2013年01月12日

冬の日-相馬市まで(俳句十首) (老いは突然にやってくる、60代は死が身近に)


冬の日-相馬市まで(俳句十首)

(老いは突然にやってくる、60代は死が身近に)


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手水鉢氷柱や閉ざし付き合いなし

寒椿風の唸りて墓のそば
冬の日や円墳数個眠るごと
松並木曲がれる松に冬日かな
冬日さし曲がれる松の二本かな
冬の日や一本の松に祠かな
冬の日や今日もこの道薬師堂
相馬藩六万石や凍る池
城の堀凍り相馬に我が老いぬ
冬の日や薬の相談老いあわれ
冬日没る百尺観音瞑目す
寒烏一羽我見ゆ田舎道
街道の細道静か冬日さし松一本に祠かな

枯蔦の強くからまり97の母なお生きて我が介護する

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今日は新しい電動自転車で相馬市まで行ってきた。今のところ疲れていないがあとで疲れがでる。筋肉が疲れるのだ。筋肉がかなり弱った。これは男性ホルモンと関係していた。男性の更年期があり自分は前立腺を手術したのだからその影響があってもおかしくない、というよりすでに三年近く病気であった。前立腺は50代でもなるし60代でも70代でも今はどんどん増えている病気である。
自分はもともと体力ないから男性ホルモンが欠如していた。しかし体の一部を切除することは体にかなり影響する。ツルハドラックで年配の人に相談したら手術後は飲んでよくないものがあるとかホルモン系統は飲まない方がいいと言われた。そして前立腺ガンでなくてよかった、前立腺ガンになるとやはり手術後ももっと影響するし転移して死にいたることもある。ガンは何でも恐いものなのである。だいだい前立腺手術では三分の一が癌だという、確かに病院でも前立腺癌の手術している人が多い。自分もガンになったら最悪だった。ガンでないから助かったとほっとしている。もうガンになったらどうにもならなかったろう。家族もいないからどうにもならなくなっていた。


本当に病気は恐い、その病気でも60代以降に病気になる人が多いのだ。これは明かに老化の一つであり病気になる。老いが突然やってくるというときまさに病気も突然やってくる。脳卒中でもそうだし心筋梗塞でもそうだしガンだってそうだし病気は突然症状が現れるのが多いのだ。その時手遅れだったとかなる。まず60以後は本当に病気が最大の恐怖であった。新聞の死亡欄が何かリアリティがあるのだ。40代でも50代でも必ず一人くらい死んでいる。60代では確実に一人二人は死んでいる。
長生きの時代、こんなに若くして死ぬのか死亡欄を見ると恐怖になる。70代まで一割以上死ぬというとき10人一人死に、百人10人死に、千人百人死ぬ・・・こういう計算するといかに死の人が70代まででも多いかわかる。もう60代は病気と死が逃れられないものとして身近に迫っている。
だから最近毎日死を意識している。死を意識して発表していないけど百篇以上かいた。
それも最後の総決算のようにして書いている。人間の60代は人生の総決算になるのだ。どうあがいてももう後悔してもどうにもならない、人生をもう一度やり直すことはできない、そのことが厳粛なことなのである。自分は家庭をもてなかったから平凡な平和な家庭をもちたいと今になって思ったがもうできない、あまりにも自分の家庭は異常だったからである。

つくづく回春のために中高年がアジアで若い女性を買いに行くのがわかる。これは日本人だけではない、外国人も多い。中高年は最後の欲望を果たすためのあがきとして回春を試みているのだ。
確かに若い人と接することは若返る作用があることは確かなのである。しかしそれも遂にははかないものとなり老化を防ぐことはできずみな死にいたるのだ。

老いは本当に突然にくる、それを一番感じるのは病気なのである。その時肉体は衰え車椅子生活になるものすら普通にいる。寝たきりになるのもいる。それは本当にショックなことなのである。60代で元気な人は今は多い。それにしてもやはり肉体の衰えはあり病気もあり死が身近なのである。
その時20代の男性でも女性でもみているとなんと輝いていることだろうと感じる。特に女性にたいしてそう思うのである。ただ女性も子供をもち三十代過ぎるとたちまち若さも色あせてしまうのである。人間の変化は早い、そして今回の津浪でも突然に巨大な変化が起きてくる。不幸は予期せず突然にくるのだ。病気だってそうなのである。死も突然にくるのだ。老いもだから突然にくる。徐々にくるということはないのである。
津浪も事故も突然にやってくる。人生は一寸先が闇だというのはこの辺では常に感じてきたのである。


この二日くらいは寒かった。だから手水鉢にあんな氷柱ができたことはなかったのである。
日立木のまちば橋のところに松一本があり祠がある。それは松を祀っているかのようにも見える。
あそこはいつも浜街道の情緒を感じる所なのである。薬師堂があるというときあれは昔の病院の機能があった。あそこで病気を祈るほかなかったのである。
ともかく寒かった。相馬市のお掘りも凍っていた。百尺観音に売店もあるからそれなりに観光客も寄っている。冬日さし瞑目しているところに何か意味を見いだした。

寒烏が一羽電線にとまり自分を見つめていた。田舎では烏だけではない、誰もいないようで必ず人がみているのだ。外部の人もそういっている。どこにも人がいないようでも家の中からでもみているのである。与那国島では木蔭に休んでいるだけで警官が怪しいと飛んできた。近くの人が見て通報したのである。それがおそらく江戸時代ころの田舎だったろう。今はこれだけ車が頻繁に通るから外部からいくらでも入ってこれるしわからないのである。車がどれだけ犯罪をふやしたか、それは恐るべき数字にもなる。自転車だとか歩きだと本当に目立つから犯罪を犯しにくいのである。田舎ではなかなか犯罪を犯せないのだが堂々と大犯罪を犯したやつが歩いているのには頭にきた。田舎でも今や共同しない、そういう時代は犯罪がふえる。特に高齢者は要注意である。