2013年01月10日

人間の罪の基は口にあった (口からすべての汚れがでてくる-現代社会の嘘は見抜くことがむずかしい)


人間の罪の基は口にあった

(口からすべての汚れがでてくる-現代社会の嘘は見抜くことがむずかしい)


口は災いの元

そのうわついた口はぺらぺらあることなきこと
しゃべりつづけて嘘もつく
口は災いのもと
口はつつしむべし
特に女性の口は軽すぎる
その口の恐ろしさを知るべし
その口よりいでしものが他者を殺す
愛なくば愛を語るべからじ
真実の一言は重し
真実の言葉に力が宿る
石の如くに真実の言葉は重し
浮ついたる口よ
そは地獄にてその舌の焼かれむ
その口は呪われるべし


人間は簡単に言葉を日常的に使っている。言葉などなんの影響があるのかと普通は思う。しかし言葉を通じて人間の心が表に出るということが人間の人間たる所以なのである。身、口、意で悪を犯すというとき人間は口から一番悪が出やすい。意というときその心が言葉となって現れる。人は言葉を軽んじているけど言葉を通じて心が表出されるから言葉は恐ろしい害毒をふりまく、自然界のものは樹でも石でも山でも動植物でもは言葉をもっていない、言葉がでてこないからこそそこにいかなる悪も表出してこないのだ。だから人間でも沈黙の行をしていれば樹や石や山のようになれば悪は表出しないし罪を犯さない、罪というとき具体的な犯罪として罰せられる罪を罪だと思っているが人間は日常的に言葉で相手も殺しているのである。人間の言葉の害毒は計り知れないほどこの世を汚している。
そしてこの世とは嘘と偽りの世界である。それは権力者から下々まで嘘と偽りの世界に汚染されているのだ。現代では嘘というとき個々人のあからさまな嘘もあるけど会社とか組織や種々の団体が嘘をつく。するとそれは権力を持っているから大々的社会に宣伝されてその嘘が嘘でなくなるのだ。

マスコミがこの頃盛んにネットなどで批判されるのは真実を報道していない、嘘だというときそうだった。マスコミも宣伝費をもらっているから大きな会社の意向に従う、東電など電事連が一番宣伝費を出すときその意向に従うほかない、そうして安全でなくても原発の安全神話は作られた。これは嘘だったのである。それは政府自体もその嘘に加担していたのである。政府と会社が一体化して嘘をついていたのである。戦争中でも政府と軍部とマスコミが一体化して実際は負けた場合でも勝っていると嘘をついていたのである。政府もマスコミも一体化して嘘をつく、その嘘が人の判断を誤らせていたし結果として300百万人も死に犠牲にされていた。


まずこの世で嘘をつかないで人生を終えた人など一人もいないだろう。現代では特に嘘をつかないということは会社とか団体と組織化の中で生きていると個人が嘘をつかないように思ってもできないのである。会社ぐるみで団体で行動しているのだから一個人の意向は無視される。だから除染にしてもごまかしていても会社の支持でやっている、政府の支持でやっているとなり個人はその大きな権力の意向に従わざるをえないのである。つまり現代は江戸時代などより偽りと嘘が天文学的に増大した時代である。組織ぐるみの嘘が莫大なものとなっているからだ。例えば江戸時代だったら職人であっても一人一人で職人気質で仕事していたのだから嘘をつくようなことはない、すると全体的に嘘は極めて少ない、だからみんな江戸時代の人は貧乏でもいい顔していたというときそういう社会の違いがあった。現代はまた嘘を見分けにくいのである。マスコミの嘘などでも見分けるのがむずかしい。もちろん政府が嘘ついていたら余計にそうである。宗教だってカルトとなると巨大な組織集団だから宗教を看板にしていること自体嘘と偽りなのである。そもそも宗教は自らが犠牲になるような崇高なものだった。するとカルト宗教団体などはまるでその正反対だし誰も自分が犠牲になるような宗教を実践することが不可能だからその看板をかかげていること自体、嘘であり偽りだとなる。ただ別に宗教ではなくてあなたたちの欲望をかなえてやりますとあればかまわない、それは法華経とか虎に自分の食わせるとかの宗教を実践できるものはいないからそもそも宗教を看板にしていること自体が嘘と偽りになってしまう。この世全体がそもそも嘘と偽りの世界だとなってしまっているのだ。


