなければ復興はありえない)


それ以上に重要なのは、その料理に込められている「気」だと思うんです。
その食材がどういう想いでつくられたか。どういう想いで運ばれたか。どういう想いで売られたか。その料理をどういう想いでつくったか。どういう想いで食べるのか。
こっちの方が大事ではないですか?
http://okiteru.ti-da.net/e2288185.html


原町の高見食堂のカキフライの味が落ちた感じ、前は食材が良かった。大きな牡蠣だった。今回は何か貧弱な感じがした。そえるものもサラダもない、まあ、八〇〇円では今はうまいものは食べられない、つくづく自分で料理をしているけど料理は本当にめんどうなのである。手間をかけないといいものはできない、だから自分はほとんど料理ができない、すでに四五年家事をやっていてもそうである。家事そのものに熱心になれないし時間もない、家事というか料理は特にその人の才能がものういうみたいだ。まず料理は簡単にできない、でも料理もやはり上手下手もあるけど心をこめることが大事なのか?心をこめても料理は上手下手がある。


プロになると料理でもこれは前より料理の味が落ちたなとかなると何か食べたくなくなる。ただこの辺ではそんなに料理店がないから牡蠣料理のうまい店ないかといってもない、たいがいたいして変わらない、結局牡蠣料理は素材が一番大事である。素材が悪いとどんなに料理が上手でもうまくならない。ただ料理が下手でもそこに気がこもっていればそれなりに満足するのか?
料理運ぶにしても結構手間である。お茶一杯運ぶの手間なのである。ところが人間は気が大事だというときいやいやながら料理でもお茶でも運んでいたらいやいやだからそうした気が料理にこもるかもしれない、もちろんいやいやながら何でもやっていたらやはり気がこもる。
「お前になんか料理するのも運ぶのもいやだけどな、金もらえるからやっているんだよ・・・」
たいがい仕事している人はそうなっている。嫌なんだけど金になるからしかたないとなる。
心こめて料理して運んで売ったりしている余裕がない、なぜこんなに働かされるんだよという意識しかない、自分も介護しているとそう思う、身内すらそうだから他人だったら心を込めて世話するなどあるだろうか?医者でも看護師でもなんでこの赤の他人に心こめて世話しなきゃならないだとなる。

だからたいがいの仕事が強制されて金のためにやっているのではないか?
自分の家に来た人はとにかく金が欲しいしかなかった。全く世話する気がないからそうなる。一人には財産をもっていかれるところだった。家で働いてもらうにしても金だけだとすると本当に恐いことになる。そもそもその家のためであれ人であれ金もらだけだとなる。掃除するにも料理するにも運ぶのもいやいやながらでありそもそもやりたくないのだ。そういう人に金だけ手伝ってもらうことはやがて大きな問題が起きてくる。


それは例えば今この辺は原発事故で混乱して仮設に入っている人は補償金もらえるから働かないでパチンコ屋通いだと批判されている。でもそれが変なのは外から来たボランティアが働いて内部の地元のものが補償金で働かないことは本末転倒なのだ。だから外部から来て働く人がお前らなぜ働かないんだと喧嘩になったこともわかる。地元の人が働かないで復興する気がなくて補償金もらっているから別に遊んでいてもいいんだというのは変なのである。金はもらっている、金があるから別に働かなくてもいいとなるがそれもおかしいのである。自分たち故郷を復興しよう、良くしようという気をもたなかったらそもそも何もはじまらない、別に補償金もらっているからそんなことどうでもいいとなったら一体誰が復興するのだろう。外部の人だっていつまでも助ける訳がないからだ。

どうせ何にもできいなというのもわかる。でも故郷を復興させて良くするんだという気をまずもたなければ何もはじまらないことは確かなので
ある。第一故郷なんかどうでもいいよ、もうここは嫌だと言って別な場所に住むこともできる。それはそれでその人の選択である。でもここに残るとしたらそうはならない。自分たちの住む場所を少しでも復興させて良くしようという気をまず持たなければ何もはじまらいなのだ。故郷を良くするんだ、復興させるんだという気は例えば最近死んだ原町中央病院の院長先生にあった。南相馬市をになう子供が大事なんだと癌になっても働いていたのである。
そういう気をもっていたということである。ところが今やそういう気をもっている人がこの辺ではなくなっている。補償金をもらうことだけが目的となっている。だからますます市町村全体の気が低下してゆき復興もできなくなるということがある。だから意外と気という問題はどこでも大事なものとなる。


でもこの料理にどんな気が入っているとか感じるのかな?高見食堂のカキフライは前と比較して落ちたなとは感じた。素材が前は良かったが今は悪くなった。だからここで牡蠣料理は食べたくないとかなる。そういうふうに評価されると一人の常連客を失うというこにも通じる。でも食材に今金をかけられないということもある。牡蠣でも古いものを使っていて食べられないものを出していた食堂もあった。食べものはやはりいつもいいものを新鮮なものを出すのはむずかしいだろう。ただ高見食堂はサシミ定食などはかなり得である。あれは売りだろう。その店の売りとなるものの味を落としたり手抜きすると客はへるだろう。食べものはみんなうるさいから繁盛しているところはやはりそれだけのものを出している。


