2013年01月21日

寒烏(介護でわかる人の心、弱者として責められつづけた六年間)


寒烏

(介護でわかる人の心、弱者として責められつづけた六年間)


今日も見る寒烏一羽介護かな


寒烏が一羽電線にとまってじっと今日も見ていた。いつまで介護はつづくのだろうか?人間は今や寝たきりになってもなかなか死なない、なぜかわからないが寒くても一日エアコンしているとかそれなりの手当てをするから簡単に死なないのだろう。また死ねないということもあるのかもしれない、延命治療しても死なない、介護になると誰かがつききりになり離れられない、ここずっと6年間そうだった。家事には休みがないのだ。食べないわけにはいかないからだ。ただ介護していなければ外で食事するとか休むことができるのだ。そして別に旅行でも前のように自由にできる。介護は全く自由がなくなるのが辛い。誰かが代わってくれることは余程めぐまれないとない、介護は誰かにまかせられおしつけられるのである。遠い親戚の人は口でなにやかにやいってもほとんど何もしなかった。


それなのにお前は頼るものがないとかそんなことで弱者となったとき脅迫するように責めてきたのである。あの人たちはずいぶん虫のいい人たちであり弱者を脅迫までするのだから質の悪い人だった。あんたの財産は親戚がいないから俺たちが全部もらうけど何もしない・・・実際に借金の型にとられて働かせられているけどここでは金をやっても何ら助けることがほとんどなかった。ただうるさく口で言うだけだったのである。これは一般的に親戚はそうであり他でも言っているから介護となるとだから介護している本人はそこで怒っている人が多いのである。兄弟でもそうであり介護したくないけど親の財産はもらいたいと口だけはだしてくるのである。ともかく弱者をいためつけ脅迫するということは相当に悪質なことだろう。弱者になると何も言えなくなる、二年間は身体障害者であり大きな不安がつきまとっていた。それだけで苦しかったから何も言えなかった。手術してその不安がとれたことが自分にとっては大きかった。これで頼る必要がないということが大きかった。


人間はやはり人の弱点とか弱みにつけこむのは最低のように思うがそういうことか自分とつきあった人にはあった。一人は本当に刑務所に何年か入らねばならない大きな犯罪者であるけど平気で同じ町に住んでいるから腹ただしくなる。別に襲う気なら簡単に襲える、その恐怖もないらしいから太々しい、そのくらいだからそれだけの犯罪もできたのである。一人はたいしたことをしていないと思っているが自分は大きく傷ついた。やはり弱者だと思い何も言えない状態で入院したときも脅迫してきたのだからひどい。その人は口だけでありその口で責めてきたのである。言葉も実際は恐ろしい、言葉は心から発する、その心が言葉となって現れるのである。弱者に対して陰険な言葉の暴力がつづいたのである。相手は何も感じなくても弱者になった本人にとっては恐怖だったのである。


言葉はいくら美辞麗句で飾ってもその人の心を隠すことはできない、心から発する言葉は子供でもみぬくし愛なき同情なき言葉をいくら言ってもわかるのである。だから病人とか弱者にそういう言葉だけの人が近づくことは危険になる。一方何もしなくても心が同情心にあふれているとか穏やかな愛をもっている人はいるだけで影響する。言葉は心からででくるからわかるのである。何も言わなくても心は回りに影響するのだ。だから弱者をいじめて喜ぶような心の人がいたら病院とか施設ではすでにその人がいるだけで悪い深刻な影響がある。でも実際はそういう人が平気でそうした弱者の場にいるのも現実なのである。そもそも同情心とか愛とかをもっている人はまれである。医者にしたって技術は優れていても愛は別なものだからである。愛がなくても医者でも看護師でも介護士でも何でもなれるのである。そんなこと試験で試されたりしないし必要ないからである。この人が何かを信じている宗教を信じているから愛とか慈悲があるとか全くない、カルト宗教教団は相手の弱みを見つけて脅すような人たちだからそういう人がいるだけで恐ろしいことなのだ。


人間は弱者に対しての態度でその人間性がわかる。弱者に対して虐待するまでとなるとその人は相当に人間的に問題がある人であり近づくべきではない、ただそういう人が結構この世には多いようだ。もう一つは人間は権力をもつとその人間性がわかる。露骨に欲望が前面にでてきて実行するからだ。だから革命が起きても権力をもったら欲望を実現できるから悪いことも平気でする。ロシアでも中国でも巨額の富を権力を手に入れたものはそうなっている。結局人間の悪質な面を嫌というほど介護でみてきた。いづれにしろこれからの老いてゆく、弱者になってゆくことは現代では恐怖である。
弱者をいたわる気持ちがない社会である。また老人が多すぎるからそういうモラルも醸成できないだろう。ただ邪魔な金だけ浪費するととられてしまうのだ。現実に自分がこれまで介護しても本心ではそう思うことがあるからだ。ただ家族の場合は個々に事情があり違ってくる。子供が親に対してどういう感情をもつかは違っているのだ。自分の場合は好きなことをさせてくれたとか思っているから介護している。何かしら家族には動機がある。これが施設なるとなんでこの赤の他人の老いぼれを世話しなければならないのだとなり動機がないから虐待までになる。みんなに聖人のようなことは要求できないからである。


寒烏が一羽じっと見ている。その一羽に存在感があるのが田舎である。それはやはり都会の烏とは違っている。その烏はいつでもそこにいる。誰かが同じ場所にいつでもいるというのが田舎なのである。都会だとめまぐるしく変わりやすいのである。介護しているということは介護する人をそうして見ていることなのである。だから介護する人から離れられないのである。