2013年01月15日

雪の俳句(雪国に住まなければ雪のことはわからない)


雪の俳句

(雪国に住まなければ雪のことはわからない)


凍雲の津浪の跡に動かざり

二年過ぎ津浪の跡に雪の降る
白鳥の遠くに鳴くや雪の朝


(雪の津川町)

tugawaaaaaa111.jpg

津川なる根雪の固き町古りぬ

雪の山川面に写り夕暮れぬ
津川町港の跡や雪うもる
雪国の根雪を踏みて旅の人

雪国の雪の重さや家古りぬ

冬日さし樹々根を深め故郷のこの道今日も暮れにけるかな


津川町を語る
http://musubu.jp/jijimondai26.htm#kawa2
http://musubu.jp/jijimondai25.htm#kawa



今年は寒いのかな、寒いと眠くなる、エアコンしないから眠くなる。雪国だったら特に昔だと江戸時代あたりだと雪国の生活はどうなっていたか経験しなければわからない世界である。雪に閉ざされた世界になってしまう。雪のほとんどふらない、福島県でも浜通りとか宮城県の海沿いが雪についてわからない、たまたま今回雪が大目にふって難儀しているが会津とか新潟県など雪国は常時雪に埋もれているのだ。そういうところの雪の感覚はわかりにくい。この辺ではそうした雪とか山の感覚がわかりにくいのだ。雪国では雪に備えた家作りになっている。しかしこれも実際のところ雪の中で長く暮らしていないとわかりにくい、夏とか行ってその家を見てもわからない、つまりある土地のことをわかるには一年間住んでみることである。長い間雪に閉ざされる冬から春を経験しないと雪国のことはわかりにくい。この辺では雪はすぐとけてしまうからだ。

雪は雪国では根雪になっている。津川町は昔は川を通じた交通があって栄えたという。あんなところがあったのも不思議である。相当に川の奥になるから今だとそう思う。あんな山の中が栄えたということがわかりにくいのだ。自分が行ったときは冬で固い根雪を踏んだことを体で覚えている。あそこにはもう船は通わない。ただ津川はそういう歴史もあるから魅力的な場所であった。この辺では雪がふらないから雪がみたいということで冬に雪国を旅した。ただそれはあくまでも旅として一時的に雪にふれるだけなのである。だから雪国に住まない人は雪がどういうものなのか実感としてわからないのである。砂漠や草原などに住んでいる人のことも実感としてわからない、そういうことは人間にはいくらでもある。いくら本読んでもテレビを見てもわからない、実際の体験にまさるものはないのだ。

「新しい根-被災地に-南三陸に移り住む若者」は興味深いし作り方がうまかった。あれだけの壊滅的被害を受けたなかで若者が移り住み漁業関係の仕事に従事してそこにすみつくという。それでこんなときだから地元の人に歓迎される。普通だったらあのような田舎は閉鎖的で外部の人がなかなか入りにくいところである。でも人が働き手がいなくなったのだから外部の人でも大歓迎されているから田舎に住みたい人は苦しいにしてもチャンスになる。そこで地元の若者と仕事をしてここに住み着くなら一生めんどうみてやると言っていたのが印象的だった。そして本気でこの町に根をおろし復興のために働くのかと問うていた。つまり
樹のように根を張ることを要求されていたのだ。田舎で生きることは樹のように大地に根を張ることなのである。樹のように根を深く張り連帯を強めてゆくことなのである。特に第一次産業に従事する人は海でも大地でも山でも根をはる生き方をしていた。


ただ現代は根を張るというとき第一次産業の生産にしめる割合がこの辺では一割くらいだった。ということは田舎でも会社中心の社会になっていた。東電という会社に興味ももたなかったけどあれほど大きい会社だとは思わなかった。町とか村でも何個かは簡単に買い上げるほどの財力をもった会社だったのである。実際村ごと町ごと東電に買い上げられていたのである。女川だって原発があるから漁業だけではやっていけないからそうなる。
原発で働いている人がこの辺と同じ様に多かったのである。そこで根を張り生きるとはどういう事か昔とは違ったものとなっているのだ。この辺で不思議なことはまず食糧で困った人などいない、仮設だって一人十万もらっているし田舎だと家族が多いからかえって収入がかなり増大した家がある。
八人家族の人もいた。その人は毎日マグロのさしみを食べているというのもわかる。

つまり現代の不思議は飢饉などありえない世界なのだ。普通だったら真っ先に食糧で困る。原発被害地域だけではない、津浪の被害地域でも食糧に困っている人などいないのである。

だから田んぼや畑がなくても地元でも生きていける。食糧は他からいくらでも入ってくるし金があれば買えるとなっているのだ。だから以前として金はこの面では役立っている。でも外部から入って来て働くようになった若者はもはや金だけではない、金をもらうから働くのではない、その土地で土着して仲間と共に生きるということであり金を第一にはしていない、第一金を第一にしたらそんなところに住まないだろう。ただそこでは深い連帯と生きがいがもてるから住むということがある。

これは津浪や原発災害で故郷に生きることが何なのか問われたのである。別に今や故郷とかにこだわり住む必要もない時代である。だからこの辺では看護師とか出て行って帰ってこないから病院も機能しなくなったのである。実際は津浪被害地域でも働き手がいなくなり町を維持できなくなっているのだ。町が存続できるかできないかの危機的状態になっているのだ。この辺でも南相馬市だったら小高区などはそうなっている。避難区域が解除されてもやはり復興には相当な力が必要なる。すると高齢化とかもうやる気がしないとかなり住まない、他に出てしまう人もいる。そうして町が維持できなくなるということもある。ともかく故郷自体がなくなるということなど想像もできないことだったのである。