2013年01月26日

冬の海(津浪によって変わった海岸の景色と心の変化)


冬の海

(津浪によって変わった海岸の景色と心の変化)

なじみゆく仮設の店舗冬の暮
小高の人差別されるや凍る雪
故郷や冬の日長く根を張りぬ


the long winter days
the deeply rooted place
in my homeland


一本の松の残れる津浪跡冬の海にし沖行く船見ゆ

松原の消えて残れる数本の松の淋しく冬の海見ゆ
海老村に自衛隊の人また来る冬の海見つ帰りけるかな
海老村の消えて淋しく何残る土台のみかな冬の海見ゆ
二本の庭の樹なおも寄りあいつ名残なるかな冬深まりぬ

二本の松の形見と残るかな寄りあいにつつ冬深まりぬ

ebiwideee111122222.jpg

パノラマ写真-クリック拡大


matuuuuu1111212.jpg
右田の松原

右田の松原はいい松だった、その前に実りがあった。
それが消えてしまった。松原があり米の実りがあり
それがにあっていたのだ。



浜通りは会津などの山国と違って海によってその生活も心も形成されてきた。だからこの相違は大きい。海からの風を受けるだけで心の感じが違ってくる。春を告げる東風(こち)の風は海から吹いてくるから広大な海を意識する。山国だと山から吹いてくるから違ったものとなる。この風の感覚はそこに長く住んでいないとわかりにくいのだ。人間の文化は本で読んでも映像で見てもわかりにくい、風を感じるにはそこに長く住んでいないとわからないのである。


右田の松原はいい松原だった。松川浦の松は何か細い感じがしたが右田の松原は太い感じがした。だから結構古い松が多かったのかもしれない、その松原が津浪で消えた。そしてあとに残ったのが数本の松である。今までは松原であり一本一本の松を意識したことがない、今は残った数本の松を一本一本として人格的に意識する。良く残ったなというときその松が人間のように思うからである。それで陸前高田では一本だけ松が奇跡のように残ったがそれも塩分で枯れるというとき残念がった。記念にまた松を植えるというのもそのためである。ここの松は塩分で枯れるのか?原町区の一葉松も塩分がしみこんだから枯れるのか?それを心配している。あの数本の松もなくなったら本当にここも淋しいものとなる。


松が人間だというとき沖に行く船を今はその残った数本の松が人間のように見ている不思議がある。津浪で消えた村の跡は土台だけであり原野に帰り寂寥としている。そういう風景はやはりなじむのに時間がかかる。人間でも原発難民が仮設にすでに二年近く住んでいる。この変化も大きかった。
最近わかった仮設の店舗が小高区のために作られたと思ったが鹿島区の方が多く小高区が四軒だったというのは明かに差別である。原発避難民は差別されている。これはどうしようもない。
そして原発避難民は最初は同情されたが今は同情されない、なぜなら一軒で家族が多いと80万だ百万も一家で補償金をもらっているとなるとこれは何なのだとなる。厳罰事故になって前より収入が格段に増えた人もいることになる。この辺ではそもそも収入レベルが低いからだ。何だ原発事故で得したのかとさえみられるようになる。もらっている人はいいにしても回りの人はそうみる。すると回りの人も外部の人も同情しない、原発事故でかえって得している。あの金は国民の税金でもあるとか言われている。同情されないことはそこに住んでもうとまれるしまた差別されることにもなる。お前らは補償金一杯もらっているんだから店などもつ必要がない、補償金で暮らしていろともなる。

ともかくいかに今やこの補償金が中心の話題になっているからかわかる。義援金にしてもまだ使用されていないのは公平に分配したりするのがむずかしいからである。遺産相続のようにいかに金となると問題が起きるかわかる。でもこの辺の問題は金だけでは解決しないのである。


今日は寒かった。寒いと眠くなる。半日炬燵で寝ていた。エアコンはしていないので寒さが答える。冬は長い、そして冬の間に樹の根は深くはるのだ。そもそもその土地に根をはるというとき相当な時間がかかるから50過ぎてからなと無理だろう。だから老人にとって根を張って生きてきた故郷とかを離れることは辛いものになったのである。何代もその土地で生きてきた人もいるからだ。今やただ補償金のことしか頭にないというのも不幸なことなのである。そして外から移った土地でもうとまれるようになっているのだ。それが原発事故の悲劇だった。