2013年02月01日

一難去ってまた一難 (人間の心は状況の変化により変わってゆく-津浪、原発事故から二年)


一難去ってまた一難

(人間の心は状況の変化により変わってゆく-津浪、原発事故から二年)

風ひいて頭が痛い、これもまた一難である。ここ6年間が一難去ってまた一難であった。介護していると介護している人が病気になくると辛いのだ。二年間は身体障害者でありこれも辛かった。
自分の場合は30年間くらい心の変化はなかった。20代までは結構めまぐるしくあった。大学が遊びであれその後も20代は結構苦しんでいた。だから恋愛などしていない、そういう余裕がなかった。
性格的にできないところもあったが20代は誰でも波乱の時代である。だから心も相当に変わる。
心は回りの変化でも常に変わっているのだ。この辺では津浪から原発事故とめまぐるしく変わった。津浪で家族が死んだ人や原発事故で避難して仮設に住んでいる人もそうである。仮設に住む前は体育館などに避難して一時は家もなかった。雑居状態でありその時みんな助け合ったということは人間はそういう過酷な状況にともにあるときは助け合うということである。その時の心の状態と今の仮設に住んで補償金をもらってパチンコ屋とかに通い遊んでいる状態とは違っていた。今は内部でも隣の家は多くもらっているとか内部でも補償金でもめて外部からも補償金をふんだくるだけの人たちだと批判されているのだ。最初の内は東電の社員までねらわれるから気をつけろと言われていた。


国民は東電とか政府でも社員でも原発の責任に厳しい目を向けていたのである。それが状況が変わりまた国民の心も変わってきたのである。つまり人間の心は常に変わりやすいのである。人間の心は状況により縁により変わっている。同じ状態はありえないのだ。だから30年も平穏無事で心も変化しなかったということはよほど恵まれていた状態だったのである。人間は恋愛して結婚して子供もってとかそういうなかで心も常に変わっている。老人になると若いとき全く違った心になる。つまらないものが実際は特別貴重なものになったりする。それは金とか物ではない、何か夫婦で共に苦労したとかそういうことがふりかえり貴重な時であり思い出が宝となることがある。老人になると価値観がかなり変わってしまうのである。青春時代に価値あると思ったものがまるで価値のないものとなってしまうこともある。人の心は常に変わり安い、それはまた常に状況が変わるからである。


人と人の付き合いでも常に状況により変わっているのだ。深くつきあっているとこの人はこんな人なのか、弱い人を虐待する人だったのかと知り嫌になる。最初は苦労した人だと思うからそう思っていなかった。この6年間弱い立場にあり何も言うことができなかった。そのためにその弱さにつけこんでいろいろ言葉の暴力を受けた。お前は誰も世話する人がいないからどうだとか恐喝じみていた。
しかしそれも終わった。実際は今度は立場が逆転してこっちが強い立場になっていたのである。
そういう状況立場の変化が常にあり心も変わってゆくのだ。ただ相手は以前として自分が弱い立場にいると見ていたのである。こうして個々の人間関係でも常に変わっているというとき本当は社会というのは常に変わっている。その変化に気づかないことがある。国際関係でも日中関係でも最初は日本が優位にあったが今は違うけど以前として日本が優位であり日本は世界第二位の経済大国だという幻想をひきづっている。現実は変化してもそれがわからず過去をひきずっていてそうなっているのだ。国際関係でもアメリカがいつまでも全体的優位に立つということはいない、いつか思わず逆転するのだ。ただその変化に気づかないのである。アメリカは絶対的に強いんだという幻想は簡単にはなくならない。それで失敗することがある。人間は変化することに対応できないのである。


近所の人で60代の人が新聞配達するという、補償金をもらっていないから働かざるをえない、でも最近二三か月新聞を読んでいない、地元の情報を知るためにとっていたが読む暇がないのである。情報にしても今はインタ-ネットもあるからそんなに読めないのである。活字を読むのはテレビとは違い結構手間であり疲れるからだ。テレズでも今はいろいろあるから見るのも大変である。だから2時間の番組があるけどあういうのは現代にはあわない、簡単に要約したのがいいということである。それだけの時間がないのである。情報の摂取にしても変わっている。プログでもこれを毎日読むとなると結構時間がかかる、書く方にしても時間がかかる。三時間くらいは構想して書くのにかかるのだ。読む方にしても時間をさくことになる。一日の時間が限られているとしたらそんなに読めないのである。新聞は無駄が多い、半分は宣伝だとか無駄が多い、スポ-ツ欄と芸能欄など関心がなくてものっている。今はみんなこの辺では原発問題に注目している。それらを中心にまとめてもらいばいいのであり他の大部分は無駄なのである。だから新聞はだんだん読まなくなるだろう。本の読み方にしても変わった。自分の興味があることを検索してこんな本があったのかとアマゾンで注文するから結構買う本が増えたのである。自分の書くのにあわせて買っているのである。こういう本の買い方は今までできなかった。情報分野では相当な変化がありスマホとかでもありこれにはついていけないのだ。
老人は変化に対応できなくなるのだ。


だから注意しなければならないのは原発避難民に対する風当たりが今は強くなっている。補償金だけもらって遊んでいる。補償金もらうからと地元に帰らない、仮設を離れると補償金がもらえないから帰らないというのは外部から批判される。金があるからとそれですべてが解決するわけではない、
ただ人間はどうしても楽な方を選ぶのである。補償金をもらっていた方が楽だとなるとわざわざ苦労して地元に帰るのは嫌だとなる。特に老人が多いとどうしてもそうなるのだ。ただそうしていたら外部からの批判はいつまでもつづく。移転先でも心情的に受け入れられない、そうしたらいじめとか差別がこれからも起きてくる。そういう状況の変化にうとくなっているとやはり問題が起きてくるだろう。津浪原発事故から二年になろうとしているけどやはりこうした状況の変化に対応しないと外部からの批判にさらされて福島県自体がマイナスイメ-ジしかなくなってしまうのである。

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2013年02月02日

原発避難者が内部で争い国民に責められるのはなぜか?) (支配層の策略にのせられている-共通の敵を知るべき-市町村崩壊の危機)


原発避難者が内部で争い国民に責められるのはなぜか?)

