2013年01月04日

女と巳年(切実にに助けを必要としたときまた人は人を助ける気になる)


女と巳年

(切実にに助けを必要としたときまた人は人を助ける気になる)

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坂越えて女ランナ-巳年かな
97の母よろよろと巳年かな
年初め男の家事も勤めかな


蛇年は何か女性とあっているのか?執念深いというか、ねばり強いというか、坂を越えてきたのも女性だった。女性のマラソンが強かったのもやはり日本人の女性は体力的には弱いようでもねばり強いことが証明された。女性は一般的にねばり強いから長生きするのである。寝ていても死にそうで死なないのも不思議である。よろよろと起き上がってくる。まるで蛇のように思えたのである。
女性には明かに蛇の性がある。女性は家に住み着く蛇ににているのかもしれない、嫁は女に家なのである。女性は死んでも家から離れない、家と一体化しているのが女性である。
でも97くらいまで生きると人間はある意味で気味悪くなるということもある。ただ今の時代はそういう時代だからめずらしくはないのだ。

家事も一つの勤め、仕事である。ただ仕事として評価しにくいのだろう。やはり人間なんでも仕事できる人間が評価されるのだ。仕事できない人間は評価されない、社会というのはそういうものである。規律正しく仕事をするということが人間を作るということは確かである。そういう点が自分には欠けていた。ここ6年は介護と家事が仕事だったのである。この苦しみで学んだことは
「人間は困った時が必ず起こるから人を助けるのは義務である」という実際の経験から感じた。
このことは震災でも東北の人がみんな感じた。相当に遠くから来ても助けられたからである。

一身上でも痛切にそのことを感じたことはない、自分は助けられなかったけど切実に助けが必要性を感じたのである。人を助けるというとき自分自身が苦し目にあい助けを切実に感じたときしかまた人も助けない、困ったことのない人、苦しんだことのない人は他人が苦しんでいてもあまり感じないのである。でも人間は金持ちでも困るときが必ずある。そして金だけですべては解決しない、お前は金もっているのだから金で助けてもらえとあからさまに親戚の人が狂気のように怒鳴って縁がきれた。あの人は異常な人だった。でも金だけ助けられないことがある。ただ困ったとき助けられたりする経験するとまた金を関係せず助けるということがある。助けるというとき金も役に立つ、何も自分でできなければ金で助けるものいい。ただ金だけやっても助けたという気分にはなれないだろう。寄付した所でネコババされていたとかその金の行く先が不明なのが多すぎるのだ。赤十字すら寄付金の行方が明確化されていなというのは本当なのだろう。だから東北でも未だに寄付金などが有効に使われないままなのである。それだけ金の扱いはむずかいということである。


ともかく助けるのが義務だというとき、一時的なものでなく義務的に継続してやらないと効果がない、一時のあわれみとかではすぐに忘れてしまうだろう。いくら同情してもそれは行動に結びつかない、人間はやはり仕事のように義務として責任を果たすというふうにならないと効果がでてこないのだろう。ともかく仕事でも学問でも芸術でも何でもねばり強くやらないと成果はでない、仕事はそういうものである。蛇はまた何か老人もイメ-ジする。年老いたいるが知恵者だという感じがする。

だから蛇のように聡くあれと言われた。蛇は何か賢者のような感じがするのだろう。知恵者と賢者になるのは老人なのである。青年には少女にははち切れんばかりの若さがあるが知恵と賢くは絶対になれないのだ。若さの暴走、欲望の暴走がかならずある。とても蛇のように賢く冷静に知恵あるものとはならないのである。そこが矛盾しているのだ。最近思うに結婚も実際は老人と若い女性と結婚すべきだと思った。若い男性は肉体的には若い女性とあうのだがどうしても知恵とか賢さとか理性とか落ち着きとかそういうものが若い男性にはない、ぎらぎらした肉体の若さのみが露出する。精神性がない。だからどうしても三分の一が離婚するのだ。これがもし老人の知恵とか賢さとかが備わっていればそうはならないのだ。ところが老人にはすでに肉体の若さはないのだ。そこに人間の矛盾、ミスマッチがあった。


ともかく人間は人生の中でいろいろ経験しないかぎり覚ったりできない、60過ぎてから人生の最大艱難になったがもっと経験を積んでいたらこんなふうにもならなかったろう。ただ経験を積んでも苦労しても学ばない、覚らない人も多い。人間ともかくやるべきことをやらないと他者からも信用されなくなる、見放される。親でもこれも恩があるのだから返さねばならない、別に親でもやはり他人なのである。だから子供を世話しなかった親は冷たくした親は世話してくれないとなる。家族でもそういう家族も結構あるからわからない、でも恩になったら恩を返すということをしないと他者からあの人はなんだとなる。そんなことは別に自由だからそんなこと古いといってしなくてもいい、でもやはりそういうことをちゃっとしていないと人間として見限られるということはあるのだ。団塊の世代はそうした日本人がもっていた基本的なモラル、道徳すらない、そういう人間は若い人からも見放されるという恐怖がある。そういうふすうに団塊の世代が若い人から絶えず批判されているからだ。
「人間としてなっていない・・」こう若い人に思われていることに恐怖感を覚えるべきである。
家族でも祖父母のめんどうみないのを見ている孫は親のめんどうもみないとなるそうである。そういうふうに具体的にモラルは悪い面でも受け継がれるから怖いとなるのだ。