2013年01月01日

元旦の幽玄な月


元旦の幽玄な月

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元旦や幽玄の月光るかな

雲間より幽玄の月年明けぬ
幽玄の月や巳年の初めかな
新年や一瞬消えぬ流星
 
この月も不思議だった。半弦の月というのかあまり見たことがない、雲間から光っていたので余計それを感じた。流れ星も一瞬にして消えたのを見た。今年は天候が穏やかだから気持ちいい元旦だった。雪となるとか言ったけど正月はいい天気みたいだ。天気というのも一年を占うものになるかもしれない、この幽玄の月は何を意味しているのか?自分自身が幽玄的存在だし茶の湯の道も幽玄的なところがある。幽玄という言葉自体日本的な表現の仕方なのだろう。外国にはない、外国では空が澄んでいるから太陽でも月でも違ったように見えるのだろう。日本では湿っているから幽玄的なものが生まれてくる。日本の文化には湿気がかなり影響している。朧月などがそうである。湿気は食生活にもかなり影響している。四川料理の唐がらし料理はものすごく辛い、焼けるように辛い料理である。そんなものをどうして食べるのかと思ったら湿気が強い所だから汗を出すために食べるという確かにあれだけ辛いものを食べたら汗かでる、それで体にいいとなるのか?気候とか風土化料理も作っていたのである。

幽玄というときこれは巳年(みどし)の蛇にも通じているかもしれない、蛇も神秘的だからである。
流れ星を見たというとき何をこれはまた意味しているのだろうか、天候の事象で占うということが古来中国文化にはあった。津浪が月とか天体とも関係していたというときまだその関係は科学で解明されていないのである。科学で何でも解明されたようでもされていないのがまだまだある。
人間の運命も実際わからない、自分の寿命もわからない、体もわからない、でも突然死ぬということがある。流星のように跡も残さず一瞬の輝きを残して消える、それも神秘的である。人間もそんなふうにして消えてゆくのだ。死ぬときはまさに流星になる。

今年の元旦は朝から夜までまた自転車で駆けずり回った。新しい自転車は乗りやすいからアクションを起こしやすい、今年はこの自転車でかなり行動範囲が広げられる。ただやはり疲れやすくなっている。まあ、遠くにこれで行くのが楽しみである。

元旦俳句(十種の花)- (腹の足しになるだけではない-農耕は文化を生きることだった)


元旦俳句(十種の花)

(腹の足しになるだけではない-農耕は文化を生きることだった)

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元旦や十種の花の調和かな
床飾る十種の花や賀春かな
元旦や津浪に残る松に寄る
年明けて我が家を継ぎぬ月明かり


元旦に特別な意味を認めるのは農耕文化圏である。季節の変わり目が大事だからである。焼き畑の時代は月の満ち欠けが暦となっていた。稲作になり太陽崇拝になった。十五夜に備えるのが芋とか団子であることでもわかる。農耕というときこれは単に人間が食を得るというものだけではなかった。
今になるとなぜかそればかり強調されるのも変なのだ。人間はただ腹を満たすだけに生きてきたのかというと貧乏な時代だってそうではなかった。ただこれだけ豊になったとき昔をふりかえるとき文化的なものとしてふりかえることができなくなった。絶えずただ腹を満たすということでしか農業をみれないのである。文化というとき芸術と離れて思っているけど違っていた。文化とは総合的生活のことであった。今はただ経済的観点しかから見ていないから歪んだものとなる。農民は別に俳句も短歌も作らなくても濃厚な農耕文化を生きていたのであり文化の担い手であったのだ。
だから元旦など正月は小正月を加えると二か月とか長いのである。それは中国でもそうであり正月は特別なものとして祝う時期だったのである。


工業化したときそういう文化が根こそぎ失われたのだ。文化が失われることは実は人間の精神も失われることだから実際は相当に深刻なものだった。ただそういう自覚は農民になかった。貧しさから脱することが第一とされていた。でもこの辺では原発事故で故郷を追われるとか喪失するとか田畑が放置されるとか農耕そのものが根こそぎ失われたことの影響が精神面でも相当に大きい。別に農業など金にならないし補償金もらって暮らした方がいいとかなる。高齢化しているから余計にそうなる。

でも何か田んぼがないとかいうことが別に米が他から金で買えて入ってきても精神にかなり影響しているのではないか?田舎の文化の根底には農耕があった。それがなければ田舎といえるのか、確かにまだ自然は残っている。でもそれは人間が農耕として働きかけない自然になる。それがあるから都会とはまた違っていることも確かである。ただ基本の部分で農耕があって田舎だったから何か違和感が感じるのである。もちろん今の時代は都市の時代だから都市に生きることが現代的で田舎に生きることは遅れている人たちだということを言う人も多い。田舎は都会人の税金で暮らしていると批判する人たちも多い。それも一理ある。でも国でも総合的にみるとき田舎がなければ農耕がなければ精神的にかなりアンバランスなものにならないか?現実に東京のような怪物都市に住んでいる人は何にアイデインティティを見いだしているのだろうか?何か精神的に異常をきたしてこないのか?
自分は正常を保てなくなるだろう。異様な怪物的都市の迷宮で精神が病んでくるのが普通ではなかろうか?