(支配層の策略にのせられている-共通の敵を知るべき-市町村崩壊の危機)

●いわき市で起きている原発避難民の差別はどこでも起きている


「誰も望んでいない被災者同士、市民同士の摩擦が広がっている。
地元の津波被災者より原発避難者ばかり優遇されるなんて・・・」
http://kasakoblog.exblog.jp/18069956/


いわき市にも津浪の被災者がいてその人たちには援助がない、原発避難者には援助があり津浪の被害者は忘れられている。確かに原発避難者の方が数が多すぎるから津浪の被災者は目立たなくなっている。でも実際津浪の被災者も援助がないとすると深刻である。そこで原発の被災者に対して不満をぶつける対立してくる。これは相馬市でも起こった。トマト栽培の農家に飯館村の人が就職しようとしたら断られた。津浪の被災者を優先して雇うためだという。理由は相馬市では松川浦や磯部で大きな津浪の被害がありその被災者は原発避難者のように補償金をもらっていないからだ。他でも相馬市の人は原発被害地のように補償金を全くもちっていないから不満なのである。それで買い物を見ていて贅沢しているとか不満を言う人がいる。

それはやはり生活に余裕がない人たちはそういうことを言いやすいのである。生活に余裕があればそんなこと言わないのである。どこでも底辺層がいるしそういう人たちは特別買い物まで見ているのが田舎なのである。あいつはいいものを高いもの買っているなと見ているから田舎はなかなか目立った行動ができないのである。金持ちは住みにくいのが田舎である。どうしても平均的に生きることが要求されているのだ。本当に津浪の被災者は原発避難者のように援助がないから仕事をするにも大変な苦労している人が宮城県や岩手県などでもいる。その人たちから見れば原発避難者はうらやましいとなるのもわかるのだ。切羽詰まったところに追い込まれている人も多いからだ。ただ浜通りは津浪の被災者と原発避難者が混在しているからややこしくなっているのだ。津浪の被災者となり原発避難者となっている人もいる。相馬市は原発避難者を受け入れて補償金がもらえないからいわき市とにているのだ。


●原発避難者の不安



原発避難者は何かと批判を受けています。何か大きい買い物しようと思っても、贅沢してるんだとか言われて世間の目が怖いです。 主人の車が17年目を迎え、そろそろ買い替えてもいいかなと思いつつも原発避難者は新車に乗り替えてると批判を目にします。
確かに精神的賠償は貰っていますが、主人は働いていて休業補償は貰っていません。パチンコもしてません。外食ばかりもしてません。
中学生の娘は美容室で『避難民は遊んで暮らしていけるんだってね、絆なんてもういらないわよね〜』という会話を直に聞き悲しいと言ってました。原発避難者は大人だけではありません。子供達が聞いて傷つくこともあると知ってもらえたら…と思います


二重生活と言いますが、家賃は無料ですよね。
月一人10万もらい、さらに、一人100万貰ったはずです。
医療費無料、高速無料、義援金も津波被害と同額もらい、次は600万一人貰うでしょう。
んー、
多分今までどれだけ原発から恩恵受けてきましたか?
その恩恵も忘れて原発に文句ばかり言ってるから叩かれると思います、特に津波被害は義援金そこ付きひさんですよ。
義援金原発避難者に回さず津波被害に回すべきの気持ちが県民に多くありますので、原発避難者にきつい目でみると思います。
ま、一番は今までどれだけ原発から恩恵受けてきましたか?
これが、いわき市市民の声です。


原発反対者はおそらく福島県民に対しては同情的です。

しかし、福島県民をたたかれているのを見て喜ぶ連中もいます。
それはこの国の支配層です。
貧しい者がたたきあうように仕向けるのは、江戸時代から続く我が国の歴史的伝統です。
おわかりですね。福島県民を悪者のように風評している大元は誰でもない、この国の支配層なのです。
あとは、そうとはばれずに、忍びやかに福島県民を貶めていけば、勝手に国民同士いがみ合っていってくれるだけです。
貧しい者から奪い続ける者は安泰というわけです。
その手を使えば福島県民の損害賠償も低く抑えることも可能ですね。


知恵袋にもそういう工作をする人がいるんじゃないですかね。証拠はないですが。

私は大多数の日本国民は福島の人の側(がわ)にいるべきだと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1285771587

 


福島県民でも原発避難者でもそれだけ被害を受けたのだから補償金をもらってはじるべきでないという意見は普通にある。応援している人も
全国にいる。これは一方で支配層の策略ではないかと前に書いたが何かそういうふうにしむけられているのではないかという疑念が生じた。
なぜ福島県民や原発避難者に非難の矛先が向けられるようになってしまったのか?
それは支配層によって政府や東電や官僚やらによってしむけられたのではないかという疑念である
例え補償金が多額になってももし他の地域で一から始めるとなると家を建てるにしても土地から建物から多額の金がかかる。今の時代なら家を新たに建てるとなると3千万とかそれから支度金として2千万とか5千万くらい必要になるだろう。一億円くれてやれという人もいたが本当に他の地域で新たに生活するとなるとそれだけ大変なことなのである。

今は支配層の策略にのせられている。補償金で内部でいがみあい外部からは国民から補償金をもらう原発避難民だけ得している。そういうふうにしむけられているとも思える。
だから原発避難民や福島県民はもっとそういう方面で協力すべきである。内部で補償金で争うのではなく支配層の思惑にのせられないようにその意図を知り協力する方法を考えるべきである。
ただ現状は何か支配層の策略にのせられていて思惑通りになっていないか?
内部で分裂して外部から責められている状態はそうである。
原発避難民も福島県民も何かそうした支配層の意図がありそれを知り対策をねる必要があるのではないか?やたら内部でいがみあい争っても得なことはないのである。


●地域の人間に違いがあるの?


つーか今回避難してきた人たちと触れ合ってなんとなく思ったことが
小高人と鹿島人って天と地なくらい人間性違うんだが…。


気のせいだと思うが鹿島の人は基本的に意地悪だわ…。

生まれも育ちも鹿島だが、鹿島区民は足の引っ張り合いが大好きだね。
こんな書き込みしてる俺もそうなんだろが...


