2013年01月24日

差別される原発難民(仮設店舗は小高区ではない鹿島区の店だった)


差別される原発難民

(仮設店舗は小高区ではない鹿島区の店だった)

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キタヤとか金子写真館は鹿島区だった

店を持っているのになぜ仮設にも必要なのか?
これは確かにおかしなことである。

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花屋は小高区である

仮設の店が小高区のために建設されたと思っていたが違っていた。10数軒あっても4軒しか小高区の店はない。写真のキタヤや金子写真館などは鹿島区のものだったので変だなとは思っていた。
鹿島の商工会議所会長が決めたと仮設の人が不満を言っていた。隣の仮設は会長の家族が経営していた。そういう権力をもっているからできた。田舎ではやはり権力をもつとその一家が得をするとなる。私的な利益を得ることができる。本当は権力は公平なものでないとやはり不満がでてくる。でも権力は中国でもわかるように公平なものではない、ある者に権力を得るとその回りが得するようにできているのだ。

これでわかっんたことは原発難民はおそらく鹿島区だけではない、避難した地域で差別されていることは確かである。ただ相馬市だと飯館村とか浪江町とかの人が集団で仮設に住んでいる。その人たちは住民票は相馬市に移さない、移すと補償金がもらえなくなるからである。だから相馬市には税金がもたらされないとかの問題が生じた。それで仮の町の構想がでてきたのである。今やなぜ双葉町でも浪江町でも団結しているかというとただ補償金をもらえることを第一として町民が一致している。

そんな村民や町民があるのかとなるが現実問題として補償金がもらえないとしたら生活できないのだからどうしようもないのである。

相馬市では飯館村の人がトマトを栽培する農家で働こうとしたら断られた。その理由が松川浦などで津浪の被害にあった人を優先して雇いたいということで断られたのである。つまり飯館村もそれなりに補償金をもらっているからだ。相馬市の津浪の被害地域はもらっていないからである。宮城県でも津浪の被害地域は別に補償金をもらっていない、だから生活が困窮して働いている人をテレビで放映していた。そして矛盾しているのは原発難民は補償金をもらっているからかえって贅沢だとか補償金をもらっていない相馬市民から言われるのである。実際に相馬総合病院に入っていた請戸の人は特等室であり家も建てると言っていたから相当な金持ちである。また補償金ももらえるから金には困らないとなる。


でもこの辺で起きていることはもはや金がもっているからといってそれだけで優位に立つことはない、仮設に入って一家で一か月百万もらっているからと言って仮設ではすべて金にものいわせることはできない。むしろなぜ仮設の人は補償金をもらっているのにその土地を貸している町の人はもらえないのだとひがみになる。それで確かに鹿島区でも補償金を交渉してもらったのである。でも一家で百万とかもらっているのかとなるとそこにまたひがみがうまれる。だから原発避難民は威張ることはできない、金を持っていても威張ることはできない、優位には立てないのである。自分も経験したが金だけではどうにもならないことがあった。金はただ奪われて何の役にも自分はたたなかった。金があればすべてまかなえるということはこういう異常事態ではならないのだ。


第一もはやこの辺では金があっても若い働き手が流出していて南相馬市立病院は二病棟しか機能していない、淋しい状態になったのである。働く若い人が流出して金をもっている病人や老人が残っても世話する若い人がいないのである。老人ホ-ムも二つ新たに建設するといっても働く人が集らないのである。小高区でもやはり老人が多いからもう小高に帰らないと言ってもその人たちを誰が世話するのかととなる。金があって老人ホ-ムを作っても世話する介護士がいない、看護師がいないとなる。

そして金はあるし暇だから毎日パチンコして地元の若い人も働かないで働くのは外部の人でその人たちが怒っているというのがわかる。そんなことつづくと思えないのである。なんらかで破綻してゆく。つまり最後は老人や病人が姥捨山のように捨てられる市町村になるという恐怖があるのだ。金をもっていても何の役にもたたない、金がここではすでに有効に働かないのである。実際にこの辺の信用組合とかでは貯金が増えているが投資先がないとか金が有効に働かないのである。これは津浪原発事故で極端に高齢化社会の問題が現れたのである。

いづれにしろ原発難民は難民なのだから差別されても当たり前だとか言われるかもしれない、本当は移った市町村に世話になるのだからその人たちのために働くというのが順序であり補償金があるから地元の人たちを働かせてパチンコやその他で遊んでいるとなると回りの人は受け入れないだろう。

これは金があるからといってそれですまされない問題なのである。ではなぜ原発難民はそんな差別民とされねばならなかったのか?それは原発のある距離に比例して責任を負わされたのである。飯館村は例外であるが双葉町>浪江町>南相馬市(小高区)>原町区>鹿島区・・・このように距離に比例して責任の重さがあり実際に負わされたのである。小高町のとき実は東北電力ですでに原発を作ることは決まり工事も開始される予定だったのである。今になり合併後に南相馬市では原町区とか鹿島区では
それを知って小高区の人たちを批判するようになった。それは双葉町などが今批判されて町長が
棄民だと言っていたがそういう差別された町民になった。でも双葉町民でなくなると補償金がもらえないから双葉町民になっている。本当は双葉町民でなくなりたいという人もかなりいるだろう。


ともかくそういうこともあり小高区の人は差別され不満なのだが原発難民とされて二等市民にされたのである。それが原発事故の現実であり事故になるとそうされるということなのだ。事故が起きなければ恩恵しかなかったのである。原発事故は一旦おきたら難民にされ差別されるという見本にされたのである。放射能のモルモットにもされた。でも補償金はもらいたとしても外部から今では飯館村さえ補償金をふんだくるだけの村だとか言われようになったのである。そして内部でも補償金を金でもめているだけの地域になってしまった。金をめぐってひがみやねたみが生まれたりかえって団結は失われた。何か絆だとなんか言われたがそんなことはない、補償金だけでつながり内部では補償金をめぐって心も分裂している。またパチンコ屋で遊んでるだけだとか外部の人にも印象を悪くしている。そのことは生活保護で暮らすように原発難民だけではない、原発事故で相馬は劣等市民だ外から見られるようになっているのだ。


小高区の人は仮設店舗にしても差別化されて悔しいと思う。でも現実はそういう責任を負わされてしまったということである。ただ小高区は南相馬市の市民だから別な市町村に移った人たちとは違っている。ただ現実問題として小高区の人は仮設に入って補償金をもらっても優位にはならない、差別化されて二等市民化されているのだ。難民化したのだからその難民になった人がよその土地で金があるからと威張ることはできないのである。仮設店舗問題にしても何か理不尽なのだけど原発事故はそういう差別も作り出したのである。

posted by 老鶯 at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連