いづれにしろ元旦は特別な日でありそれは農耕があり日本の文化があってそうなのである。別に単に年が変わるというだけになっている国も多い。そもそも元旦とか正月とかそうした言葉もない国が多いのだ。単にNEW YEARしかない国も多いのである。人間は食うだけではない、経済的観点からだけ生活を追求することが疑問である。だから山尾三省は極貧生活だったけど農耕という文化を生きたのである。その文化を生きることに最高の価値を見いだして死んだのである。そういうふうに農耕に対して文化的価値を認める人は農民すらまれになった。今になって飯館村の人などが農業を継続したいとかキ-ワ-ドで探している。その人たちは農業のもっていた価値を再認識してそうなったのだろう。
ただ補償されて団地のような所に生きていても何ら生きる価値が見いだせないのである。
農業はただ腹を満たすだけではない、文化を生きていたのだということを痛切に感じているかもしれない、つまり普通に農業をしていれば漁業をしていればそういうことを感じないのである。
たまたまこんな極端な状態にになったから考えざるを得ないということになったのである。

 

元旦の俳句(3)(盆栽の俳句)


元旦の俳句(3)(盆栽の俳句)

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元旦や盆栽の老樹陽穏やか

元旦や盆栽の根からまりぬ
新年の鐘や鎮めと海明けぬ
新年の光の海に穏やかに
新年や鳶高々と風にのる


今年の元旦は穏やかである。日差しも穏やかであり寒くない、こんな天気が正月につづくのか?今年は平穏なのかもしれない、余震がまだあるけどどうなるのかな・・・そんなにこの辺が災難つづいていたらもたない、仮設に盆栽並べているのをいつも見ていたからそれが心に残ってくる。こういうものも何度も見ていると心に定着してくるのだ。盆栽でも長寿なものがある。いろいろ個性があった。根がからまっているのはまるで蛇がからまっているみたいだった。あんな盆栽はなかなかないし相当に価値があり高いものだろう。百万はするかもしれない、あんなふうにはなかなか作れないからだ。盆栽も日本の文化であり外国で盆栽ブ-ムだというのも何かひかれるものがあるのか?
これも良く見ていないとわからない、たまたま外にいつも飾っているから心に残ったのである。
盆栽も元旦に正月に向いているものだった。


海の方へ朝に鐘が鳴った。寺は嫌いだけどこの鐘の音だけが気持ちがいいのだ。そのひびきがいい、大地に鎮まるようにひびいてゆく、山にも海にもひびいてゆく、それは鎮魂の音なのである。


今日はコンビニで昼の用意だった。今は正月でも自給自足の時代でないから買ってまにあわせる時代だからどうしても店が必要なのである。ずいぶん混んでいたし故郷に帰った人も相当いるのだろう。その家が仮設だというのも変わったことである。

正月もやはり忙しかった。今まで正月でも暇だった。二人分の食事を用意するとなると常に忙しくなるのだ。だから一日が短いのである。高々と鳶が飛んでいるのは気持ちよかった。新年らしい風景である。


インタ-ネットはリアルタイムで次々に生放送するのに向いているのだ。これで元旦は三回目のアップだ。今年の元旦はさらにアップして記録を作るかもしれない、また外にでてみよう。

元旦の俳句(国風文化の再創造の時代へ)

 

元旦の俳句(国風文化の再創造の時代へ)


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鮭をくわえている熊の置物も正月で縁起いいとなる。その子供鮭をくわえている。
三代で鮭をくわえる。代々受け継がれるものを象徴していたのである。



元旦や花満載に幸を呼ぶ 元旦や十種類の花映えにけり
元旦や日ざしおだやか津浪跡
元旦や道の間中に猫じゃれる

一本の残れる松に我がよりて朝日穏やかにさしにけるかな


元旦は穏やかな朝だった。日差しもあたたかでおだやかである。この天気が今年を暗示しているのか?そんなに災難つづきだったら生きているのさえ嫌になってしまうだろう。

昨日この新年用の花を買った。高かったが縁起物として買った。ここに花の種類が十種類くらいあるだろう。梅と思ってのは木瓜(ぼけ)だった。これも新年にふさわしい。ここの床の間の絵は古くなっていいものではない、安物である。ネットで掛け軸とキ-ワ-ド入れるといくらでも売っていた。
掛け軸などはインタ-ネット向きの商売なことがわかった。なかなか近くで買えるものじゃないからだ。種類も豊富であり縁起物としてはいい、牡丹なんかいい、掛け軸も日本の文化だったのである。そもそも真宗でも日蓮宗でも題目を書いたものは掛け軸が発展したものだった。掛け軸は日本の文化だった。こういうものを飾るにはやはり床の間が必要なのである。幸い自分の家は古いタイプだから床の間があった。これからは日本の文化が見直され新たな国風文化が起こる。もう十分に西欧化は達成した。その後にくるのは国風文化の最高しかないのである。そして意外と今や国風文化、日本の文化自体が何なのかわからなくなり失われたのである。そういう意味を再認識する時代になる。