体育館で3ヶ月近く避難生活していたとき、鹿島のバッチャン達の意地汚さをマザマザと見せ付けられた。
配られる物資の食料や衣類、生活用品などは、配る前から保管してある在り処を分かっていて
大量に良いものだけを選んで運び出していた。
とにかく卑しい連中だった。それが揃いも揃って鹿島区民ときたもんだ。


鹿島はそうなのかもしれん、でもどこでもいい人と悪い人いるからな、なかなかいちがいには言えないな、そもそも田舎は人間がまともなのがいないと思っている。狭い世界で狭い了見の人が多い。
田舎では個性的な人はまれでるある。それは狂人が異常なアウトサイダ-になるのだ。
だから田舎では創造的な生活をすることはむずかしいのだ。ただ自然があるということで創造性が生まれている。

鹿島の住民が意地悪だというとき自分も苦しんでいるときほとんど助けがなかった、回りでは楽しそうに見ていたのかもしれない、田舎の人が助け合うというのは今はない、かえって悪い面が露骨にでてくるところでもある。ただ一般的には金の社会になると人間はどこでも協力しない、助け合わなくなった。自給自足の村だったら自ずと助け合うことが多かったしそうしなければ小さい社会で生きていけなかった。貨幣社会にれば金さえあればなんとかなるということで人と人は協力しなくなったのである。

原町市が外部の人が受け入れやすいというのは本当である。無線塔などが作られいち早く近代化した街だからである。一方は相馬市は古い城下町でありよそ者を受け入れないというのもわかる。
街の作りでも相馬市は駅前から発展したのではない、城下町の作りそのままが残っていたのだ。原町は駅前通りが鉄道と共に発展した街なのである。そういう違いは確かにある。

何か今回ほどこの町はどうだ、この町の住民が性格が悪いとかいろいろ言われた。双葉町は一番言われた。それは双葉町の住民全部が移住したから当然回りから一つのグル-プとして見られるから必然的にそうなったのだ。双葉町民がいわき市に集団移転したからそうなった。別なグル-プとして意識されるからそこにとやかくいろいろ言われ差別が起きたのである。普通だったら双葉町民がどうだ、浪江町民だどうだ、性格が悪いとか言わない、小高も南相馬市内でも移住したから差別化されていろいろ言われるのである。南相馬市内に住んでも今までは小高町民がどうだ鹿島町民がどうだなどと意識しないのである。多少あったにしてもこんなに意識しない、それはこんな状態ではやむをえなかったのである。

ともかくここでも小高町民どうだとか鹿島町民はどうだとか相馬市民はどうだとか言っているより内部で結束して外部に向かった方が得策である。互いにそういう意識をもち外部に対抗する方法をとらないと状態はさらに悪くなってゆく。支配層の思う壺になってしまう。本当の敵は何なのか、みんなで考えて協力する方法を見いだすべきであり内部で争っていて得するのは誰か?そのことを良く検討する段階に入っているのである。


今確かに食うには補償金で困らない、しかし心は分裂している。これは明かに内部から崩壊してゆく危機なのではないか?人間は外部から責められて崩壊しない、内部から崩壊してゆくのが歴史を見ればわかる。モラルの低下とか人心の乱れ不統一とかから内部崩壊してゆく,そういう危機なのではないか?個々の家の争いとか町民同士のいがみあいとかもそうである。自分の一身上に起こったことも内部分裂であった。何かわからないがこの辺を市町村を分裂させ崩壊させようとする悪魔的な力が働いているのではないかとさえ思う。ただ自分自身を襲った犯罪もそうだったし責められたのもそうだった。この辺には何か破壊させようとする悪魔的な力が働いているのではないか?
そういう危機に直面している。ただまだ別に食うには困らないから深刻なものとして意識していないのである。でも心がばらばらになればそういうことは起こり得るのだ。市町村が心の面で崩壊してゆくということである。そういう危機に直面している。

posted by 老鶯 at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2013年02月03日

鬼やらい(健やかな体で鬼やらいをした-人間は健康が一番大事、特に老後はそうである)


鬼やらい

(健やかな体で鬼やらいをした-人間は健康が一番大事、特に老後はそうである)

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この道を行きつ見守る冬芽かな


I keep on looking
buds in winter
in my sight
in my homeland


皓々と無情の跡や冬満月

土台のみ津浪の跡や冬満月
冬の灯やここに移らず一軒屋
二年過ぎ仮設の隣冬灯かな
我が里にはや咲きいずる犬ふぐり
健やかに豆にぎりしめ鬼やらい
我が家や五つつの部屋を鬼やらい


丸き菊姉を思いて墓に挿す微笑みたまわむ年あらたまりぬ

墓隣話すもあわれ同じ町年あらたまりて話しけるかな
この池の氷の溶けず一本の松によりつつ帰る夕ぐれ


ここ何日かの変化を俳句短歌にした。昨日は冬満月が美しかった。今日は星が美しい、昨日はあたたかくイヌフグリが咲きだしたから季節的に立春になる。東北は西よりは一か月は遅れる。なぜなら東京ではすでに梅が咲いているからだ。俳句の季語は西が京都など中心に作られたからあわないものがある。季語はだから地域ごとにそれぞれの季語もある。季語も膨大だいだからすべて覚えられない、冬の灯というとき一軒家があるとしてああ、ここに住めて良かったとか津浪で良くこの家は残ったなとか思うのもこの辺である。残り谷(屋)という地名の実感は津浪を経験しないと納得がいかない、人間は経験しないとわからないことがいろいろある。津浪の跡にはただ冬の月が光り無情である。ただそこに非情の自然の美が映えている。仮設も二年まもなく二年になる。隣合い仮設に住むというのもどんな感じなのか不思議である。まだ長くつづくとなると仮設もなじんだものになる。


今日は鬼やらい、節分である。自分が豆をまいた。部屋が5つつありまいた。ともかくこの6年間は自分は本当に苦しかった。人間は長男となるといつか否応なくその家の責任を負わされる。嫌だといっても負わされる運命にある。両親とかの介護もそうだしその他責任を負わされる。別に長男でなくても50以上になったら誰も大きな責任を否応なく負わされるのだ。それが厳しいと言っても逃れようがないのだ。その間に自分が二つの病院に入院したのだからこのことが自分が病気だったことが一番辛かった。その病気の間でも自分をみる人はなく責められたのも辛かった。病気のときまで責められるのかとがっくりきた。医者にも看護師にも責められた。身よりのない人は病院ほど恐い所がないと実感した。ただ普通の人でも介護する人がいても今は病院は恐いころである。死ぬにも死ねなくなる恐さがある。ということはいつまでも苦しみつつ地獄を生きさせられる恐怖である。ただいつ突然倒れたりするかわからないから恐怖なのである。

今は身体障害者でないし体は健康である。別に旅行もできるし登山でもできるだろう。そういう状態にもどったことが大きかった。健やかであるからこそ鬼を払うことができる。病気だったらどうにもならない、その弱さにつけこまれる、人間の尊厳は失われてしまう。介護してくれる身内がいればそういうことはないがないものは病気ほど恐いものはない、だから病院に入る前に死ぬか野垂れ死の方がいいと思った。動物は誰にもみとられず荒野に死んでゆくから威厳が保てるのだ。

