2013年01月17日

借金で家族が崩壊するのはなぜ? (人間は将来のの不幸をリアルに自覚できない)


借金で家族が崩壊するのはなぜ?

(人間は将来のの不幸をリアルに自覚できない)


●借金を知られたくない


借金のリスクの中には、他人に知られるリスクがあります。消費者金融業者から借金をしていることを、他人に知られたくないという人は多いでしょう。

誰だって周りにお金がないとは思われたくないものです。プライドや見栄といったものは誰もが持っていますよね。
消費者金融業者から借金をする行為は、それだけで非常にマイナスの印象を相手に与えてしまうのは間違いありません。

消費者金融業者のような高利から借入しなければならないほど、経済的に切迫した状況だと思われてしまうでしょうし、事実その通りでもあると思います。
http://www.kinyu72.com/syakkinntorisuku/sirarerurisuku.html


なぜかはわかりませんが、消費者金融から引き出したお金は借金という感覚はなく、自分のものであるかのように錯覚してしまいます。

物を借りればその物は他人の物として認識できますが、自由に消費しても良いお金を他人の物として認識することは難しいということでしょう。
http://www.kinyu72.com/syakkinnwosururiyuu/imahituyouka.html


借金については日常的にあらゆるところで親戚であれ家族であれ問題が起きている。これは交通事故のようにどこの家族でもありうることなのだ。自分の身内は借金が元で離婚して交通事故で死んだ。もとはといえば借金だった。次に近くの遠縁のものも借金で一家離散になった。工場を経営していたが借金して破綻したためである。もうひとりも遠縁でも最近になってわかったことは借金経営で借金に追われるようになった。借金している人はぎりぎりになるまで借金しているかどうかなどわからない、みんな借金などに困って生活を切り詰めるようなことはしていない、自分も成功している能力のある人だと思っていた。実は事業をしていても借金で成功していたように見せかけていたのである。ただそれがわかったのはぎりぎりに追い詰められてどうにもならなくなり外にでてくるからわかる。いつまでもそんなことを隠し通せないのである。だから突然会社がつぶれて一家離散になったりすると驚くけどそれは隠していたからである。借金が知られると体裁が悪いとか商売していると信用がなくなるとかいろいろある。何より人間は借金するのはそもそも見栄のためである。自分は能力が優れていて成功者だと見せたいのである。実際に能力があったとしても経営はまた別なものらしい。
経営能力と技術的な能力とは違ったものらしい。会社を経営するということはとても一人の能力だけではできるようなものではない、あまりにも多方面な能力が要求されるから失敗する人が多いのかもしれない。


●借金の理由はほとんど見栄である


借金で一番多い理由はほとんど見栄のためなのである。ちょっとした付き合いからも借金がはじまる。女性同士のつきあいでも必ず見栄が
生まれ相手にあわせるために金もないのに宝石を買ったりして借金生活になっている。こういうことは常にあり付き合いというのも見栄が男女でも必ず介在してくるから恐いのである。ただ世間と交わらない、つきあわないものは狂人にされる。でも一方でそうして見栄で借金して一家離散になるというのも結果的には狂気の世界に突入しているともなるのだ。
男女とも人間の見栄をなくすことは至難である。山尾三省のような乞食のような生活を今どきする人はいない、そこまでどん底で暮らせる人はいない、あのようになれば社会では狂人になる。一切の付き合いができない、金がないのだからできないのである。ただ借金してもそうした見栄なのだから何か病気になったとか事情があると違うから同情できないのである。ギャンブル好きで借金になったとか享楽費で遊びで使って借金したとかもいろいろある。そんな人に普通は昔は金は貸さなかったろう。対面的に金の貸し借りするとき必ず相手の事情を聞くから消費者金融のようにならない、消費者金融の恐いのは借りる方の事情など考慮しないことである。


「俺はギャンブルで金がないから金貸してくれ」
「そんなこと知らねえよ、ボタンを押せよ、金でてくるよ」
「これはありがたい、金がでてくるわ」


こんうなふうにして金が借りられることにそもそも問題があるのだ。現代の膨大な借金問題はここから起きていたのである。普通は親戚でも友人でも金を借りるとなるといろいろ言われるから借りにくい、消費者金融はいちいち理由は問わないから借りる、人にも知られないから借りる、しかしとりたてるときは容赦がない、一方友人とか親戚から借りたらそんなとりたてはしない、一応納得して貸したりしているからである。だからそもそも消費者金融で借りる人はすでに問題がある人だとなってしまう。もうすでに信用がない人になっているのかもしれない、普通だったらそんなに見栄をはらないで収入相応の生活しろとなるからだ。