気はかなり人間にとって大きな問題だけどあまり意識しない、気など見えないからだ。だか何でも気を発しているのだ。人間からも気が発している。プラスの気を発するものもあればマイナスの気を発するものもある。色気もあるけど気に様々なものがありそれが電波のように発せられる。悪い気を発する人とつきあったり近づくことすら危険である。まずこんな仕事したくないけど金のためにしかたなくやっているんだよ・・今の世の中そういう人がほとんどだというときいかに全体の気が悪くなっているかわかる。金をもらえばこんな仕事はやらない、金がないからしかたなくやっている。では金をもらったらその人は何をしているのか?パチンコやって遊んでいればいいとなる。金さえもらえばいいとなればそうなるのだ。まず何かを良くしようとか何かのために誰かのためになろうとかいう気が全くないのだからそうなる。だからポランティアでもあんなの偽善だというけどやはり復興の一助になろうとする気はある。地元の人にその気がないということ自体もう復興などできないのではないか?そういう気があれば何か解決の道が見いだされるがその気もなければもう全体がどうでもいいとなげやりの気分が覆ってしまいどうにもならない状態になってゆく。

posted by 老鶯 at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年02月22日

キンドルを買った (電子書籍は本とは違う-情報処理能力の飛躍的拡大)


キンドルを買った

(電子書籍は本とは違う-情報処理能力の飛躍的拡大)

●キンドルは文章を読むのに優れている

キンドルの説明
http://www.youtube.com/watch?v=NPTpTEVchY8


Kindle Paperwhite3Gは電子書籍を読むのに優れている。文字が読んで疲れない、外の光の中でも読める、軽いから文庫本のように持ち運びができて寝ころんでも読める。非常に読みやすいことである。眼はパソコンのように疲れない、電池は長持ちする。電子書籍に特化すればこれは優れている。
ソロ-の森の生活をダウンロ-ドしてみて読んだら読みやすい、本というのはそもそもこんなに手軽に読めないようになっている。書棚にあっけ取り出してペ-ジをめくり読むのだが何か本は一冊でもじっくり読むようにできている。本はまた厚いのも多く手にとると重く電子書籍のように簡単に読めない、書斎がありそこで瞑想にふけりつつじっくりと読むというのが本であった。だから一冊の本には重みがあった。本のル-ツをたどれば


修道院には専門的な工房があり、そこで制作された聖書を初めとする手写本は、修道院や教会の宝物庫にいつまでも保存されるべき宝でもあった。
やがて写本は、次第に装飾や彩色画を備えるようになる。この装飾や彩色画を託されたのは、修道士たちであった。
装飾手写本は当時の市民には高価きわまりない贅沢品で、6册分の価格で家屋が購入できるほどであった。

http://www.geocities.jp/petitpixy/page503.html


本はこのように気軽に読めるものではなかった。そういう延長のなかに本というのはあった。だから本は出せる人は特別の人だったのである。ロ-マ時代でも作者より本にする紙の方が高くついて紙を提供する人が作者よりずっと力をもっていた。これは現代でもメデアとか出版社とか取次ぎとか本を書くものではなくそれを作り流通するものが力をもっているのと同じだった。だから出版社では編集者とか印刷業とか本を出すにはいろんな人がかかわっていた。それだけ一冊の本を出すのは普通の人はできないし商業ル-トにのらないと本は出せない、それで権力あるものが出版で牛耳ることになった。原発を批判した本が出されてもまるでSF小説のように扱われていた。原発事故など起こることがありえないというように情報で操作されていたのである。

安全神話が出版でも巧妙に作られていたのだ。情報は今でも常に権力をもつものにより操作されているのだ。新聞でも本や雑誌でも出版するには相当な金がかかる。。すると権力側で資金を提供してその権力側にとりこまれるのである。だから巨大組織である創価であれ幸福の科学であれ何であれオウムさえ自ら出版する印刷機まであった。
そういう巨大組織でしか出版はできない、だから本を信用する人がまた多く癌が直るとか本に出してだまされた人が結構いる。株でも民主党の海江田党首すらもうかると本をだして今は訴えられている。本はインタ-ネットなどより信用される。もちろんマスコミでもテレビでもインタ-ネットよりは信用される傾向はまだつづいている。ただインタ-ネットというのは思った以上、普及している。