人間は健康ほど大事なものはない、どんなに金があり才能があり家族に恵まれたとしても病気になったら最悪である。徳田虎男氏とか見たらあまりにも悲惨である。大病院をもって最高の看護を受けてもあれを見たらいかに病気が恐いものがすべて台無しするものが一見してわかる。巨大な病院をもち医者も顎で使いてもどうにもならなくなるのが病気なのである。病気になればどんな人間も弱くなる。認知症も脳の病気だから人間が崩壊するからこれも恐い、未だに信じられない病気だった。
人間が何か特別の罰を受けているようにさえ思えた。


今日はやっと墓参りできた。ともかく家事をやっているだけでたちまち時間が過ぎる。家事でも墓が二つあり墓を掃除したりするのも必要であり手間である。墓も近くにないと荒れてしまうだろう。
現実無縁墓ではないが一年に一度も来ない墓がある。そういうものも増えてくるだろう。ただ墓参りするとそこにやはり死んだ人がいる感じがするから不思議なのである。もしそこに墓がなければ死んだ人はどこにいるのか?墓がない森林葬とか海とかに灰を捨てるにしてもやはりどこかに墓がないと死者を偲ぶことはできないのである。

姉は太っていて男勝りだった。自分は女性には本当に詳しくない、知らないのだ。ただ若いときはかわいいとか美人だとかが第一の価値になる。でもまた女性の価値も常に変動している。年とともに価値が変わってくるのだ。50すぎたりしたら美人だとかかわいだとかではない、思慮分別のある賢い女性がかえって価値がでてくる。年相応の価値がでてくる。その時ただかわいいという価値はなくなる。かわいだけで子供のようで何もできない、気がまわらない思慮分別がない女性は価値がなくなる。この女性は人形さんみたいだけどこれもまた50以上になったら社会的責任をもたされる。だからかわいいだけではまた悲惨なことになる。誰かが夫でもしっかりしていればいいが災難がったりすると責任をやはり負わされるからかわいいだけでは責任を負いきれなくなる。思慮分別のある女性はそんなにいないだろう。そういうものに若いときは価値を置かないからあとで失敗したとかなる。美人だとかかわいいとかいう価値も年とともに変わるのだ。美人はあきるというのも本当だろう。女性についてわからないにしてもネットなどで調べるとそんなものなのかと実感ではないにしろ理解できるものがある。

節分の鬼やらいの鬼だが最近鬼とは誰でもなりうる。何かの契機で人は鬼になる。ひどい犯罪にあったら必ずその人も復讐心に燃えて鬼となってゆく。非情な仕打ちを受けた人はまた非情な仕打ちをする鬼となる。虐待されたものは虐待する鬼となる。そういう鬼に自分はここ6年間責められてきたからこれは実感である。人間の心にこそ鬼が住み人間には天使にも悪魔にもなる。悪魔といっても外部にあるのではない、人間の心にあるのだ。一念三千の心が人間にはある。だからこそシェ-クスピアのような作品が生まれた。一人の人間があれだけの心をもっていたから書けたのである。人間は自分もだが鬼にも悪魔にもなりうる存在である。ただ自分の場合そういう契機がないだけだったのである。これだけ非情の仕打ちを受けたから自分は一時は鬼の心になったのである。ただその心も常に変化しているのだ。鬼の心から仏の心にもなるのが人間の不思議なのである。


ともかく今年は春になったらかなり活動できる。ただ介護は継続中だから一日の旅にも出れないのである。介護は今は本当に長くつづきすぎるのである。この時間のロスも大きいだろう。40代とかで介護になって仕事をやめたりした人がいるがそれは貴重な時間のロスなのだ。ロスが大きすぎるのだ。自分の場合は60才まで自由に旅したのだからあきらめられるが他の人はあきらめきれないのである。

 
 

2013年02月04日

故郷や家が意味するもの (故郷を喪失することは記憶が喪失すること)


故郷や家が意味するもの

(故郷を喪失することは記憶が喪失すること)


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原発事故では様々な信じられないことが起こった。故郷に住めなくなる、故郷がなくなる、喪失するということも信じられないし想像すらできなかった。そして今もみんな自問自答している。この辺は故郷は住み続けられのとか住むべきなのかとか問われている。それはやはり前のように前向きに故郷に住むという条件が失われたからである。だから現実にに若い人は新し生活の場を求めて流出した。

でも老人は簡単に離れられない、それはなぜなのか?土地をもち家があり墓があり長い間住んで場所だからそこには記憶が刻印された場所だからである。家でもやはりすでに40年間くらい住むとそこが濃密な記憶の場所となり例え家族が死んでも家には霊となり住んで離れないということを実感した。それぞれの家は違ったものであるが家には死んだ人も離れず住んでいる。これは理屈ではない、実感なのである。自分は二つの家に住んだ。一つは昔の古い家でありもう一つは築40年になる新しい家である。前の古い家はただ記憶としてしかないがその家がなくなってもその家があったときから住んでいた家族がいたから記憶がその家族を通じて継続している。自分の記憶は60年間一緒に住んだ姉と結びついている。普通の家族ではないにしろ結果的にそうなったのである。それが悪いとかいいとかを言うのではなく結果的にそういう家だったということである。


この家はやはりつくづく男勝りの父親代わりの姉の家だった。結果的にそうなっていたのである。だから姉が主の家だった。姉は二階の八畳間に寝起きしていた。そこに自分が寝るようになったときそこに確かに姉がいた。姉がいたというとき姉は子供のときから一緒の家でありそこから継続して一緒に暮らし今は死んでいない、墓に納まったが姉はやはり家にいる。父は子供のとき死んだから古い家にいたのでいる気がしない、姉は父が死んでからもさらに50年近く一緒にいたのである。そのことは他人には理解しがたいにしろそういう時間の長さがもはや消えない記憶として定着していたということである。これは別に老夫婦でも40年くらい一緒に同じ家に住んだら片方が死んでもその人は同じ家に住んでいる感覚になるだろう。家は記憶を保持する形なのである。


家は時間のかたちである


家そのものは記憶である。


家には家霊が住む


特に家は女性なのである。嫁というとき女+家であり女性は家と一体化する。家は女性の子宮のようなものであり男性はその子宮から生まれ育てられ家と一体化してゆく。ただ男はこの家と化した女性から脱出するのも宿命としてある。この家にとらわれると創造的生き方はできないというのも真実だろう。家は女性であり母性であり女性により安らぎを与える場なのである。そして記憶が保持される場所なのである。そこには愛があり愛につつまれているのだ。だから女性は特に家から離れたくない、男もそうだが家で死にたいというときそれは人間の本能的な感情であり理屈ではない、家はまた時間を継続する場所でもある。だから家族が死んでも家族はなお家と共に生きているのだ。だから家がなくなるときこの辺では家が壊されて更地になったところが結構ある。その家は喪失して記憶も失われとなる。もし住んでいれば記憶の継続があるが家がなくなりそこに住む人もどこに行ったかわからない、その家の記憶は失われたのである。ただ街中の墓地に墓が残っていた。それで墓にはその家が故郷にあったことを知った。でもそれは無縁仏のように隠されたようにあった。その家があったことを記憶している人はまれだろう。たまたま近くにあったので自分は記憶していたのである。