実際にあった事件としてテレビでとりあげていたけどWHO(世界保険機構)に勤めていたと偽り続けた人がいた。実際に通っていたのだが情報を仕入れるためであり実際は勤めていなかったが家族にはわからなかったのだ。医学部で知り合った女性と嘘ついて結婚したのである。その女性は学内では一番の美人だったとかあり実際は落第したのだがそれも偽っていた。そして最後に恐ろしい結果になった。嘘がばれて家族を全部殺してしまったのである。これは実際にドイツであった事件だったのである。見栄を軽くみていると恐ろしい結果になるのだ。


●誰も最悪の事態は予測しない


借金で天涯孤独になった人
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6146897.html


この人もでたらめな親のために悲惨な結果になった。ここでは天涯孤独ということで共感した。
つまり家族がないことは身よりのないものがいかに社会で冷酷に扱われるかである。家族がない、身寄りがないということは社会では犯罪者になる。その恐さをまだ若いときは知らないのである。
自分も60になって家族が病気になり自分がすべての責任を追わされてそのことを知った。病院で手術するにしても保証人が必要であった。形式的なものでも一応必要になる。それを頼むとなると何かと恩をきせられる。自分がそういう弱い立場になり延々と責められつづけたが何も言うことができなかった。弱者は何も言えない、その恐怖をここ6年間介護とか自らの病気で嫌というほど知らされた。
「お前は頼るものがいない、家族がいない、身寄りがないから、親戚もない・・・頼るのは自分たちしかない・・・」とか責められつづけたのである。たいしたことはしてもらっていなくても相手はそう思っていない、一種の恐喝であった。つまり身寄りがないことは社会では明かに犯罪者にされることがわかった。住所不定と同じなのである。それは介護とか病気になると痛いほどわかる。病気にならなければあまり自覚しないということもある。


結果的に因縁で頼った人も借金で苦しみ責められている。これも自業自得である。病気だとしたら他に事情があったなら別であるが見栄からそうなったのだから同情できない、そういう人には金も貸せないとなる。家族をもたない人も自業自得だといえばそうなのかもしれない、ただ家族がないということがどれだけ辛いことになるのか病気になったりしないと自覚できないのである。今は結婚しないとかそういう人が膨大になっているからその人たちは自分のように悲惨な末路となることを覚悟せねばならない、結婚は恋愛とかいろいろ甘いことを考えているが実際は最強の協力者を得ることであった。結婚は家族をもつことでありそれは社会で犯罪者扱いにされないために不可欠だったのである。これは決して笑い事ではない、いづれはその過酷な末路に自分のように呻吟するだろう。


借金だって簡単に消費者金融から借りられると借りると鬼の取り立てが待っていることを自覚しないのである。人間は将来の不幸を明確に自覚しない、自覚できないのだ。今が良ければあとも良いだろうと楽観的になっている。ただそうだから生きていられるともいえる。津浪などにしてもこんな不幸か突然くるとは誰も予想できない、だから今になるとあんな危険な海岸に接して集落があった。
なぜあんな危険な所に住んでいたのだろうとなる。これも不幸を予測できないことからそうなったのである。ただ借金などはそのあとが予測できるがもう追い詰められてするとかなるからこれまた泥沼にはまってゆく。津浪とか原発事故で人間社会にはいかに危険が多いか自覚させられた。これも最悪の時代が起きた場合どうなるか真剣に考慮しない結果だったのである。最悪の結果は科学者がシュミレ-ションできたのである。放射能の被害が起きたらどうなるのかそれを真剣に考慮しないために今の不幸と悲劇があった。これは予測できないことはなかったがしなかったのである。最悪の事態は起こらない、百万年に一回しか事故は確率的に起こらないとか科学者が言っていたのである。人間社会には最悪の事態が起こりうる。だから日本では最悪の大地震が来たら原発事故で日本自体が滅亡するとういことありうる。そんなことありえないというが原発はそれほど危険性を秘めたものだということが今回の事故でわかったのである。安穏な日というのはよほどの幸運だったのかもしれない、高度成長時代とか自分の境遇にしても30年くらいは実に平穏であったがたちまち過ぎてただ辛いことしかなくなったのである。

posted by 老鶯 at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

凍る雪(故郷の冬景色-俳句は写生)


凍る雪(故郷の冬景色-俳句は写生)