現代はなぜ嘘がこれほど蔓延してしまうのか?それは薬でも医学でもその他いろいろなことが専門化して素人にわかりにくい社会だからである。何か宣伝している人は金をもらってしているのだからそれがいいとか悪いとか真実なのかどうかなど関係ないわけである。それを自分で確かめるわけにもいかない、原子力発電とか放射能問題でもそれらは目にも見えないしわからないから嘘が一番つきやすいとなる。放射能が低いならかえって体にいいといわれればそうかなと思って信じてしまう。それは専門家しかわからないから嘘をつかれてもわからないのである。個人的嘘なら具体的でわかりやすいけどこうした科学でも組織的集団的なことになるとその嘘を見抜くことは不可能になってしまう。
建築関係の仕事をしている人が一億円資産があるもうかっていると言われたときその方面の知識がないからそういう仕事もあるのだと思っていたら嘘だった。そういうことは現代は数限りなくある。
何が嘘なのか本当なのか社会が嘘と偽りにおおわれていたら見抜くことはできなくなる。宗教を看板にしているのだから宗教を追求しているのかと思ったらそこはどろどろした現世欲望を追求している団体だったカルトだとかなる。その嘘が偽りは巨大組織化集団化されると社会に公認されるから余計わからなくなるのだ。社会でその嘘と偽りを糾弾できなくなっているのだ。


おそらく嘘をつかずに一生過ごせるとしたら奇跡的だろう。社会とかかわること自体嘘をつき偽りに生きることになる確率が大である。だからこそ出家してこの世とかかわらないことが身、口、意を汚さないようにすることだったことがこれからも理解できる。でも出家してもまたそこが嘘と偽りの場になることもありうる。宗教というのも嘘が多すぎるのである。だからこの世で人間社会で嘘と偽りから逃れようとしたら不可能になる。石と樹とか山とか動植物、自然は嘘をつかない、偽りがない世界である。だからこそ自然にひかれるのであり自然に安らぐのであり人間社会ではそういうことがありえないのだ。その社会は複雑怪奇になっていてとても何が嘘で真実なのかもわかりにくい、原発事故でもそうだった。ただ原発事故の原因は嘘にあった。必ず権力でもって嘘が隠蔽されていたのである。その嘘は政府の権力もかかわり隠されていたのである。それが事故につながっていた。原発の技術的問題として安全かどうかの前に正直にその内部の情報を出していない、嘘で隠していたことが事故につながったのである。だから原発が技術的問題よりそうした嘘をつくことにあったのだ。


ともかく愛がないのに愛という言葉を口にする人が多すぎる。それは宗教団体であろうがいたるところで愛を言うがそんな愛を簡単に実践することはできない、すると愛ということばを余り語らない方がいいとなる。いや簡単に語れないということでもある。政治家などは愛想のいい大衆受けをすることを盛んに言うけどそれはみんな自分の欲望のためであり他者の犠牲になるなどないから嘘なのである。それは政治家自身が言っているのだからおべっかと言っているのだからまちがいない、政治家はそもそも嘘を言うことで公認された職業でもある。だから公約などもほとんど実現されないのである。選挙のときだけいいことを言ってあとは実現されないのである。政治家だから相当な罪の職業だともなる。嘘をつけないではやれない職業だということである。そういう職業が結構多いのも現代社会なのである。江戸時代の職人や農民でも侍でも嘘をつく職業ではなかったろう。現代は膨大な嘘が蔓延した社会なのである。その嘘もみぬくことがむずかしい社会なのである。
女性の水商売などもどうしても嘘が商売になっている。それも相当な罪な職業なのかもしれない、今なら別に地味な職業でも食えないことはないからである。強制的にされるのではなく自ら選ぶということもあるからだ。そんなことに出入りすることは嘘の世界に自らも汚すし汚されることになる。
でも社会ではそんな堅いことでは通じないとかなり接待が普通にある。


口から入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのでる


口が人間の罪の一番の出口なことには変わっていなかった。口をつつしむことが宗教の修行の第一にあった。口をつつしめば罪を犯すことからまねがれる。だから社会とあまりかかわらず口をつつしむ禅宗の修行があった。現代社会生活で嘘をつかないで暮らすことはむずかしいからである。
ともかく心にもないことを次と次と言って恥ないのにはあきれた。女性は嘘つくのが当たり前だと弱い女性には嘘は許されるというがそんなことはないと思う。やはりその口は罰せられるだろう。それは男女に関係ないだろう。人間の謎は罪から生まれ罪を犯すために生まれた来たのだろうか?
結果的にはみなそうなる。なぜなら自然界には善悪がないから罪もないのである。人間だけが善悪をしる。人間が知恵の樹の実を食べて善悪を知るようになった。だから人間だけに善と悪がある。
嘘をつくということも悪であり真実であることは嘘のないことでありこの二つは分けられるのである。悪があって善を知り善の意味を知るということがある。山や樹や石など動植物でも嘘をつくことなど偽ることなどないからである。人間だけに悪あり嘘も悪であり嘘をつかない人など一人もいないから人は罪を犯すために生まれてきたということでもある。