人間のアイディンティティは空間軸と時間軸で形成される。旅だと空間軸の記憶であり時間軸で記憶されたものを知ることがむずかしい。同じ道でも何度もそこを通り時間の中で空間も記憶されてゆく、一回くらい通っても記憶されないのである。そういう濃密な時間軸と合体して記憶された場所が故郷でありその中心に家があるのだ。だから故郷から離れ家から離れ仮設住宅に住んだりするとそうした記憶がただ頭の中だけになる。場所と結びつかなくなるのだ。記憶は場所と結びついて強固なものとなるのだ。そして記憶を失うことは人間の存在基盤であるアイディンティティを失うことなのだ。だから認知症のようにその人は生きながら死んだとさえなる。認知症になると空間認識ができなくなり迷うのとにている。そこがどこで何なのかすらわからない、自分の生まれ育った場所すらからなくなる。その地名すら言えなくなる。そして「ここはどこですか」「あなたはだれですか」となる。それは故郷でもそうであり息子娘の名前すらわからなくなる。顔を見てもわからなくなる。そうなればすでにその人は死んだと同じではないか?記憶を失うことは死と同じである。生きるアイディンティティをすべて失ったということである。


空間軸で考えると故郷も相馬藩の一村から相馬藩全体としての時間軸があり空間軸がある。歴史的空間と時間軸がありアイディンティティは形成されている。大和というとき奈良を中心に場所に密接結びついて形成されたものである。万葉集は必ず場所と地名と結びついて歌われたのが多いのはそのためである。ヤマトというのは一地域の名であり狭い範囲だったのである。それは日本を現すものとなった。人間が生きるというとき空間軸と時間軸で人生を形成する。それは記憶として継続保存される。だから一人の人間が死んでもその記憶は継続されることに人間が歴史を形成する唯一の動物だとなる。つまり記憶を失うとき人間は人間でなくなる。動物的生であり継続されるものは何もない、動物には過去がないからだ。だから人間はそうして長い時間で継続してきたアイディンティティの場所を簡単に離れて住めるものなのだろうかという疑問がある。もちろん別に新たな場所でアイディンティティを見いだすことがある。でもそのためには時間が必要であり老人にはもはやその時間ないから長く住んだ所から移り住むということはむずかしいのである。

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2013年02月05日

冬の雁(東風はまだ吹かない)

 

冬の雁(東風はまだ吹かない)

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写真はここに
http://www3.famille.ne.jp/~ochi/izunuma/magan-3.html


朝明けぬ残月光り冬の雁


北風の家に唸りて姉建てし家を我が継ぎ八畳間に寝る


夕べから北風がまた唸り吹いて寒かった。久しぶりに朝早く起きた。朝日に赤く雲が染められていた。そして外に出ると残月がこうこうと光っていた。残月はあまりこんなに光っているのを見ない、
月の様子も常に変わっている。自然はいつも同じではない、自然は飽きないようにできている。
その美は千変万化なのである。その時一群の雁が東に向かって飛んだ。寒いから空気が澄んで気持ちよかった。本当に自然は美しい、人間は汚い、田舎の人間も汚い、ただ自然があるとき心も清められるのである。人間の生活を隠せと詩人が言ったときまさに人間の生活が自然に隠されていたときまさに自然のみが映えていたとき美しかったのである。大都会に人間の生活がむきだしになり醜さでおおわれている。あういうところに良く住めるものである。ということは人間は美の感覚に麻痺してしまっているとしかいいようがない、もし美の感覚があればギリシャのように自然との調和を計っていたからである。

北風でもあたたかい北風だと春北風(はるきた)となる。これもまたすでに何日か前に吹いた。立春を過ぎても東北はまだ冬である。この風の感覚はその土地に長く住まないとわからない、風は極めて風土を感じさせるものなのだ。風と土ということでまさにここに風があるのだ。風はその土地でしか感じられないのだがなかなか旅ではこの風はわかりにくい、一年の内でどういう風が吹くかわかりにくいのだ。冬の間は浜通りは北風であり山から吹いてくる。ただ春になると東風(こち)が吹いてくる。この風が吹いてくるとき春がきたと思い何か遠くへ旅したくなるのだ。
 

東風(こち)について

 もともと季節に関わらない、東からの風である。例えば『万葉集』には、萩を散らず秋の「朝東風」(巻十)が詠まれている。


「匂ひきや
    都の花は東路(あずまじ)に
       東風の返しの風につけしは」
      (『後拾遺集』雑五・源兼俊母)(かねとしのはは) 


東国に暮らす姉妹の康資王母へ(やすすけおうのはは)の手紙に、都の花の香が届いたかと思いやった。東風の返し=西風。
 
 太宰府への配流を前に菅原道真が自邸の梅に詠みかけた超有名な和歌がある。


万葉集に萩を散らず秋の「朝東風」とあるのは秋に東風が奈良で吹いていた。別に春に吹く風ではなかった。東から吹いてくる風が東風(こち)だった。ただ東風は春に吹きやすい風である。


東風の返しの風につけしは・・・この表現は面白い、春に東風が東路に吹いてくる。都の花の香りをのせて吹いてくる。東風の返し=西風 みちのくから西風にのり手紙の返しがあるというのもすでにいかにみちのくでも京都と都と交流が深くなっていたのである。

今年は西の栄という新年の俳句連作を作ったし前にも桜についてかなり書いた。インタ-ネットで便利なのは東風(こち)というキ-ワ-ドから全国的に知識を広く展開してゆけることである。ええ、こんな短歌があったのかと発見がある。


「東風(こち)吹かば
    匂(にお)ひおこせよ梅の花
       あるじなしとて春を忘るな」       
          (菅原道真『拾遺集』雑春)

これが一番有名だけどこの辺では原発事故で避難して家が空になった。町村自体も人が住んでいない、ただ家が残されているしやはり庭に梅の木があり花が咲く・・ということはこの歌と同じである。そしてこの東風(こち)は災いの風だった。ちょうど3月11日の事故の日に吹いたために飯館村が大きな被害にあったのだ。風が災いしたのである。
 