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一本の松に冬芽や凍る池

よしこなる墓誰かしる雪埋もる
寒月や扉を閉ざし籠もるかな
風花や川面の光り午後静か
風花や一室静か読書かな
我が里にノスリ住み着く凍る雪

小高の人五年かかると帰れざる凍りし雪や仮設の店かな

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原町に行く六号線の脇の道はいい道である。小さな溜池が一つあり林もある。何度も言うが俳句は写生である。冬芽があり一本の松があり凍った池がある。ここではイメ-ジしないでただそのまま写真のように俳句にした。そのことで実際は様々なことがそこからイメ-ジされるのである。冬芽ということは春になればここに花が咲く、そういう未来を秘めてここにある。それをいちいち説明しないのが写生俳句なのである。写生によって確かな存在感を示すのである。俳句は短いからどうしても写生でないと表現できないのである。


よしこというのは世話になった情ある人だった。あの人は今では本当にめずらいし馬鹿正直な人だった。あのような人にあうことは今はめったにない、別に80以上の人でもいろいろいるからみんながあんな人ではない、今回縁を切った人もそうだった。自分が身寄りないということで恐喝してきたから悪質である。お前は親戚も誰もいないんだよとかなんかいちいち何かするたびにいうしうるさいのである。あんな人に世話になることが悲惨だった。しかし因縁がありとをにもならなかった。因縁は親の代からつづいているからいいにしろ悪いにしろ簡単にはきれない。まず悪い因縁は切れないと新しい未来は開けないことは確かである。人間はつくづくわからない、いじめていた人が実はいじめられていたとかかえって思っていた人と逆な場合が結構ある。ただ一つの家と深くかかわるとその家の因縁を必ず自分も受けることはまちがいない、それはいいにしても悪いにしてもそうなる。だから角田はそうした親戚の因縁を利用して家族を崩壊させたのだから恐ろしいとなる。親戚というのも悪い因縁で結びついているのも多いのである。その悪い因縁の影響を必ず受けざるをえないのである。
つまり弱者になると恐喝まがいのことをされても逆らえないのだから恐いことを体験で知った。
身よりのないものは本当に実際は恐いことになる。家族のある人はそれがわからないのである。


今日は雪が凍り風花だった。この辺では雪はふらず風花の景色である。ノスリが必ず見かけるようになった。これはノスリが住み着いている
のだ。なぜか?餌となるものがあるということを証明している。ノネズミなどを食べているとなると田んぼが荒地化してネズミが増えたのかもしれない、餌がなければすみつかないからである。何か自然も変わってしまったのである。


小高の人は帰るのに五年かかるという、ええ、そんなにかかるの?それは長いと思った。そうなると帰らない人もでてくるだろう。五年という期間は長い、補償があるから食べるのには困らないにしてもその間に小高はどうなってしまうのかと思う。それにしても月日がたつのが早い、神戸の地震から18年たったという、そんなに時間がたったのかと思う。7年すぎたとか記憶していたがそんな時間がたったことに驚いた。つい最近だったようにも思う。人間は忘れるのが早いし時間がたつのも早い。特に老人になると時間のたつのが早い、朝起きて食事の用意してちょっと休むと昼間になりまた食事の用意すると午後過ぎて結局晩の食事の用意だとなり時間が過ぎてしまい何か書き物ができなくなっていた。また寒いから寝ているので時間が過ぎてしまった。


人間は忘却のためにあるのかとさえ思う。あらゆることが忘れられてゆく、老人になるとわかるが認知症になったりすると遂に自分の娘、息子すらわからなくなる。名前すらわからなくなる。これは病気にしてもあらゆることに対して関心が薄れてゆく、人間にしてもそうでありもういろんな人に関心がもていなのである。ほんのわずかの人しか関心をもてない、自分の場合は特に人嫌いだからそうなっている。ただ一人の人間でも関心をもち知ることは容易ではない、大河ドラマの八重とか知らない人だとくにそうである。それを知る関心をもつエネルギ-がなくなった。若いときはあらゆることに関心をもつ、今や本当に関心がもてない、年とるとごくわずかの狭い範囲しか関心がもてなくなるのだろう。そしてただすべてが忘却してゆく、忘却がさよならが人生だとまでなる。誰とあったのか誰がいたのかすら明確でなくなる。みんな記憶から消えてしまうのである。ただ日常のさりげないことにも美はあり趣はあり季節の変化のなかであきることはないのである。実際もはやここ6年間旅をしていない、それでも別に日本では四季の変化があり身近なもの深く見ていれば飽きないのである。