●パソコンやインタ-ネットは高齢者まで普及している


プララから二〇〇〇円安くするとかOCNから電話で連絡があった。簡単な操作で移れるというので申し込んだがそこで問題だったのはインタ-ネットをする高齢者が増えたので操作がわからなくなりその相談で会社でも悩んだらしい。ということはそれだけ高齢者でもインタ-ネットする人が増えたのである。でも六五才以上はできないと規約になっている。それは操作がめんどうだから高齢者の相談が多いからである。操作ができないとそういう乗り換えもめんどうになるからだ。初心者も多いからである。パソコンとかインタ-ネットはもう必需品になっている。インタ-ネットなしではもう社会参加するらできなくなる。参議院選挙からインタ-ネットで政治家が宣伝するのも許可される。インタ-ネットは日常生活のツ-ルとなっているのだ。ただ高齢者とかには操作がめんどうでアクセスできないのでそれだけ相談が増えたのである。

バソコンがこれだけ普及したのは人間の欲求が頭脳に知的なものに移ったからである。人間は建築であれ道路であれ水道であれ重厚なインフラ整備が終わると次はやはり知的な分野に精力を傾ける。

パソコンは明きらかに人間の頭脳の代わりであり補充するものであり人間の頭脳と密接にかかわっている。人間の記憶力は映像にして文章にしても極めて容量が少ないがパソコンやインタ-ネットは無限大なのである。だから最近家事など忙しく時間がなく新聞をとるのをやめた。読まないのに新聞紙は紙としてたまってくるから困るのである。バソコンとかインタ-ネットは無尽蔵に貯蔵しても困ることがないのだ。インタ-ネット化で一番早めに消えるのは新聞でありすでに電子化されていることでもわかる。次に本も消えてゆく、本は芸術作品のように豪華本として残される。流通するのは電子本になる。電子本とかインタ-ネットの弱みは一瞬にしてすべてのデ-タ-が消える恐怖がある。
そういう恐怖を何度も味わった。これが一番恐いのである。だから紙にも残す必要がある。それもオンデマンド出版で一冊から今は機械的に作れるのである。自分は書きためたものを今度は整理して本にして出そうと思う。出版社からではない、アマゾンのキンドルで誰でも出版できる。出版社を通さなくてもできるのだ。今や本など誰でも簡単に作れる時代なのである。ただそれが広く読まれかどうかはわからないし無理な面はある。出版できたらすでに出版社で評価されて世にでるからである。
出版社を遠さなければ出版はできない。すると出版社が力を持つことになる。本はやはりそういう権力をもったものしか出版できないということがあった。そこで情報が操作されて原発事故も起きたともなる。


●情報化社会は莫大な情報を処理する社会


現代が情報化社会というとき江戸時代などからした何万倍か億倍なのか凄まじい情報処理しなければならない、グロ-バルすれば世界の情報も日々入ってくるからもう処理しきれないくらいである。
そのためには新聞とか本とかの媒介では追いつかない、情報を早く処理する、膨大な情報を手早く処理することが必要になってくる。それで電子本であれインタ-ネットであれそっちの方が便利になる。ここにも問題はあるのだけどともかく本にしても自分の家が本で傾いたようにそれだけ本に頼るのが知識の世界だったのである。でも本は自分の文脈で利用するとき活きてくる。自分が主体にならない限り本を読んだことにはならないのだ。本を読むということは極めて創造的作業なのである。だから若い内はは本に読まれても読むことはできないのだ。自分でも最近本を読んでこれは何を意味しているのか即座にわかるしそれを自分なりの文にとり入れることができる。だから読書も楽しいものとなる。そしてイプットよりアウトプットの方が多くなるし面白いのである。


情報化社会はやはりそれぞれが普通の人でもアウトプットする量が膨大になるのだ。自分もすでに全集が作れるくらい書いている。詩集でも十冊くらい出せる量を書いている。それだけ書く量が増えたのも現代なのである。
作家でなくても普通の人でも今はアウトプットできる時代になった。それがすべてとるにたらないものとなるということでもない,なぜなら人間の体験は例え百年生きても極めて限られたものなのである。すると他人のどんな体験でもこんな体験していたのか、それでこんな考えもあるのかと参考になるのだ。人間はともかく話す相手でも主婦だったら夫と子供と隣近所くらいしかないというのが今でも普通である。インタ-ネットは問題があるにしろ広範囲の人の情報に接することができるのだ。
電子本も文庫本百冊持ち歩くことができるようになるのは便利である。通信だったらすでに無尽蔵なのである。IPADなどが普及したのもわかる。情報は本一冊でも持ち歩くとしたらできない、情報は電子化すると持ち歩く必要ないのである。


あとがき

Kindle Paperwhite3Gではテキストフアイルをパソコンで感嘆にドロップして本のように入れることができる
ただWI-EI通信はめんどうで簡単にできない、ル-タ-などヴ必要になる。
それでも通信料無料で本は読めるから便利である。ただ本の蓄積は極めて少ないのが問題である。
それでもソロ-などの本を手軽に読めるのは便利だった。
自分のテキストファイルは持ち運びびきるのも便利である。
電子書籍が何か知りたいならキンドルのKindle Paperwhite3Gからはじめるのがいいかもしれない・・・