抽象画(spring colours)



抽象画(spring colours)

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spring city

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springcolourssss333.jpg

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spring flower

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抽象画はきまぐれであり計画的にはできない
ただパソコンで無邪気に子供のように遊ぶときできる
ただ大人だからそれらしい名前を与えるのである
これはソフトの遊びなのである


2013年02月06日

抽象画(春の地球の色合い)




抽象画(春の地球の色合い)

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spring colours

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street colours

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spring palace

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地球の多様な色合い

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大地の褶曲

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地震の巣


それらしい名前をつけたけど抽象画は謎である
これって何だろうとなる
やはり芸術の一つだろう
パソコンから生まれた新しい芸術の一つだろう
作っている方もわからないのである

2013年02月07日

森の風倒木(雪はふるかな-詩とエッセイ)


森の風倒木(雪はふるかな-詩とエッセイ)

山鳩の里に飛び来るイヌフグリ
この家や椿の赤く残る雪


雪ふりしあとに松風寥々と鳴りつつ雲の流れゆくかな

雪の上に小鳥おりきて歩むかなこの道行くは我が一人かも

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 森の風倒木


風倒木が森に一本
この道にいつも倒れたまま
北風が唸り吹き
今日もこの木を見る
この風倒木は死んでいるのだろうか
寝ているけど97の母はまだ生きている
そのようににまだ死んでいない
ここにある限り死んではいない
今日はまた昨日ふった雪が残っている
風倒木はもの言わず倒れたまま
ここにありてその存在を示す
やがてこの倒木も森に朽ちて
森の土となるのだろう
そうなるまでもまた長い年月
故郷のこの道をまた通りて
この風倒木を我が見つつげる
時間の継続で生き続けるもの
近くに墓所があり墓もそうだろう
故郷にはそうした継続がある
存在の継続がある
それがたたれたとき
存在する場を失ったとき
人は記憶からも消えて
存在の証も残せず
人の心の中からも全く消えてしまう
・・・・・・




昨日は雪だった。一日雪だった。この辺では長く雪がふることはない、夕暮れまでその雪をながめていた。その雪に浄められた。

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   ゆきはふるかな

うつくしくきよらかにゆきはふるかな
おやみなくゆきはふるかな
ひとひゆきはふりつつゆうぐれぬ
なべてをかくすゆきはふりつむ
ゆきぐにのいえはふりにふゆごもる
そのひはながくもゆきはふるかな
よのみだれとけがれとつみを
うらみとにくしみもよのならひ
いやしきものをつつみかくして
そをつつみかくしゆきはふるかな
しんしんとよふけてなおもゆきはふるかな
ひとのよもいつしかおわらむ
ああ きたなきよよ うつくしきゆきよ
このよにうまれなみだはつきじ
なべておいてはかなしきものとなれ
よふけてなおもゆきはふるかな

 


この辺では雪はまずなかなか鑑賞できない、消えやすいからだ。一日雪ふる日はまれである。でも考えると会津や新潟で毎日雪がふっている。このように雪を見ているのだ。雪はやっかいなものでもたまにふれば雪はきれいだな、心も清められてゆく、雪国ではそうはみていないだろう。雪かきがまた大変だとなる。その感覚が結局すこに住んでみない限りわかちないものなのだ。
雪はただ外から鑑賞すると美しいなと思う。それも事実でありまたそこに暮らすものにとってはやっかいなものである。冬の間この雪に閉ざされている感覚が実感しにくい、福島県でも浜通りと会津ではまるで気質の違ったものになる。山もそうだが雪の感覚もわかりにくい、日本海側もそうである。この雪を理解しないかぎりまたその土地を理解できないのである。
浜通りは常に海を見ていた。海の幸もあった。今回津浪に襲われて大被害を出した。これもまた海に面して住むものの宿命だったのである。それは雪ともに暮らす他ない会津とか新潟とか日本海側の生活と同じである。自然はそれぞれに違った恵みと苦難を与えるのである。それが自然なのである。


ただ自然と共に生きるということは森の倒木の詩のようにやはり自然の中に人間の存在価値が生まれ美しいもののなかに生死がある。都会とはそうこが違っているのだ。この倒木はまた人間にも見えるのだ。この倒木はやがて土となり森に還る、それまでに長い年月がかかる。そういう長い時間の中で命は見つめられ生きて死ぬのである。自然の中に生きることは厳しいことだけどまたそこにはいつも美があり人間もその中にとけこむのである。人間の生の意味も自然によって意味づけられ価値づけられるのである。田舎でいきるということはそういう存在価値を自ずともつのである。大都会のビルの谷間で死ぬのとは違っている。だから自然の中でかけがえのない命を生きると都会から農業をして
極貧の中に山尾三省は死んだのである。こういう意識をもって生きている人は田舎にもいない、だからこそ原発の金に群がり放射能に故郷は汚染されて住めなくなったのである。

もちろん現代では農業とか漁業だけでは生きられない、ただ何か田舎でも自然を深く意識して生きている人が少ないのである。ただ美的にだけ生きられかともなるが自然の価値がどういうものか意識していない、だから安易に原発でも誘致して金になるのを目指したのは反省する必要があるのだが
田舎に住んでいてもそういう意識で住んでいる人は少ない、自然の中に無意識に住んでいる。
でも原発事故はそういうことを見直す契機となったのである。その自然でも台無しにして住めなくさえなったことは何を意味しているのか?それはすべての価値を失うことに通じていなかったか?
そういう反省を強いられたのである。


詩集の部を作った、百篇の詩をすでに書いている。外国を旅した詩なども書いた。結局三つのプログを書き続けることはむずかしかった。管理することもむずかしい。我ながら人生の最後を迎えいい詩ができる。総決算としてできる。これも不思議である。自分は故郷の自然と共に生きた。それを基にして詩も作った。故郷という自然がないと外国に行ってもまたその意味がわからない、故郷と外国と何の関係があるのかとなるが自然ということでは共通性があったのだ。自然の感覚をみがく場所がないなら芸術もありえないのだ。それは日々そうでありそこから世界的な視野まで広げるのである。
都会では自然への感受性をみがくことができないのである。だから都会から天才も芸術家も出にくいのである。ヨ-ロッパでも天才や芸術家が生まれたの自然の豊かな地方都市だった。自然を離れて人間は本当の価値を見いだせないのである。

2013年02月08日

良い姿勢も生活習慣で作られる (人を見るとき姿勢が大事なのはなぜ!)


良い姿勢も生活習慣で作られる

(人を見るとき姿勢が大事なのはなぜ!)