掛け軸一つにしてもこれも奥深い日本の文化かもしれない、でもそれに注目する人は少なくなっているだろう。ヨ-ロッパだと古い家具を置くのだが日本では掛け軸とかで部屋を飾るのは文化の違いである。でも日本人自体みずからの文化のことを忘れてしまっているのだ。
文化というときもうマスメデアとかこれまでのメデアからは起こらない、その文化は大衆消費文化であり低俗なのものに終始して文化の創造はなかった。


もうこれこだけメデアが増えるとまず新聞をとっていても読む暇がなくなっている。とういうのはこうして自分で書くことに時間がとられる。一日二三時間はかかるだけで時間をとられる。自分で書いている方が面白いし創造的なのである。もう。テレビだけを見ている受動的な情報の摂取の次時代は終わったのである。マスメデアというのは原発事故でもわかったようにメデアが権力でありメデアに操作された情報なのである。その経営は宣伝費から成り立っているから宣伝費を多く出すものがスポンサ-になるのだからとても東電など批判できないのである。一番宣伝費を払っていた会社だからである。メデアはまた芸能人を通じて操作する。人も操作されるのである。メデアはただ一利益会社であり何か正義とか追求している会社ではない、自分たちの利益になることを追求している私的団体なのだけど公的団体のように錯覚していたのである。そういう特権が与えられていたのに結局宣伝費で経営していたのだから何か真実を追求することなどできるものではなかった。


ともかくマスメデアに扇動される時代は終わった。新聞もいづれは読まなくなる。だんだんインタ-ネットに集約されてくるのだろう。これまでのメデアからでてくる人物はメデアに操作された人物なのである。
例えは福島県で和合なんとか詩人だなと原発を契機にメデアで売り出した人もそうである。
マスメデアを通じて売り出している人には注意が必要である。マスメデアの芸能人化されるのである。今では直接マスメデア通じなくてもインタ-ネットで表現できるのだから本当はそうすべきである。評論家でもメデア芸人にの言動にのせられないことである。大衆を扇動するためにメデア芸人として利用されていたのである。メデアは権力であるからそういうことができたのである。
大衆操作にはパンとサ-カスなことは変わっていなかったのである。今でも原発のことはよくわからないし隠されているがそれを暴くことがメデアの仕事でも以前としてそれができていないのである。マスメデアそのものの監視の時代になったのがインタ-ネット時代である。

 

(新春俳句連作-西の栄)新年の抱負を語る (今年こそ心も復興の年へ)


新春俳句連作-西の栄(新年の抱負を語る)

(今年こそ心も復興の年へ)


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(九州)


春潮や福岡城にこうろ館

開聞岳春の夕陽や船は去る
春の陽の昇り難波へ船進む


(姫路城-瀬戸内海)


花吹雪西の栄や姫路城

姫路城天守望み春の暮
春の日や侍女百人の栄かな
春の日や侍女の間つづく長廊下
侍女の間や城の回廊花におふ


(瀬戸内海)


瀬戸内や海を望みて春田かな

船のいず瀬戸内海の暮春かな
海望み電車走りて花盛り
初蝶や潮の早しや海峡に
春の海島影重ね瀬戸暮れぬ
落椿重なり島の塔暮れぬ
常夜灯古りて湊や春の月
大船の汽笛や水道春の島
常夜燈古りて湊や春の月
淡路島波のやさしく春の浜
春日さし潮の流れや五色塚


(伏見城)


愛姫の伏見に長く春愁う

伏見城伊達に最上や春の暮
政宗の茶の湯にまねかる春の夢
政宗の西の歴々と春の雲
春風や政宗西に向かうかな
殿座る広間に偲ぶ春深む
花は散る西の栄の物語



 


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今年は巳年である。去年は辰年だからやはり波乱はつづいていた。巳年は蛇だから落ち着くのかな?