姿勢というとき言葉をはればまさに姿の勢いなのである。その姿に勢いがあるかどうかが姿勢なのである。living attitude なのである。


figuratioを遡ると、「姿」「形」の意のfigura(フィグーラ)や、「つくり上げる」の動詞fingere(フィンゲレ)になり、同じ語源では英語のfigure(フィギュア)があります。
このfigureの概念は、ギリシア語で「形」を意味するschema(スケーマ)の翻訳語ともされていますが、このschemaから来ているのが英語のscheme(スキーム)で、「企画」「枠組み」などで訳されています。


figureにはいろいろ意味があってももともとは形にすることであり解決するということはfigure outである。

人間を見るときまず顔を見るということがある。顔も大事なのだが実際体全体が大事であり姿勢が大事なことがわかった。姿勢がいい人は見ていて気持ちいいのだ。なぜ老人が醜く見えるのか?
顔も肌も老いて醜くなるのだが姿勢が悪い人が多いからではないか、それは肉体的衰えもあるが姿勢から精神が歪んでいる感じも受けるからだろう。回りを見回しても60代くらいになると姿勢が悪くなる人が多い、体型も悪くなり歪んでくる。自分も痩せ型なのに腹がでていたりする。どうしても年とともにそういう人が多くなってくることが印象を悪くしているのだ。


美人の要件として姿勢がいい、スタイルがいいことである。顔よりスタイルが大事だという人もいる。人間は体全体から何かを発している。同級生で背の高い人だったがせむしのようになっていたのには驚いた。あの人は表に出れないだろう。人に見られないように家にひきこもっている他ないだろう。ある人はぶよぶよに太っている。ある人は脚が曲がったように見える。ある人は体が太鼓腹であり脚が短く体型自体が生まれつき悪いのだろう。それに加えて心も曲がっているから体と心が一致してしまった。ダンテの地獄編では体が変形した人が良くでてくるけど悪しき心が変形して歪んだ体となったのである。ただ若い内はたいがい体に生気があふれ姿勢がいいから若い人と接することは老人に接するより気持ちいいのである。若い人はまだ世の汚れにもそまっていないから気持ちいい人が多い。若い人のすべてがそうでないにしろ一般的にはそうである。
姿勢はそもそも生まれつきではなく作られるのである。人間なんでも生まれつきだと思っているけど違う。双子がいたけど筋骨隆々になったのは重量挙げをしていたからみたいだ。双子でも全然違った体型になってしまったのだ。その後訓練で双子でもまるで違ったものになっている。その生活習慣でもそうである。人間を決めるのは生活習慣だというのも本当である。もちろん生来のものもある。

自分の場合、体も弱く心も弱く能力もまるでなかった。でも結局長い人生で生活習慣でなんとかさほど病気もせずにここまで生きられた。体力的にも知的にも優れた人はいる。若いときスポ-ツができて知的能力も高い人がいる。高校生のときから柔道ができるとか体力がある人がいる。そういう人を見ているとうらやましいとなる。知的に勉強できる人は体力がないように見えるからだ。でも実際は勉強もできて体力もある人がいる。そういう人はやはり社会的に上のクラスに自ずとつく。やっぱり人間は頭脳が大事だといっても体力もその基礎にある。芸術だと本当は体力がないと巨大な芸術家にも哲学者にもなれないだろう。なぜならこの大自然を詩にするにしろそれ相応の体力かないと健康でないととても詩にできない。だから巨大な芸術家は超弩級の体力かあった。牛という詩を作った高村光太郎、その体自体が牛のようにさえ見える。頑丈な体だったのである。彼は彫刻家でも彫刻家は頑丈な体の人が多いかもしれない、それはかなりの肉体労働になるからだ。牛になるきるには牛のような体力が必要だとなる。虎の詩を書いたブレ-クも異常な体力の持ち主だった。天才はそういう人が多い、上野霄里氏とかニ-チェもそうである。体力がなければあれだけのものも書けないのである。


一般的に詩人薄命だとかいうように詩人には柔弱な人が多い、自分もその一人である。ただ人間の不思議そうした柔弱でも生活習慣でそれなりの体力を身につけることができるのだ。もちろんそれには限界があるにしろ生活習慣でできる。酒を飲まないとかタバコを吸わないとか日頃運動しているとかはできるのだ。現代の生活は昔のように第一次産業に従事する人が少ない、工場とか会社のデスクワ-クとか不健康なのが多いから姿勢も悪くなるし人間に生気がなくなるということがある。人間の姿勢は一生の間で作られるのだ。奇妙な話だけど自分の場合は常に自転車にのっていたから自転車に乗る姿勢になっていた。自転車は極めて自然を感じるものである。風を必ず受ける、風に向かって走るのである。そうすると風に向かう姿勢になるのだ。車はそういうことがない、自然をさえぎるからそうした姿勢になりにくいだろう。だから姿勢も長年の習慣で作られる。商売人でもしょっちゅうおじぎばかりしていたらそういう姿勢にならないだろうか?デスクワ-クの人はどうしても前かがみにならないだろうか?現代人の仕事はそういうのが多いから姿勢が悪い人が多いともなる。

高橋英吉の彫刻の漁師は潮風に向かって胸を反って立っている。あの姿勢は漁師だからこそあのようになる。漁師も常に潮風を受けて働いているからそうなる。高橋英吉も自らも漁船にのって遠洋航海で働いたというからそれだけの体力がありあれだけのものをあの若さで作ったのである。これも天才だったが戦争で死んでしまったのである。あの彫刻には広い海からの風を常に受け波の音を聞き常に海に向かっている男の姿を見事に形にしているのだ。日本ではヨ-ロッパのように人間を彫塑にする芸術があまりなかった。自然を立体的にとらえる力が不足していた。だから立体的な建築も発達しなかった。だから姿勢の芸術たる人間の彫刻力がなかった。


ともかく姿勢が生活習慣からつくられるというとき現代は生活習慣がその仕事上も悪いから悪い姿勢になる。職人でも自分が接した人はもともとすでに柔道しなくても柔道何段かの体力があるような人だった。見ているだけでうらやましくなった。職人でも体力かないとできない、それに加えて技術力やセンスもないと一流にはなれない、だから優れた職人も長年の生活習慣でその姿勢が作られる。だから昔は姿勢のいい人が多かったかもしれない、肉体労働がどうしても多かったからである。
一般的にスポ-ツできる人は姿勢がいい、武道をする人は姿勢がいい、背筋が伸びていい姿勢が作られる。だからもともと武道は姿勢を重んじていたのだ。姿勢が人間を作ると思っていたから姿勢を良くするものとして発達した。剣道でも柔道でも武道をする人は姿勢がいいのである。

ただ人間は生活習慣で作られる。生まれつきがあっても長年の生活習慣か人間を作る。病気も生活習慣からなるのが多いとしたとき健康も生活習慣によって作られるとなる。どうしても生まれつきが影響しても現代のように体力がなくても長生きができる時代なのは環境のためである。栄養もとれるし過重な労苦を強いられないということもある。自分の場合は生まれつき弱くてもそういう環境と生活習慣でこれまで生きられたとなるから恵まれていたとなる。昔だと無惨に才能があっても死んだ人が多いのである。まず自転車にのることが人生だったなどということは昔ならありえない、現代のような恵まれた時代からそんな人もありえたのである。ニ-トなどありえないのが昔である。


漁師の像


漁師は常に大海に向かって立つ
筋骨隆々として波がその体を洗う
波はその体全体に轟いている
直射日光が体に射しつけ
その眼は海のかなたを見つめ
遠方から来るもの望んでいる
胸は希望にふくらみ常に潮風を受けている
常に大海から吹いてくる風に向かって立つ
あたかも岩壁のように打ちつける波に向かって立つ
その姿は凛々しく自然が人間を造形したように
大海に向かって立ち波と光と風のなかに立つ


石巻-潮音-漁師の像が立っている
http://ishinomakinews.blogspot.jp/2012/11/hibi1120.html

 

2013年02月10日

津浪から二年過ぎようとして感想の短歌十首 (二年過ぎて現実感がひしひしと迫る)


津浪から二年過ぎようとして感想の短歌十首

(二年過ぎて現実感がひしひしと迫る)


一瞬に奪われる命いづこにや嘆けどなきや波の音ひびく

なお消えぬ傷痕深く津浪跡家しも建たず土台のみかな
形見にそ残れる松の凄まじく海に向き立ち海し離れじ
なお海に生きむとするや若者のよそより来つつ根ずかむとす
恐ろしき津浪にしあれその記憶大地に留め消えざりしかな
大いなる海の力を知らしめぬ傷跡消えじもなお生きるかな
鎮魂のいかにあるべし術もなく津浪の跡や二年過ぎなむ
一瞬に奪う命や何故に天も恨みぬいやさざりけり
一瞬に奪う命や短きに世は変わりゆく無常なるかな
地名より人の命の短きに世は変わりゆく無常なるかな
人の世の栄は一時消え失せぬ津浪の跡の寒の月かな


津浪というのはまず普通の感覚では想像しえないものであった。最初はこれは何なのだとか現実だと思えなかった。夢のように思えたのである。それはその後も長くつづいた。今でも何か現実に思えないところがあるのだ。津浪の恐怖は一瞬にしてすべてを失うということである。家も家族も失って土台しか残っていなかった。そんなことがありうるのかと別に家族を失った人でなくても現実のように思えないのである。津浪はだから普通の台風とかの災害とは違う。一瞬にして村や町自体すら消えてなくなるという恐怖だった。こんなことがありうるのかという恐怖が未だにある。
最初は津浪から原発事故が重なり本当に世の終わりが来たかと思い震撼とした。
ともかく原発事故で町ごと避難した人たちでもこれは何なのだという現実感をもつことがむずかしいのではないか?今でもそうではないか?そういう戸惑いのなかにまだあるのではないか?
そのことが復興へ向かわないものとなっている。何をどうしたらいいのかという明確な指針が得られないのである。


ただ二年過ぎようとして何か現実感がでてきた。三陸では他から来た若者が地元の人たちと一緒になり海産物屋で働きここに定住しようとしている放送があった。大工の人も関西から来て地元の人と結婚した。新たな段階に入って津浪の被害から現実的に厳しいが立ち向かうという姿が見えた。でも町自体が崩壊しているような状態で人も流出しているからこれからどうなってゆくのかかなり厳しい道のりになる。ただもう夢のようだとか言っていられない、現実を見据えて立ち向かわねばならない状態になってきている。

津浪で死んだ人の鎮魂ということも一瞬にしてこれだけの人たちが死んだということが何なのか?
どう対処していいのかわからないのだ。それは家族の一人が死んだとか一家族の問題でもない。
神を恨むとか天を恨むとか言っていた人もいるけどその気持ちもわかる。一瞬にして無惨にこれだけの人の命も財産も奪うということがあまりにも無情、非情だったのである。
そして人間の命は地名より実にはかない、地名でも千年とか前からあるものが普通にある。
人間で何か残るかとなると名前すら残らない、名前が一行でも残っているのはいい方である。その名前しかわからないのが無数にある。その名前をいちいち気にしてその人を考える人もないのだ。
地名はその土地に長く記されているから人間より寿命がはるかに長いとなる。


そして明かに大地に津浪の痕は刻まれていた。地層に残されていたのだ。400年に一回しか来ない津浪でも地史的に見ればそれは規則的なものであり大地に記される。最近貞観津浪でも慶長津浪でも地層を調べてその痕が大地の残されていたのだ。そのことを東電に忠告しても聞く耳をもたずだった。相馬でもその地層が発見されていて自分も時事問題の深層に書いていた。これは実はもっと注目すべきことだったのである。本当に相馬でも奥まで津浪がきていてその痕跡が発見されていた。
それを大々的にとりあげる人もいないし考える人もいなかった。
仙台の不動産業者が海の方に開発した宅地などの価値が下がると津浪のことを警告していた学者を脅迫していた。この体質は東電と同じだった。ただみな利益だけをがむしゃらに求めて他は見えなくなっいた。そのことはみんながそうであり400年前のことなどもちだすな、まして千年前のことなどもちだすなとかなっていた。それは人間の奢りだった。


今回はそうした人間の奢りが打ち砕かれたのだ。津浪の防波堤にしてもあれだけ高くしたから安全だというのが奢りだったのである。自然の力は人間の知を越えていることをまざまざと見せつけられたのである。自然は人間の力で計ることはできない、計られるているのは人間の方だったのである。神の力は計ることはできない、人間は計られている存在なのである。科学がこれだけ発達したから科学者の奢りもあった。原発事故でも百万年に一回しか事故は起こらないと真面目に言っていた。これも科学者の奢りだった。科学者は神の力を手に入れたようにおごるようになっていた。今一番崇められているのが科学者であり医者とかでありその人たちはやはり何か奢りがあった。謙虚さを失っていた。人間で一番恐ろしいのは奢りである。それが人間自体もこの世自体も滅ぼすのである。

posted by 老鶯 at 16:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係