「巳」(み、し)という字は、胎児の形を表した象形文字で、蛇が冬眠から覚めて地上にはい出す姿を表しているとも言われ、「起こる、始まる、定まる」などの意味があります。

「巳」を動物にあてはめると「蛇」になりますが、古来より、蛇は信仰の対象となっており、谷神(やとのかみ。谷や低湿地を司る)、豊穣神、天候神などとして崇められてきました。祭祀や祀りごとの「祀」に「巳」が用いられているのは、「祀」とは自然神を祀ることをいい、自然神の代表的な神格が巳(蛇)だったからです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/402685/


蛇は地を這うからねばり強いとか粘着するとかなる。悪い方になると執念深いとなる。自分も場合、陰性だから蛇と通じるものがある。何かにこだわる、だから人間つきあいでもそういうところがある。何か簡単に人のことでも忘れられないのである。蛇はまた冷静であり賢いということもある。
無駄な労力を使わないということもある。だからやたら動かないのである。それは石にも通じている。自分の詩のテ-マが石だったことでもわかる。冬の草でも俳句にしたように
故郷に忍び生きなむ冬の草」はこれは何か蛇的なイメ-ジがある。冬の草はあまり目立たないものである。今年は原発で放射能で田んぼが刈田になっていない、原野のようになっているから冬の草が生えていたから俳句になりやすかったのである。

牡丹を掛け軸にあしらったのは牡丹は富貴の花だった。今年は牡丹のように栄を表現する。

自分の家も二代くらいしかないんだけど複雑な事情で三代になっているのだ。栄はまず三代くらいつづかないと起きない、平泉の藤原家の栄も三代だったのである。三代であれだけのものを残したのである。一代二代はどうしても犠牲になりやすい、財を起こし残して次代で華が咲く、三代で消えたとしてもそれなりに華は咲くのである。自分の家もそういう用意がされていたのかもしれない、
とても貧乏だったら学問でも芸術でも華は咲かない、貧乏を呪いつつ才能があっても死んでいったのが戦前だった。今はみんなある程度豊だから才能を開花させやすいのである。高齢化というのもプラスの面として才能を伸ばしやすい、開花させやすいのである。才能を開花させるにはつくづく時間がかかるからだ。天才でない限り時間がかかりすぎるのである。


栄は西にあった。九州の博多から瀬戸内海から奈良、京都、大阪にあった。近江も信長がでて大きな栄があった。みちのくにはそうした西のような豪華な栄はない、ただ伊達政宗に興味をもつのは伊達政宗は東北ではいかに視野の広い人だったか?なぜそうなったのか?伊達政宗はほとんど地元の仙台にいたわけではない、秀吉について朝鮮まで戦争に行きキリシタン南蛮人とも交わり実に国際的だった。だからヨ-ロッパまで使節を派遣した快挙があった。あの当時でそういう大きなスケ-ルがあったことに興味が尽きないのである。また相馬とも争って関係深いこともある。どうしても会津は同じ福島県で人物で興味をもつということがあまりない、今度NHKの大河ドラマになる八重とかいう人もよくしらないし興味がもてないのである。伊達政宗は津浪でわかったように海を通じて相馬とつながっていた。相馬は仙台の方とつながりが深い、今でも交通的にも地形的にもそうなのである。中通りでも阿武隈地にさえぎられてつながりが地形的にもてないのである。仙台には通っている人も結構いたのだから日常的にもつながりが深いのである。

仙台から松島まで日帰りで行けるが会津には行けないのである。会津も山国で地形的に魅力があるのだがどうしても遠いから身近に感じられないのである。ただ伊達政宗は西の大大名と伍するためにかなりの無理をしたのだろう。そもそもみちのくは経済的に貧しく西のような豪商などいない、それで伊達ものとか無理な演出をして西の歴々と並ぼうとしたという見方は面白い。そんなふうにしないと軽く見られるという計算があって演出していた。
会津の物語より伏見城でも愛姫とかもっと伊達政宗を詳しくドラマ化すれば面白いと思う。

みちのくは今だ巳、蛇的な大地の世界である。土から離れられない世界である。それがいい方面にとれば自然と密着した文化の再生が起こりうる場所となる。東京から大阪にはそうした自然が喪失している。だから新しい文化は起こりにくいのである。みちのくにはまだ大地と密着した自然が残っていた。だからこそ原発事故には憤るのである。もちろんそのみちのくの大地を汚したのは地元の人たちも一枚加わっていた。別にみちのくでもそんなに自然にこだわる人は少ない、工業化して豊になりたいという志向が強かった。だからこそ原発を誘致したのである。ただそれでみちのくの復興が新しい文化の創造がありうるのか?それが疑問だったのである。万葉集の復興にしてもやはりみちのくの大地に根ざすときありうる。西にはそういう自然が消失しつつある。歴史的文化的集積があってもそこで新しい文化の創造は起こりにくいだろう。みちのくにはまだ本格的な栄はないのだろう。
藤原の栄華も三代で終わったように伊達政宗の栄も挫折したようにまだ本格的な文化の創造は成っていないのである。